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破戒の聖音  作者: 乙丑
16/24

4・終《つい》の奥山 ――2


「お姉さん、ちょっとこれを見てかないかい?」

 ウィシルラムの露店をブラブラと見ながら回っていたニシュンバに、店主が声をかけた。

「これね、そんじょそこらの石じゃないんだよ」

 店主は並んでいる宝石類の中からひとつを手に取った。

「これはね、アワクルトの国から採取した貴重な宝石なんだよ」

 店主が手に持っている宝石に、ニシュンバは見覚えがあった。

 中心に口紅のような淡い朱色の宝石がついている、金属のネックレスだ。「これ……」

 店主に尋ねようとした時、店の奥から物音が聞こえ、ニシュンバは中を覗いた。

 中には、アッビシチの町で強盗を起こした男が隠れていた。描写するならば、頭隠して尻隠さず状態である。

「こいつは、この前うちのもんが持ってきてね、あっちじゃ貴重らしいんだわ」

 店主は、店の中を覗いているニシュンバに気付く。

「おや、なにか気になることでもあるのかい?」

 店主の口調に焦りが見えた。「いえ、なにも――」

 ニシュンバは頭を振った。そして、自分の右手を一瞥する。

 彼女の右手には、三叉槍が持たされていた。それを気付かれないように消す。

「それでだ、これを十万アルタで売ってやろう……って、おや? どうかしたのかい?」

 店主は身を乗り出し、人込みへと消えていくニシュンバに声をかけたが、彼女の耳に店主の声は届いていなかった。


 ニシュンバがウィシルラムの町を歩いている中、ホウェーは一人暗闇の中にいた。

「チャンダ、ムンダーはおるか?」

「ここに」

 ホウェーのうしろに、二つの気配が現れた。「ドゥルガーの息子がスルジに入ったようだ。ニシュンバは例によって、任務を忘れておる」

「あのお姫さまは自分の立場ってものをわかっちゃいねぇな」

「それでどうなされるおつもりで?」

「すでにブラフマーやヴィシュヌにわしらの存在を知られておる。やつらはあの町で死んでもらうわいな」

 ホウェーはそう言いながら、歪んだ笑みを浮かべた。


「おいっちにぃさんしぃ、にぃにぃさんしぃっと」

 宿屋の外で真一は背筋を伸ばし、日課のストレッチをしていた。

 長らく重症で身体を動かせなかったため、普段の三倍の量をこなしている。

 すると、聞き覚えのある歌声が聞こえ、真一はそちらに耳を傾けた。

「この歌声って……、チャームンダー?」

 声がする方へ歩いていくと、町の外れに小さく盛り上がった丘が見えてきた。

 その中心には申し訳なさそうに建っている古びた寺院があり、永い間使われていなかったのか、ところどころにヒビが入っている。

 入り口と思わしき場所に備えられた門の平蝶番は錆びて取れかけており、もはや門としての役割を果たしていない板をなんとか繋げているようなものであった。

「こりゃ、ちょっと動かしただけで壊れそうだな」

 真一は頭をかいた。隙間を見つけ、そこから中に入っていく。

 寺院の中も寂びれており、ほこりだらけになっている。椅子や教壇も存在していたこと以外、面影はない。

 正面を見ると、砕けた小さな石が無造作に積まれていた。その上には、なにかを飾られていた形跡がある。

 日本で云う仏像、キリストで云うマリア像を飾っていたという面影が残っていた。


 真一は、歌声が聞こえる方へと視線を向けた。

 寺院の隅の方で、少女が歌を詠っている。

 仮面を外したチャームンダーは、袖がなく、脇腹までしかない黒のパンジャビドレスと、黒と赤の、鯨幕けいまくのような模様をしたガーグラを纏っていた。

 ――きれいだ……。

 真一はゆっくりと、気付かれないように歌声を聴いていた。

 歌劇オペラのような情緒溢れるその歌声に、祖父が葬儀でお経を読んでいる時も、似たような印象があったのを、真一は幼い頃から感じていた。

 魂を鎮めるという雰囲気が、チャームンダーの歌声から響くように感じられた。

 ただひとつ、違うところがあるとすれば、死者を鎮め、成仏させるお経と違い、まるで死者たちが思い思いにチャームンダーの周りに座り、彼女の歌声を聞き惚れているかのような、そんな印象を、真一は感じていた。

