4・終《つい》の奥山 ――3
ニシュンバが戻ってきたことに気付いたシュンバは、彼女を見るや、我が目を疑った。
ニシュンバの首に包帯が巻かれていたからである。その理由を尋ねようとしてもニシュンバは答えようとしない。
無理に答えさせようとすれば、さらに云わなくなってしまう。ニシュンバは昔からそうであった。
「まさか、やつらにやられたのか?」
そう尋ねたが、ニシュンバは素振りを見せず、部屋の隅に椅子を置き、そこに座った。
「そうだニシュンバ」
なにかを思い出したように、シュンバは声をかけた。「チャンダとムンダーが捕まったそうだ」
それを聞くや、ニシュンバは視線をシュンバに送る。
「ウィシルラムの町で滞在していたシヴァ王の使いを殺そうとしていたらしいが、返り討ちにあったようだ」
「そう――ですか」
「たしか、お前もウィシルラムに行っていたな? なにかあったのか?」
「ううん、な《、》に《、》も《、》な《、》か《、》っ《、》た《、》」
ニシュンバはゆっくりと立ち上がり、部屋を出て行った。
シュンバはそれを目で追っていく。「……少し気になるな」
そう呟きながら、シュンバはハッとした表情で部屋を見渡した。
「――ラクタビージャか?」
暗闇の方へと視線を送った。ぼんやりと人影が現れた。
「ここはわたしにおまかせを」
ラクタビージャは、ゆっくりと笑みを浮かべ、「やつらは明日の明朝より、スルジの国王、ブラフマーに会いに行くことでしょう。かならずややつらの首を持って帰ってまいります」
「――すまんな」
「いえいえ、これもみな妹君さまのために戦っているあなた様に忠義を見せるため」
そう言いながら、ラクタビージャは笑みを浮かべた。
「ああ。よい報せを期待している」
シュンバは、安堵の表情を浮かべ頷いた。
それを見ながら、ラクタビージャは歪み、腐りきった笑みを浮かべる。
『よもや、祈祷師はあの兄妹を道具とも思っておらん。――が、私はやつらの魔神だからな、下手に感付かれてしまっては計画が台無しだ。もっとも、今はこの馬鹿兄よりも勘が鋭い妹の始末が先か……』
ラクタビージャは目標を真一たちではなく、真一たちの巻き添えにニシュンバを殺めようと考えていた。
「そ、それはまことですか?」
驚いた表情で叫んだのは、カウマーリーであった。
目の前にいるローブを羽織ったカーリーに対しての驚きもあったが、なによりも、カーリーの口から発せられた一言が、シヴァ王やナンディン、残りの七賢人、カウマーリー・ヴァーラーヒー・マーヘーシュヴァリーの耳を疑わせたのである。
「姉さんから直接聞いたわ。昔、麻姫が事故に遭い、瀕死の状態だったの。その時偶然知り合いのお見舞いに来ていた真一が同じ血液型だったため、輸血をしたそうよ」
カーリーの言葉を聞きながら、シヴァ王は信じられない表情で喉を鳴らす。
「しかし、もしそうだとしたら、なぜドゥルガーを呼び出そうとしたのに、真一どのと麻姫どのの二人が一緒に呼び出されたのかがわかりますね」
「つまり、私たちはドゥルガーさまの血を持っている二人を、知らないうちに呼び出していたということですか?」
「結論から言うとそうなるわ。もともと姉さんの血を持っていた息子の真一と、彼の血を輸血された麻姫だったから、どちらも同じドゥルガーの血を持っていた。あなたたちもドゥルガーの血を持った七賢母の末裔だったから、その共鳴も強かったということになる」
「すべては必然だった……ということか」
シヴァ王がそう言うと、カーリーは答えるように頷き、「それが祈祷師の目的だったということもある」
「――祈祷師の目的?」
「やつは、私と姉さんの力を持った阿修羅を皆殺しにしようとしているのよ」
「……皆殺し」
マーヘーシュヴァリーが、小さく呟いた。
「ただ、そう考えているのは今のところ祈祷師だけみたいね。シュンバとニシュンバはまったく別の行動を見せているし、あまり協力的じゃないから大丈夫。逆に問題なのはマヒシャの方で、やつは姉さんに対して深い憎悪を持ってるわ」
「カーリーさま、なにゆえシュンバ、ニシュンバの方は大丈夫だと?」
