2・戦女神――2
「――と、いうわけなんですけど」
真一は、ナンディンと七賢人たちに、自分たちがいた世界での出来事を説明していた。
「おそらく、あなたたちを襲ったのはチャンダとムンダーという魔神でしょう」
ローブのフードを外したヴァーラーヒーがそう答える。他の七賢人たちもフードを外し、素顔を見せていたが、チャームンダーだけは仮面を被ったままで、素顔を見せようとはしない。
「このことを早く王に伝えねば、カウマーリー、シュナヴィー、この二人を王のもとに案内しろ」
そう呼ばれ、カウマーリーとヴァイシュナヴィーは、真一と麻姫に近付き、頭を下げた。
「真一さま、麻姫さま、こちらへどうぞ」
そう云われ、真一と麻姫は二人に付いていった。
「他のものたちは引き続き阿修羅からの連絡を怠るな。それからブラフマーニーにもこのことを連絡しておけ」
「――御意」
ナンディンの言葉に、残りの四人が頷いてみせた。
王の間に案内された真一と麻姫が最初に目にしたのは、玉座の上にある大きな女性の肖像画であった。
陶器のような白く綺麗な身体に、胸まである長い黒髪。気品溢れる雰囲気はまるで女神ともいえるが、それとは対照的に、どことなく畏怖する雰囲気もあった。
「綺麗な人ですね」
麻姫は素直に感想を述べた。「そ、そうだな……」
真一は、喉を鳴らす。
――嘘だろ? これって、どう見ても……母さんじゃないか?
真一がそう考えていると、うしろの方から足音が聞こえ、真一と麻姫はそちらへと振り返った。
「君たちか、チャームンダーたちが行った儀式によって呼び出されたというのは」
「あなたは?」
「この方こそ、この国の王シヴァさまでございます」
カウマーリーが紹介すると、シヴァ王が真一と麻姫に小さく頭を下げた。二人もそれに習って頭を下げる。
シヴァ王は玉座にゆっくりと座り、ジッと真一と麻姫を見つめた。
「な、なにか?」
「いや、見たところドゥルガーには見えないと思ってね」
シヴァ王は麻姫を見ながら云った。麻姫はかけてもいないのに、メガネをなおす仕草をする。
「さきほどドゥルガーと云っていましたが、もしかしてインド神話に出てくるドゥルガーの事を云ってるんですか?」
真一がそう尋ねると、シヴァ王は少しだけ首をかしげ、やがてそれが自分たちにも伝わっている先祖たちの伝説だということに気付く。
「主らの世界でも我々先祖のことが語り継がれているというのか?」
「ということは、ここはインド?」
「インド? いえ、この国はアワクルトという名前ですが?」
カウマーリーが、真一の言葉に首をかしげながら答える。「アワクルト?」
真一は麻姫に視線を送ったが、麻姫は知らないと云わんばかりに、黙って頭を振った。
「アワクルトとは、我々の世界の言葉で【破壊】を意味している」
シヴァ王の言葉に、真一と麻姫は我が耳を疑った。
「だが勘違いしないでほしい。やたら破壊行為をしているわけではないぞ。この世界では、創造、維持、破壊を繰り返してきたんだ」
「創造・維持・破壊――」
「創造の国スルジ、維持の国ダールラヤティ、そして破壊の国アワクルト。この三国によって、長年平和で穏やかな世界を維持できていました」
「私たちの国はこの世界に作られた古いものを破壊し、また新たなるものを作り出す役割があるのです」
ヴァイシュナヴィーがそう説明すると、「つまり温故知新の国ってわけか」
真一の言葉に、意味がわかっている麻姫以外の全員が首をかしげた。
「あの、それはいったいどういう意味が?」
「ああ、えっと、昔からある知恵や研究を深く知り、そこから新しい物事を見つけたり、作り出したりするって意味……だったっけ?」
真一は麻姫に同意を求める。「間違ってはいません」
と、麻姫は答えた。
「なるほど、たしかに我が国がしていることはそう云ったことだな」
シヴァ王は、真一の言葉の意味を理解し、大きく頷いて見せた。
「あの王様……、ひとつお聞きしたいことが?」
真一は、恐る恐るシヴァ王に尋ねた。「なんだ? 申してみよ」
「その、玉座の上にかけられている肖像画の女性はいったい」
真一は、ゆっくりと肖像画を指差した。シヴァ王もその指の先を見上げる。
「ああ、この絵か……。これは、今は亡き我が妻、パールヴァティーの肖像画だ」
それを聞くや、真一は安堵の表情を浮かべた。
――そうだよな? こんなところで母さんの肖像画があるわけ……。
「どうかしたんですか?」
麻姫がそう尋ねると、「あ、いや……。なんでもない」
真一は頭を振りながら言った。
「お二人とも、突然のことでお疲れでしょう? 今夜はもうお休みになって……、お前たち部屋の用意を」
ナンディンが柏手を打つと、隣の部屋から四人ほどの兵が現れた。
「部屋は別々でよろしいですね?」
「あ、はい……」
麻姫はそう答えながらも、まだ女性の肖像画を不安そうな表情で凝視している真一が気になっていた。
その日の夜、すでに城の廊下の明かりは消えていた。
灯っているのは城壁にかけられた松明と、王の間だけである。
