3 傀儡
巨大魔獣を倒した後は再び通常の魔獣狩り生活に戻ったが、あちこちからある声が上がった。
「首領! 討伐に向かった第6隊、劣勢に追い込まれています! 増援を!」
対応に追われているヴェイは頭をかき、声を張り上げた。
「キーファの第1隊を連れていけ!」
「外に魔獣の大軍が出現! 首領、お願いします!」
「分かった、すぐに行くっ! まったくなんだ、いきなり魔獣が活性化しやがったな」
ディークも頷く。彼はいつものように冷静だ。
「これまでとは比べ物になりませんね。それに、全体的に強くなっているようです」
「ああ、こっちの被害も洒落にならん。帝国軍は何をしてやがる。早く原因を突き止めろってんだ」
ヴェイは毒づきつつ、愛刀「飛燕」を手に走り出た。
キーファ、アシュレイ、セレニア、ユーリッドは草原で戦う仲間と巨大な鳥の魔獣を見つけた。アシュレイがすっと目を細める。
「魔獣・・・・・」
そう呟きつつアシュレイは剣を抜いた。キーファも剣を抜き放つ。
「セレニア、ユーリッド、お前たちはいつものように援護だ! アシュレイ、行くぞ」
「はい!」
アシュレイが答え、2人同時に跳躍した。
セレニアの巨大な炎が魔獣を包み込む。魔獣は翼を一振りし、その炎を振り払う。そこへユーリッドが銃を絶え間なく連射し、鳥の動きを牽制する。
「キーファさん、僕に一撃をやらせてください」
「ああ、分かった。隙を作ってやろう」
キーファが頷いた。
キーファの剣が唸る。アシュレイのものよりいくらか幅広の剣身が鳥を一撃し、ついでアシュレイが鳥の真上から剣を構えて降下し、頭上から魔獣を両断した。地上に着地すると、後を追うかのように魔獣が地面に落ちる。
苦戦していた仲間内から歓声が上がる。ユーリッドが駆け寄ってきて、アシュレイと半ば儀式化した拳を打ちかわす。これは毎回戦いに勝利するとユーリッドとやる合図だった。
「お手柄だな、アシュレイ」
キーファが大剣を鞘に収めた。
「いえ、キーファさんの援護が良かったんですよ」
「けど、アシュレイもなんか積極的になったわよね。今まで自分からとどめを刺そうなんてしなかったでしょ」
アシュレイは味方の援護に徹するのが常だったのだが、最近では積極的に攻撃しようとしている。
アシュレイがぐっと握った拳を見つめた。その瞳が冷たく光るのを、長く戦ってきた仲間たちは見逃さなかった。
「魔は狩るもの・・・・僕がそうすると誓ったんだ。魔獣を狩って、恨みを晴らす・・・・・!」
「あ・・・・アシュレイ・・・・・?」
ユーリッドがおずおずと声をかける。アシュレイは目を閉じ、顔を上げた。そして開けた瞳には、いつものような暖かな色があった。
「―――え? 何か・・・・言った?」
ユーリッドはきょとんとし、それから首を振った。
「う、ううん。何でもないよ。そ、それより・・・・・お腹空いたなあ。アシュレイ、早く帰ろ?」
あからさまにユーリッドが話題を変え、アシュレイの手を引っ張っていく。キーファも険しい顔つきをしていたが、何事もなかったかのように顔を上げた。
「そうだな、すぐに戻ろう。まだまだ魔獣は尽きなさそうだからな」
「あ・・・・はい」
アシュレイが頷き、剣をようやく収めた。
★☆
ひそかにアシュレイを数日間見張っていたディークが、深夜にヴェイの天幕を訪れていた。
「・・・・アシュレイの様子はどうだ」
ヴェイが低い声でそう尋ねる。ディークは腕を組んだ。
「・・・・戦いに、いえ、魔獣の話になると急に性格が豹変しています。その時のアシュレイは私たちが見たこともないような、冷酷な雰囲気でした。なんというか・・・・人間らしい雰囲気が失せてしまったようで」
珍しくディークの歯切れが悪い。ヴェイは眉をひそめた。
「・・・・やはり何かに憑依されていたりするのか。あの時、森で」
