2 都会
アシュレイとキーファ、ユーリッド、セレニアは数時間をかけて街までやって来ていた。食料の買い出しと、ひそかにアシュレイが描きためていた絵画を売るためだ。移動の途中、ユーリッドがその絵をじっくり見ていた。
「すごいね、アシュレイ。ほんとに何でもできるんだ」
「いや、ただの趣味だから」
「稼いだ金はいまも首領に資金として提供しているのか?」
キーファの問いに、アシュレイは首を横に振った。
「以前はそうしていたんですが・・・・・・今ではもうその必要はないと思うので、僕の個人的な小遣いです。・・・・ヴェイには内緒にしてくださいね?」
恥ずかしそうにアシュレイが言った。キーファがユーリッドを見やる。
「だとさ、ユーリッド。欲しいものがあるなら自分で稼ぐんだな」
「僕がどうやって稼げばいいのさ」
「確か街には射撃場があっただろう。お前の腕なら結構稼げると思うぞ」
「み、見世物になるのは嫌だよ」
ユーリッドが首を振った。アシュレイは微笑むと、キーファに小さな紙切れを渡した。
「これ、買うものです。すみませんがよろしくお願いします」
「分かった。俺たちは街をぶらぶらしているから、ゆっくり商談して来いよ」
アシュレイは頷くと、セレニアがため息をついた。
「なあんであたしまで買い物に駆り出されんのよぉ」
「常に隊別行動を心がけろ、と首領のお達しだ」
「どうせ荷物持ちでしょーが」
女だからと言って雑用を任されるのを苦にしないセレニアは、やれやれと首を振った。
一通りの買い物を終えたキーファとユーリッドが、荷物の番を任せたセレニアが待つ広場へ戻ると、セレニアはぼんやり街並みを眺めていた。視線の先には、服屋で買い物を楽しむ同年代の少女たちがいた。
「羨ましいか?」
キーファの問いに、はっとしてセレニアは顔を上げた。
「そんなわけ・・・・・でも、全く羨ましく思わないわけじゃ・・・・ないけど」
もごもごとセレニアが呟く。当然だ。セレニアは数年前まで、仲のいい女の仲間が大勢いた。なのに、彼女たちはみな魔獣狩りの生活に耐えられず、クランを去ったのだ。今ではセレニアがたったひとりの女である。本人はオシャレなんかに興味はないというが、死と隣り合わせの生活を辛く思うのは仕方がない。
「今更あたしには、街で暮らすことなんて無理だもの」
「そんなことないよ。セレニアは綺麗だし、街にいる女の人たちと違うところなんてないよ」
ユーリッドの言葉にセレニアは噴き出す。
「あんた、あたしを口説いてんの? それとも追い出したいの?」
責めるような口調ではなく、むしろからかっているようだった。ユーリッドが慌てて首を振る。
「ち、違うって!」
「分かってるって、そんなうろたえないでよ。大丈夫よ、ユーリッド。あたしはどこにも行かない。ずっとみんなと一緒にいるから」
セレニアは座っていたベンチから立ち上がり、横に置いてあった荷物を持ち上げた。
「ほら、キーファも辛気臭い顔しない。老け顔になってるわよ?」
「お前ってやつは・・・・」
キーファが呆れたように肩をすくめる。
「行きましょうよ。アシュレイを探すんでしょ」
セレニアの言葉にうなずき、3人は歩き出した。
商業街の路地を歩いていると、一軒の店の前にアシュレイが立っていた。誰かと話している。キーファたちは思わず傍の建物の影に隠れて、その様子を見守っていた。
「相手は誰だ?」
とキーファが興味津々で呟く。ユーリッドが目を見開いた。
「女の人みたいだよ」
「あれはどこかのお貴族様ね」
セレニアも目を細める。
豊かな金色の長い髪をもつ、綺麗な女性だった。アシュレイが何か言って頷くと、女性は満面の笑顔を見せ、持っていた画布をぐっと抱き締めた。そしてアシュレイに頭を下げると踵を返して駆け去った。アシュレイはそれを見送ると、振り向いてこちらに歩んできた。
「もうとっくに分かっていますよ、キーファさん、ユーリッド、セレニア」
アシュレイの声が飛ぶ。キーファはやれやれと頭を掻いて物陰から出た。
「アシュレイ、あの人は?」
「え・・・・・あ、ああ、お客さんだよ」
「売った直後に買うなんて、よほどファンなのね」
「あ・・・・そ、そうかな」
アシュレイが妙に慌てている。キーファがじっと見つめると、アシュレイは赤面して顔をそむけた。それを見てキーファが「ふうん」と悪戯をするような表情で笑った。
「・・・・惚れてんだな?」
「なっ・・・・!?」
アシュレイが驚いて声を上げる。
「ち、違います! 誰がそんなことを言ったんですか!」
「清廉潔白だと思っていたが、お前も案外やっているんだな」
「やっているって何を・・・・? 僕は何もしていませんよ!?」