カウマーリーがそう尋ねると、カーリーはシヴァ王を見やった。
「あの兄妹は、私たちと同じ神々の末裔なのよ。元々シヴァによって得た力を悪用したためドゥルガーとカーリーにやられたってこともあって、恨みをもっていると考えた祈祷師がそこをつけこんだようだけど」
「元々殺す気がない二人を、祈祷師がどうするのかということか?」
シヴァ王はそう言いながら、ゆっくりと瞼を閉じた。
「どうなされますか? シヴァ王さま」
「カーリーよ、なにゆえその事を知っておるのだ?」
片目を開いたシヴァ王は、カーリーに視線を向ける。
「わたしは、マナサーと一緒にニシュンバの病気を調べていたのよ。もっとも治せる可能性はないけど」
「しかし、どうしてそんなことを?」
「あの兄妹は、姉さんが療養しているアティウィシャの出身なの。ニシュンバは小さい頃から病弱であまり外に出なかった。強い魔神の力を持っているとはいえ、結局は末裔だからね。血は薄れ、最早人と対して違わない」
カーリーはそう言いながら、どこか違和感を見せていた。その事を、シヴァ王は指摘する。
「祈祷師はどうして、マヒシャやラクタビージャのように、私たちに伝わっている魔神を呼び出さなかったのかしら。この世界のシュンバとニシュンバを呼び出すよりもそっちの方が戦力になる」
シヴァ王は、カーリーの言葉を聞きながら、唸り声をあげた。
「たしかに腑に落ちんな」
そう呟くと、シヴァ王はカウマーリーたち七賢人に視線を送る。
「急いでブラフマー王に連絡を。予定では明日の夕暮れには城に着いているはずだ」
カウマーリーたちは敬礼するや、王の間を後にした。
「どうかしたのか?」
シヴァ王に声を掛けられたカーリーは、ゆっくりと視線をシヴァ王に向けた。
「浮かない顔をしているが、シュンバとニシュンバが気になるのか?」
「あの二人は優しすぎるのよ。ニシュンバに至っては虫すら殺《、》せ《、》な《、》い《、》」
カーリーの言葉に、シヴァ王は違和感を感じた。
「しかし、先日受けたシュナヴィーからの連絡によれば、ニシュンバは襲われていた親子を助けるかのように男を殺したとあるし、真一どのを死の淵に追いやったのだぞ?」
カーリーもその事が気になっていた。
「だけど、あの二人が……そんなことするわけ」
不安そうに、カーリーは呟いた。
古びた寺院でチャンダとムンダー、そしてホウェーが現れた晩の翌日。
ウィシルラムの町にある宿屋の一室でのことであった。
「――綺麗」
麻姫が素直に言葉を発した。
「すごく綺麗ですよ。肌も肌理細かいですし」
「……そうでしょうか?」
消極的な口調で、チャームンダーは尋ねる。チャームンダーは仮面を外しており、素顔をみなの前に晒していた。
それもこれも、真一が提案したからである。
「もっと自信持ったら? 一応わたしたちのリーダーでもあるんだから」
インドラーニーが肩を竦める。
「こんなに綺麗で歌声も素敵ですから、まさに花も実もあります」
麻姫の言葉に、チャームンダーは目を点にした。「き、聞いてらしたんですか?」
「ええ。まるで誰かのために歌っているようなそんな感じがしました」
「あ、それおれも思った。チャームンダーの歌は死者を鎮めているって感じがするんだよ」
「元々チャームンダーというのは、人々の苦しみや痛みを具現化したと云われています」
アンナはそう言いながら、ゆっくりとブラフマーニーに視線を送った。
「それで、チャンダとムンダーの様子は?」
「そこのぼうやが半殺しにしてるってことで、仲良く牢屋でおねんねしとるわ。まぁいつ消えられるかわからんし、厳重な注意は払っておるよ。逃げられんように首輪もはめとるし」
ブラフマーニーの言葉を聞きながら、ヴァイシュナヴィーはチャームンダーを見る。
「それにしても、二人の云っていることが本当だとしたら、真一さまが怒り心頭になるのも頷けられます――が、あのまま見過ごしせばよかったのでは?」
ヴァイシュナヴィーは、怪訝な表情で真一を睨む。
「いや、まぁ、なんだ? あの兄妹とは邪魔なしでやってみたいっていう」
真一は頬をかきながら、言葉を捜していた。
