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破戒の聖音  作者: 乙丑
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1・破戒神――5


 ――さてと、どうするかな? これから……。

 授業が終わり、教室から出ると、真一は素直に家に帰るか、寄り道をするかどうかを悩んでいた。「真さん、今帰りッスか?」

 教室の窓から、早良がヒョコッと顔を出す。

「そうだけど? てかお前も同じクラスだろうが」

 真一は怪訝な表情で、早良を睨んだ。

「いいじゃないッスか、それで、なにか予定でもあるッスか?」

「いや、特になにもねぇな。祖父ちゃんからは『早く帰って畑の手伝いでもしろっ!』って言われそうだけど」

「そんじゃぁ、ちょっと付き合ってくれないッスかね? 最近駅前に新しい喫茶店ができたんッスよ」

 ――喫茶店? また似つかわしくない場所をチョイスしたな。

 真一はあきれた表情を浮かべながら、早良を見た。

「なにか不都合でも?」

「いや、男二人で喫茶店ってのもどうかと思ってな」

「別にいいんじゃないッスか、男二人が喫茶店で話し合っても」

 ――まぁ、云われてみればそうなんだけどな。特に予定もないし、早く帰ったところで、畑の手伝い以外はやる事もないしなぁ。

 真一はどこからともなく、「宿題は?」というツッコミが聞こえた気がしたが、無視した。

「よし、わかった」

「――それじゃぁ案内しますね」

 早良が足踏み早く先へと進んでいく。「お、おいっ! そんなに急がなくてもいいだろ?」

「真さん早く来るッス」

 早良は声を高々とあげた。


 真一は早良の案内で、駅前の喫茶店でコーヒーを飲んでいた。

 喫茶店の中は落ち着いた雰囲気があり、のんびりとした空間だ。

 周りを見回してみると、恋人どうしや、女子高生二人組やら三人組やらがくっちゃべっていたり、真一と早良以外にも、男友達と一緒に来ている男子なんかがいた。

 ――そういえば、カウンターの方を見たが、マスターみたいな人がいなかったな。

「真さんはミルク入れないんすね?」

「その分、砂糖入れてるけどな。まぁ中学ん時は無理してブラック飲んでたけど」

 真一は苦笑いを浮かべた。「真さん男のクセに甘いもの好きですからね」

 早良はクスクスと笑みをこぼす。

「いや、男でも甘いもの好きなやついるぞ。まぁコーヒーはミルク入れてないだけまだましだろ?」

 真一は、コーヒーを飲みながら窓際の方を見ると、堂本が同じ制服を着た女子二人と会話しているのが目に入った。

 堂本を見つけたのは真一だけではなく、周りの男客も彼女に視線を向けていた。

 それに気付いたのか、堂本と同席している女子生徒の一人が、小声でなにか話しかけようとした時だった。

「ねぇ君たち?」

 なにやらチャラい感じのする輩が、堂本たちに声をかけている。

 真一は、不躾ながらも聞き耳を立てていた。

「君たち高校生? これからちょっと付き合ってくれないかな?」

「えーっ、どうしようかなぁ?」

 と、堂本と同席している女子生徒二人が、悩んだ振りを見せた。

「いいじゃないか、ところでそこの君はどうだい? これからぼくが君たちの知らない大人の世界に誘ってあげるよ。そりゃぁもうアバンギャルドな夜をみんなでランデブーしようじゃないか」

 男は堂本に声をかけるが、彼女はまったく視線を合わせない。

 というより頬杖をつきながら、外方そっぽを向いていた。「おや、面白くなかったかな?」

 男が冷や汗をかいたような表情で尋ねる。

「あなたの言っていることなんて、最初から聞いてませんからご心配なく。あとアバンギャルドもランデブーも使い方間違ってます」

 堂本はキッと険しい表情を男性に向けた。

「そもそもアバンギャルドな夜ってどういう意味ですか? アバンギャルドという言葉は『前衛』という意味で、元はフランスの軍隊用語。それから転じて、芸術作品における未知の表現を切り開こうとする、芸術上の実験や冒険をさします」

「そ、それはだね。君たちがまだ知らないことをぼくが教えてあげるのさ」

 男の笑みが強張っていく。真一は席から離れ、ナンパしている男に気付かれないようにゆっくりと近付いた。

「あとランデブーの使い方も間違ってます。そもそもランデブーというのは逢引という意味で、強いてはデートを意味してます――ですので、あなたと付き合う気はありませんし、あなたのようなのりえた態度はいただけません」