 ステンドグラスから差し込む月明かりが、舞台に立つ歌劇女優にスポットライトを浴びせているかのように、絶妙な角度でチャームンダーを照らしていた。


「へっくしゅんっ!」

 真一は、身体が震え、くしゃみをしてしまう。その声に気付いたチャームンダーは歌声を止めた。

「あ、邪魔しちゃったかな?」

 真一は頭をかきながら謝った。

「し、真一さま? どうしてここに?」

チャームンダーの表情は、驚きと困惑に満ちている。

「あー、いや、君の歌声が聞こえたからさ」

「どこか、苦しむところはありませんか?」

 申し訳なさそうに、チャームンダーは尋ねる。

「そういえば、インドラーニーも云ってたけど、別にどうってことないよ」

「……ほんとうですか?」

「本当だって、それにすごく心が休まるよ」

 そう云われ、チャームンダーはカァッと顔を紅潮させ、照れたように顔を背けた。

 真一が、無意識のうちにチャームンダーの顔を見つめていたからである。

「あ、あまり顔を見ないでください。その――醜いですから」

「なに云ってるんだ? 全然醜くないだろ?」

 真一は、ジッとチャームンダーの顔を見つめる。

「――あっ!」

 突然大声をあげられ、チャームンダーは目を点にする。「どうかしたのですか?」

「いや、アッビシチの町で歌声を聞いた時、どこかで聞いたことがある声だなって思ったんだよ。ああ、そうだよ。アワクルトの城で……」

 真一は、その先を口にできなかった。偶然とはいえ、チャームンダーの一糸纏わぬ姿を見ているのである。

「――いや、なんでもない」

 真一は頭を振った。

 ――思い出すな。彼女に失礼じゃないか。

 そう考えながら、邪心を取り払った。

「しかし、すごい格好だな」

 話題を変えようと、真一はチャームンダーの姿を見ながら云った。パンジャビドレスの胸元が大きく開いている。

 華奢なからだつきにしては発育のいい胸をしているため、チャームンダーが身体を動かすたびに胸が見えるのである。

 下着は着けておらず、少しでも屈めば、下手をすると薄橙色をした先端が見えそうで、真一は困っていた。

 当のチャームンダーはそのことに気付いていないのか、もともと羞恥心が薄いのか、定かではないが真一の視線を逸らす仕草に首をかしげていた。

 あの時、チャームンダーが恥ずかしそうな素振りや悲鳴を出さなかったのは、熱い温泉にのぼせてしまい、視界がぼやけていたからである。


「早く戻って休まないと、明日スルジの城に旅立つんだろ?」

「あっ! そうですね」

 チャームンダーが真一の意見に賛同しようとしていた時であった。

 入り口の方から気配を感じ、二人はそちらへと振り返った。

「ニシュンバ……」

 月明かりに照らされたニシュンバの表情は、どことなく暗い印象があった。

「真一さま、お下がりください」

 チャームンダーが真一を自分のうしろへと下げ、拳を構える。

「――盗人ぬすっと

 そう呟いたニシュンバは、真一とチャームンダーの前になにかを放り投げた。

 それは露店で見つけた強盗犯の男であった。縄で縛られており、轡をはめられている。

「この男は?」

「アッビシチの町で人を殺した。それと、宝石も盗んでる」

「それは本当なの?」

 チャームンダーの言葉に答えるように、ニシュンバは頷く。

 ――もしかして、ニシュンバってコミョ障か?

