3・血吸蟲《アスルデージ》 ――3
麻姫がアティウィシャの村病院で眼を覚ます少し前のことである。
ローブのフードを被った女性が、アッビシチの町にある宿屋を訪れていた。
「いらっしゃい」
宿屋の主人が少女に声を掛ける。
「こちらにアンナという女性と、旅の者が泊まっているはずだが?」
「ええ、お客さんお知り合いで?」
そう聞かれ、女性は頷いた。
「それならあちらです」
主人は、真一たちが泊まっている部屋を指差した。女性は頭を下げ、礼を言う。
「ああ、でも男の人が大怪我をしてましてね……」
「知っている」
女性は、ゆっくりと真一の泊まっている部屋へと歩み寄っていった。
「アンナ、少し休みなさい」
チャームンダーがそう言うと、アンナは頭を振った。彼女の眼の下にはクマができている。
真一が倒れてからずっと、看病をしていたのだ。
「真一さまのことは私に任せて、あなたは少し休みなさい」
険しい表情を浮かべながらチャームンダーはそう云ったが、口調で理解したのか、アンナはしょげた表情でチャームンダーを見た。
別に責めているわけでない。アンナがいることで幾分気が楽になっているのも事実なのだが、アンナの献身的な態度が、チャームンダーにとっては、妙に鼻についていたのだった。
「麻姫さまはいったいどこに……」
チャームンダーは溜め息を吐いた。
「その麻姫さまっていう女の子だったら、いまアティウィシャの病院で安静にしてるから、安心しなさい」
ドアの方から声が聞こえ、チャームンダーとアンナはそちらを見やった。
「あ、あなたは?」
アンナがドアの縁に背をもたらせている女性に尋ねた。「あら? 私のこと忘れたのかしら?」
そう聞き返され、アンナは首をかしげる。
「――どうやら、あなたはわかったみたいね? チャームンダー」
女性は、チャームンダーを見やった。
「私の前では素顔を見せるようにって云わなかった?」
チャームンダーは女性にそう云われ、被っていた面を外した。素顔を晒したチャームンダーの瞳は、紅玉のように赤く大きな瞳をしている。
「まったく勿体無いわね? 一族の規律だからって、綺麗な顔を隠してたんじゃ駄目でしょ?」
女性は、あきれた表情で肩を竦める。
「美しくなんてありません。わたしたち一族の女性はみな醜女ですから」
チャームンダーは、あまり顔を見せようとはしなかった。
「それで、どうしてこのような場所に? それと、先ほど麻姫さまがアティウィシャの病院にいるとおっしゃいましたが?」
「その病院にアガダっていう医者がいることはもう知ってるわね? 彼女、そいつにお願いして、そこの無鉄砲な馬鹿を助けようと一人で森の中に入ったのよ」
女性はベッドで寝ている真一を見遣った。
「ほんと……姉さんそっくりなんだから」
「あの、それってどういうことですか? カーリーさま」
チャームンダーがそう言うと、アンナは驚いた表情で女性を見遣った。
「ああそうか、あなたは初めてだったわね?」
女性――カーリーは唖然としているアンナを見ながら、小さく笑みを浮かべる。
そして、被っていたフードを脱ぐと、烏羽色をした綺麗な長髪が姿を現した。
「私の名はカーリー。アワクルトの王シヴァが一子。今はわけあって旅をしている」
「わけがあるというより、ただたんに強い相手と戦いたいと思っているだけでは?」
チャームンダーにそう云われ、カーリーは苦笑いを浮かべた。
「真一さまとドゥルガーさまが似ているとは?」
「あの子は姉さんが一時的に身を潜めていた世界で生んだ子供なのよ」
その事実に、チャームンダーとアンナは驚きを隠せないでいた。
「ラクタヴィージャとの戦いで傷を負った姉さんは、自分の意思を阿修羅に封じ、一時的に真一が暮らしていた世界に逃げていたの。その時にこの子を産んだ」
カーリーは、真一の頭を優しく撫でる。
「あの人間離れした力は、ドゥルガーさまの力だったわけですか?」
「そうとは云えないのよ。伝説におけるドゥルガーはたしかに戦いの神だったけど、まだ慈愛の心を持っていた。怒りによって作られ、殺戮や虐殺を求めるだけに生まれたのがカーリーだから、その力も持っていたと思う」
カーリーは、父親であるシヴァ王から城での出来事を教えてもらっていた。なので、こちらの世界における真一のことはある程度は知っている。
「ニシュンバに対しての哀れみは」
「おそらくあの兄妹のことを記述で知っていたんでしょうね。卑怯な手を使わなくても十分力を持っていたし、わたしはあの二人が故意に毒を使っていたとは思えないし、思いたくない」
「その真意は?」
チャームンダーがカーリーにそう尋ねる。
「あの兄妹は……、いいえまだはっきりとしているわけじゃないから――」
その奥歯に物が挟まったような言い方に、チャームンダーは違和感を感じた。カーリーはなにか知ってるんじゃないか。知っているがそれが結びつかないのか。
どちらにしろ聞ける状態ではない。そう判断したチャームンダーはそれ以上は訊ねなかった。
「わたしは姉さんのことがあるからこれで失礼するわ。チャームンダー」
「なんでしょうか?」
「あなた、どうして自分が旅のお供に選ばれたか知ってる?」
そう聞かれ、チャームンダーは首をかしげた。
「わたしがそう仕向けたのよ。醜女であるチャームンダーは伝説における戦女神だけ。あなたはあなたなんだから、無理して一族の規律を守らなくてもいいのよ」