 堂本の一言に、男は表情を歪め、「……好い加減にしろよっ! このガキィッ! 綺麗だからって態度でけぇんだよ」

 と叫びながら、拳を振り上げた。

「はい。そこまで」

 振り上げられた男の右腕を、真一が掴んだ。

「なんだてめぇ、離せこらっ!」

「ちょっとやりすぎじゃないか? 失敗したくらいで女の子殴ろうとしてたら元も子もねぇだろ?」

「るっせぇな、ガキはすっこんでろ!」

 男が怒声を放った。威嚇しているようだが、真一にとってはまったく意味がない。

 そんじょそこらのチンピラがガン飛ばしたところで怖くはなし、むしろ祖父母や母親の一喝に比べたら、小猫が鳴いているようなものであった。

「お、おい……、あれって」

「あ、ああ。そうだよな? てかやっぱりそうだよ」

 周りからどよめいた声が聞こえてきた。

「あいつっ! ここら辺じゃ不良が恐れをなして逃げる『破戒神』じゃねぇか」

「地獄だ。あいつがいるだけでこの店は地獄図になるぞ」

「あの男……死んだな」

 その言葉に同感したのか、真一のことを知っている何人かが頷いてみせた。

「さて、おれもあまり暴力沙汰にはしたくないんだわ。ここは穏便に、迷惑も考えて、店から出て行ってくれねぇか?」

 真一はあえて温厚に、下手に出てお願いしたが、「くそっ! だいたいなぁガキのクセに大人ぶってんじゃねぇよ。どうせその髪だって、ウィックかなんかだろ?」

 男は空いていた左手で、堂本の髪を掴んだ。

「痛いっ!」

 堂本が悲鳴をあげた。うっすらと涙を浮かべ、男を睨みつける。

「――嘘だろ? 地毛だってのかよ?」

「さて、この仕打ちをどうするつもりかね?」

 真一は、掴んでいた男の手と腕の間の関節に、親指の間接をゆっくりと食い込ませていく。

「いっ! 痛いっ! 離せっ! 離してくれっ!」

「髪は女性の命だってくらい知ってるだろ?」

 そう尋ねたが反応がない。男は痛みに耐え切れず、失神してしまっていた。


「あ、ありがとうね、苅谷くん。実はちょっとウザイなって思ってて」

 早良のいる席に戻ろうとしていた真一に、女子生徒が声をかけてきた。

「いや、ちょっと気になったからね。気をつけないともっと痛い目に遭ってたかもしれないよ」

 真一が優しく諭すと、女子生徒は深く頭を下げる。

「ほら、麻姫まきもお礼くらい云ったら?」

 もう一人の女子生徒が、頭を抱えて蹲っている堂本麻姫に声をかけた。

「――あなたみたいに乱暴な人は嫌いですけど、徳と思ってます」

 そう云って、麻姫は小さく頭を下げた。

 真一は言葉の意味こそわからなかったが、感謝されているのだと感じた。

「店長、どうしますか? この男」

「外に放り投げとけ。それから塩撒いとけ塩っ! うちじゃナンパは禁止だって張り紙も貼っておけ」

 坊主頭でガタイのいいサングラスの男がウェイトレスに命じた。彼……つまりは店長なのだが、キャッチーな雰囲気にそぐわぬほどに見た目が怖いため、奥の方で隠れたようにメニューを作っていたのである。

