4・終《つい》の奥山 ――4
そこは、ゆっくりとした時間が流れていた。
「さぁて、今日も美味しい森の恵みを分けてもらおうかね」
猟師が、意気揚々とアティガムニヤの森の中を歩いている。空に日が昇り始めて間もなく、葉の先から朝露が零れ落ちていた。
「おんやぁ?」
猟師の目の前に大きな影が現れた。猟師は視線の先を凝視する。
「はて、あんなの、昨日来た時にあったかいな?」
そう考えながら、猟師はゆっくりとソレに近付いた。
「あれま? こりゃまた大きな虫だこと」
木に吊るされた蓑虫が、ギシギシと音を立てながら、揺らめいている。その大きさは、おおよそ百九十センチはあった。
「――なんだ?」
猟師が首をかしげた。ボトリと、なにかが落ちたのである。
それを手に取ってみると、猟師は、ソレを無造作に抛り捨てた。
ガクガクと、歯が噛み合い、不協和音を奏でる。
「あ、ありゃぁ……人の手じゃ!」
猟師は譫言を出しながら、ゆっくりと目の前の蓑虫を見やった。
「ま……まさか――」
猟師は、枯れ木を剥がした。
目の前に、見知った人の顔が現れ、猟師は顔面蒼白となった。
そして、手に持った猟銃を空へと打ち上げた。
「なにかあったのでしょうか?」
アティウィシャの病室で、花瓶の水を入れ替えていたマナサーがドゥルガーに尋ねた。「銃声のようですが――」
ドゥルガーは視線をカーリーに向ける。カーリーは頷くと、姿を消した。
「なにかあったの?」
森に現れたカーリーを見るや、猟師は目を大きく開いた。
「こりゃぁ、カーリーさんじゃないか?」
猟師は、蓑虫を指差した。それをカーリーは目で追うや……。
「うぐぅっ?」
両手で口を塞ぎ、湧き上がる胃の中のものを押さえ込もうとしたが、結局は吐き出してしまった。
「で、でえじょうぶですかい?」
「だ、だいじょうぶ……」
カーリーは、苦痛の表情を浮かべながら、蓑虫を見やった。
『うそ? なんで? なんでこんなことに?』
カーリーは心の中で、目の前のものを否定していた。
「村の人たちに連絡を、それからマナサーをここに来るよう言って」
「わ、わかりやした」
猟師は、慌てて村の方へと去っていった。
カーリーは、ゆっくりと立ち上がり、目の前の蓑虫を見やった。
――どうして? どうしてこんなところに?
目の前に吊られた蓑虫は――シュンバのものであった。
「おや? これはいったいどういう」
マヒシャが、目の前にいるニシュンバを見るや、笑みを浮かべた。
「私を殺すよう祈祷師に命じたのはあなたですか?」
ニシュンバは、ゆっくりと落ち着いた口調で言った。「そうだとしたら?」
マヒシャの言葉を待たずに、ニシュンバは三叉槍の矢先をマヒシャの首元に向けた。
「あなたの首を落とします」
キッと睨むように、ニシュンバはマヒシャを見つめる。
「こわい、こわい」
マヒシャは三叉槍をゆっくりと、強引に降ろされた。
「そもそもわたしがやったという証拠はない。それに、お前は私に恩義があるだろ?」
ニシュンバは眉間に皺を寄せた。温厚な彼女には似つかわないほどにその表情は険しく、憎悪に満ちている。
「人を……、私を殺しておいてなにを言うか?」
「そのお蔭で、お前は死なない身体になっただろ?」
マヒシャは、ゆっくりとニシュンバを睨んだ。「な、なにを?」
ニシュンバは、視界が遮るような、瞼が重くなったような、そんな状況であった。
結局、その重みに耐え切れず、ニシュンバは目を閉じてしまった――。
