7 仲間
数日が経ち、アシュレイはだいぶ回復した。眠っているのか起きているのか分からないような時間が大半だったアシュレイだが、今は意識もしっかりとしている。シルヴァスの診断結果を受けたヴェイはすぐに出立を指示した。
見送りに来てくれたオレットが寂しそうに言う。
「もう行っちゃうんですか?」
「ああ、ありがとな、オレット。おかげでだいぶゆっくりできた。だが、俺たちにはやることがあるんだ」
オレットは頷き、微笑んだ。
「また来てください。いつか私も、皆さんの国へ行ってみたいです」
「そうだな。いつか自由に行き来できると良いんだが」
「・・・・・迎えに、来てくれます?」
大胆な言葉に、ヴェイは度肝を抜かれたような顔になった。それからふっと笑い、腰に手を当てた。
「一番最初に来てやるよ」
オレットは嬉しそうに笑った。
その会話を聞いていたアシュレイはゼクトに問いかけた。
(森の結界を解くわけにはいかないのか、ゼクト?)
―――解けば、魔獣が一斉にこの街を襲うだろう。この街は、一夜で滅ぶぞ。
(それは、そうかもしれないけど・・・・・・)
―――・・・・すぐには無理かもしれない。だが、長い時間をかけて少しずつ結界を解除していけば、自然と元に戻るかもしれんな。
解こうとしてくれている。アシュレイはそんなゼクトに驚いた。
直後、アシュレイの肩をヴェイが叩いた。
「行くぞ、アシュレイ」
「はい」
アシュレイは頷き、踵を返した。
森の中に入ると、あの霧もなくなり、随分と澄んだ空気が戻ってきた。アシュレイの先導で森を南下し、ようやく彼らは北の森を抜けることができた。
「さて・・・・ここからは目撃情報を元に、残り3体の魔獣を見つけなければなりませんね」
「そう言えば、洞窟で襲ってきたイリスとかいう奴はどうしたんだろうな」
ヴェイの問いに、ディークが首を振った。
「人間の封印でくたばると思えません。とっくに脱出したでしょう」
「そうですね・・・・・・ではまず、西にあるキスカの村へ行きましょう。そこの住民があの魔獣を見たと言っていますから」
ユーリッドがうーんと唸っている。セレニアがどうしたのかと問いかけると、ユーリッドは真面目に悩んでいる表情で言った。
「いつまでも『喋る魔獣』とか『人に変化する魔獣』って呼ぶのも面倒くさくない?」
「・・・・・はあ?」
「いっそのこと新しい名前でもつけちゃおうよ。例えば・・・・うん、『闇鬼』とか!」
「闇鬼? ・・・・ああ、あんたがはまってた冒険小説のラスボス集団の名前か・・・・・あれ、確か悪夢って意味なんだっけ?」
「そうだよ」
セレニアは盛大な溜息をついて頭を振った。
「あんた、もうちょっとまともな名前を考えられないの?」
「っていうか、セレニアもあの小説、読んでたんだね。部屋から時々なくなったと思ったら、元に戻ってるから吃驚したよ」
「・・・・・! うっさい!」
セレニアが顔を真っ赤にして怒鳴る。と、それが聞こえていたヴェイがルーヴを見やった。
「・・・・いいんじゃないか? 闇鬼で。消したい悪夢さ」
「はあ・・・まあ、何でも良いですけど」
ルーヴが肩をすくめる。
「で、行きますか。闇鬼を探しに」
「おっ、お前ノリが良いなあ」
ヴェイが笑った。
★☆
キスカの村は山の中にあり、殆どが林業に従事した村だ。そこの住民が山の中で言葉をしゃべる魔獣―――ユーリッドの命名で「闇鬼」に遭遇し、奇跡的に村へ逃げ帰ることができたのだという。
リぺラージ大瀑布よりやや南に位置するこの村を目指し、アルシャインは山道を登っていた。道は整備されていて、歩きにくくはない。
「そろそろ頂上付近ですね」
ルーヴがそう言って後方を振り返った。
村の入り口の門が見える。そこをくぐりぬけて、ルーヴは目を疑った。
「村が・・・・・ない?」
ルーヴが前に訪れた時は、確かにここに村があった。なのに、今は家の残骸としか思えないがれきがあちこちに崩れている。そしてそのがれきから煙が出ていた。
「火事があったようだな」
ディークが眉をしかめる。
アシュレイの脳裏で、幼いころの故郷での思い出がよみがえる。アシュレイは顔を片手で覆い、短く呻いた。ヴェイがアシュレイに囁く。
「・・・・辛かったら、見ていなくていいぞ」
「・・・・いいえ、大丈夫ですから・・・・・」
アシュレイは首を振り、気丈に顔を上げた。
「少し見て回りましょう」
