1・破戒神――1
――はぁっ……、どうしてこうなるんかな? 入るタイミングが悪かったのか?
苅谷真一は、いつものゲームセンターで、最近お気に入りのゲームをしていただけであった。
彼がやっていたのは格闘ゲームであり、知り合いの店員にお願いして、CPU対戦時のゲームレベルを最高まで上げてもらい、今回こそワンコインプレイでエンディングにいけるところまでいったところで、画面上に『乱入者あらわる』の文字が現れた。
真一は少しムッとしたが、相手が誰であろうと、さっさと終わらせて続きをやればいいと思った。
真一は一人プレイをやっているのであって、対戦プレイをやりたいわけではない。対戦格闘ゲームだからといって、全員が全員対人プレイがしたいというわけではないのである。
画面上にキャラクター選択が現れ、相手は数秒悩んだ末、キャラクターを選んだ。
そして対戦が始まり、BGMが流れはじめる。それと同時に『ラウンドワン、ファイト』のアナウンス。
真一は、相手をノーミスフルボッコで秒殺。まったく攻撃のチャンスを与えずに試合を終わらせた。このゲーセンではかなりの腕前なのである。
さて続きを……と、真一が思った矢先、再び乱入の文字が画面に現れた。
――っ? あぁっ?
真一は小さく唸り声をあげる。人が立ったような音がしなかったため、相手はさっきと同じ人だ。つまりは連続コイン。
ゲームセンターは並んで待っている人もいるため、待っている人がいる以上は、一人の人間が連続してプレイすることはルール違反なのである。
真一はムッとした表情で、相手のキャラをふたたびフルボッコ。
これだけ叩きのめしたんだ、もう乱入してこないだろ。
が、真一の期待を裏切るかのように、相手はまた乱入してくる。テンカウントが少し経っての乱入なので、相手はさっきと変わっていない。
それがすでに二十回ほど続いており、真一は二十戦全勝である。
そこまでしてやりたいのかと、怒りを通り越して、半ばあきれていた真一は、エンディングを見るのを諦め、立ち上がった。対戦自体はまだ終わっていない。
「おや真一くん、もういいのかね?」
知り合いの店員が、クククッと笑いながら尋ねた。
「飽きた。どうせ勝てもしねぇことに付き合ってやるほど、おれも暇じゃないんでね」
真一は肩を竦める。
「んだぁとぉ? おみゃぁあっ! ちょっとこっちこんかいわりゃぁあああっ!」
わけのわからない奇声をあげながら、男が立ち上がるや、真一の前に姿を現した。茶髪にピアスという、典型的なチンピラの風貌である。
「お客さん、他のお客様の迷惑になります」
店員が止めに入ったが、「なんじゃいわりゃぁ、しまいにゃぁころすぞわなぁ」
と、チンピラは店員に怒鳴りつけた。
「ママ、私あのゲームがしたい」
騒々しいビデオゲームのコーナーから少し離れた場所で、小学一年か二年生くらいの女の子が母親の手を引っ張りながら、カードゲームの筐体を指差しながらお願いをしていた。
「あぁ、おいっ! われっ! おれのめのまえにたつなぁやな」
チンピラがズカズカと女の子に近付きながら睨みを効かせた。
「……やっ!」
女の子は怖さのあまり、両目にうっすらと涙を浮かべた。身体は震え、青褪めている。
「ちょっと、なんなんですか?」
母親が女の子を庇うように、険しい表情を浮かべながらチンピラの前に出た。
「こんあまぁっ! おれのめのまえにたつなっていってんだろっ!」
チンピラは、近くに置かれた丸イスを持ち上げ、母親目掛けて振りおろした。
誰もが母親が無事に済まされないと、目を背けた。
「――っ! あ、大丈夫ですか?」
女の子とその母親を庇うように、真一が間に入っていた。
「あ、あなた……、血が」
母親は青褪めた表情で叫んだ。真一の額からうっすらと血が流れている。
「ああ、こんなのたいしたことないっすよ。それより、あなたたちが無事でなによりだ」
真一は笑みを浮かべながら、母親と女の子をゆっくりと立ち上がらせた。
「さぁ、今日は日が悪い。お二人にとって、どうやらこのゲームセンターは悪い方角の位置にあったようです。ささ、日を改めて」
母親と女の子は店員と真一に連れられるように店を出た。
外に出ると、女の子が真一の方を振り返り、トコトコと近付いて、真一をしゃがませた。
「いたいのいたいのとんでいけっ!」
怪我をした場所を触れないように真一の額をさすりながら、少女はおまじないを唱える。
「――ありがとう。お嬢ちゃんがやさしいおまじないをしてくれたから、怪我が速く治りそうだ」
そう言いながら、真一は女の子の髪を優しく撫でた。
「さ、早くお母さんのところに戻りな」
「うん。ありがとう、おにいちゃん」
女の子は頭を下げると、母親の元へと駆けていった。
母親は女の子の手を取ると、真一に頭を下げ、逃げるようにその場から離れていった。
――はぁ、厄日だ。どうしてこうもやりたくないことをむこうからふっかけてくるかねぇ?
