2 同化
翌日には、前日までのだるさが嘘のようにアシュレイの身体は軽かった。シルヴァスが目を見張るほどの回復力だ。
アシュレイが久々に天幕の外に出ると、横合いから声がかけられた。
「アシュレイ、もう起きていいのか」
声の方向を見ると、そこにヴェイが佇んでいる。アシュレイはヴェイに深く一礼した。
「ご心配をおかけしてすみません、首領・・・・もう平気です」
「こら。何度言えば分かる、俺のことは名前で呼べ」
「あ、は、はい・・・・ヴェイ」
他のクランメンバーの誰ひとりとして名で呼ばせないヴェイだが、片腕のディークと弟子であるアシュレイだけは別だった。ヴェイは特別アシュレイを可愛がっているからこそそう言うのだが、長い付き合いであるにもかかわらずアシュレイの中にはまだ「帝国一の英雄」という認識が強く、どうしても強張ってしまうのだ。最も、昔は普通に名で呼んでいたのだが。
「お前とは10年以上の付き合いなのに、堅苦しさは一向に抜けないようだな。それどころじゃない、お前はクランの立ち上げ初期メンバーのくせして、後輩たちになんて腰の低さだ」
ヴェイは面白そうに笑った。アシュレイは頭を掻いて困ったように首を捻った。
「まあ、それがお前の美徳なのかな」
「僕はヴェイに恩を返したくて、ここでお世話になっているだけですから。行く場所もない僕を助けてくれた恩を・・・・・」
魔獣に両親を殺され、たった独りになって瀕死の状態にあったアシュレイを救ってくれたのは、まだクランを設立する前のヴェイだった。その頃ヴェイにつき従うのはディークだけであり、幼いアシュレイはふたりに可愛がられ、また苛められながら共に旅をしてきた。アシュレイはそのことに深く恩義を感じており、「強くなりたい」といってヴェイに剣術を習い始め、クランのメンバーとして生きることを決意したのも、ヴェイたちの助けになりたかったからである。
―――本当にそうか? 恩を返したいというだけで、お前は魔獣を狩り続けているのか?
声が聞こえ、アシュレイは目を見張って硬直した。
(どういう・・・・・意味)
内心でそう問い返すと、僅かに笑った気配が感じられた。
―――お前にとって魔獣狩りは、道楽のひとつではないのか?
(違う! 違う・・・・・! 僕は楽しんでなんかいない!)
アシュレイは頑なにそう否定した。ヴェイは葛藤しているアシュレイの様子に気づくはずもなく、先ほどの話題を続けている。
「本当にお前は堅苦しいなあ・・・・・」
ヴェイが肩をすくめたとき、キーファが駆け寄ってきた。
「首領!」
「なんだ?」
「近くに巨大な魔獣が出ました!」
その報告にヴェイは顎を摘まんだ。
「魔獣との遭遇はいつものことだろう。そんなに慌てるなんざ、らしくないじゃないか、キーファ」
「いえ、それが普通の魔獣とは何か違くて・・・・とにかく強いんです。他のメンバーはすでに戦っています」
ヴェイは手を降ろし、頷いた。
「分かった、すぐ行こう。・・・アシュレイ、来られるか」
「・・・・・は、はい」
アシュレイは頷いた。ヴェイが踵を返して走りだす。そのあとを追いながら、キーファがアシュレイに声をかける。
「アシュレイ、もう身体は平気なのか」
「大丈夫です」
「なら良いが、無理はするなよ」
「分かっています」
ヴェイはこういう言葉をかけない。「言わなくても分かっているだろう? もし無理したら承知しないからな」と視線が語るだけだ。
野営地を抜けて少し離れたところに、巨大な熊のような魔獣が立ちはだかっていた。見上げるほど大きい。何人ものメンバーが挑んでいるが、その度に長い手足で吹き飛ばされる始末だ。
「ほう、確かにこいつはでかい」
ヴェイが刀を抜きはなつ。ヴェイの名が上がれば必ずこちらも上がる、ヴェイの象徴である刀「飛燕」である。
遅れて駆けつけたディークがヴェイの隣に立つ。ヴェイはちらりとディークを見やった。
「行けるか」
「勿論」
「よし、じゃあ頼む」
ディークは懐から術符を抜きだした。それを魔獣に向かって放つ。4枚の術符が4方から魔獣を取り囲んで空中で静止する。
『―――閃』
目を閉じたディークは一言、魔道語でそうつぶやいた。そして次の瞬間、強大な電流が術符から放たれ、魔獣を一撃した。