「私の知識は乏しいので何とも・・・・アシュレイをどうするつもりですか、ヴェイ」
ヴェイは沈鬱な表情で顔を上げた。
「クランの秩序を乱すような奴や足手まといになる奴は、俺は容赦なく切り捨ててきた。アシュレイがもしも俺たちにとって障害になるのなら、俺はアシュレイを止めねばならん」
「・・・・・」
ヴェイの『止める』が、『斬る』ことだということを、ディークはすでに知っていた。ヴェイは額に手を当てた。
「だがな・・・・・無理なんだよ。アシュレイは実の弟、いや息子みたいなものだ。俺らしくもない、斬れそうにないんだ」
「アシュレイに限らず、あなたは元々斬れない人でしょう」
断言するディークを見やり、ヴェイは問う。
「お前はどうなんだ、ディーク。アシュレイといた時間は俺と同じだ。お前はその術符で、アシュレイの息の根を止められるのか」
ディークは躊躇いつつも、顔を上げ、はっきりと答えた。
「そうすることで、たくさんのものを守れるのなら。私は業を背負う覚悟はできています」
ヴェイは沈黙した。ディークは安心させるように笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。アシュレイは私たちに剣を向けてはいません。いまは見守っていましょう」
「・・・・そうだな。ディーク、悪いが引き続いてアシュレイを見ていてくれ」
「分かりました」
ディークは頷いた。
そのころアシュレイはあてがわれた天幕の中で、拠点の砦から持ってきた荷物を広げていた。同居のシルヴァスはまだ仲間の治療があるようで、戻ってきていない。
包みの奥に、一枚の紙が入っていた。常に持ち歩いていた、一枚の絵だ。
黒いペン一色で描かれた、独特の絵である。色はないのに、そこに映し出された風景が手に取るようにわかる。
燃える家々、逃げ惑う人、牙をむき出す魔獣―――これはアシュレイが故郷を失ってヴェイと出会ってすぐに、彼本人が描いた絵だった。あの惨劇を忘れないようにと、アシュレイは記憶を形にした。
―――私はお前の憎しみ、怒り、悲しみがよく分かる。行き場のない感情をどこにぶつければいいかわからず、結局心のうちにため込んでしまっていることも、私は知っている。
ゼクトがそういった。アシュレイは首を振る。
(お前に僕の何が分かる・・・・・・)
―――すべてが。お前が、人々を守るという大義名分のもと、意味を持たず魔獣を狩る日々に飽いていたのも、知っている。
どきりとした。そう、それは真実。彼らは、そこに「いる」というだけで害を及ぼすとされ、人に殺されていく―――放っておけば被害が出ると分かっていても、理不尽に思えて仕方がない。魔獣にさえ同情するアシュレイの優しさが、弱さでもある。
―――お前ほどの剣の使い手が、意味もなく剣を振るってはつまらないだろう。お前に意味と強さを与えてやる。
(な、に・・・・・?)
―――魔獣を狩る意味。それは・・・・・復讐だ。家族と生活を奪った魔獣に制裁を加えよ。魔獣を倒せば倒すほど、お前は力をつける・・・・。
アシュレイは床に膝をついた。床に敷いた毛布の上に、絵が落ちる。
(復讐・・・・そうか・・・・僕は、本当は魔獣が憎くて仕方がなかったのか・・・・・だから最近、手応えがなくて・・・・つまらなかったんだ)
―――そうだ。お前の心に気付いている者は、私以外にいない。お前の恩人であるあの剣士でさえ、所詮は他人。お前のことなど、殆ど把握していない。私だけが、本当の意味でただ一人の理解者だ・・・・。
アシュレイの身体を赤い光が包み込んだ。アシュレイは虚ろな目で虚空をぼんやり見つめている。
ゼクトの言葉が心地よく頭に響く。彼に従えば、すべてが良くなる―――この虚無感も、脱力感も、きっとそのうち癒えてくれる―――。
(ゼクト・・・・・僕は、何を・・・・・何をすればいい・・・・?)
