3・血吸蟲《アスルデージ》 ――1
アワクルトの城を警備している兵士が、けたたましい鳥の鳴き声に気付き、空を見上げた。
空を飛び回っている鳥の足に、紙切れのようなものを括りつけられている。
「やや、あれはシュナヴィーさまからの使いの鳥ではないのか?」
もう一人の兵士が言った。その声がわかったのか、鳥は兵士たちのところへと降下していく。
そして城壁に止まると、兵士の一人が、鳥の足から紙切れをほどき取った。
「なになに……っ! 急いでこの事を王に伝えろっ!」
紙切れに書かれた内容を読んでいた兵士が、周りの兵士たちに命じた。
シヴァ王は、玉座の腕木に頬杖をつきながら、例の紙切れを読んでいた。
「やはり危険な賭けだったというわけですか?」
「いや、シュナヴィーからの連絡によると、普通の人間ならば即死するほどの猛毒だそうだ」
「ということは、真一さまは普通ではないと?」
カウマーリーが首をかしげる。「まぁ、あの力は普通じゃないけどね」
ヴァーラーヒーが指で頬を擦りながら言った。
「しかし、気になるのはニシュンバだな。真一どのが尋ねたことに対してや、自分の三叉槍に毒が塗られていたことに対してまるで知らなかったといったような表情だったそうだ」
「それこそ、我らを騙しておるかもしれませんぞ?」
ナンディンが怪訝な表情で言った。シヴァ王も敵の行動や、表情を信じているというわけではない。
だが、その表情が気になっているのも事実であった。
『敵を騙すために浮かべたのか、それとも本当に知らないで戸惑っていたのか』
シヴァ王は、ニシュンバが襲われていた母子を助けたという報告にも目をやっていた。
「急いで、解毒の用意を」
ナンディンがそう兵たちに命じた。
「待て、いったいどんな毒なのかわからんのだぞ? もしかしたら我々も知らない毒かもしれん。やつは真一どのと麻姫どのがいた世界にも行っているんだ。そこから手に入れたという可能性もある」
シヴァ王がナンディンを止めた。
「では、どうするのですか?」
マーヘーシュヴァリーがそう尋ねると、シヴァ王は少し考えると、なにかを思い出したかのように、ハッとした表情を浮かべた。「たしか、アッビシチの近くにあるアティウィシャという村に、アガダという医師がいたはずだ。彼なら毒に関してなにか知っているかもしれん」
「では、それを私たちがインドラーニーたちに連絡を」
カウマーリーがそう云うや、王の間を出て行こうとする。
「いや待て、お前たちの足ではあまりにも遅すぎる。シュナヴィーからの使いの鳥はまだおるのか?」
「あ、はい。ここに」
兵の一人が、城にやってきた鳥が止まっている木を指差した。
「このものに使いを頼もう」
そう云うや、シヴァ王は兵に紙とペンを用意させ、内容を綴った。
「これをお前の主にもっていくがよい」
手紙を鳥の足首に括り付け、空へと放った。
鳥は、空高く飛び上がり、自分が来た道を戻っていく。
「うまくいくでしょうか?」
「わからぬが、あの医師に賭けてみるしかあるまい」
シヴァ王はカウマーリー、マーヘーシュヴァリー、ヴァーラーヒーを見ると、険しい表情を浮かべた。
「今は彼らを信じ、我々は自分たちができることをしよう」
そう云われ、王の間にいた者たちが頷いてみせた。
鳥の移動能力はとてつもない。
ツバメや、鶴などといった渡り鳥の平均時速は四七キロ。渡りの時はそれよりも少し早い六十キロほどの速さで渡るといわれている。
タカなどの天敵や、餌をとる時はその数倍は早く飛ぶことができるといわれているのだ。
ヴァイシュナヴィーがシヴァ王への使いとして放ったホトトギスも渡り鳥であり、アワクルトからアッビシチまでは約五百キロほどあるが、渡り鳥にとってはなんのこともない距離なのである。ヴァイシュナヴィーから疲れにくい体にしてもらっていることもあり、全速力の時速二百キロの速さで往復し、真一たちが泊まっている宿に辿り着いたのは、真一が襲われた翌日の、日が暮れようとしていた頃であった。
ホトトギスから受け取った手紙を読みながら、インドラーニーが部屋にいる麻姫たちに、手紙の内容を伝えた。
「そのアティウィシャという村に行けば、苅谷くんが助かる可能性があるということですね?」
「可能性としてだがな、しかし今日はもう遅い。出立は明日の明け方にしよう」
「でも、こうしている間に刈谷くんが」
麻姫は沈んだ表情で、ベッドに横たわっている真一を一瞥した。
真一はニシュンバに襲われてから今まで、ずっと寝たきりなのである。
下手に動かすと毒が体中に回ってしまう。
傷もこの町の医者に頼んで直してもらったが、毒に関してはまったく未知のもので手がつけられないと告げられていた。
「たしかに早くしないと死に至るかもしれません」
「ですから、そこまでの道を教えてください」
「ですが麻姫さま、アティウィシャの村は森に囲まれていて、しかも『血吸蟲』なる魔物が出るとの噂。我々もあまり近付くことができないのです」