ロウソク立てを手に持ちながら、真一は例の肖像画を見つめていた。
「その絵が気になるのか?」
気配を感じ、真一がそちらに振り返ると、そこにはシヴァ王が温厚そうな表情を浮かべながら立っていた。
それを真一は怪訝な表情で見つめかえす。シヴァといえば、インド神話において外せない神とされ、宇宙の創造をつかさどるブラフマー、その維持をつかさどるヴィシュヌ、そしてそれらの破壊をつかさどるシヴァの三神はもっとも畏怖されているため、このように温厚な雰囲気に違和感があったからだ。
「あの時も真剣な表情で見ておったが?」
「……似ていたんです。おれの母さんに」
「お主の母君にか?」
シヴァ王は驚きを隠せず、そう尋ねた。
「まぁ、似ているだけなんですけどね。大体まだ生きてますし」
「そうか……。して、その母の名は?」
「――苅谷純って云いますけど?」
真一の言葉を聞くと、シヴァ王はゆっくりと玉座に座り、深く深呼吸した。
「純……か」
シヴァ王は深く息を吐くと、優しい表情を浮かべるや、真一を見やった。
「そうじゃ、寝る前に風呂に入ってみてはどうだ? 自分で云うのもなんじゃが、この城の露天はよいぞ」
そう誘われ、真一は浴室の場所を教えてもらい、そこへと向かった。
シヴァ王は廊下へと消え行く真一の後姿を目で追いながら、深々と玉座に座りなおした。
「ナンディンはおるか?」
「――ここに」
玉座の脇からナンディンが姿を現す。
「彼が言った母親について、どう思う?」
「にわかには信じ難い話ではありますが、おそらく彼の母親、純という女性は、あの方が創り出した阿修羅と考えるべきでしょうな?」
「お前は彼の戦いを直に見ている。その時のことを詳しく申してみよ」
そう云われ、ナンディンは洞窟での出来事を事細かに説明した。
「――なるほど、つまり彼はただの人間ではないということか」
「咄嗟の判断、相手の急所や弱点を瞬時に見分ける戦いのセンス。七賢人はドゥルガーさまを呼び出そうとしていたわけですから」
「――もしかすると……か、少し荷が重いかもしれんが、今回の件、彼らに任せてみよう」
「ですが、まだそうと決まったわけでは」
「わかっておる。しかしだ――」
シヴァ王はゆっくりと頭上にあるパールパティーの肖像画を見た。
『感じたのだ。私や娘二人が破壊の神だからというわけではないが――、彼の目から破壊と殺戮を楽しむ中で、こんなことはしたくないという悲しい気持ちが――』
この世界でもお風呂はあるんだな――と、真一は思った。
シヴァ王から教えてもらった道筋を辿っていくと、『ゆ』と書かれた、なんともわかりやすい暖簾がかけられている門を見つけた。
――てか、なんで『ゆ』なんだ? しかもご丁寧に温泉マークつき。
真一はあきれながらも、戸を開けると、脱衣所に置かれている籐で編まれた籠の中に衣類を脱ぎ入れた。
浴室に入ってみると、床には大理石が敷き詰められており、ちょっとした大浴場くらいの大きさで、周りを囲んだ岩の浴槽も、周辺が砂でできているこの世界の雰囲気に合っている。
周りの岩壁は外敵から襲われないようにと高く聳えたように作られ、隅の方には二つの顔に、腕が二本の、いわゆる二面二臂に、七枚舌の男――ヒンドゥー教に伝えられる火の神、アグニの石像が置かれていた。
真一は、浴室の中にゆっくりと手を沈めていく。少し熱いが、入れないというわけでもない。熱い湯が好きな真一にとってはちょうどいい湯加減である。
桶にお湯を汲み、体の汚れを流していると、奥の方から、少女の綺麗な歌声が聞こえ、真一はドキッとした。
――誰かいる?
そう思ったのは真一だけではなった。
少女もまた、真一の存在に気付き、彼の方へと振り返った。
一糸纏わぬ少女の姿を見るや、真一はふたたびドキッとし、ゴクリと喉を鳴らした。
紅玉のような、赤く大きな瞳が印象的で、温泉で火照った小麦色の肌や、肩まで伸びた白い髪の先から水滴がしたたっており、その一滴、一滴が月明かりと松明に照らされ、朝露のように煌めいている。
麻姫と同じくらいの背丈がある少女の肢体は、幼くもなく、かといって大人びた雰囲気があるわけでもない曖昧な容姿であった。
少女は、真一の方に視線を向けると、ジッと彼を見つめた。前を隠すという仕草がない。
「あ、いや……。人がいるとは思わなくて、その……ごめん」
真一は隠れるように湯船に浸かり、背中を向けた。
浴槽に人が入る音がし、真一はそちらを一瞥した。
少女も湯船に浸かり、ゆっくりと深呼吸をしていた。
「――恐ろしくはないのですか?」
少女がそう尋ねると、真一は彼女を見やった。「それってどういう?」
真一が首をかしげていると、少女は立ち上がり、浴室を出て行った。
少女が立ち上がった瞬間、真一は、彼女のすべてを見たわけで、すこしだけ鼻を押さえる。
『いや、これは温泉でのぼせたんだ。決して彼女の裸を見て興奮したわけではないぞ』
と自分に言い聞かせたが、腰より下は少しだけ、しっかりと反応していた。