2・戦女神――4
アワクルトの城から十キロほど歩くと、小さな町が見えてきた。
「あそこで休憩しましょう」
大きな荷物を背負ったアンナがそう言う。
「っと、その前にエンカウントだ」
真一がそう言うと、チャームンダーたちは彼を見やった。
「敵のお手間しってことですか?」
インドラーニーは、空を仰いだ。空を覆うように、魔物の群れが真一たちを囲んでいる。
「殺れっ!」
魔物たちが一斉に襲い掛かってきた。「来るぞっ!」
インドラーニーが構えを取る。
「麻姫さまとアンナは安全な場所に」
チャームンダーがそう言うと、麻姫とアンナはみんなから離れた場所に避難する。
それを、羽根の生えた魔物が襲いかかる。
「おうぅらぁああああああああああっ!」
魔物の頭を、真一は踵落としで潰す。
「は、速い?」
真一の動きに、チャームンダーたちは驚きを隠せないでいた。
「二人とも、ここはおれたちがなんとかするから、早く」
麻姫とアンナは、鳥類の魔物が入ってこれない、岩の隙間に逃げ込んだ。
「か、彼は普通の人間……だよね?」
確認するように、ヴァイシュナヴィーは言った。
「そ、そのはずだけど」
チャームンダーも、驚きを隠せなかった。
「お前たち、油断をするなっ!」
インドラーニーが激を飛ばす。
「はぁあああああああああっ!」
インドラーニーは鳥類の魔物目掛けて突進していく。「靂ッ!」
雷鳴が轟き、魔物たちは焼け焦げていく。
ヴァイシュナヴィーとチャームンダーも、奮闘していき、真一も襲いかかってくる魔物を蹴散らしていった。
「真一さま、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ? 手短に頼むよ」
「どうして、先程から足しか使っていないのです?」
そう聞かれ、真一は少し考えると、「母さんと約束したんだ。絶対に殴ってはいけないって。それから自分だけが助かればいいとは思わないことだってな」
チャームンダーは、少しだけ見せた彼の表情が不思議だった。
魔物を倒すたびに見せる表情は、哀れんでいるとしかいいようがない、複雑な表情。
この状況だからこそ、チャームンダーは真一の表情が不思議だった。
「チャームンダーッ! うしろっ!」
真一が叫ぶと、一拍置いてチャームンダーはうしろを振り返った。
魔物が羽根を広げるや、それをチャームンダーに叩きつける。
「きゃっあああっ!」
チャームンダーは吹き飛ばされるが、それを真一が受け止めた。
「だ、大丈夫か?」
「は、はい。すみません」
チャームンダーが真一の方を振り返った時だった。
「――えっ?」
真一は、呆気にとられたような声をあげる。
「どうかしたんですか?」
そう尋ねた次の瞬間、チャームンダーは自分の顔の異変に気付く。
「す、すみません。ちょっとむこうを向いてもらっていいですか?」
チャームンダーは慌ててフードを深々と被った。
「チャームンダー何をしてる?」
インドラーニーから激が飛ぶ。「ごめんなさい」
チャームンダーは気を取り直して、構えを取った。
魔物が一斉に彼女に襲い掛かる。
「切断双ッ!」
彼女の爪先から放たれた赤い一刀が、魔物たちの身体を切り裂いていく。
「私たちも続くぞ!」
インドラーニーが叫び、チャームンダーたちは咆哮をあげた。
「これでラストぉっ!」
真一が、最後の一匹を倒す。
「くそっ、かえってご報告だ」
離れていた魔物の一匹が、尻尾を巻くように逃げていく。
「追わなくてもよろしいのですか?」
「追って、どうにかなる相手じゃないだろ?」
真一がそう言うと、チャームンダーはヴァイシュナヴィーを見やった。
「鳥を見つけてもね、やつを追わせたら食われて殺されるのがオチよ」
と答えながら、ヴァイシュナヴィーはみんなに視線を向ける。
「たしかにな、では少し休んでから町に入るか」
「堂本さん、アンナさん、もう大丈夫だぞ」
岩場に隠れた二人に声をかける。
「みなさん無事みたいですね」
麻姫は安堵の表情を浮かべる。「これくらい平気だって」
「アンナ、少し休みたい」
インドラーニーにそう言われ、アンナはリュックからお茶のセットを取り出した。
町に着き、宿を取ったその日の晩のことである。
麻姫は、まだ慣れない異世界だったため、寝付けずにいた。
少し外の景色を見て、心を落ち着かせよう。
そう思いながら、宿屋の廊下を歩いていると、まるで小鳥の囀りのような、綺麗な歌声が耳に入ってきた。
――こんな時間にだれが?
