7 混迷
翌日、帝国軍の騎士がクランを訪れた。なんと帝国軍が向かった魔獣の巣窟で、騎士たちは魔獣に太刀打ちできず探索を断念したというのだ。それで、クランに要請を依頼してきた。
ヴェイは舌打ち交じりに髪を掻きまわした。
「どうするんだよ、おい。帝国軍ももう少しやると思ったんだがなあ」
ルーヴは腕を組み、報告に来た騎士に問いかけた。
「奥には到達したのか?」
「はい、最深部までは到達しましたが、そこにいた魔獣にまるで歯が立たず・・・・・」
「なら、祠があるのを見なかったか?」
その問いに騎士は頷いた。
「ありました」
ルーヴはヴェイと顔を見合わせる。
「仕方がない、行くしかないな。だが・・・・・」
「ディークの調子は戻ってねえ。連れていくのは無理だ」
シルヴァスがそう言う。キーファが複雑な顔で俯いた。
「それに、アシュレイは・・・・・」
「ああ。あいつを祠に近づけないほうがいいな」
と、彼らの背後で足音がした。振り向くと、アシュレイが立っていた。
「アシュレイ・・・・・・」
「僕は行きます」
アシュレイは短くそう告げた。声に、いつもの優しさはなく、ただ冷たいだけだ。
「貴方達がゼクトと何を話したのか知りません。それでも僕は行きますよ。それに・・・・貴方達に、あそこにいる魔獣が倒せるのですか?」
誰も何も言い返せない。アシュレイが言っているのは確かなことだ。反論できないのと、アシュレイの変化に誰もが言葉を失っていた。
「・・・それでお前は、祠を壊すのか?」
ヴェイの言葉に、アシュレイが頷く。
「破壊することで魔獣は弱体化し、ずっと倒しやすくなる。良いことではありませんか」
「それにより、お前も力を増す。―――お前の目的はどっちだ? 魔獣を弱らせることか? それとも、力を得ることなのか?」
アシュレイは笑みを浮かべた。
「さあ・・・・・どちらでも良いでしょう」
そう言って、アシュレイは歩み去った。
シルヴァスがぐっと唇を噛んだ。親友の豹変ぶりには唖然とするが、止められない自分が情けなかった。と、天幕の中からふらっとよろめきつつディークが出てきた。ヴェイが驚いて目を見張り、シルヴァスが駆け寄る。
「ちょっ、まだ起きんなよ!」
「いや・・・・私も行かせてください」
ヴェイはきっぱり首を振った。
「お前は駄目だ。絶対に駄目」
「お願いします。・・・・・嫌な予感がする。その時に、少しでも役に立てれば・・・・・」
ディークはがくっと膝を折った。シルヴァスが支える。
「大丈夫かっ」
ディークは顔を上げ、真っ直ぐにヴェイを見つめた。
「お願いします、ヴェイ。・・・・・連れて行ってください。アシュレイの危機なんだ」
ヴェイはしばらく黙っていたが、やがて困ったように溜息をついた。
「無理はするなよ」
ディークはほっとしたように頷いた。それからシルヴァスに支えられて立ち上がる。
「とりあえず、まずは帝都へ向かいましょう。帝都の北にもう一つの祠がありますから」
ルーヴが説明する。ヴェイは頷き、クランメンバーに出発を呼びかけた。
★☆
アルシャインがいるリぺラージ大瀑布から見ると、帝都エリンシルは真逆に位置する。日数にして10日はかかる。最短の道を行くと、無人の湿地帯が続く。魔獣が凶暴なことで有名な場所だが、躊躇はできなかった。
「・・・・・はあ。こんなじめじめした所を5日くらい進むなんて、考えただけで嫌だよお」
ユーリッドが溜息をつき、セレニアも髪の毛をいじった。
「ほんと、もう湿気で苛々するわ」
「女の子って大変だね」
「何よ、あんただってその癖っ毛、酷いことになってるわよ」
キーファが呆れたように呟いた。
「あのふたり、どんなに緊迫した状況でもああやってふざけ合うんだろうな」
いつもだったら相槌を打って苦笑するアシュレイは、何も言わずにただ歩を進めている。と、ユーリッドがアシュレイを振り返った。
「ねえアシュレイ、僕癖っ毛なんかじゃないよね?」
少しでもアシュレイがいつものように反応してくれるようにと、ユーリッドは願っているのだ。しかしアシュレイはユーリッドを一瞥しただけで顔をそむけ、
「・・・・・どうかな」
と呟いただけだった。ユーリッドが肩を落とす。と、アシュレイが剣の柄に手を置き、身構えた。一瞬遅れてヴェイも気づいた。
「気をつけろ! 魔獣のお出ましだ」