 真一は、あまり喋らず、淡々と言葉を発しているニシュンバを見ながらそう思った。

「もし彼女の言っていることが本当だとしたら、ブラフマーニーと町の警備兵にこの事を伝えてきます。真一さまはその場から――」

 駆け出そうとしていた時、チャームンダーは悪寒を感じた。

 その瞬間、自分たちの目の前で縄で縛られた男の肢《、》体《、》が、死《、》体《、》へと姿を変えていく。


「――っ! あぶねぇっ!」

 真一は咄嗟に、チャームンダーの身体をかかえ、前へと転がった。

 強盗犯の死体は、跡形もなく潰れていく。

「駄目じゃないかニシュンバ、こんなことしちゃぁ」

 砂煙が晴れ、姿を現したのは、チャンダとムンダーであった。

「てめぇら、たしかむこうの世界で」

「ああ、この前は痛い目を見たぞ!」

 そう叫ぶや、チャンダとムンダーは真一に襲い掛かった。

「くっ!」

 真一は、二人の攻撃を受け流していく。

「知ってるぞ! お前母親と約束してるんだってな。人を決して殴ってはいけないって」

「ああ。そうだけど……、それって言い換えれば」

 真一は、ムンダーに回し蹴りを食らわした。

 ムンダーは勢いよく、豪快に音をたてながら飛ばされていく。

「蹴ったり、投げたりしてはいけないとは云われてねぇんだよ」

 チャンダの懐に入った真一は、胸元を掴んだ。

「でぇりゃああああああああああああああああああああっ!」

 咆哮をあげながら、自分よりも三倍以上の重さがあるチャンダの身体を浮かし、一本背負いを食らわせた。

 地面に叩きつけられたチャンダは吐血する。

「すごい……」

 真一の猛攻に、チャームンダーはおろか、ニシュンバも目が離せないでいた。

 その時、ニシュンバは、自分のうしろに誰かの気配を感じ振り返った。

「きゃあああああああっ!」

 悲鳴が聞こえ、真一とチャームンダーはニシュンバの方へと視線を向けた。

「なっ?」

 ニシュンバの背後に、首のない魔物(西洋でいう、デュラハンのようなもの)が立っており、彼女を羽交い絞めにしていた。

 長く尖った爪が、ニシュンバの首元を擦っている。

「ひょひょひょ……」

 歪んだ笑い声が聞こえ、真一とチャームンダーの緊張が走った。

「ホウェー……これはいったいどういう――」

 ニシュンバは苦痛の表情を浮かべながら、自分の横に姿を現したホウェーに真意を尋ねた。

「いったいどういう……、それはわしの台詞セリフじゃよ。人間なんぞさっさと殺せばよいものを」

 ホウェーは目を大きく開いた。それこそ眼球が飛び出るのではないかといわんばかりだ。

「おい、チャンダ、ムンダー。なにをしている。さっさとその二人を殺せ!」

 倒れていたチャンダとムンダーが起き上がり、真一とチャームンダーに襲い掛かったが、真一がそれを食い止める。

「おっと、そこまでにしろ……、こいつが死ぬぞ」

 ホウェーは、ニシュンバのうしろにいる魔物に視線を送った。

「いぃやぁ……」

 爪がニシュンバの首元をなぞった。その跡から血が垂れている。

「喉仏を切れば、いくら魔神の末裔とはいえ、生きてはおらんぞ」

「――っ! なにやってんだよ? そいつ、お前らの仲間だろうが?」

 状況が理解できず、真一は震えた声で尋ねた。

「仲間……、人も殺せん役立たずが仲間なわけがなかろう? いや、あの兄妹を媒体にしたのがそもそも失敗だったのだ!」

 ホウェーが言葉を発した次の瞬間、チャンダがその巨体を真一の頭上から落とした。

 大きな音とともに、砂煙が巻き上がる。

「真一さまっ?」

「がはははははっ! チャンダの巨体に潰されて死んでしまえ」

 ホウェーが高々と笑った……。「――ゴフッ?」

 砂煙が晴れた。その先にいるチャンダが、胃の中のものを泡と一緒に吐き出し、白目を剥いて倒れているのが目に入り、ホウェーとムンダーはなにが起きたのかわからなかった。

「くそっ! こいつ」

 ムンダーは、起き上がろうとしている真一に襲い掛かった。