「おいっ! ニシュンバ……」
声が聞こえ、ニシュンバは眼を覚ました。「――兄さん?」
「なにをしている? 次の命令が下ったぞ。やつらはスラジの城に向かっている。我ら兄妹は、その道中でやつらの足止めをしろとの事だ。さぁ、早く支度をしろ」
シュンバにそう云われ、ニシュンバは起き上がった。
……なにか、違和感を感じる。
ニシュンバは、ゆっくりとシュンバを見やった。「どうした? はやくしろ」
そう急かされ、ニシュンバは起き上がり、仕度を済ませると、シュンバとともに部屋を出た。
――わたし……、たしかマヒシャと二人で話してたはずじゃ……。
ニシュンバはゆっくりと部屋を振り返った。
「なにをしている。はやくしろ、やつらが城に着かれてなんてしたらこちらが不利だ」
「わ、わかりました」
ニシュンバは、慌ててシュンバの後を追った。
『そうだ……、お前は結局、こ《、》い《、》つ《、》の言う事しか聞けんのだ』
シ《、》ュ《、》ン《、》バ《、》は、小さく、それでいて口が裂けるほどの笑みを浮かべた。
「気になるなぁ」
ブラフマーニーがそう呟いた。「それってどういう意味だ?」
真一が尋ねると、ブラフマーニーは少し考えてから口を開いた。
「先ほど現れた魔物や。特に襲うといった殺気がせんかった。つまり偵察目的であの窓に近付いたということになる」
「被害がなかっただけいいのでは?」
「――見られる前に倒してしもうたし、なにを目的としていたんかも」
ブラフマーニーは、真一と麻姫を見やる。
「どうかしたのか?」
「ブラフマーニー、気になることがあるなら言って、あなたの場合、言うのが遅すぎるってこともあるんだから」
ヴァイシュナヴィーにそう云われ、ブラフマーニーは真剣な表情を浮かべた。
「ドゥルガーさまとカーリーさまから、ある兄妹の行方がわからなくなったという連絡があったんよ」
「ある兄妹?」
真一が首をかしげた。「兄の名はシュンバ、妹の名はニシュンバ」
「ちょ、ちょっと待てよ? それって」
「ええ。おそらく、あなたたちを襲っていた魔神やな」
ブラフマーニーがそう云うや、真一は頭をかいた。
「つまりあれか? あいつらはお前たちと同様、その伝説に出てくる神の末裔だったってことか?」
「それを知っていたのはドゥルガーさまとカーリーさま、そしてシヴァ王さまだけだったのです」
ブラフマーニーの言葉を聞きながら、チャームンダーは違和感を覚える。
「なぜ、その事を今頃になって?」
「兄妹の行方がわからなくなったのと、あなたたちや、アワクルトとの連絡が途絶えたのが同じ時期だったんよ。今まで結びつくようなものがなかったからなんともいえなかったんやけど」
申し訳ない表情を浮かべながら、ブラフマーニーは告げる。
「しかし、なにゆえドゥルガーさまとカーリーさまはその兄妹をご心配なされるのだ?」
インドラーニーが怪訝な表情で尋ねた。「カーリーさまがニシュンバの病気を治そうと、各国を旅してまわっていたんよ」
そう説明していると、ブラフマーニーのところに、一人の郵便局員が現れた。
「どうかしたん?」
ブラフマーニーが肩を竦めた。郵便局員がゼェゼェと肩で息をしていたからだ。
「あんた宛てに手紙が来とるよ」
郵便局員はバックから一通の手紙を取り出し、それをブラフマーニーに渡した。
「しかとわたしたからね」
「ああ、ありがとうね」
郵便局員は、頭を下げ、足早に去っていった。
――あれ? なんでブラフマーニーがここにいることを知ってるんだ?