ヴェイが注意を促すのと同時に、傍にあった背の高い草の中から、鳥型の魔獣が飛び出した。上空から人間たちを馬鹿にするようにけたたましく鳴いてみせる。
「挑発してんの!? 良い度胸じゃない、魔獣のくせに」
「で、でも・・・・あんなところに攻撃届かないよ?」
「あたしやあんたの銃なら届くでしょうが! ほら、引きずり下ろすわよ!」
セレニアが魔術の詠唱を始める。ユーリッドも銃を構え、引金を引いた。
しかし魔獣は軽々とセレニアの魔術もユーリッドの銃も避けてしまう。他の仲間も遠距離攻撃をするが、どれも避けられてしまう。少しでも動きが止まらなければ、接近戦を得意とする剣士たちは手が出せない。
と、一枚の術符が飛来した。ヴェイがはっとした瞬間、その術符は魔獣の翼に張り付いた。その直後に激しい電撃が襲い、魔獣は一瞬その場に停止した。
アシュレイが目を閉じ、剣を水平に構えた。剣が紅く光りを放つ。その瞬間、アシュレイは剣を魔獣に向けて一閃させる。
祠で使ったのと同じ、紅い真空波が魔獣を直撃した。魔獣は声を上げ、地面に落ちた。
メンバーが歓声を上げる。当のアシュレイは何も感じていないかのように無感情だった。
「アシュレイ、やったね!」
ユーリッドが敢えて明るく、いつものように拳を突き出す。恒例の合図を交わしてほしかったのだ。
だが、アシュレイは何も言わずに剣を鞘に収めると、ユーリッドの傍をすれ違って歩み去ってしまった。ユーリッドが腕を降ろす。と、アシュレイの行く手に立っていたセレニアがアシュレイを見やる。
「・・・・・ちょっと、アシュレイ。あんた、一言くらいなんか言いなさいよ。ユーリッドが気を使ってるの、分からないの?」
アシュレイはセレニアを軽く睨みつけた。恐れ知らずの少女であるセレニアが、思わず足を引いてしまうほど鋭い視線だった。
「・・・・・僕に構うな」
アシュレイはぼそっと呟いて歩を進めて行った。
術符を投じたディークは激しく呼吸を繰り返した。ずっと傍にいたシルヴァスがディークを支える。
「熱だってまだ下がって無かったんだ、無茶に決まってる」
「お前も無茶が好きだな」
ヴェイが溜息交じりにそう言った。ディークは笑みを浮かべた。
「お互いさまでしょう」
「だが助かった。ありがとな、ディーク」
「やめてください・・・・・今更そんな言葉、貴方には似合わない」
ヴェイもふっと笑みを浮かべた。
「よし行こう。・・・・アシュレイが妙な行動をとらない内にな」
ディークも頷いた。
湿地帯は5日で抜け、そこからは広大な帝都平原にでた。ここからは整備された街道があるので、ずっと歩きやすかった。
帝都へまっすぐ伸びる一本の道。そこに、東へ向かう分岐点があった。その道の先には鬱蒼とした森。アシュレイには見覚えがあった。休憩中だったアルシャインから離れ、分岐の道に立つ。
「この道・・・・・」
―――お前の生まれ故郷への道だ。行くのか?
「うん・・・・」
アシュレイは頷き、その道を進み始めた。ゼクトが呟く。
―――故郷の惨状を目にしたほうが、憎しみも増すというものか。
アシュレイがいなくなったことに気付いたのはルーヴだった。彼はアシュレイの動向を常に見張っているので、すぐ気付いたのだ。
「休憩なんて必要ない、と・・・・・ひとりで祠まで行ったのでしょうか」
ルーヴが眉をしかめて言うと、ヴェイとディークは顔を見合わせた。それからヴェイは首を振る。
「いや、違うな」
「ではどこに?」
「・・・・心当たりはある。みんな、先へ帝都に行ってくれ。すぐディークと追いつく」
ルーヴはしばらく黙っていたが、そのうち頷いた。
「気をつけてくださいよ」
アルシャインはヴェイとディークを残して帝都へ向かって出発した。ヴェイはディークを見やる。
「アシュレイは・・・・・やっぱりあそこか?」
「そうだと思います」
二人の足は同じ方向へ向く。帝都の東、いまは亡きアシュレイの生まれ故郷、リラの街へ。
リラの街はもともと森の中にあった街で、今は街らしき痕跡すら残っていなかった。木々に覆われ、そのさなかに、ヴェイとディーク、アシュレイが建てた全住民の墓があるだけだ。
アシュレイはひとつの墓石の前に崩れ落ちた。激しく息を吐き出しつつ、その墓石にそっと触れる。
「・・・・・父、さん・・・・・母さん・・・・・」
アシュレイがぼそっと呟いた。