チャームンダーがそう言うと、麻姫は青褪めた表情を浮かべた。「……だけど、わたしは彼になにもしてあげられていない」
麻姫はそう言うと、椅子からスッと立ち上がった。
「どこへ?」
「自分の部屋です」
ヴァイシュナヴィーに尋ねられた麻姫はそう云って、真一が泊まっている部屋を後にした。
「麻姫さまの言う通り、事態は一刻を争ってるのはわかってるんだけど」
「あの森は道が入り組んでいて、よほど頻繁に行かないと道に迷ってしまう森の中。だから日中の方がよいのだ」
インドラーニーは溜め息を吐いた。彼女とて、今すぐにでもアティウィシャに行きたいのだ。
しかし、麻姫を危険な目に遭わせられないということもあり、彼女にそう言い聞かせていた。
それをヴァイシュナヴィーと、チャームンダー、アンナの三人はわかっていたため、口を挟むことをしなかった。
「わたしたちもそろそろ部屋で休みましょう。アンナ、真一さまをお願い」
ヴァイシュナヴィーにそう云われ、アンナは答えるように頷くと、真一の看病を続けた。
『わたしはあの人たちみたいに闘う力はないけど、助けたいって気持ちくらいはあります』
麻姫は硬い表情を浮かべ、バックを手に持つと、警戒するように窓から外を覗いた。
町の明かりで周りが見渡せ、人の気配がしない。
……今だ。
そう思うや否や、窓を静かに開けると、麻姫はそこから抜け出した。
部屋に戻ったインドラーニーたちが、麻姫がいなくなっているの気付いたのは、抜け出してから五分後のことであった。
「どういうことだ?」
シュンバが剣幕な表情を浮かべながら、ホウェーに詰め寄った。
「どういうことだ? とは心外じゃな。わしは毒をもって殺させようとしただけじゃよ」
ホウェーは怪訝な表情でシュンバを見た。「それが理解できんのだっ!」
シュンバはテーブルのイスにドカッと座り、ふたたびホウェーを睨みつける。
「たしかに我々兄妹はかつて破壊神シヴァと妻であるパールヴァティーが作り出したドゥルガーという戦女神によって倒された身。だが戦いにおいて卑怯な手を使ったとは思っておらん」
「ほう、云うではないか? しかしお前の部下であるラクタビージャは傷付けばそれだけ新たな魔神を生み出していたというに」
上座の椅子に座っているマヒシャがクククと笑った。
「あれはやつの特異体質です。毒を盛るなどという卑怯なことではありませぬ。ならば毒蛇が獲物を弱らせるために毒を体全体に回し、弱らせたところを獲るというのは卑怯のうちに入りましょうか?」
「お前の言い分はもっともだな――ところで、そのカーリーの血を持っているという人間は今どうしている?」
「アッビシチの宿で手当てをしているようです。毒が体全体に回るまで数日もないでしょう」
ホウェーは歪んだ笑みを浮かべながら云った。
「そんなことせずとも、あの場で我ら兄妹がやつらを……」
「いや、どうせ時期に死ぬのだ。あの毒は簡単に治すことなどできん」
ホウェーの言葉に、シュンバは顔を引き攣った。
――こいつ、いったいなにを考えている? 毒など使わぬとも、我々兄妹が負けることなど……。
シュンバがそう思った時、ふとニシュンバの行動を思い出していた。
そもそもあの強盗が子供を人質にしていた状況下は、はたして偶然なのだろうか――。
もしそれが偶然だったとしても、あまりにもタイミングがよすぎる。まるで、真一たちがアッビシチの町に訪れる時間がわかっていたかのように――。
「マヒシャさま、わたしはこれで」
シュンバは頭を下げると、薄暗い部屋から出て行った。
「――兄さん」
壁に寄りかかっていたニシュンバが、シュンバに声をかけた。
「どうした? なにかあったのか?」
ニシュンバの表情が優れないことが気になり、シュンバはそう尋ねる。
「彼は――、どうしてあんなことを云ったのでしょうか?」
その言葉に、シュンバは答えられなかった。
『やつは我々の力のことを知っている。だから毒などという卑怯な手を使うなと云いたかったのだろうか』
シュンバは苦痛の表情を浮かべた。彼を、卑怯な手を使って倒したくはない。
それは自分たちの特異なる体質に対しての苦悶であった。
彼ら兄妹は一万一千年の苦行の末、シヴァによってあらゆる攻撃をもってしても殺されないという力を手に入れたが、マヒシャ同様、戦女神からの攻撃だけは通じる体であった。
自分たちの力は絶対的だという自信があったが、弱点というものもある。
真一がそのことを知っていてニシュンバにそう云ったのか、シュンバはそれがわからなかった。
「ニシュンバ、わたしたちは間違っているのだろうか」
「わたしは兄さんとともにあります。兄さんの考えはわたしの思い」
ニシュンバはそう言うと、スッと頭を下げた。
「わかっている。我々は生まれた時から死ぬ時まで一緒だ。だが、我々もまた犠《、》牲《、》者《、》なのだ」