ルーヴが言い、あたりを探索し始めた。よくよく見て歩くと、あちこちに焼け焦げた人々が息絶えて倒れていた。アシュレイは目をそむけ、堅く眼を閉じた。
と、アシュレイのすぐ横にあったがれきが僅かに動いた。アシュレイははっとしてがれきをどかす。
がれきの下敷きになって、ひとりの少年が横たわっていた。歳は15前後だろうか。酷い火傷を負ってはいたが、生きていた。その証拠に、少年は顔を上げ、口を開いた。
「・・・・魔・・・・獣・・・・・?」
かすれた声で少年が問いかける。意識が朦朧としているのか、焦点のあっていない目をしていた。
アシュレイは傍に膝をつくと首を振った。
「僕は魔獣じゃないよ。・・・・魔獣に襲われたのかい?」
アシュレイの言葉に、少年は頷いた。
「魔獣が、人の姿になって・・・・・みんなを・・・・」
と、少年は何かを探すように視線を動かした。
「父さんと母さんは・・・・? 俺をここに隠して、外に・・・・・」
アシュレイは道端に倒れているふたりの男女を見つけた。しかし、少年はこの状況が理解できていないのだ。ただ、助けてくれたアシュレイにすがるしかなかった。
(あの頃の、僕みたいだ・・・・・)
いつの間にか傍にヴェイとディークが立っている。ふたりとも、アシュレイを助けたあの日のことを思い返していた。
「・・・・・名前は?」
アシュレイが聞くと、少年はぼんやりと答えた。
「・・・・ルネーゼ・・・・・」
「そうか・・・・・」
アシュレイは呟くと、ルネーゼを抱き締めた。そして囁くように口を開く。
「僕はアシュレイ。・・・・もう、大丈夫だからね」
ヴェイがアシュレイの肩をたたく。と、轟音が響いた。ディークがはっとして音がした方向を見やる。
メンバーが吹き飛ばされた中で、ルーヴだけが踏みとどまっていた。
「っ、誰だ!?」
ルーヴが煙の中の人物に向けて呼びかける。
『その節はどうも・・・・・ですね』
煙が晴れ、現れたのは洞窟で襲撃してきたイリスだった。ヴェイとディークも駆け寄り、身構える。
『必ず来ると思っていました・・・・・だから、戦場を整備しておいたんですよ。これで正々堂々と戦えますね』
「貴様・・・・・」
ヴェイが刀を抜く。イリスは、アシュレイが庇う少年に目を向けた。
『おや・・・・・まだ生き残りがいましたか』
イリスが掌をルネーゼに向けた。アシュレイは剣を抜き、イリスが放った炎の塊を断ち切った。
「シルヴァス! この子を頼む!」
シルヴァスが頷き、ルネーゼを連れて後方に下がった。アシュレイは剣を構え、イリスに対峙した。イリスも身構える。手には何の武器もなかった。
『では、始めましょうか。セリオスの邪魔はさせません』
その声と同時にヴェイが跳躍し、ルーヴが頑なに「霊水」と主張する酒の瓶を開け、宙に放りあげた。それを悟ったユーリッドが銃を連射し、空中で瓶を割った。霊水がイリスの上へ振りかかる。
『ふっ、酒精ですか。厄介なものを・・・・・』
イリスが軽く舌打ちする。ヴェイが刀を一閃させる。が、イリスは影だけ残してそれを軽くかわしてしまった。ルーヴの剣も、アシュレイの剣も、どれもかわしてしまう。
「見たことのない体術だ・・・・・」
ヴェイが唸る。ディークが術符を投じる。
『閃』
イリスを取り囲んで静止した術符は、イリスに激しい雷光を浴びさせた。
イリスが思わずよろめく。その隙にアシュレイが跳躍し、イリスを斬った。イリスの腕に血がにじむ。
『先日から貴方の術符は・・・・・鬱陶しいですね』
イリスは目を細めると、一瞬で消えた。誰もその姿を追うことができない。それほどの速さでイリスは、後方にいたディークの懐に潜り込んでいたのだ。
「ディークッ!?」
ヴェイが叫ぶ。
はっとした時にはもう遅かった。ディークの目には、それだけがスローモーションに見えた。イリスの腕が伸び、すっと2本の指がディークの首筋に当てられた。その瞬間、ディークの身体から力が抜けた。
「うっ・・・・ぐ・・・・!」
イリスは再び元の位置に戻った。ディークは地面に膝をつき、手にしていた術符を手放してしまった。汗の雫が地面に滴っている。
「何をした!?」
ヴェイがディークを庇いつつそう叫んだ。イリスは平然と答えた。
『符術師の力を断ってやっただけです。首は急所でしょう? これであの符術師は術符を使うことはおろか、立つことすら当分できない』