「でも、わたしは真一くんがとった行動は正しいと思います。一番可哀想なのはニシュンバの方ですよ?」
頬を膨らませながら、麻姫は言った。
「わたしも麻姫さまの意見に同意だな。祈祷師は無抵抗のニシュンバを殺そうとしていたのだ。敵とはいえ見過ごすことはできん」
インドラーニーは腕を組みながら言う。
結局、隠そうとしていたニシュンバの事を感付かれ、真一とチャームンダーは尋問を受けたのである。
「でも、あの尋問は駄目だろ? 殺す気か?」
真一はブラフマーニーに怒鳴り散らした。
「彼女は罪人に尋問する時、かならず水に沈めるんです」
ヴァイシュナヴィーは、ゆっくりとブラフマーニーを見る。
「早く答えれば溺れることはないんですから、いいじゃないですか?」
まったく反省の色を見せないブラフマーニーである。
「だけどあの水はどっから出してたんだ? 蛇口なんてどこにもなかったし」
真一は、納得のいかない表情で首をかしげる。
「ああ、あれはブラフマーニーの力ですよ。彼女は水を操れますから」
言うが早く、ヴァイシュナヴィーは飲んでいた水をわざと床にこぼした。
「なにやってるんですか? はやく拭くものを」
麻姫が慌てて手短な場所においてあった布巾を手に取った。「いいえ、いりませんよ」
ブラフマーニーの言葉に、真一と麻姫は首をかしげる。
「まぁ、聞くより見るが易しというし」
ブラフマーニーは人差し指を染みのできた床に指した。
すると、プクプクと音を立てながら、スーと染みが抜けるように消えていく。
いうなれば、蒸発したのである。
「すげぇ……」
真一は、固唾を飲んで目の前の光景を凝視した。
「さらにこんなことも」
今度は天井を人差し指で指した。
麻姫は一瞬、自分の肌に雨粒が落ちたと錯覚した。部屋の中であるにも関わらずだ。
その雨粒は、まるで土砂降りのように麻姫の頭上で降り出した。
「きゃあああああああっ?」
悲鳴をあげながら、麻姫は身体を縮める。「これっていったいどういう?」
「大気の中にある水分を集めたんです。ほら曇ってありますよね? あれも一種の水分の塊なんです。その中の空気が冷やされ、水分が雨になったり」
ここでブラフマーニーが雪に対してなにも言わなかったのは、この世界で雪が降ったことがないからである。
「つまり、ちいさな雨雲を作ったってことか」
真一の言葉に、ブラフマーニーは頷いた。「ヘクション」
麻姫が身体を震わせ、くしゃみをする。
「ブラフマーニー、ちょっとやりすぎ」
キッと、叱るような仕草を見せながら、チャームンダーが言った。
「体を壊されてはいけませんから、こちらに」
アンナは、麻姫にタオルを羽織らせ、一緒に部屋を出て行った。
「どうかしたのか?」
真一は、窓の方に視線を向けたブラフマーニーを見つめる。「いえ、ちょっと」
ブラフマーニーは、ゆっくりと人差し指で円を描いた。
すると、なにもないところから強烈な水柱が噴出し、窓を割った。
「ぐぎゃあああああああああああああっ!」
外からくぐもった悲鳴が聞こえ、真一とインドラーニーは別の窓から外を覗いた。
窓の正面に壁があり、そこに激しくなにかが打ち付けられている。水の勢いはとどまることを知らない。
「――魔神?」
真一が呟くと同時に、水圧と壁に挟まれた魔神はグチャリと潰れ、消滅した。
「気配を消していたようだけど、水分の微妙な変化に違和感がありましたので」
それを聞くや、真一は冷や汗を垂らした。チャームンダーもまさかという微妙な表情を浮かべる。
「二人の恐怖心が汗腺を通じて微妙に空気中の水分を変化させてましたから、隠し事をしていてもわかるんですよ」
要は嘘発見器と同じ原理である。あれも汗腺の微妙な変化によって、真偽を判断しているのだ。
人は嘘を吐いたり緊張すると、微妙に汗をかく。かかない人は、よほど嘘を吐き慣れているか、なにも感じない人くらいである。
――なんで、水責めなんてしたんだ?
真一は心の中でそう思った。
理由は簡単である。ただ単に、ブラフマーニーが、超がつくほどの『ドS』だっただけであった。
苦しめられている二人に興奮してしまい、仕舞いには殺しそうになったのは――秘密である。




