2・戦女神――3
翌日、王の間にはシヴァ王のほかに、真一と麻姫、ナンディンと七賢人の姿があった。
「――ひとつ聞いてもいいかな?」
真一は視線を七賢人たちの方に向けていた。「な、なんでしょうか?」
その視線に気付き、マーヘーシュヴァリーが聞き返す。
「いや、七賢人のわりには、六《、》人《、》しかいないなと思って」
「そういえばそうですね。なにか理由でもあるんでしょうか?」
「ブラフマーニーはスルジの国におりまして。よほどのことがないと呼び出せない立場なんですよ」
カウマーニーが、真一と麻姫の問いかけに答える。
「私たち七賢人は、ドゥルガーさまが生み出した阿修羅の末裔なんです」
「早速なのだが真一どの。そのスルジの国まで行ってはくれんか?」
シヴァ王が真一にそうお願いする。「それは別に構わないけど、ひとつお願いしてもいいかな?」
「こちらでできることなら、どんなことでもする」
「それじゃぁ、堂本さんをここにおかせてやってくれないか?」
そう云われ、麻姫は真一を見た。
「昨日のこともあるし、もし外に出るとなれば危険だ。元の世界に帰れるって保証があるわけじゃないし」
「たしかに一理ありますね。見たところ彼女に不思議な力を感じませんし、なによりここで匿ってもらっていたほうが却って……」
チャームンダーは言葉を止めた。麻姫がジッと彼女を見つめていたのだ。
まるで似たような力を持った者から睨まれたような感じがした。
「――しかし、こうも考えられませんか? 真一さまと麻姫さまを襲ったチャンダとムンダーの件を考えると、この世界にお二人が召喚されていることを、すでにむこうが知っていても可笑しくはありません」
「たしかに……」
ナンディンは小さく唸ると、シヴァ王を見やった。
「真一どの。ここはひとつ麻姫どのを一緒に連れて行くというのはどうだろう?」
「だ、だけど――」
真一がシヴァ王に抗議をしようとした時、左手に温もりを感じた。
麻姫がジッと真剣な表情を浮かべながら、真一の手を握ったのだ。
「本人は、ここにはいたくないと申しておるが?」
シヴァ王は少しだけ笑みを浮かべる。
「だ、だけど……、堂本さんわかってる? 昨日の化け物みたいなやつがこれから先出てくるかもしれないんだぞ?」
「だったら真一さまが守ればいいだけの話ではありませんか? 私たちもできる限りのことはします」
カウマーニーがそう言うと、真一は自分をジッと見つめている麻姫を見やった。
『こりゃ、テコでも動いてくれそうにないな』
真一は、諦めた表情で溜め息を吐いた。
よく考えたら、ここで一人にさせるより、一緒に行動した方がかえっていいのかもしれない。
真一はそう考えると「わかった。こうなったら一緒に行こう」
と麻姫に伝えた。
その言葉を聞くや、麻姫の表情は安堵に満ちていく。
「しかし、お二人だけでは危険でしょう? こちらも何人か兵を――」
「いや、七賢人のうち、三人を連れて行きなさい」
ナンディンの言葉を遮るように、シヴァ王は七賢人に視線を送りながら言った。
「私たちの中からですか?」
インドラーニーがそう言うと、シヴァ王はゆっくりと頷く。
「真一どの、お主が決めてもいいのだぞ?」
「おれがですか? そうだな。それじゃぁ、阿修羅を使わず、たとえば動物が操れる人っていませんか?」
「動物? それだったらシュナヴィーが適任ね」
マーヘーシュヴァリーが、そのヴァイシュナヴィーに視線を送る。
「彼女は阿修羅以外に、鳥を操ることができますし、動物と話すこともできます」
「そうか。それじゃぁ君はおれたちと一緒に来てもらって、連絡係をお願いするよ」
「しかし、それはどういうことですか?」
ヴァイシュナヴィーがそう尋ねると、「むこうが阿修羅に対する敵対心があるなら、逆に動物に対しての警戒心は薄くなると思ってね」
「たしかに、それは盲点でした。危険という理由だけで阿修羅を使いに出していたというのがいけなかったということですね」
「おそらくね。それじゃぁ、次は……」
真一は、七賢人たちを見やった。ふとチャームンダーと視線が合う。
「うん、決めた。シヴァ王、残りはインドラーニーとチャームンダーをお願いします」
その申し立てに、シヴァ王は怪訝な表情を浮かべた。
「インドラーニーを選んだのはよいが、なぜチャームンダーを選んだ?」
「いや、なんとなくって言ったら怒られそうなんですけど、ほんとなんとなくなんですよ」
「この国の未来がかかっているかもしれんのに、どうして……」
ナンディンが難癖をつける。
「――うむ。真一どの、私からもぜひ聞きたい。何故チャームンダーを選んだ? 彼女は戦うという術を持たん」
「別に戦うだけが方法ってわけじゃないでしょ? 要は復活した魔神を倒して、それを復活させていた祈祷師をぶっ飛ばせばいい」
真一は、小さく口の端を上げた。その表情は大丈夫だと、シヴァ王に訴えている。
『なにか、彼女から感じ取ったというか……、ドゥルガーよ』
シヴァ王は、ゆっくりと姿勢を正した。
「では、シュナヴィーとインドラーニー、そしてチャームンダーは急いで旅の支度を。アンナ、真一どのたちの旅支度を」