なぜ足がこちらに向いてしまったのか―――アシュレイ自身にも分からない。
「僕にはもう・・・・失うものなんて、自分の命くらいしかないんだ。魔獣を狩るくらいしか・・・・できない」
その時、ヴェイの姿が蘇った。暗い、冷たい雨の降る日だった。無理をしたアシュレイを庇い、ヴェイが魔獣の攻撃をまともに浴びたのだ。
『ヴェイ! どうしてそんな無茶・・・・・僕なんかを庇って!』
ヴェイの左目からは大量の血が流れ、さながら血の涙といった様子だった。ヴェイはそれでもにっと笑い、アシュレイの頭に手を置いた。
『守るっつったろ? 俺が、命に代えても守る』
『ヴェイ・・・・・』
『最近のお前は、自分の命を粗末に扱いすぎだ。だからこんな風に突出して危険になる。辛いときは頼っていいから、お前も誰かのために生きてみろ。案外、幸せなもんだぜ? 自分が誰かのためになれるってのはな』
アシュレイは沈黙していた。ヴェイはアシュレイの頭に乗せた手を動かし、金色の髪の毛をくしゃくしゃにした。
『俺の左目でお前の命が助かったんだ。安いもんだよ』
耐え切れず、アシュレイはヴェイに縋り付いて泣いた。その時アシュレイは思ったのだ。魔獣を倒すことなんて二の次だ。僕はヴェイのために戦って、生きる。ヴェイに生かされた命を大切にしよう。そう誓った。
硬直して動かないアシュレイの様子に、ゼクトが不審げに尋ねた。
―――アシュレイ、何を考えている?
「ゼクト・・・・・僕は、もう、お前に協力したくない・・・・・」
―――何を言っている・・・・?
「僕は・・・・・みんなを、傷つけたくない・・・・このままじゃ、僕は・・・・・大切な人を裏切る。決めたんだ・・・・・ヴェイが僕を大切に思ってくれる限り、僕は・・・・ヴェイのために生きると」
アシュレイはゆっくりと剣を引き抜いた。その剣先を自分の首にあてがう。
「お前はヴェイの邪魔になる。僕の身体にお前が宿っているのなら・・・・・僕自身ごと、お前を滅ぼしてやる」
―――・・・・・! やめろ、アシュレイ!
アシュレイが首に剣をあてた。その瞬間、その腕を強い力で掴まれた。
「アシュレイっ! 馬鹿な真似はよせ!」
ヴェイとディークだった。アシュレイの腕から力が抜け、剣が地面に落ちる。身体も後方へのけぞった。
ヴェイがアシュレイを抱き起こす。アシュレイは目を閉じていた。脳裏で響くゼクトの声を聞いていたのだ。
―――良いのか? 私に協力していれば魔獣を倒せる。魔獣が憎いのだろう?
アシュレイは目を開けた。ヴェイの姿は、まったく見えていなかった。
「・・・・憎い・・・・魔獣は・・・・・許せない」
アシュレイは熱に浮かされたかのようにぼうっと呟いた。その瞳から涙がこぼれた。ヴェイも目を見張る。
「アシュレイ・・・・・?」
そこでようやくアシュレイはヴェイに気づいた。首を動かし、ヴェイを見やる。
その瞳は紅かったが、彼本来の優しさが現れていた。
「ああ、ヴェイ・・・・・・」
「お前・・・・・元に戻ったのか・・・・・!?」
「アシュレイ!」
ディークも呼びかける。アシュレイはぐっとヴェイの手を掴んだ。
「ヴェイ・・・・・助けて・・・・・助けてください・・・・・・」
「助ける・・・・・?」
「もう僕は、自分の意思ではどうにもならない・・・・・みんなを、傷つけてしまう・・・・・だから、お願いです・・・・・いま、ここで・・・・」
そう言って、アシュレイは意識を失った。ヴェイはディークを見やった。ディークも首をかしげる。
「・・・・本当に正気に返ったか、あるいは・・・・・狂気のさなかで、本来のアシュレイが僅かに意思を取り戻したか・・・・・どちらかですかね」
「・・・・・アシュレイは苦しいんだな。自分の意思でこんなことをしている訳ではない・・・・・・」
「・・・・・憎み続けるのは、とても苦しいことですからね。アシュレイはそれに気づいていた。思い出させることができるのはヴェイしかいません。・・・・もう一度、思い出させてあげてください」
「・・・・ああ―――助けるさ。助けてやるから、もう少し頑張ってくれ、アシュレイ」
ヴェイは頷き、アシュレイを背負いあげる。
「さあ行くぞ」
ヴェイは立ち上がり、ふと墓石を見やった。そして、ぼそっと呟く。
「・・・・息子のことは俺に任せてくれ。絶対に助けるからな」
そう言って、ヴェイはリラの街を後にした。