5・不遣雨《やらずのあめ》 ――3
麻姫のことが気になりながらも、アンナを追いかけていた真一は、頻りにうしろを一瞥していた。
「気になりますね」
ブラフマーニーの言葉に、インドラーニーが首をかしげる。「さっきから、妙に湿度が悪い」
「つまり、近くに誰かいるということ?」
それも魔物か魔神かと、ヴァイシュナヴィーは言葉を続ける。
「可能性としては、みんな警戒を緩めないように」
「アンナさんは……、見失ったか?」
真一たちは一度立ち止まり、周りを見渡す。「みたいですね」
「それにしても、ずいぶん二人と離れてしまったわね」
インドラーニーがそう云うや、真一はあからさまに嫌な顔を浮かべた。
「どうかしたんですか?」
「いや、どうみてもベタな展開だなと思って」
「……どんな?」
「たとえばそうだな。パーティーが強制的に二分割されて、片方がバッドエンディングを迎えるとかそんな感じ」
真一の中二病的な思考に、インドラーニーたちは首をかしげる。
「――まぁ、あながち間違いではないようです」
ブラフマーニーが体勢を整えた。目の前に魔物の群れが見えたのだ。
「数は……二百といったところか」
結構な大群である。そのわりにはブラフマーニーの表情に余裕があった。
地響きが轟いた。目の前の大群が押し寄せてきたのだ。
「どうにかならないのか?」
さすがに多勢に無勢である。「ならばわたしにお任せください」
ブラフマーニーはそう言うと、指で虚空に円を描くと、「白波ッ!」
扇を扇ぐように指を振った。
すると、なにもない虚空から亀裂が生じ、そこから大量の水が波のように溢れ出るや、魔物の群れを飲み込んでいく。
いくつかの魔物がその荒波から逃れることができたが、数は先ほどの大群の三分の一もない。
「すげぇ」
「感心している場合ではありません!」
インドラーニーとヴァイシュナヴィーの二人が槍を構える。「くるぞっ!」
魔物の群れが真一たちに襲い掛かった。
けたたましい轟音とともに、真一は襲い掛かってくる魔物の手を取り、放り投げる。
「くそっ! ブラフマーニー、さっきみたいなことできないのか?」
「あの一撃で全滅できれば苦労はしません」
つまりは、戦略系シミュレーションゲームのMAP兵器みたいなものである。
「でもあのままだったら本当に危ないですよ」
――そりゃ云えてる。
真一は咄嗟に身を仰け反った。眼前に三叉槍の刃が現れる。
「ニシュンバか?」
仰け反りながらも、真一はニシュンバの腕を蹴り上げた。
ニシュンバは身体を捻ってその蹴りを避けるや、三叉槍を突き刺す。
「こならくそっ!」
身体を回転させ、真一は刃を避けていく。「てぇやぁっ!」
片腕で身体を起こし、ニシュンバの足に蹴りを食らわせた。
今度は当たり、ニシュンバは体勢を崩す。
「真一さまっ!」
ヴァイシュナヴィーが叫んだが、「キシャァッ!」
魔物の群れに対処することが精一杯で、真一に近付くことができない。
「ニシュンバッ! もうこんなことやめろ!」
真一の声を遮るように、ニシュンバは三叉槍を突き刺した。
「おれは、お前と戦う気なんてないんだよっ!」
「うるさい! 兄さんを、兄さんを殺したくせに――」
ニシュンバの表情に歪みが生じた。「な、なにを言って」
「わたしは知ってるぞ! お前は兄さんを無残な姿にして殺したのを」
ニシュンバは三叉槍を立て、呼吸を整える。
「はぁあああああ……」
地の底から聞こえてきそうな、禍々しい声が大地を轟いた。
「閻魔殺戮――」
ニシュンバの姿が消え、真一は周りを警戒した。
「真一さま、上っ!」
インドラーニーの悲鳴にも似た叫びが轟く。
真一は天を仰いだ。目の前に三叉槍を持ったニシュンバが急降下する。
「死ねぇえええええええええっ!」
ニシュンバの咆哮とともに、激しい爆発音が鳴り響いた。
「くくくっ」
高みの見物ともいうべきか、真一たちから数百メートル離れた陸で、シュンバが笑っていた。
「やはり、あいつは兄の言うことを聞くな」
シュンバ――いや、マヒシャの力によってシュンバの姿になっていたラクタビージャが正体を現す。
「さて、やつらが我になにをしようとしていたのかは知らんが、ここで息の根を止めるか」
ラクタビージャはゆっくりと踵を返した。
「なっ?」
唖然とした声と同時に、ラクタビージャの身体が宙に浮いた。