シヴァ王が二、三回ほど柏手を打つと、部屋の入り口から小柄な少女が姿を現し、真一と麻姫に頭を下げた。
青い瞳の童顔で、栗色の髪はツインテール。体を包んでいる服は袖が二の腕までしかなく、膝までしかないミニスカートにハイソックスを穿いている。その上に清潔感のある白い(?)エプロンという、侍女のそれであった。
「アンナと申します。王の命により、みなさんの旅の世話役を任されました」
それを聞くや、真一はシヴァ王を見た。
「すまんな。少人数の方がいいとは思ったんじゃが、世話役が一人はいたほうがいいじゃろ?」
「――いや、ご厚意と思って有難く受けますけど」
真一は、アンナを一瞥した。「なんで泥だらけなんですか?」
アンナのエプロンに泥がついている。
「先ほどまで畑仕事をしておりましたから」
アンナはあどけない表情を浮かべながら言った。
「アンナ、城内に入る時は泥を落とせと云っておるだろ?」
インドラーニーがそう言うと、アンナはもうしわけありませんと、頭を下げ、足早に出て行った。
その時、運が悪いのかなんなのか、まったくなにもないわけではなかったが、アンナは敷き詰められた石畳の小さな隙間に足を取られてしまい、派手に転倒した。
真一がそちらを見ると、ちょうど彼女の水色のショーツが視界に入ってしまい、視線を逸らす。
「す、すみません」
と、アンナは頭を下げ、廊下へと姿を消した。
「――きゃっ!」
廊下の方から小さな悲鳴が聞こえてきた。アンナが転倒したのである。
「も、もしかして……アンナさんって、ドジッ娘?」
真一は、シヴァ王を見た。「アンナは侍女としての腕はたしかなのだが、どうも緊張すると、そそっかしいところがあってな」
真一の不安そうな表情に気付き、シヴァ王は溜め息を漏らすのだった。
街を出ると、真一は麻姫を見やった。「本当に大丈夫か?」
「苅谷くんは心配性です。あんまりしつこいと、横車を押しますよ」
麻姫は、ムッとした表情で言った。
「えっと、車は使いませんよ」
ヴァイシュナヴィーが首をかしげながら言った。
「いや、言葉のあやだから気にするな……って、車ないのか?」
真一がそう言うと、チャームンダーたちは頷いた。
「当たり前です。まぁところどころ休んでいきますから大丈夫ですよ」
「何日かで終わる旅でもなさそうだし、気長に行きますか」
半ば諦め気味に、真一は皆に行った。
「行きましたな」
旅立った真一たちを窓から覗きながら、ナンディンは言った。
「うむ。無事にスルジまで辿り着けばいいのだが」
「大丈夫でしょう。なにせ七賢人が一緒についているのです。いくら彼があの方の息子だとしても、本来の力を持っているのかどうかさえまだ未知数」
「わかってはいる。しかしだ……、どうも引っかかる部分がある」
シヴァ王がそう言うと、ナンディンは首をかしげた。「そうなのだろ? カーリーよ」
並んでいる侍女たちを見ながら、シヴァ王は名指しした。
「カーリーさま? はて、私には気づかなんだ」
ナンディンが驚いた表情で、侍女たちを見る。
「此度の件、なにか知っておるのだろ? そうでなければ、お前がここにいるとは思えん」
シヴァ王は、特に責める気はなかった。
「ごめんなさい、父さん」
侍女の一人がシヴァ王の前に跪き、フードを取るや、サラリとした白髪の女性が姿を現した。
「おお、カーリーさま」
ナンディンは驚いた表情でカーリーに声をかける。
「なんでもお見通しね」
「そんなことはいい。お前が知っていることを話してもらうぞ」
シヴァ王がそう訊ねたが、カーリーは黙りを決め込む。「どうした? 話せないことなのか?」
「話せないというより、まだ確信出来てないというのが現状ね。父さんも薄々気付いているんでしょ?」
カーリーが聞き返すや、「うむ。苅谷真一どのと堂本麻姫どのか……」
「侍女から聞いた話だと、姉さんを復活させようとしたら二人が来た」
「うむ。たしかにその通りでございます。――はて?」
ナンディンは怪訝な表情を浮かべる。
「それではやはり、儀式は失敗したのか?」
カーリーは、その言葉をせせら笑った。
「生きてるのに召喚できるわけないでしょ? それにもし真一が召喚されなかったら、あの洞窟で殺されてたわよ」
カーリーは揶揄うように言った。
「云うてやるな。つまり、彼は……」
「ええ。父さんが思ってる通りにね。むしろ姉さんも、彼がこの世界に来たことを知ってるわ」
「どぅ、ドゥルガーさまは何処に?」
ナンディンがそう尋ねるや、カーリーは頭を振った。
「今は言えない。いいえ、敵の目的が解らない以上は、迂闊に口を開けないの。それだけは分かって」
カーリーの言葉を聞きながら、シヴァ王は頷いてみせる。
「分かった。今は彼らを信じよう」
そう言うと、シヴァ王はカーリーに視線を送った。
「了解。まぁ、彼は元々から知ってるけどね」
カーリーはゆっくりと空間の中に消えていった。
――その瞬間である。
「王、ご報告いたします。先ほど城の外に大量の魔物の骸が」
カーリーとすれ違うかのように、兵士ら数名が王室へと、その言葉通り、雪崩込むように入ってきた。
「ダッ、魔物だと?」
「カーリーめ、久しぶりに来たと思えば――」
シヴァ王は、クククと笑った。