「その慌てっぷりが証拠だな。ま、年頃の男なら浮ついた噂がひとつくらいないとかえって胡散臭いからなあ。で、どこのお嬢さんだ?」
アシュレイは咳払いをした。
「その・・・・・この街の富豪のご令嬢です・・・・・僕の絵を気に入ってくれて、こうやって売りに来るたびに買ってくれるんです」
「富豪の令嬢か・・・・・ちょっと厳しいな」
「だから、その厳しいとかやめてください。叶うはずもないんですから・・・・・・」
そう言ったアシュレイがはっとして口を閉ざす。
「・・・・認めたな」
「う・・・・・」
アシュレイは額に手を当てた。まだその方面に興味を示さないユーリッドは首をかしげている。
「アシュレイ、あの人のことが好きなの?」
「ユーリッド・・・・・」
アシュレイが肩を落とす。
「いいわねえ、いいわねえ。貴族の娘と一傭兵の、身分違いで叶わない恋! 悲劇の基本じゃないの」
セレニアものりのりだ。
と、その時女性の悲鳴が響いた。そして「魔獣が街に入り込んだぞ!」という叫び声。アシュレイははっとして振り向くと、路地を駆けだした。
「あっ、アシュレイ!」
「追いかけるぞ」
キーファがユーリッドの背を叩き、セレニアとともにアシュレイの後を追った。
街の入り口近くの広場に巨大な魔獣がいた。魔獣の足元に、先程アシュレイと話していた女性がへたり込んでいる。アシュレイは広場に着くと、女性を見つけて叫んだ。
「ラトナさん!」
アシュレイは商談をするとき、長い上着の裾の裏側に剣を隠している。相手の脅し道具に見られてしまうからだ。アシュレイはその剣を鞘ごと抜くと、女性の元に駆け寄った。
女性を襲おうとした魔獣の前足を鞘で食い止める。女性が目を見開いた。
「あ・・・・・ど、どうして・・・・・貴方が!?」
アシュレイは魔獣を押し返すと、剣を抜き放って魔獣を退けた。その間にアシュレイは女性ラトナを抱きあげて跳躍した。アシュレイは彼女を建物の陰に下ろすと、にっこりと微笑んだ。
「ここに隠れていてください」
「でも、ディエールさん、私・・・・・」
この街でアシュレイの名は「画伯ディエール」だ。本来の名を告げたことは一度もない。クラン「アルシャイン」のアシュレイという名は、知る人は知っている名だ。ヴェイやディークほどでないにしろ、アシュレイも名の知れた傭兵である。
「大丈夫ですよ」
アシュレイはそう言って路地を飛び出した。
すでにキーファとユーリッドとセレニアが戦っている。キーファがユーリッドに叫ぶ。
「ユーリッド、目を狙え!」
ユーリッドが頷き、狙いを定める。
「アシュレイ、俺とセレニアが引きつける。一撃叩きこんでやれ」
「分かりました」
ユーリッドの銃弾が魔獣の両の目に命中する。同時にセレニアの魔術も直撃した。痛みでめちゃくちゃに腕を振り回す魔獣を避け、キーファが敢えて隙を作る。大きく魔獣が腕を振り上げた瞬間、アシュレイが跳躍した。
閃光一閃。ヴェイのものと同じ真空波が飛ぶ。かつてゼクトによって与えられていた力がないから弱体化はしたが、それでもゼクトに教えられた技はすべて完璧に習得していた。そのおかげで、遜色なく戦えるのだ。
魔獣が横転する。住民が歓声を上げた。
地面に着地したアシュレイの元にラトナが駆け寄ってきた。
「ディエールさん、有難う御座いました」
「いえ、怪我はありませんか?」
アシュレイは慌てて剣を収めた。ラトナは俯いた。
「私は大丈夫です。でも、せっかくのディエールさんの絵、魔獣に粉々にされてしまいました・・・・・ごめんなさい」
見れば、画布の枠がばらばらになって落ちている。アシュレイは首を振った。
「また描けばいいですよ。あれを気に入ってくださったのなら、もう一度描きますし」
その瞬間、アシュレイははっとして顔を上げた。倒したはずの魔獣が起き上がり、アシュレイとラトナに向かって腕を振り上げたのだ。
「アシュレイ!」
ユーリッドが叫ぶ。アシュレイは一瞬で剣を抜き、その腕を両断した。今度こそ魔獣は力尽きた。
「大丈夫、アシュレイ!?」
ユーリッドとキーファ、セレニアが駆け寄ってくる。アシュレイは頷いたが、ラトナが聞き慣れない名を聞いて瞬きをした。
「アシュレイ・・・・・?」
アシュレイは頭を掻いた。
「え・・・・・その、それは・・・・・」
と、ひとりの男性が走ってきた。
「ラトナ!」
「あ・・・・お父さん」
ラトナが声を漏らす。男性はラトナの前にたどり着くと、彼女に怪我がないのを見て安堵の息をついた。
「怪我はないようだな。・・・・・お前は誰だ? 傭兵か?」
と、訝しげな視線をアシュレイに向ける。ラトナが首を振る。
「違うわ。この人はディエールさん。あの絵を描いている人よ」