 次の瞬間、ムンダーの身体は、壁に打ち込まれていた。

「ガハァッ?」

 バキバキと、体中の骨という骨が砕け散る音が、ムンダーの耳にこだまする。

「な、なにが起きた? いったい……」

 ホウェーは震えた表情で、真一を見た。「おい……」

 ドスの利いた低い声が聞こえ、真一以外の全員が、背筋に悪寒を覚えた。

「俺が理性を失っちまう前によぉ……、さっさとニシュンバからそのきたねぇ手を放せよ。仕舞いにゃぁぶっ殺すぞっ!」

 真一の言葉を聞くや、その場にいる誰もかが、真一は、ニシュンバを苦しめている魔物を殺しかねないと感じ取った。

「貴様、なぜ敵なのに、ニシュンバを見捨てぬ」

「俺はな、母さんと約束したんだよ。目の前で苦しんでいる人がいたら、たとえ悪い結果であったとしても、見捨ててはいけないって」

 真一は、ゆっくりとニシュンバに近付く。「待てっ! それ以上近付いたら」

 祈祷師が叫んだ瞬間、真一の姿が、そこにはなかった。

「ニシュンバ、ちょっと重いけど我慢な」

 声が聞こえた瞬間、ニシュンバは肩にずしりと重みを感じた。

 そしてうしろから自分を羽交い絞めにしている魔物の呻き声が聞こえ、重なるように倒れた。

 真一が、魔物の背中に強い肘打ちを食らわせたのである。

「なっ? なんだと」

 ホウェーの表情が見る見るうちに青褪めていく。

「げぇほ、ごほっ」

 魔物の下敷きになっていたニシュンバが抜け出そうとすると、真一が手を差し伸べた。

 ニシュンバは一瞬戸惑ったが、その手を掴み、立ち上がる。

「ど、どうしてわたしを?」

「おれは目の前で苦しんでる人がいたら、助けないと後味悪いんだわ」

 真一は照れたように頬をかいた。

 それを見ながらニシュンバは小さく、誰にも気付かれないほどわずかに頭を下げる。

 それは、感謝の意であった。

「真一さまっ! チャームンダーッ!」

 寺院の外から、インドラーニーとブラフマーニーの声が聞こえてきた。

「くっ! 失敗か――」

 慌てた表情を浮かべながら、ホウェーは姿を消し始めた。

「てめぇっ! 逃げんなっ!」

 真一がそれを止めようと、ホウェーの身体を掴もうとしたが、すでにその姿はなかった。

「逃げられましたね」

 チャームンダーはそう言いながら、倒れているチャンダとムンダーを見やった。

「あのジジィ、いったいなにを考えてやがる」

 真一は舌打ちをし、ニシュンバに近寄った。

 ニシュンバは肩を竦め、真一から逃げようとする。

「ああ、別に獲って食おうなんて思ってねぇよ」

 そう言いながら、真一は怖がらせないように笑みを浮かべた。

「ほら、他のやつが来る前に、お前も姿を消せ」

 その言葉に、チャームンダーはもちろん、言われたニシュンバも耳を疑った。

「どうしてですか? ここで彼女を見過ごしたらまた」

「大丈夫だ。こいつは私利私欲のために悪いことをしてない。そりゃぁ人を殺してはいるけど、それはあの母子を助けるためだったと考えてもいいんじゃないか?」

 真一の言葉に、チャームンダーは顔を歪める。

「たしかにそうですが――」

 チャームンダーは納得のいかない表情でニシュンバを睨んだ。

「――わかりました。でも今度現れた時は、あなたを王の前に突き出します」

「……ありがとう」

 小さく言葉を発したニシュンバは、姿を消した。

「二人とも、大丈……」

 寺院の中に入ったインドラーニーは、その惨状に目を疑っていた。

「ブラフマーニー、そこで気を失っている魔神を牢屋にぶち込んでおいて」

 チャームンダーにそう云われ、ブラフマーニーは頷いた。

「急いで警備兵に連絡をするわ。それで、ここでなにが起きたの?」

 その問いかけに、真一とチャームンダーは、突然チャンダとムンダーを率いたホウェーが襲いかかってきたことだけを話し、ニシュンバのことは一切口にしなかった。


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