ディークは「符術師」と呼ばれ、セレニアのような「魔術」とはまた違う、術符という札を用いて戦う。その威力の強さは「アルシャイン」一だ。もともと符術とは古代文明の遺産だったのだが、どうやってかディークはその技術を復活させたのである。それだけで、彼がどれだけの知識を持ち、またどれだけの魔力を秘めているかが分かる。セレニア曰く、「あたしなんてディークの前じゃ石ころ」、だそうだ。
ディークの術符で動きが止まった瞬間を見計らい、ヴェイが跳躍し、大きく刀を一閃させた。
閃光が目に見えるほどだった。魔獣は地響きを立てて横転する。その傍に着地したヴェイがにっと笑みを浮かべる。メンバーが歓声を上げ、手を叩いた。ディークもほっと肩の力を抜く。
その中でアシュレイだけが険しい顔をしていた。そしてはっと顔を上げ、叫んだ。
「―――まだ! まだです、ヴェイっ!」
ヴェイが反応するより一瞬早く、魔獣の腕が唸った。
ヴェイが吹き飛ばされる。ディークが風の術符を投じ、なんとかヴェイは無事だったが、同じように吹き飛ばされた何人かが地面に倒れる。吹き飛ばされたセレニアを庇い、ユーリッドが下敷きとなって地面に倒れた。セレニアが起き上がり、ユーリッドを抱き起こす。
「ユーリッド! 大丈夫?」
「いったあ・・・・・うん、大丈夫だよ。怪我ない?」
大丈夫と言いつつ、ユーリッドはかなりの傷を負っていた。魔獣の追撃をキーファが食い止め、押し返しながらユーリッドに叫ぶ。
「ユーリッド! お前は退け!」
「・・・・ご、ごめんなさい・・・・」
ユーリッドがよろよろと立ち上がり、後方へ下がる。代わりにセレニアが前に進み出て身構えた。そこへアシュレイも駆けつける。
「アシュレイ! もう平気なわけ?」
セレニアがそう問いかける。アシュレイは僅かに笑みを浮かべて頷き、魔獣を見据えた。
「セレニア、一発頼む」
アシュレイの声に応じ、セレニアが詠唱を始める。
『焼き尽くせ、灼熱!』
業火が現れ、魔獣を呑みこんだ。アシュレイは地面を蹴り、剣を振り上げた。
確かな手ごたえ。よし、と思ったその瞬間、アシュレイの身体も吹き飛んでいた。受け身を取り、姿勢を低くして着地する。魔獣はよろめいてすらいなかった。
(どうして、いつものように斬れない・・・・?)
アシュレイの斬撃をものともしない魔獣はいない。魔獣が強いのか、まだアシュレイの調子が戻っていないのか。
その時、再び声が聞こえた。
―――さあ、思い出させてやろう・・・・アシュレイ。お前が剣を学んだのは恩返しである前に、魔獣に対する憎しみだったはずだ。
激しい頭痛が襲う。脳裏で、ある記憶がよみがえった。
自分の中で、封印していたはずの忌まわしい記憶―――あの日、アシュレイは闇の中に放り出された。
―――『アシュレイ、逃げろ!』
父が叫び、母が身を呈してアシュレイを庇う。その瞬間にふたりは魔獣の鋭い爪に斬り裂かれていた。
―――『父さん、母さんっ!』
アシュレイは叫んだが、魔獣は標的をアシュレイに定め、そして抵抗できない少年を易々と斬った。
―――『おい、どうした? 何があった』
攻撃を受けていったいどれほど意識を失っていたか分からないが、そう尋ねてアシュレイを抱き起こす男性の声で、アシュレイは意識を取り戻した。目に入ったのは全身黒衣に身を包んだ男性だった。この時の彼の左目は、まだ黒く輝いていた。
アシュレイは視線を動かし、少し離れたところに両親が倒れて息絶えているのを見つけた。その瞬間に涙があふれ出し、少年の頬を流れ落ちた。
―――『魔獣の群れが、街を襲って・・・・父さんも母さんも、みんなが・・・・・』
―――『・・・・そうか。辛いものを見たな』
アシュレイの幼い心の中で、ある思いが急速に膨らんだ。
―――(許さない。魔獣をこの手で殺してやる。父さんと母さんの仇を取る・・・・・! 魔獣なんて存在しなくてもいいんだ。全部・・・・全部、殺してやる)
その冷たい決意を察したか、男性は提案した。
―――『魔獣が憎いか? ・・・・なら、俺と一緒に来ると良い。俺は魔獣を狩りながら旅をしている。一緒に来るか』
アシュレイは頷いた。両親以外に身寄りがなかったので、アシュレイの居場所はなかった。しかし、この男とともに生きられればいいではないか。それに、その目的が魔獣狩りとは好都合だ。
―――『よし。坊主、お前の名前は?』
