5・不遣雨《やらずのあめ》 ――1
「っ……」
真一は、ゆっくりと眼を覚ました。全身に痛みが走る。
動くことすら儘ならず、まるで鎖に縛られているかのようだ。
「――タスケテ……」
奥の方から、小さな女の子の、すすり泣く声が聞こえてきた。
周りは真っ暗で、なにも見えない。真一自身も、どこにいるのかわからなかった。
『どうした? なにかあったのか?』
声を出そうとしたが、虚空に消える。真一の耳に、自分が発した声が届いていない。
すべてが、闇に食われている。
「――タスケテ……お母さん、痛いよ……痛いよ――」
『くそっ! どこだ? どこにいるんだ?』
真一は動かない体を引き磨るように、声が聞こえた方へと手を伸ばした。
本当にこっちでいいのかと、頭の中で思ったが、考えるよりも先に意識が先へと行かせる。
――そうだ。おれは……立ち止まったらいけないんだ。
暗闇の中を歩いていると、目の前に小さく光る場所があった。ロウソクの火が消えかけそうな、頼りない光だ。
『大丈夫か?』
真一は少女に近付き、声をかけた。
――えっ?
真一は、少女を見るや、驚いた。
小学生になるかならないかくらいの小さな女の子の髪は烏羽色をしており、両腕は血に染まっている。
なによりも、この少女に面影があった。
「いたいの。いたい」
少女は、真一に抱きついた。体を震わせる。
――くそ、どうすればいいんだ?
真一は、ゆっくりと少女を抱きしめた。
「大丈夫」
何気ないその言葉が、少女は嬉しかった。
「真一くん……」
声が聞こえ、真一は眼を覚ました。視界にうっすらと、藁でできた天井が見える。
「ここは……、いったい」
「あ、まだ起き上がらないほうがいいですよ」
麻姫は、真一をゆっくりと寝かせる。「でも、こんなところで……」
無理矢理身体を起こそうとした衝撃で、真一の身体に激痛が走った。
「アガダさんや、マナサーさんが安静にするようにと云ってました」
「他のみんなは……?」
「あの手紙をブラフマーニーさんに渡した郵便局員を探しているみたいです」
真一は、麻姫を見遣った。
――やっぱりそうだよ。あの女の子……。
真一の視線に気付いた麻姫は、どうしたのかと首をかしげる。
「堂本さん、その……、小さい時に事故に遭ったとかそんなことない? それも輸血が必要になるくらい」
そう訊かれ、麻姫は人差し指で鼻を擦った。
「あまり覚えてないんですけど……、その小学生の時に玉突き事故に遭って両腕を失いかけたんです。輸血も必要だったらしいですけど、家族の中で合う人がいなかったみたいで」
それを聞くや、真一は目を見開く。
――思い出した。おれ彼女に会ったことがある。ふたりとも小さかったし話したこともなかったから、すっかり忘れてたんだ。
真一は肩を震わせた。
「どこか痛むんですか?」
麻姫は心配そうに真一を見つめる。
「いや大丈夫だ。うんこれで全部理解できた」
――祈祷師が云っていた言葉や、やつらがおれたちをここに呼び出した理由がなんとなくだけどわかってきた。
真一はゆっくりと深呼吸した。そして、険しい表情を麻姫に向ける。
「みんなをここに呼んでくれ」
◎
「それはほんとうですか?」
チャームンダーが怪訝な表情で真一に問い質した。
「ああ間違いない。みんなが探してるっていう郵便局員もやつの仕業だ」
真一の言葉を聞きながら、チャームンダーたちは言葉を失っていた。
「こちらも確認が取れました。郵便局員はわたしたちの前に現れる先日から家に戻っていなかったようです」
「それじゃぁ、すでに殺されていた?」
インドラーニーの言葉にブラフマーニーは小さく頷く。「本物が生きていては支障が出るやろうからな」
「マヒシャにそんな力があったなんて」
「インド神話に出てくるマヒシャは、最初水牛の姿で現れたんだ。だけどドゥルガーに負けそうになるとライオンの姿になった。その次に人間と色々な姿に変わることができる」
真一はみなに話しながら、ゆっくりとホウェーと対峙していた路地裏のことを思い出していた。