真一はその事をブラフマーニーに尋ねようとしたが、その本人は目を大きく開いていた。
『ドゥルガーさまが危篤の状態。急ぎアワクルトに戻られん』
手紙にはそう書かれており、チャームンダーたちの表情が青褪めていく。
「い、急いで戻らないと」
インドラーニーが叫ぶ。ヴァイシュナヴィーとブラフマーニーも頷いてみせた。
それとは対照的に、チャームンダーは真一を見る。
「なにか、可笑しくないですか?」
「いったいなにを言ってるの? ドゥルガーさまがどうなってもいいっていうの?」
ヴァイシュナヴィーが、慌てふためく。
「わたしも、チャームンダーさんと同感です。たしかドゥルガーさんは身分を隠してあの村で療養をしていたはず。それに、わたしがあの人にあった時すごく元気そうでした」
「違和感はそれだけじゃねぇ……、ブラフマーニー、おれたち以外で、お前がここにいることを知ってるのは?」
「お父様を除くと、ドゥルガーさまとカーリーさま、それとシヴァ王さまくらいよ。直接の手紙はシュナヴィーが使いに使った鳥くらいね」
ブラフマーニーは真一が抱いた違和感に気付いた。
「あの郵便局員、どうしてブラフマーニーがここにいることを知っていたのだ? お前は、スルジの城からあまり出ることができない身分なのだぞ?」
インドラーニーの言葉に、ブラフマーニーは目を大きく開く。「どうする? あの郵便局員も気になるし」
「考えるまでもなかろう、今はドゥルガーさまの安否を確認するのが先だ」
「――ここは二手に分かれて……」
チャームンダーがそう言おうとした時、自分に視線が向けられていることに気付く。
「どうかされたのですか? 麻姫さま」
「え? えっと……、なにが?」
「いえ、視線を感じたので」
チャームンダーと麻姫が互いに首をかしげる。
「みんなはここにいてくれ。おれはさっきの郵便局員を探してみる」
言うや、真一は人込みへと消えていった。
「あの人は、神経が図太いのか」
麻姫があきれた表情で言う。「でも、わたしたちはどうする?」
「シュナヴィーさん、鳥を使いにしてアティウィシャまで真意の確認をしてみては?」
「――あ、その手があった」
ヴァイシュナヴィーは手を叩くや、急いで近くにいたツバメに声をかけ、自分の腕に止めさせた。
「筆とペンがあればいいんだけど」
「それだったここに」
麻姫はショルダーバックから、メモ用紙とペンを取り出す。それを受け取ったチャームンダーが、用件を記していき、ページを破ると、ツバメの足に結び付けた。
「アティウィシュの村にある病院に」
ヴァイシュナヴィーがツバメを空高く羽ばたかせると、ツバメは一目散に、アワクルトの方へと飛び立っていった。
――使いとして放ったツバメが、ヴァイシュナヴィーたちのところに戻ってきたのは、十分と掛からなかった。ツバメの足には、手紙が結ばれている。
「なんて書いてある?」
チャームンダーは、手紙を広げた。
『突然のことで驚いております。ですが、わたしは元気ですよ?』
と、書かれた文字が五《、》人《、》の目に入った。
「これ、ドゥルガーさまの字で間違いないわね。ということはあれは嘘?」
ヴァイシュナヴィーの言葉に、麻姫とチャームンダーは互いに同じ事を思った。
――まさか、彼を誘き出すため?
「くそっ! 見付からねぇ」
真一は町の中を走り回っていた。人の通りは多く、見つけるのも一苦労だ。
特に郵便局員をしっかりと見ていたわけではなく、記憶がおぼろげであった。
「いったん、みんなのところにもどるか」
真一がそう思った時だった。「ねぇ、ねぇ、お兄さん」
小さな男の子が、真一に声をかけてきた。
「あっちでお兄さんを呼んでる人がいたよ」
そう云われ、真一は首をかしげる。
「ほら、こっちだよ」
「お、おいっ! ちょっと待てって!」
子供の手に引かれながら、真一は路地裏の方へと連れていかれた。
「なぁ、こんなところに人がいるのか?」
周りは壁で、人の通りがない。いうなれば隠れられる死角であった。
太陽の光が届いておらず、薄暗い。
「本当だよ……」
子供の声が途切れた。それからヌメッとした感触が、真一の手を伝わった。
「おいっ? なにがあった?」
真一が大声で叫んだ。次の瞬間、冷たい空気が真一の頬を掠った。
「――つっ?」
頬に痛みが走り、真一は頬を撫でると剃刀で切られたような痛みを感じる。
「そこに誰かいるのか?」
「くぅきゃきゃきゃっ! お前さん一人とはなぁ」
歪んだ笑い声が聞こえ、真一は表情を険しくする。
「その気持ち悪い笑い声……、祈祷師か?」
「いかにも、お前さんにはここで死んでもらうぞ」
ホウェーは、杖を使って、高々に飛んだ。「死ねぇえええええええいっ!」