 ナンパしていた男は、いつの間にか降り出していた夕立の下に晒されていた。



 駅前の喫茶店での一件があった翌日、真一は生活指導の草香江から呼び出されていた。

「まぁ、今回は助けたってことでお咎めはなしだそうだ」

 草香江は、がっかりした表情で職員会議の決定を述べた。

「おれは元から人を殴りませんよ」

「しかし、お前よく腕を握っただけで相手を失神させたな?」

「ああ、それは簡単だよ先生。指を関節の中に押し込んだんだ」

 そう言うと、真一は自分の左手首を握った。「右手人差し指で手首の付け根をあげればいいんだ」

 草香江は実際に、自分で試してみた。「た、たしかに痛いな」

「関節技ってのは脱臼させることも可能だからな。まぁ相手が脱臼する前に失神してくれたからよかったけど」

「もし、脱臼なんてさせてみろ? さすがに人助けではなくなるぞ?」

 草香江がそうお灸を添えると、「わかってます。おれだって護身術を教わる時にその痛みを肌で感じてますから」

 と、真一はしみじみと答えた。


「しかし、昨日は災難でしたね?」

「あの喫茶店に同じ学校のやつもいたようだし、誰かが先生にリークしたみたいだしな」

「でも、昨日の真さんはかっこよかったッスよ。まるで颯爽と現れるヒーロー」

「ヒーローねぇ……。高校生にもなってそんなこと云える義理かね」

 真一は溜め息混じりに言ったが、満更でもなかった。

「いや、ヒーローってのは颯爽と現れるからかっこいいんすよ。遠くから見てるやつはただの傍観者ッス」

「はいはい。こっちは昨日喫茶店のことが祖父ちゃんにばれて、関節技食らったんだぞ?」

 そう言うと、真一は首元を手で優しく揉んだ。「孫に双羽固ネルソン・ホールドとかかけるかね? 普通……」

「まぁ、殺されないだけマシじゃないッスか」

 たしかにそうだと、真一は苦笑いを浮かべた。

「ほら、席付けっ!」

 担任の教師が教室に入ってくるや、席に着いていない生徒たちに着席を促した。

 全員が座ったところで、「起立、礼」

 と、クラス委員長が号令を出した。


 その日の放課後。真一は駅前の本屋で立ち読みをしてから帰宅しようとしていた。

 視線の先に堂本麻姫の姿があり、それを目で追っていくと、麻姫は路地の方へと入っていった。

 真一は少し気になり、その後を追った。

「可笑しいですね。ここにいたはずなんですけど」

 麻姫はキョロキョロと辺りを見渡している。それを死角から真一は覗き込んでいた。

 ――なにか探してるみたいだけど、こんなところになにが?

 真一も周りを見ていると、上の方から「みゃーっ」という、猫の声が聞こえてきた。

「あ、いた……。ほらミルク持ってきたよ」

 麻姫は袋から牛乳パックを取り出し、それを見せた。

 猫はまだ幼く、「みゃー」と甲高く鳴きはするが、逃げようともせず、さして降りるような雰囲気もない。

「もしかしたら、降りられなくなったのか」

 痺れを切らした真一が、麻姫にそう尋ねる。

「――みたいです。ほら、大丈夫だから降りてきて」

 麻姫は優しい声で呼びかけた。子猫は一瞬だけ降りようとするが、怖くなりその場から動けなくなる。

「怖くて降りられないってわけか。猫の身体能力はすごいんだがなぁ」

「それは大人だからです。子供は怖いと思ったら怖いって思うのが普通ですから。あの子も例外じゃありません」

 麻姫の言葉に、真一はたしかにと答える。

 ガタッという音が上から聞こえ、真一と麻姫はハッとした表情で、子猫がいた場所を見やった。

 子猫の前足が滑り、体が宙へと放り投げられる。

「きゃああああああああっ!」

 麻姫が悲鳴をあげた少し前、真一は身体を乗り出すように手を思いっ切り前に出していた。

 積み上げられたダンボールが崩れ落ちていく。

「お、おいっ! なんだ? なにかあったのか?」

 お店の店員が騒ぎを聞きつけ、裏口から出てきた。

「こりゃぁ、いったいどういうことだ?」

 路地裏の惨事を見るや、店員の顔が蒼白に変わっていく。

「か、苅谷くん? 大丈夫ですか?」

 麻姫がダンボールの下敷きになっている真一に声をかける。

「あいてててて……。あ、こら指を噛むなっ!」

 先ほど落ちた子猫が、恐怖のあまり抱きかかえている真一の人差し指を噛んでいた。

「なんでぇ、ミー子。また降りられなくなっちまってたのか?」

「この子のこと、知ってるんですか?」

 麻姫が首をかしげながら店員に尋ねる。

「ああ。こいつはうちが飼ってる猫の子供でさぁ――」

 店員が子猫の説明をしている中、麻姫は寂しそうな表情を浮かべながら、話を聞いていた。


「よいしょっと、これで全部だ」

 崩れたダンボールの山を片付け終え、真一は深呼吸をした。

「その……、残念だったな。あの子猫飼い主がいたみたいで」

「別に、青菜に塩というわけではないです。むしろ喜ばしいことですよ」

 麻姫はそう云うが、真一にはそうは思えなかった。麻姫の表情が、寂しく、無理に笑っている印象があったからだ。

「まぁ、とにかくだ……。そろそろ暗くなってきたし」

 真一は人差し指で空を指した。真っ暗な空だ。

 ――はて?