「見つけたぞっ!」
そこにいたのは、殺したはずのシュンバであった。
「なっ! 貴様っ、いったいどうして……殺したはずでは?」
「ああ、たしかにわたしはお前に殺された。しかしカーリーとマナサーの手によって生き返ったのだ」
そんなことが……と、ラクタビージャは苦痛に満ちた表情を浮かべた。
「わたしを傷つければどうなるか知っておろう?」
ラクタビージャの血が地面に落ちた。そこから湧き上がるように魔物が現れる。
わざと自分の身体を傷つけながら、ラクタビージャは周りに自分の血をばら撒き、魔物たちを召喚していく。
「あの大群も、貴様の仕業だったか」
「如何にも、そして見よ! あの禍々しい光景を」
ラクタビージャは両手を広げ、真一たちの方に注目させた。
「今ここに! 復讐の儀が……」
ラクタビーシャは言葉を止め、困惑した表情を浮かべる。
「なんだ? なにが可笑しい?」
目の前のシュンバが笑みを浮かべる。
「ここまでやってまだわからんのか? お前たちに歯向かおうとした少年は、ドゥルガーでもカーリーでもない。その二つの血を自分のものにした戦女神であると」
「なにを呆けたことを? やつは男《、》であるぞ?」
「忘れたのか? わたしもニシュンバも……、そしてお前がアワクルトの城に放った魔物も、戦女神の攻撃しか食らわないことを!」
その言葉に、ラクタビージャはハッとした。「まさか……」
「えっ?」
ニシュンバは我が目を疑った。たしかに自分の放った三叉槍は真一の心臓を貫いたはずだ。
それがなんなのか、真一が背中を反らせ、三叉槍を受け止めていたのだ。
「おせぇんだよ」
その言葉に、ニシュンバはゾッとした。
「はぁっ!」
真一は手に持った三叉槍を引っ張り、ニシュンバを自分の懐へと近付ける。
「おりゃぁあああああああっ!」
ニシュンバのおなかに掌底突きを食らわせる。「がはっ!」
ニシュンバは一瞬で意識を失い、真一の方へと倒れこむ。
「すごい」
インドラーニーをはじめ、ほかの七賢人も言葉を失っている。
「…………っ!」
真一は気を失ったニシュンバを、ゆっくりと、やさしく寝かせる。
「……ビージャ――」
その言葉を聞くや、遠くから見ていたラクタビージャは悪寒を感じた。
すぐ近くに、殺気を感じたのだ。
「くそっ! 体勢を立て直す」
『逃がさない!』
別々の場所から、ふたつの声が響いた。
「――なっ?」
振り向いたラクタビージャの目の前に、真一と麻姫の姿があったのだ。
「堂本さん?」
「真一くん?」
二人は驚いた表情で互いを見やる。
「くそっ!」
ラクタビージャは自分の腕をわざと傷つけ、魔物を召喚する。
「シャリャァッ!」
その魔物たちを、チャームンダーたちが薙ぎ倒していく。
「チャームンダーッ! それに他のみんなも?」
「ブラフマーニーッ! ちょっと頼みがある」
そう云われ、ブラフマーニーは真一に近付いた。
「カーリーさん、アガダさんにお願いしたことは?」
「大丈夫。ちゃんと持ってきてる」
真一はそう確認すると、ブラフマーニーに耳打ちした。
ブラフマーニーは頷くや、数百メートル先へと走っていく。
「くくくっ! なにをしようと無駄だ」
ラクタビージャの言葉を、真一は不適な笑みで返した。
ブラフマーニーが走った先で、スルジの国民が穴掘りを行っていた。
「これはブラフマーニーさま」
「穴は? 穴はどれくらい掘ったの?」
「今しがた、はしごを上り下りしての作業になっております」
「つまり、容易に上がれないってことね?」
ブラフマーニーの言葉に、男は頷く。
「ならばもういいわ。あとは最後の仕上げをする。あなたたちは早く城の中に」
ブラフマーニーは、土木作業をしていた国民たちを穴から出し、非難させた。
そして、頭上に大きな円を描く。
大気中の水が一箇所に、ブラフマーニーの頭上ではなく、穴の上に集りだした。
水は穴の中に沈み、土は濡れ、泥濘になっていく。
「……間に合って」
ブラフマーニーは、苦痛の表情を浮かべる。
「ブラフマーニー」
「カーリーさま?」
「わたしも手伝う。急ピッチだからな、本気で行くぞ!」
カーリーは両手を泥濘へと向けた。水の浸透が早まり、液状化していく。
「しかし、もしこの方法でやっても、やつがこの穴に入らなかったら」
「大丈夫。あの子を信じなさい」
カーリーは笑みを浮かべた。