杖がなにかに突き刺さる。
「手応えありっ! これでおしまいだぁカーリーよ」
祈祷師は、キャキャキャと哂った。
「……おんやぁ? 全然血を感じんなぁ」
そう首をかしげた次の瞬間、ホウェーは自分のうしろに殺気を感じ、身体を翻した。
真一が、飛び蹴りを食らわそうとしていたのを、間一髪避ける。
「だぁら、くそっ!」
真一は悔しそうに体勢を立て直した。「だいぶ目が慣れてきた」
「ひょひょひょ、よくもまぁあの暗闇からわしの攻撃が避けたものだ」
「こっちは、祖父ちゃんから家中真っ暗にして電気のない生活を一ヶ月くらいさせられたこともあるし、山ん中でサバイバルなんてしょっちゅうだったんだよ」
真一は、気配の感じる方に踵落としを食らわした。
「さすがはカーリーの血を持っているだけのことはある。お前さんの血だったらどんな魔神があらわれることか」
「おまえ、あんなことしてなにも感じないのか?」
「ひょ? なんのことかえ?」
「っさげんなっ! ニシュンバのことだよ。あいつはただ盗人を捕まえて、おれたちの前に差し出しただけだろ?」
「ああ、そんなことか……。そうじゃな、お前さんにいい事を教えてやる」
「……いいこと?」
「わしらはもう、あの兄妹を必要とは思っておらんよ。むしろもとから死ぬ運命だった妹と、助かると嘯かれた哀れな兄の、それはそれは面白い末路じゃろうなぁ」
ホウェーが、大きく、罵るようにわらった。
「そうか、お前たちのとってはあの二人はそんなんでしかないわけだ」
「そうじゃよ。わしはなぁ、お前の中にあるドゥルガーの血がほしいんじゃよぉ。いやドゥルガーだけじゃない。その血の奥底にある殺戮の神カーリーの血がほしいんじゃわいなぁ」
ホウェーが体勢を正し、杖を突き刺そうとした時だった。身体全身に殺気と恐怖が駆け巡ったと同時に、うしろの壁が壊れる音が耳に劈いた。
「おいくそジジィ……、俺に殺されたいのか?」
どす黒く、殺気に満ちた声が、ホウェーの耳に囁かれる。
『な、なんじゃ? この殺気は』
「三秒で答えろよ? 俺は気が短いほうなんでな」
真一の問いに答えず、ホウェーは間合いを離した。
『こいつ、なんて殺気を持っておるんじゃ? あれは人を殺すことすらなんとも思っていない殺人鬼の声じゃぞ?』
ホウェーは間合いをどんどん離していく。――真一の問いかけから、三秒経った。
「――うげぇっ?」
悲鳴をあげたホウェーはその場に蹲り、ドボドボと胃の中のものを吐き出していく。
「云ったよな? 気が短いって」
真一は、跪いたホウェーの頭部に踵落としを食らわした。
「ぐぅげぇはぁっ!」
ホウェーは頭を抱え、身体全身に走る痛みと恐怖に震えていた。
『わ、忘れていた。やつはドゥルガーだけではない、カーリーの……、殺戮をつかさどる戦女神の血を持っていたのだ』
「た、助けてくれぇ」
そう懇願しようとしたが、真一の殺気に、ホウェーは声を出すことができなくなった。
「もうよいぞ……」
声が聞こえ、真一はハッとした。
「――え?」
真一が声をあげるや、真一の身体は、地面に打ち付けられていた。
「な、なにが起きたんじゃ?」
ホウェーが驚いた表情を浮かべながらそう呟いた次の瞬間――首が刎ねられた。
「お前はもう用済みだ。祈祷師どの」
影に現れたマヒシャが、首のない祈祷師に告げた。
「こいつの始末どうしましょうか?」
ラクタビージャは真一を見ながら尋ねると、マヒシャは少し考えてから、捨て置けと答えた。
真一は気を失いかける瞬間、マヒシャから自分たちを復活させた理由を耳にした。
「わたしは、あのドゥルガーの血を持った少年を殺すために復活したのだ」
真一の意識は、そこで途絶えた。
「――真一くんっ! 真一くんっ!」
麻姫が、体中傷だらけの真一を抱えながら大声で呼びかけた。
「真一さまっ! 真一さまっ!」
チャームンダーも、真一に声をかける。
二人とも、表情を青褪め、目には大粒の涙を浮かべている。
「ここでいったいなにが」
インドラーニーが苦痛の表情を浮かべる。「祈祷師の首がどこにもないわ」
ブラフマーニーは震えた声で、視線をソレから背ける。
「っく……」
唸り声をあげながら、真一は眼を覚ました。
「真一くん?」
「ど、堂本さん? それにチャームンダーも」
「よかった。気がついたんですね」
真一は、まだ状況が把握できていなかった。
「ここでいったいなにが起きたんですか? それに、祈祷師はいったい何者に」
「まだ真一さまは眼を覚ましたばかりだから……」
ヴァイシュナヴィーが真一に尋ねようとしたが、チャームンダーがそれを止めた。
「とにかく一度宿に戻りましょう」