そう思いながら、麻姫は歌が聞こえてくる場所まで近づいた。
月明かりで外は綺麗だった。外灯があるにはあるのだが、それでも光は弱く、気休めの道しるべになる程度だ。
麻姫は、広場のような場所に、自分と同じくらいの少女がいるのが目に入った。
目の前の少女は、袖がなく、脇腹までしかない黒のパンジャビドレスと、黒と赤の、鯨幕のような模様をしたガーグラを纏っていた。
印象的な赤い瞳に、褐色の肌。風でなびく長い白髪が月明かりに照らされている。
――この町の人かな。それにしても、すごく綺麗な人ですね。
そう思いながら、麻姫はずっと彼女の歌声を聴いていたかったが、睡魔に襲われそうになったため、自分の寝室へと戻っていった。
「いまのは……、麻姫さま?」
少女は確認するように、宿屋の方へと目をやった――。
◎
――破壊の国アワクルトから、想像の国スルジまでは、五百キロ以上もの距離がある。
その国境に、昔の日本でいう関所を兼ねた大きな町があった。名を『アッビシチ』と云う。
町の外れに大きな湖があり、そこから生活用水として各家や店に配水されている。そのため、アワクルトの町の中では一番繁栄していた。
「いらっしゃい、らっしゃいっ!」
行商人が甲高い声で客寄せをしている。
「おう、そこの嬢ちゃん、ちょっと見ていかんかね?」
行商人は行き交う人込みの中から一人の少女に声をかけた。――ニシュンバである。
彼女はサリーを纏っており、顔を露にしている。
「嬢ちゃん、どこかのお姫様かい?」
「――違いますけど」
「そうかい、そうかい。それじゃぁ、嬢ちゃんにはこれを安く売ってやろう」
ニシュンバの言葉にまったく聞く耳を持っていない行商人は、売り物からひとつ商品を手に取った。
金色のネックレスで、中心に口紅のような淡い朱色の宝石が加工されている。
「これは、ある業者仲間から受け取ったものなんだがなぁ、なんて云ったかなぁ」
行商人がうーむと唸り声をあげる。ニシュンバは買う気もないため、踵を返した時だった。
「だ、誰か……、誰かそいつを捕まえてくれ」
小さな人込みから声が聞こえ、ニシュンバがそちらを見やると、突然目の前に大きな男が現れ、ニシュンバとぶつかった。
男はその弾みに、行商人の手から宝石を奪い取っていく。「あ、わしの商売道具っ! 返しやがれこらぁっ!」
行商人が慌てた表情で、逃げていく男に怒鳴りつける。
「はぁ、はぁ……。だ、誰か、誰でもいい。あの男を捕まえてくれ」
男を追っていたのは、七十は過ぎているであろう、白髪の老人であった。
「ニシュンバ」
自分の名前を呼ぶ声が聞こえ、ニシュンバが声のした方に目を向けると、百九十はある長身の凛々しい顔立ちをした青年が立っていた。
「――兄さん」
ニシュンバが、目の前の青年をそう呼んだ。彼はニシュンバの兄、シュンバである。
「こんなところでなにをしている?」
シュンバがそう尋ねると、ニシュンバは跪いている老人を見やった。
「おやっさん、いったいどうした?」
心配になった周りの人間が、老人に声をかけた。
「あいつ、わしがいない間、店の売り上げを全部持っていきおった。それだけじゃない、あいつは、わしの大切な娘を――殺したんじゃ」
その言葉を聞くや、シュンバとニシュンバ以外の人間たちが言葉を止めた。
「それは本当か?」
「ああ、だからお願いじゃっ! あいつを、あいつを捕まえてくれ!」
老人は、怒りと悲しみで体を震わせ、慟哭した。
「――つまらん……、いくぞ、ニシュンバ」
シュンバはそう云うや、街の奥へと進んでいく。
ニシュンバは泣き崩れている老人を、寂しそうな表情で一瞥すると、そのままシュンバの後を追いかけていった。
「やっと着いた……。太陽何回昇ったっけ?」