「つまり、真一さまが襲われた時、やつの気配を感じなかったのはそのためですか?」
「ですが、どうします?」
ブラフマーニーの言葉に、真一は少しばかり考えてから、
「このままスルジの城に行こう。どうせやつらのことだ、いつ襲ってきても可笑しくない」
その言葉に、麻姫とチャームンダーは目を疑う。
「そんな、そもそもそんな大怪我をしてるのに?」
「こんなの、ただのかすり傷だよ」
真一は腕を動かした。額に大量の脂汗を出しながら。
「そんな身体で、なにができるって云うんですか?」
チャームンダーは、真一を睨んだ。「お願いですから、ドゥルガーさまみたいに無茶をしないでください」
「そうです。それにわれらは幾千年もの昔よりドゥルガーさまに仕えし阿修羅。その思いはご子息であられる真一さまも同様なのです」
ブラフマーニーがそう云うと、インドラーニーとヴァイシュナヴィーも頷いてみせた。
「みんな、知ってたのか?」
真一は驚いた表情で尋ねた。「カーリーさまから聞きました」
インドラーニーたちはその場で膝を突いた。
「我ら七賢人。如何なることがあろうとも、あなたへの忠義を貫きます」
真一は、さてどうしたものかと、困った表情で麻姫を見遣った。
その麻姫は、なにがなんだかわかっていない。
「あれ? でもたしかドゥルガーさんは……、あっ!」
突然悲鳴にも似た大声をあげ、麻姫は真一を見やった。
「ドゥルガーさんが危篤状態に陥れたのは、ラクタビージャという魔神だと、ドゥルガーさん本人から聞いたことがあります」
「……ラクタビージャか――、いや、待てよ」
真一は麻姫を見るや、耳を貸すように促した。麻姫は云われるがままに耳を真一の口元に近付ける。
真一の言葉を聞きながら、麻姫は時に頷き、時に驚いた表情を浮かべる。
「――どうだ?」
「可能性としてはゼロではない気がします。つまり荼毘に付すということですね?」
「ああ、そうだ。ブラフマーニー、この国で地面が整備されていない、つまり土のままになっている場所ってのはないのか?」
そう聞かれ、ブラフマーニーは少しだけ考えると、「スルジの城から三百メートルほど離れた場所に土葬場があります」
その言葉に、真一と麻姫は頷いた。
「シュナヴィー、今から言うことをブラフマー王に伝えてくれ。大至急やってほしいことがあるって。それとアガダさんの方にも」
真一は麻姫を見遣る。麻姫はメモ帳を取り出し、真一から聞かれたことを記していく。
メモ帳から二枚の紙を取り、それぞれにしるしをつけた。
「そっちがアガダさんの方で、こっちがブラフマー王に」
ヴァイシュナヴィーは、近くで羽を休めている二羽の鳥を呼び寄せ、足にメモを結びつけた。
「いったいなにをしようと?」
チャームンダーがそう尋ねると、真一は笑みを浮かべた。
「なぁに、ちょっとゾンビ退治をな」
「これが……ラクタビージャを倒す術とな?」
アガダが困惑した表情で、ヴァイシュナヴィーからの手紙を読んでいた。
「もしこれでやつを倒そうというなら、お前の子供はとんでもないことを考えるな」
そう云われ、ドゥルガーは苦笑いを浮かべた。
「しかし、これをブラフマー王が承諾するでしょうか?」
「するわよ。それにそれがブラフマーニーからのお願いだとすれば、あの親馬鹿はね」
カーリーは含み笑いを浮かべる。
「死者は土に還る……か」
アガダは、村の者たちを呼び集めた。
「今から血吸蟲の捕獲にあたるぞっ! それも大量にだ!」
時同じくして、スルジの城の奥。
「アワクルトのヴァイシュナヴィーから伝令でございます」
メイド長であるサラスヴァティーが、ヴァイシュナヴィーからの手紙を王に告げた。
「うむ。これは吾子も承諾しておるのか?」
「手紙にはそう書かれております。シヴァ王からの使いでありますし、信用できるかと」
「ならば、急いで準備に取り掛かれ!」
ブラフマー王は、王の間にいた重鎮たちに命じた。
「死者を土に還すのじゃ!」
かくして、真一が企てた、ラクタビージャ退治の準備は確実に行われようとしていた。