「ディエール・・・・? そんな馬鹿な。あの方は帝都にも絵を出品していた人だ。もう40は超えているはずなのに・・・・・」
ああ、この人は本物のディエールを知っているんだ。アシュレイは溜息をついた。
「お前は本当にあのディエール画伯なのか?」
「・・・・いいえ、彼は死にました。10年前、魔獣に襲われて・・・・僕はその息子、アシュレイと申します。魔獣狩りクラン『アルシャイン』のひとりです」
そう、ディーエルはアシュレイの父の名だった。リラの街が誇る画家で、帝都に出品できるとなると相当の腕前だったことになる。アシュレイはその父の名を借り、商談を成立させていた。
正直、あくどいと自分でも思う。
「アルシャインだと!?」
男性の表情が変わった。アシュレイは素直に頷いた。
「傭兵ごときが私の娘に近づくとは言語道断だ! 身の違いを知れ」
「ま、待って、お父さん! ディエールさん・・・・・いえ、アシュレイさんが描いた絵を、お父さんもすごく気に入っていたじゃない! それなのにそんなこと言わないで!」
「確かにすばらしい絵だと思っていたが、お前のような者が描いていたとは思わなかったからだ。私は身分のはっきりしない者は嫌いだ。もう娘に近づくなよ」
男性は鬼の形相でアシュレイを睨みつけると踵を返した。ラトナはアシュレイの傍に歩み寄り、深く頭を下げた。
「酷いことを言ってごめんなさい。父は根っからの帝国貴族だから、アルシャインのことは前から気に入らないって言っていて・・・・・ほんとにごめんなさい、アシュレイさん」
「・・・・いえ、僕もずっと黙っていてすみません。僕のような者が絵を描いていても、何の有難味もありませんしね」
そこでラトナは顔を上げた。
「そんなことはないです。また、絵を売りに来てくださいね。父はああ言いましたけど、私、素直に言うこと聞く気はありませんから。私、貴方の絵がとても好きです。それを描く貴方のことも・・・・・」
アシュレイが僅かに顔を赤くしたが、微笑んだ。
「はい。有難う御座います、ラトナさん」
「・・・・・次に会う時は、ラトナとお呼びください」
「・・・・え・・・・・」
ラトナは恥ずかしそうにアシュレイに頭を下げると、踵を返して走り去った。
後ろで聞いていたキーファがアシュレイと肩を組んだ。
「ごつい親父と積極的な良い娘さんじゃないか。あの親父みたいな壁を乗り越えてこそ、本物の恋愛だぞ」
「だ、だから、そういう関係じゃありませんって」
「そうか? 俺には、あのお嬢さんはお前に告白したように聞こえたがな」
「うん。あの人、アシュレイの絵というより、アシュレイに会うためにあの店に行っているような気がするよ」
アシュレイが沈黙する。キーファがにっと笑った。
「ま、頑張れよ、アシュレイ。あの親父は気長にこつこつ削って行くんだ」
アシュレイはキーファを見やり、言い返した。
「随分詳しいんですね。そういうご経験が?」
「さて帰るか。早く帰らないと着いたとき夜になってしまう」
「あ、はぐらかした」
ユーリッドの言葉も無視し、キーファはさっさと歩きだした。
街の出口まで来たところで、アシュレイはふと何か思い出して足を止めた。セレニアが持っていた荷物を両手に持ちながら、ごそごそと何かを探している。
「どうした、アシュレイ」
キーファが声をかけると、アシュレイは目的のものを見つけたようで、何かを袋の中から取り出した。それをセレニアに差し出す。
「はい、これ」
「え? ・・・・これ、なに?」
アシュレイの掌に乗っていたのは、赤い装飾のついた髪留めだった。
「この間、髪をまとめる紐が切れたって言っていただろう?」
そういえば、最近のセレニアは長い髪を結わずに下ろしていたが、単にゴム紐が切れてしまったからだったのだ。そういう細かいところに気が付くアシュレイには恐れ入る。
「あ、有難う・・・・でも、これ高そうじゃない」
「絵がまとまったお金になったから、心配しなくても平気だよ。・・・・僕がおかしくなっていた間、ずっと気にかけていてくれたよね。だから、それのお礼も兼ねて」
いつも目立たない黒の紐で髪を結っていたが、アシュレイはセレニアが年頃の女の子らしくオシャレもしたい、と内心で思っているのを見抜いていた。だから、こんなにきれいなものを買ってくれたのだ。
セレニアは髪留めを受け取り、笑顔でアシュレイを見上げた。
「アシュレイ、有難う。大事にする」
「こちらこそ」
アシュレイもやんわりと微笑んだ。
それを見ていたユーリッドが、呟く。
「僕もアシュレイみたいな大きな男になりたい」
キーファが頷いた。
「ああ・・・・俺も、今更だがあいつみたいになりたいよ」