3-3
――みんなが死んだように眠る中、一つの影が立ち上がり、ふらりと歩き始めた。
龍たちの目も掻い潜るようにしてその影は歩きつづけ、他のみんなから離れていき、森の奥で立ち止まる。
一瞬、躊躇いを見せた後に、彼は『眼』を開いた。あの声が、本当に、本人であるのかを確認するために。
「カカカカカ……我々のあいさつは、満足してもらえたかな? ウィユ=オスキュリート」
眼の中からズルリと現れたそれに、ユーは眉間へ深くシワを刻んだ。眼を開く手は震え、全身から血の気が引いて行くのを感じる。
「貴様……サー! なぜ生きている!」
姿を見せたサーは、皮膚がドロドロに溶けており、所々の筋肉は引きつっていた。眼と同化しつつあるその姿は、本当に竜人だったのかを疑わせる。
「愚か、愚か。あの愚かな老いぼれ龍が、わざわざ魔界の長様の……サンヴァー様の下僕である私を、鍵とした。ククッ、おかげで、簡単に扉は開かれた!」
サーの言葉に、ユーは総毛立つのが解った。
「私に、欠片でも良心が残っているだろうと、そう願ったのだろうなぁ! アハハハハハ、バカな奴よ。私はもうすでに、身も心も魂さえも! 全てをサンヴァー様に捧げているというのに!」
「黙れ! ダリエスさんのことを、悪く言うな!」
ユーがわずかに眼を小さくすると、サーは忌々しそうに睨みつけた。だがすぐに歪んだ笑みを浮かべ、ユーに手を伸ばす。
「あぁ、我が愛しき息子、それ故に憎らしいウィユよ。お前があの時、素直に私の元に帰ってきてくれていれば……このように苦しむことは、なかっただろうに」
ユーは眼を開きながらも、他の住人が流れてこないよう、ギリギリの大きさを保っていた。息は荒く、唇を噛みしめる。
「竜人共が魔界の住人に喰われることも、扉を封じるために無理をした老いぼれ龍が消えることも。そして……お前が慕っていた、あの忌まわしいジジイが死ぬこともなかっただろうに!」
「黙れぇえ!」
伸びてきていた手を鋭く払い、奥歯が砕けんばかりに食いしばった。震える手はすでに、ポケットの中に入っている自身の得物を出すことすら、許してはくれない。
「貴様、貴様のせいで……!」
「クック、せいぜい苦しむがいい。足掻き、抗い、己の力量のなさに絶望するがいい! 世界より称えられし、偽りの英雄よ!」
「あぁ、足掻くさ! 抗って戦って、それでも、苦しみも絶望もするものか!」
口を吊り上げて笑うサーに、ユーは指を突き付けた。その手は痙攣し、目は血走っている。
「絶望し、苦しむのは貴様の方だ、世界の裏切り者サー=オスキュリート! 安心しろ、貴様が成したこの罪……オレが、清算してやる。きっちりかっちり、てめぇの始末はつけてやるさ!」
「フフ、楽しみにしているよ、ウィユ」
彼はまだ口を開こうとしていたが、ユーは強引に眼を閉じた。崩れるように地面に膝をつけ、背を丸めると、額すら地面に押し付ける。
「畜生……!」
絞り出すように言われた言葉を耳に入れる者は、誰もいない。
「ジューメ、ちょっといいかな」
そっと体を揺さぶられ、ジューメは薄く目を開いた。そこには不安そうな表情を浮かべるヴェントが、自身の顔を覗き込むようにして座っている。
「どうした、寝ないのか」
「局長さんが、いないんだ」
ヴェントの声は、震えていた。ジューメもまた、体を起こすと目を伏せ、そんなヴェントの頭に手を乗せる。
「……オレがリ・セントーレの奴らと合流した時。すでに、局長さんの姿はなかったよ……」
「ユーの、全身についてた血って」
「言うな」
唇を噛みしめ、目元を痙攣させているヴェントの体を、ジューメはきつく抱きしめた。声を必死に押さえながらジューメの背に緩く手を回し、ヴェントは顔を肩口に押し付ける。
「あいつらっ……また、ユーの大切な人、奪っていった……!」
「ヴェント」
「どうしてさ! なんでユーばっかり、こんな目に遭わないといけないの! 局長さん……!」
「オレ達のことも、あの人は、快く家に招いてくれたからな……」
嗚咽を上げるヴェントの背を、幼い子をあやすように、ジューメは撫で続けた。ふと視界の端に、同じように背を震わせている影が映り、長く息を吐き出す。
「アンス」
「っ……。きっとあいつらは、この悲しみで、さえ。喜び、楽しみっ……あざ笑って、いるのでしょうね」
ジューメはヴェントの体を抱えあげ、アンスの傍に座り、彼の体もヒョイと抱えあげた。それから翼を広げると空に向かう。誰も、見上げた程度では見えないほどに、高い所へ。
「ほら、ここなら誰もいないから。……明日から、オレ達には、泣く時間も悲しむ時間もないと思え。だから今のうちに、全部吐き出して……戦うぞ。あいつらと、全力で」
嗚咽を上げ、涙を流し、それでも声を上げまいと口をきつく閉じて全身に力を込めている二人のことを。ジューメはただ抱きしめ、空を仰いだ。