「たしか五回くらいは昇ってると思います」
アッビシチに着くや否や、真一と麻姫はゼェゼェと肩で息をしていた。
「お二人ともお疲れさまです。私は宿の手配を致しますので、ここでお待ちになっていてください」
そう云うや、アンナは真一の傍にあった大きな革の鞄を軽々と持ち上げ、人が賑わっている方へと消えていった。
「だから、真一さまはご自分の荷物だ《、》け《、》を持てばよかったのです」
ヴァイシュナヴィーがあきれた表情で云った。
「いや、だってねぇ、あんなに重たいとは思わなかったわけで――」
真一はその場で、大の字になって倒れる。「あの小さい身体から、どんだけ力出てるんだ?」
ここまで真一の体力が消耗されているのには理由があった。
アンナが持ってきた野宿用のテントに食器やら食料やらで、荷物が他のものに比べると多く、それを見かねた真一が、アンナの手助けをしようとして、今から二時間くらい前から、代わりにその荷物を運んでいたのだが……。
「ありゃぁ、絶対大人ひとり分以上はある」
真一がそう愚痴をこぼした。
アンナは農業の女神といわれているアンナプールナーの末裔であり、力仕事はアワクルトの城一であったため、その能力と、日頃の運動も相俟って、六八キロ(日本の成人男性の平均体重)くらいなら、楽に持ち運べる。
因みに麻姫の疲労は、単に体力不足によるものであった。
「――宿が取れましたので、みなさん私についてきてください」
戻ってきたアンナが、真一たちを宿屋へと連れていく。
「お風呂入りたいですね」
「たしかにもう何日も入ってませんからね」
麻姫の言葉に相槌を打つように、ヴァイシュナヴィーがそう云った。
「シュナヴィー、宿に着いたら城に連絡しないと」
インドラーニーがそう言うと、ヴァイシュナヴィーは頷いた。
「どうかされたのですか?」
「――えっ?」
真一は一瞬ドキッとした。うしろから声をかけられたからである。
その声の主がチャームンダーであるとわかるや、安堵の表情を浮かべた。
「いや、そろそろ大きなイベントでも起きてもいいんだけどなと思って」
「……イ《、》ベ《、》ン《、》ト《、》ですか?」
チャームンダーは、真一の言葉を聞き返しながら首をかしげる。
「旅の途中、魔物が襲ってきてはいたけど、隊長みたいなやつは出てきていない」
「たしかにそうですね。インドラーニーが不思議がっていましたよ。私たちがスルジに向かっていることを知っているのだったら、なぜそれ以上の力を持っている魔物を送り込まないのかって」
『たしかにそうなんだよな』
真一は、みんなと歩きながら、町の様子を見渡していた。
「ここは国境って云ってたけど、目的地はまだ先なんだろ?」
「はい。国境の門はすぐ近くですが、スルジの城までは三日ほどかかりますね」
チャームンダーの言葉に、真一はげんなりとする。「結構遠いんだな」
「……ッ!」
ふと、遠くから人の声が聞こえた。
「でも道は整備されていますから、アクワルトの城からここまでの道のりを考えると、幾分楽だと思いますよ」
チャームンダーの説明を聞きながら、真一はゆっくりと周りを見渡す。
その表情は警戒しているように険しい。
「どうかしたの?」
真一の様子に気付いた麻姫たちも足取りを止める。
「今、悲鳴みたいなのが聞こえなかったか?」
「悲鳴? いいえ、聞こえませんでしたけど」
ヴァイシュナヴィーが首をかしげると、麻姫たちもそれに同意するように頷いてみせた。
「いや、たしかに……あっちの方だ」
云うや、真一は人込みの中へと消えていった。
「真一さま、待ってください。アンナとシュナヴィーは麻姫さまをお願い」
チャームンダーはそう言うと、インドラーニーに視線を送り、二人は真一を追いかけるように人込みへと消えていった。