あの一瞬で、イリスはそんなことをしたのだ。ヴェイの後ろでディークが倒れる音がした。しかし、振り返ればイリスの餌食だ。
『貴方達が魔獣狩りの専門家として名を馳せることができたのは、その符術師のおかげでしょう』
イリスが不意にそう言った。ヴェイが眉をひそめる。
「どういう意味だ」
『符術とは、もう何100年も前に栄えた技術の一つです。魔獣と符術は本当に相性が悪い・・・・魔獣に特効なんですよ。符術はもうとっくに失われた技術なのに、知ってか知らずか彼はそれを使用する。だから、貴方達の強さは、彼がいてこそ成り立つものです』
イリスは断言する。しかし、アシュレイはその通りだと思った。ディークはいつも積極的に攻撃を仕掛ける。その符術は魔獣に対しかなりダメージを与えることができていた。逆にディークがいないときは、どれほど苦戦したことか。
『それに、例え彼が符術師でなくても、その魔力は魔獣にとって脅威だ。・・・・貴方達は一気に不利に追い込まれましたよ』
「・・・・残念だが認めざるを得んな。お前、暗殺者になれば儲けものだぞ」
ヴェイが茶化す。その額には珍しく冷汗が浮かんでいる。
「いちいち相手に状況の不利を飲みこませようとするとは、悪趣味なことだな」
ルーヴが吐き捨てる。しかし、状況はまったく劣勢だった。ディークも戦うことができず、剣ではイリスを捕えることができない。どうすればよいのか―――。
―――焦っては空回るぞ。
ゼクトの声が響いた。アシュレイはぐっと唇をかみしめた。
(ゼクト・・・・僕に力を貸してほしい)
―――まだ完全な再生は済んでいない。これを終えた後、どれほどの消耗になるか分からないぞ。
(それでも良い。みんなを守らなきゃ―――ゼクト、頼む)
―――・・・・ではあの時と同じだ。私の力に身を任せろ。
身体の内側が熱い。
妙な昂揚感がアシュレイの身体を包んでいる。頭がぼうっとする。何も考えられなくなる。
アシュレイは剣を握りしめると、前に進み出た。
イリスが表情を引き締めた。アシュレイの瞳は真紅に燃え上がっていたのだ。
『主・・・・・本当にそちらへ寝返ったのですね』
イリスが問う。アシュレイが首を振る。出た声はアシュレイではなく、ゼクトだった。
『お前たちは性急すぎる。そのように秩序を乱す者は、私が排除する』
『貴方こそ人の滅びを願っていたのに。失望しました』
イリスが身構え、突進した。
アシュレイの目には、それが本当にゆっくりに見えた。人ならざる動体視力で、アシュレイはイリスの攻撃を防ぎ、斬り返した。イリスはよろめいた。その一瞬の隙にアシュレイが斬り込む。イリスはアシュレイの斬撃を交わしたが、とうとう避けきれなくなった。
『なっ・・・・!?』
『―――遅い』
イリスが吹き飛ばされ、地面にたたきつけられる。胸に大きな傷をつけられ、血が流れていた。
『・・・・主に、倒されることになるとは・・・・・夢にも思いませんでした』
イリスの身体が光る。アシュレイは剣を収めた。それと同時に瞳の色が淡い紫に戻る。
イリスが目を閉じる。
『・・・・セリオス・・・・・後は、任せます・・・・・・』
イリスはそう言い残し、完全に消滅した。
「ふ・・・・う・・・・っ」
アシュレイは疲れたように地面に座り込んだ。ヴェイが駆け寄る。
「大丈夫か!?」
半ば放心していたアシュレイはヴェイを見やり、微笑んだ。
「はい・・・・・なんとか」
「そうか・・・・ディークはっ!?」
ヴェイが振り返ると、キーファがディークを支え起こしていた。ディークは苦しげに眼を開けた。
「・・・・・私も大丈夫です、が・・・・しばらく立てそうにもありません・・・・」
ヴェイはほっと頷いた。
「無事なら良い。・・・・しばらくここで休憩しよう」
ルーヴもその言葉に頷いた。
ディークは木の幹に背を預けて座り、俯いた。首にある腱か何かに触れたイリスは、ディークから立つ力や思考する力を奪ったのだ。そのまま切られて殺されなかったことが奇跡に近い。
アシュレイはシルヴァスと、彼が抱えているルネーゼの元に歩み寄った。ヴェイもこちらへ来る。
「怪我はしてねえ。つーか、寝ろって言ったら寝ちまったんだが、こいつどうするんだ」
シルヴァスがアシュレイを見上げる。アシュレイは傍に膝をついてルネーゼを見つめた。そのアシュレイにヴェイが声をかける。
「重ねてるのか、自分と?」