おそらくにやりと笑っただろう、ゼクトは愉快そうに言った。
―――魔獣を倒せ。人よりも多く、誰よりも早く。以前と変わらぬと思うかもしれないが、しばし待て。いずれ、その行為の理由が分かる・・・・・
アシュレイを包んでいた赤い光が消えた。アシュレイはそのまま毛布の上に倒れこむ。
ゼクトに従う―――それが傀儡であると理解しながらも、もう逆らえなかった。
★☆
その翌日、アシュレイとヴェイは剣を交えていた。いまは依頼もなく、僅かだが魔獣の襲撃は収まっている。その僅かな時間に、久々にふたりは剣の稽古をしていたのだ。
ヴェイの刀が一閃する。抑えきれず、アシュレイは地面にたたきつけられた。
ヴェイが手を差し出す。それを掴みながら、アシュレイは苦笑した。
「・・・・やっぱり、ヴェイには敵いませんね」
「ははっ。まだまだ最強の座は譲らないぞ」
立ち上がったアシュレイはふっと息をついて目を伏せた。
(でも、魔獣じゃないとつまらないな・・・・・)
そう思ってから、はっと我に返った。
(―――いま、何を考えた? 魔獣を倒すことが楽しいだなんて)
自分が怖くて、恐ろしくなった。するとすかさずゼクトが言った。
―――迷わずとも良い。お前の両親を奪った存在に慈悲を与えるなど、それこそ恐ろしいことだ。魔獣を倒すのだ。
(そう・・・・・か)
意識が麻痺してくるような感覚だった。アシュレイの意思が良心へ傾く寸前に、必ずゼクトはアシュレイの思考を魔獣を憎むことへ引き戻す。
すでにこのとき、アシュレイは自らの意思を半ばゼクトに操られて封じられていた。
そこへディークが来て、ヴェイと言葉を交わしているのにも気づかなかった。
「ヴェイ、帝国軍の使者が来ました」
「帝国軍か。やっと動く気になったな」
ヴェイはぼんやりと佇んでいるアシュレイを振り返った。
「アシュレイ、お前も来い」
「・・・・・あ、はい・・・・」
アシュレイは顔を上げて頷いた。
天幕にはひとりの騎士がいて、ヴェイを見て立ち上がり、丁寧に敬礼を施した。クランへの要請を伝えに来る騎士はいつも同じ彼だったので、アシュレイでも面識があった。ヴェイは素っ気なく頷きつつ、椅子に座った。
「で? 帝国のお偉いさんは、俺たちに何をしろと?」
その物言いにも慣れたのであろう、騎士は頷いた。
「近頃、魔獣の動きが活発になり、街や住民への被害が大量に発生しています。このことで皇帝陛下は、事態の収拾を決定されました。そのためにクラン『アルシャイン』の協力を仰ぎたいのです」
ヴェイは腕を組んで黙っている。
「首領殿が、帝国との共同戦線を好んでおられないのは、こちらとしても重々承知しております。しかし、このままでは帝国全土が魔獣によって破壊されてしまいます。どうか、力をお貸しいただけませんか」
ヴェイは後方に佇むディークを見やった。
「どう思う?」
「・・・・魔獣の被害が増えるのは、我々としては儲けものですが、喜べることではありませんからね。請けるべきでは?」
「アシュレイは?」
問われたアシュレイは、閉じていた目を開けた。
「僕も請けるべきだと思います。・・・・魔獣は倒さなければ」
ディークが眉をひそめた。しかし、何も言わない。ヴェイも頷いた。
「そうだな・・・・・よし、引き受けよう」
ヴェイの答えに騎士は思わず破顔し、深く頭を下げた。
「有難う御座います。では、数日のうちに詳しいことをお知らせに別の者が訪れます。それまで、少しお待ちください」
そこからはヴェイと騎士の話になったので、ディークとアシュレイは外に出た。
―――好都合ではないか。これで堂々と魔獣討伐ができるというものだ。
(そうだね・・・・存分に仇が討てる)
アシュレイが目を閉じると、ディークが声をかけた。
「アシュレイ」
「・・・・なんですか?」
振り向くと、ディークは複雑な顔をしていた。しかし、まっすぐアシュレイを見据えている。
「ディークさん・・・・?」
「魔獣が憎いか」
そう問われたアシュレイの思考が凍りつく。自分の意思とは関係なく、アシュレイは頷いていた。
「当然です。僕は魔獣に両親を殺された・・・・魔獣に良い思い出がある人間などいないはずです」
言葉の調子も、いつもよりきつくなった。自覚はあるが、疑問には思わない。当然のことだと認識している。
「それはそうかもしれない。だが、最近のお前は・・・・・」
言いかけたディークは一度首を振ると、アシュレイを射抜くような目で見つめた。殆ど、睨むような目つきだ。
「最近のお前はどうもおかしい。・・・何があったんだ?」
アシュレイはふっと笑みを浮かべた。その笑みはディークが見たことがないほど、冷たい刃のようなものだった。
「何もありませんよ」
「アシュレイ・・・・・・」
「何も・・・・僕はいつも通りです」
アシュレイは踵を返すと、そのまま歩み去った。ディークは不安げに、その後ろ姿を見送った。