カーリーは笑みを浮かべる。その子供のようなあどけない笑顔は、真一と瓜二つであった。
カーリーが宿屋を出てからしばらくし、日が真上に昇った頃、インドラーニーとヴァイシュナヴィーが宿屋に戻ってきた。そのうしろに麻姫とアガダの姿がある。
「麻姫さま、ご無事でなによりです」
「患者はどこじゃいなっと、ああこのガキか?」
チャームンダーが麻姫に声をかけている中、部屋に入ってきたアガダが真一を見遣った。
「こりゃぁ、ひでぇな。毒が結構回っておる」
アガダは真一の手首に指をやり脈を測った。
「こりゃぁ、危険な状態じゃな」
そう云うや、麻姫たちの表情が青褪めていく。
「助かる方法はないんですか?」
「心配するな。ていうより、こいつの生きる気力に脱帽したよ。まぁ血がそうさせていたのかもしれんがな」
真一の包帯をほどきながら云ったアガダの言葉に、チャームンダーとアンナは互いを見遣った。
この中で、真一がチャームンダーの息子だと云うことを知っているのは、彼女たち二人だけだったからである。
いや、アガダもドゥルガーが阿修羅を介して子を産んでいたことを知っていた。
「そんじゃぁ、まずは毒の吸出しからだな」
そう云うや、アガダはバックから血吸蟲が入ったビンを取り出した。
それを見るや、インドラーニーたちが警戒をする。
「大丈夫です。悪い魔物ではありませんでしたから」
「しかし、知らぬうちに血を吸う魔物を見過ごすわけには」
「ああ、ちょっと黙ってくれんかな? 傷口はもう治っておるのか……、無意識に時を操る力を使ったか」
アガダは、ピンセットを使わずに、血吸蟲を真一の身体の上に落とした。
大量に姿を現した血吸蟲を見るや、さすがに助けてもらったとはいえ、麻姫は悲鳴をあげる。
「少しは大切に扱ってください! 下手があるので上手が知れるとはいえっ!」
麻姫は血吸蟲の力を知っているとはいえ、この無責任な治療法にはいささかご立腹だった。
「しゃぁないじゃろうよ? 傷が塞がっておったら、どこから毒が入ったのかわからんし、こうなったら血吸蟲の気が向くままに吸わせるほうがいいじゃろ?」
アガダの云う通りなのはたしかなのだが、麻姫はその後起きる大惨事が容易に想像出来た。
真一の血を吸ったおびただしい数の血吸蟲が、身体を膨らましては、ベッドの周りで果てていく。無数に噛まれた真一の表情は落ち着いてきてはいたが、身体は止まらない血で真っ赤に染まっていた。
その光景に、アガダ以外は皆口を抑えていた――。
眼を覚ました真一は部屋の天井を見た。たしかニシュンバに襲われて――。
それからのことがどうも思い出せない。ただ、妙に布団の感触が肌に直接感じるような、そんな感じがしていた。
「あ、起きましたね。お体は大丈夫ですか?」
「っと、ああ……。えっとなんかみんなに迷惑かけていたみたいだな?」
真一は神妙な面持ちで、目の前のアンナを見る。麻姫たちは自分たちの部屋に戻っていた。
「まだ安静にしないと、怪我のほうもありますし」
「ああ、っと、なんか手についてるんだけど」
そう云うや、真一は右手を見やった。「これってヒル?」
「麻姫さまも云っておりましたが、そのヒルという血吸蟲が、真一さまの毒を吸ったそうです」
「ああ、通りで脳が回らないと思った。すっかり血を吸われて、低血圧ってことか」
頭を抱えながら真一は項垂れた。
「なにか栄養になるものを持ってきましょうか?」
アンナがそう尋ねると、真一は頷いた。
「どうですか?」
部屋を出て行くアンナと擦れ違いに、麻姫が部屋に入ってきた。
「ああ、堂本さんか。その……ありがとうな」
そう云われ、麻姫は安堵の表情を浮かべた。
「もう無茶だけはしないでくださいね」
「――わかってる」
真一は身体を起こそうとした。「――えっ?」
突然頭に痛みが走り、ふらついた真一は、身体を前に、麻姫のほうへと倒れていく。
「あいたたたた……っ」
真一は頭を振るった。まだ病み上がりで、意識が朦朧としている。
「っつ……」
悲痛な表情を浮かべながら、麻姫が呻き声をあげた。
「大丈夫? 堂本さん」
そう尋ねたが、麻姫の表情は困惑しており、あたふたと口が動いている。
「かっ! かかかか会稽の恥をおおおおおっ!」
麻姫は口篭もりながらも、真一の、腰より低い位置を凝視していた。彼女の顔は、徐々に紅潮している。
「おわっ? なんで? どうして裸なんだっ?」
真一は、ようやく自分が裸であることに気付いた。治療を終えたアガダが、真一を安静にさせるようにと麻姫たちに云ってから去っていったのだが、それ以外はほったらがしで、まったく着替えさせてはいなかったのである。
「真一さま? お食事の準備が……」
チャームンダーが部屋のドアを開けた次の瞬間、三人の時間というよりも、思考が止まった。
「え、えっと……、なんかお邪魔だったみたいで、お二人がそのような関係だったというのは」
「い、いや違う! 違うから!」
「そ、そうですよ! これは不慮の事故ですから、寝耳に水ですからっ!」
三人とも困惑していて、三種三様、なにを云っているのか当の本人たちもわかっていない。
「と、とりあえず真一くんはなにか身に纏ってください!」
麻姫にそう怒鳴られ、真一は慌てて赤く染まったベッドのシーツを羽織るのであった。