真一は頭を抱えた。額の傷が痛いわけではない。
むしろ、痛みなど最初からないのだ。
「おいっ! てめぇっ! にげんじゃねぇよ」
チンピラが真一の肩を叩いた次の瞬間、チンピラの体は宙を舞い、コンクリートで整備された駐車場の地面に叩きつけられた。
「がはぁっ!」
真一は、捕まえている不良の右腕に足を絡ませ、腕固めを決めた。
ギシギシと、骨が軋んでいく音がチンピラの全身に響き渡っていく。
「あぎゃぁっ! ごぎゃぁっ!」
「降参するか?」
「す、するっ!」
その言葉を聞くと、真一は力を緩め、チンピラの腕を開放した。
「いいか、もうこんなばかばかしいことは――」
真一が背中を向けた時だった。
チンピラが、近くに偶然捨ててあった金属バットを手に取り、真一を殴りかかったが――。
「――あれっ?」
チンピラの体は、『く』の字に曲がって、宙を一瞬だけ浮いた。
手に持っている金属バットも、『く』の字を描いている。
「だから、勝てねぇケンカをどうしてふっかけてくるかねぇ」
真一は店の中から見ていた店員を一瞥し、電話をかけるような仕草を見せた。
「いいのかい? また問題になるぞ」
店員が心配そうに尋ねる。「別にかまわねぇよ」
真一は諦めたような表情で、言った。
真一は家の戸を静かに開けようとしたが、引き戸特有の、ガラガラとした物音が家中に響きわたった。
真一は、咄嗟に廊下の奥を注視する。人の気配はしない。
――母さんは、買い物か?
母親の靴がないことを確認し、真一がホッとした時である。「真くん」
ドスの利いた低い声が聞こえ、真一は背筋を伸ばした。
恐る恐る振り返ったその先には、血のついた出刃包丁を持った鬼ばばぁ……ではなく、胸まである長く艶のある綺麗な髪をした四十代くらいの女性が、真一を見つめていた。息子の真一でさえ見惚れてしまうほどの美人だが、どことなく畏怖すべき印象もある。
「さっき、ゲームセンターの店員さんから連絡があったわよ?」
「あの人……、うちにも連絡してたのか」
真一は表情を歪める。「君になにかあったら連絡するようにって云ってあるんだから、当然でしょ?」
「そ、それでだね、母さん」
真一はあたふたと言葉を捜していた。
それを見ながら、「はぁ」と、母親は溜め息を吐く。
「別に言い訳なんていいわよ。あなたは襲われていた人を助けたんでしょ?」
「あ、ああ」
「ならお母さんは怒らない。それよりも、無視をしていたのなら逆にお母さんが真くんを半殺しにしてる。そんな無情な、自分だけがいいとしか思ってない人に育てた覚えはない」
真一は、母親の寂しそうな表情を見るや、頭を下げた。「ごめん母さん」
その言葉を聞くや、母親は安心した表情を浮かべる。
「いいのよ。ほら、ごはんさめるわよ」
そう言いながら、母親は踵を返した。
――母さん、おれ、ちゃんと約束通り、人を殴らなかったよ。