 と、二人はその異常に首をかしげた。夕方の、薄暗い橙色の空ではない。

 本当の、真っ暗闇なのだ。

 真一は誰かが睨んだような視線を感じ、咄嗟にそちらへと目をやった。

「どうかしたんですか?」

「いや、さっき誰かが俺たちのことを――」

 真一が麻姫の方に振り返ると、突然腹部に痛みが走った。

「がはっ?」

「きゃっきゃっきゃっかかかっかっ! 見ろよ、無様な姿をしてるぜ」

 麻姫を肩に抱きあげた小太りの男が、いびつな笑みを浮かべながら、真一を見ていた。

「お前ら、いったいいつから」

「いつからぁ? さぁ、それはいつからだろうなぁ?」

 上から声が聞こえ、真一が空を見上げると、上から長身の男が降ってきた。

「おわっ!」

 真一は間一髪、うしろへと飛び下がり、長身の男の膝蹴りを避けた。

「ちぃっ! おらぁ、殺されっちまえぇい」

 長身の男が拳を突き出した。真一はそれを避けていく。

 真一の背中に冷たい感触が走った。うしろはコンクリートの壁で、逃げ道がない。

「そんじゃぁ、死んでもらいますかねぇ」

 長身の男が殴りにかかった。

 真一は一瞬の隙をついて、男の横を通り抜るように避けた。「ちぃっ……」

 男はコンクリート壁を突き抜けた手を引っ込め、もう一度真一を殴りにかかる。

「でぇりゃぁっ!」

 真一は男に中断蹴りをぶち込んだが、それを受け止められてしまう。

「こんなもんかぁ? こんなもんなのかぁ」

 男は掴んだ真一の足をゆっくりと握っていく。

「あぎゃぁっ!」

 真一は悲鳴をあげた。

「おい、ムンダーッ! ホウェーさまからそいつを殺せって云われてるんだ。はやく殺しちまえよ」

 背後に立っている太目の男がケラケラと笑いながら云った。

「ああ。わかっているチャンダ。それじゃぁ――おわっ?」

 突然、ムンダーの体が宙に浮いた。

「しっかり捕まっとけよ。痛い目みたくなかったらなぁっ!」

 真一は腕で捕まれていた足を振り上げ、ムンダーのバランスを崩した。

「おらぁっ!」

 足を振り下ろしたことで、ムンダーの体が地面に叩きつけられる。「がはっ!」

 ムンダーは真一の足から手を外した。血を吐き出しながらゆっくりと立ち上がる。

「おいっ? 大丈夫か……ムン――ごふぅっ!」

 チャンダの体が、軽く宙に浮いた。真一がチャンダの懐に入り、腹部を、からだごと蹴り上げた。

「きゃっ?」

 巻き込まれた麻姫が、積み上げられたダンボールの山に飛ばされる。

「ダンボールGJグッドジョブっ!」

 真一は、ダンボールに向かって親指を立てた。「あいたたた……、勿怪もっけさいわいとはこのことを――っ! 苅谷くんうしろっ!」

 麻姫が叫んだ次の瞬間、真一の頭に衝撃が走った。

「くぅそぉっ! こいつただの人間じゃねぇな」

 チャンダが両手を組んで、真一の頭に振り下ろしていた。

 ムンダーもゆっくりと真一に近付いていく。

 真一は、立ちあがろうとしたが、頭がくらくらしてうまく立ちあがれない。

『これで終わりだっ! カーリーッ!』

 チャンダとムンダーが拳を振り下ろした。


 誰かが、おぞましく歪んだ笑みを浮かべた。


 真一がそう感じた瞬間、チャンダとムンダーの体が吹き飛んだ。

「なっ?」

 二人は壁にぶつかり、苦悶の表情を浮かべながら真一を睨みつけた。次の瞬間、空間に歪みが生じ、真一と麻姫の姿が消えていく。

「っ! まさか……、くそっ! 追うぞ!」

 ムンダーが叫んだ。「慌てるな、やつらの行き場所は見当がついておる」

 屋根の上から見下ろしている老人が二人の動きを止めた。

「ホウェーさま? それはいったいどういう?」

「やつらめ、ククク……ッ! 我と同様に復活の呪術を唱えたか」

 ホウェーと呼ばれた老人は、不敵な笑みを浮かべながら、「チャンダ、ムンダー、我らも戻るぞ!」

 と命じ、姿を消した。


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