「・・・・僕もこんな風だったのかな、と。それに、この子はまだ両親が死んだことを理解できていない・・・・・独りだって分かったら、どう思うか・・・・・」
「じゃあお前が教えてやれ、アシュレイ。身をもって知っているんだから説得力がありそうだ」
アシュレイは驚いてヴェイを見つめた。
「いいんですか? その、この子を連れて行って・・・・」
「おいおい、俺はそこまで薄情じゃないぞ。人数が増えるのは構いやしない。だが・・・・それがこの子にとって幸せで、且つ安全なことなのかは分からないがな」
「ヴェイ・・・・・」
アシュレイが呟く。と、ルネーゼが呻いて目を開けた。アシュレイが身を乗り出す。
「大丈夫?」
「うん・・・・・」
アシュレイは姿勢を正し、ルネーゼと正対した。
「村を襲った魔獣は、僕たちが倒した。・・・・君のご両親の仇は討った」
ルネーゼは目を見開いた。
「父さんも母さんも・・・・・魔獣に・・・・・?」
「・・・・君はご両親に守られて生きている。その命を大事に・・・・その手を血に染めちゃいけない」
ルネーゼは俯き、歯を食いしばった。
ヴェイは傍にしゃがみ、ルネーゼの頭に手を置いた。
「よお、坊主。俺はヴェイだ。アルシャインってクランを率いてる。分かるか?」
ルネーゼは顔を上げ、まじまじとヴェイを見つめた。
「ヴェイ・・・・・最強の剣士の・・・・・?」
「はっはっ、よく知ってるじゃないか」
ヴェイは謙虚になることもなくそう笑った。
「身寄りはあるか?」
「・・・・・分からない。村から出たこともないんだ」
「そうか。・・・・俺たちは今だいぶ過激な活動をしている。この村を襲ったのと同じ魔獣を倒して回ってるんだ。常に戦ってばかりで、危険な目にあってる」
ヴェイは幾分か真面目な表情になってルネーゼに説明した。
「それでもな、お前を放っておくとうちのクラン一のお人好しが『薄情者』って怒るんだ」
「ちょ、それ僕のことですか?」
アシュレイが慌てて声を上げる。ヴェイは無視した。
「どうだ、ルネーゼ。一緒に来るか? そうすれば独りにはならないぞ」
ルネーゼはアシュレイを見やる。アシュレイは微笑んで頷く。ルネーゼは小さく頷いた。
「一緒に・・・・・行く」
アシュレイはルネーゼを抱き締めた。
「よろしく、ルネーゼ。・・・・・僕が守るよ。独りにさせない」
頭をかいたヴェイは、口を挟めずにいたシルヴァスに言う。
「シルヴァス、いつまでも突っ立ってないでディークを診てやってくれ」
「あ・・・・・ああ」
シルヴァスは我に返り、踵を返した。
ルーヴはヴェイの元に歩み寄った。
「どうしますか? すぐ次のところへ行きますか?」
「そうだな・・・・場所はどこだ?」
「以前、帝都へ向かう途中湿地を通ったでしょう。あそこです」
セレニアが「げっ」と声を上げた。ユーリッドが溜息をつく。
「またあんなじめじめした所に・・・・・? それに、かなり遠いよね」
「・・・・ゆっくり行こう。みんな調子を取り戻しながらな。ディーク、どうだ?」
シルヴァスに支えられながらディークはゆっくりと立ち上がった。
「だいぶ楽になりました。大丈夫です。・・・・有難う、シルヴァス」
ディークはそう言ってシルヴァスの支えを断った。
「よし。・・・・・と、その前に、だ」
ヴェイは振り返り、倒れた村民を見つめた。
「せめて埋葬してやんないとな・・・・・おい、みんな手伝え」
アシュレイがルネーゼを立たせた。
「行こう」
アルシャインが必死で穴を掘り、ひとりひとり埋葬していった。真っ先に建てられたルネーゼの両親の墓の前に、ルネーゼは跪いて長いこと祈っていた。彼は現実を受け止めるのが早かった。絶望することもなく、両親の冥福を祈ることができている。アシュレイにはそれができなかった。勿論、今のルネーゼよりあの時のアシュレイの方が幼かったが、それでも、ルネーゼはたいしたものだった。つい最近まで受け入れられなかった自分と大違いだ。
アシュレイの故郷リラと似たような光景が、この村にも出来上がった。
「できたな。・・・・・よし、一同黙祷!」
ヴェイの号令のもと、アルシャインは深く頭を下げた。真っ先にそれを上げたヴェイがメンバーを促す。
「さあ、行こう。まだやることは残ってるぞ」
踵を返し、山を下って行った。ルネーゼは故郷の変わり果てた故郷を目に焼き付け、目を閉じた。
「父さん、母さん・・・・俺はあの人たちと生きるよ。いつか・・・・・またここに戻るから」
そう言って、踵を返した。