―――『アシュレイ』
―――『【深淵の泉】か・・・・俺はヴェイだ。よろしくな。さしあたって、傷の手当てをしよう。向こうに治療できる仲間がいるからな。立てるか?』
それが、帝国一の剣士ヴェイとの出会いである。
もうとっくに忘れていた、両親が殺された時の記憶。ヴェイとディーク、ふたりと旅を始めた当初は魔獣に対する憎しみだけしかなかった。いつの間にかアシュレイの中で憎しみは薄れ、代わりに「恩を返したい、手助けをしたい」という思いが強くなったのだ。
忘れていた感情が蘇る。目の前の魔獣が憎い。何もかも切り裂きたい。アシュレイの瞳に冷酷な光が浮かんだ。
(憎い、憎い、憎い・・・・・殺してやる)
―――憎しみは大きな力になる。私の力に身を任せよ。憎めば憎むほど、お前は強大な力を手にできる。
アシュレイは立ち上がり、剣を構えた。高く跳躍し、魔獣の背後から剣を一閃させる。衝撃波が魔獣に直撃し、魔獣が苦痛の咆哮をあげる。
アシュレイの剣技では、ない。
しばし呆然としていたが、我に返ったディークが符を放ち、魔獣の動きを封じる。アシュレイは剣を魔獣の胸に深く突き刺した。魔獣は今度こそ横転し、動かなくなった。
それと同時にアシュレイから鋭利な雰囲気が消えさり、アシュレイは力を失って倒れた。キーファとセレニア、ユーリッドが駆け寄ってくる。キーファがアシュレイを抱き起こした。
「アシュレイっ! しっかりしろ!」
「う・・・・・あ、れ・・・・? 僕は、何を・・・・」
アシュレイはぼんやりと呟いた。感心したような声が響く。
―――初めてにしては上出来だ。
それだけ言って気配が消える。アシュレイは身体を起こし、傷だらけのユーリッドを見て、心配そうに尋ねた。
「ユーリッド、傷は・・・・?」
「あ、うん・・・・・このくらいなんともないよ」
「そういうあんたはどうなの?」
セレニアの問いに、アシュレイは頷いた。
「僕も平気だよ。・・・・・キーファさん、有難う。もう大丈夫です」
「本当か?」
アシュレイは頷いた。
ディークに支えられ、足を引きずりながら歩み寄ってくるヴェイを見て、アシュレイは傍に寄った。
「まったく、格好悪いところを見せてしまったな・・・・・だがお前の反応のおかげで命拾いした。有難うな、アシュレイ」
「いえ・・・・ご無事で良かった」
「それはそうと、あんな技、どこで覚えたんだ? いつもとは比べ物にならないほど強かったぞ」
声に疑問の色が混じる。アシュレイは首を振った。
「その・・・・良く分かりません。自分でも何をしていたのか、覚えていなくて」
「そうか。・・・・だがまあ疲れたな。お前らも少しは休めよ」
ヴェイはそう言って踵を返した。
天幕へ帰りながら、アシュレイは目を閉じた。
(僕は何をしたんだ・・・・? 街が魔獣に襲われた時のことを思い出して、それから・・・・)
自問すると、やはり内なる声が聞こえた。
―――私に心を開き、闇を受け入れた結果だ。お前は憎しみを糧とし、さらなる力を得た。
(・・・・・お前。どうして僕の中にいるんだ・・・・?)
そう呼びかけても答えは返ってこない。アシュレイは質問を変えた。
(いい加減聞きたいことがある。教えてもらえるかな)
(ある程度までは答えよう)
(なら、まずお前は誰なんだ。何が目的だ。僕に何をさせたいんだ?)
しばらくの沈黙を挟み、答えが返ってきた。
(私の名はゼクト。正体は・・・・言っても分かるまい。人ではない、とだけ答えておこう。目的は魔獣の討伐。そのために、私の声を聞いて祠の封印を解く者を長い間待ち続けていた)
魔獣という単語に、過敏なまでにアシュレイは反応した。負の感情が渦巻く。
(私とお前の目的は同じ。ゆえに私はお前に力を与える。その憎しみを二度と忘れるな。そうすれば私は更なる力を授けることができる)
アシュレイはそれきり何も言わなかった。すると、声の主ゼクトがぼそりと呟いた。
(しかし―――記憶にゆさぶりをかけただけで、あれほどの憎悪を生み出すとは)
(・・・・何か言った?)
(いや・・・・何も)
ゼクトはそれきり何も答えなかった。
アシュレイは立ち止まり、拳を握った。
自分が自分でなくなっていく。どうすることもできない。僕はこのまま、ゼクトの言う「憎悪」に流されていってしまうのだろうか―――。