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1 帰還

 アルシャインの本拠地は帝国南部の森の中にある。ヴェイが旅の途中で見つけた、誰も使っていない小さな砦だった。石造りで頑丈であり、それゆえに華美ではないが、メンバーにとっては居心地の良い故郷である。以前は騎士団が使っていたのかもしれないが、騎士たちは特に何も言ってこないのでそのまま使っている。


 アルシャインがその砦に戻ってきたのは、帝都を出て1月後だった。すでに春は終わり、夏の日差しが容赦なく照りつけている。ところで、なぜそんなに日数がかかったのかと言えば、あちこち寄り道をしながら魔獣を討伐していたからだ。「俺たちは出張サービスもやるんだぞ」とヴェイがおどけながら、殆ど無償で討伐を請け負っていた。シルヴァスがそんなヴェイに疑問を持つ。


「ルーヴからいくらもらったんだ?」

「そうだなあ・・・・半年は遊んで暮らせるくらいか」

「そんなに? これ以上稼ぐ必要なくねえか?」

「別に俺は稼ぎたくてやってるんじゃないぞ」


 ヴェイがそう言ってシルヴァスの頭を小突く。


 砦の扉を開けて早々、ユーリッドが埃で咳き込んだ。ディークが顎に手を当てる。


「帰ってくるのは・・・・・1年ぶりか。さっさと換気をしろ。休むのは掃除のあとだ」


 ディークがそう言ってメンバーを押しやる。窓を開け、しぶしぶ掃除を始める。その中でセレニアが黙々と床を拭き、埃を払っている。キーファは傍にいるアシュレイに声をかけた。


「こうして見ると、セレニアは本当に女の子なんだと思うよ」

「そうですね。手際が良いです」


 アシュレイが相槌を打つ。と、セレニアから声が飛ぶ。


「ちょっと男ども! 早く水汲んできてよ」


 アシュレイとキーファは慌てて、傍の川に水を汲みに行った。


 一刻もすれば砦はようやく住める場所へ変わった。すでに夕日が傾き始めている。疲れて腰を下ろしたヴェイの目の前に、冷たい茶が入ったカップが差し出される。顔を上げると、アシュレイが立っていた。


「どうぞ」


 アシュレイが微笑む。ヴェイは頷いて受け取る。


「ありがとよ。お前も少しは休めよ」

「はい」


 そう言うが、アシュレイに休む気はなさそうである。彼はメンバーに差し入れを終えた後、誰も手をつけない厨房や倉庫の手入れを始めたのだ。


「まったく・・・・・ぶっ倒れるぞ」


 ヴェイはそう呟きつつ冷茶に口をつけた。相変わらず美味いな、と心から思った。特別高価な茶葉じゃないのに、どうしてこうなるのだろうか。


 厨房を片付けたところに、ヴェイが現れた。先程の冷茶の空になったコップを持っている。


「おいアシュレイ、今日の夕飯は・・・・」

「あ、僕が作りますよ」

「・・・・他の奴に任せて休めって、言うつもりだったんだが?」

「すみません、でも・・・・・」


 口ごもるアシュレイを、ヴェイは困ったように見やる。


「罪滅ぼしのためって考えているなら、そんなに頑張る必要ないぜ?」

「罪滅ぼし・・・・そうじゃないんです。ただ、自分を取り戻したいだけですから」

「前のお前に戻っちまったら、繰り返しじゃないか」


 ヴェイの言葉にアシュレイは瞬きをした。


「シルヴァスがよく言っていた。ゼクトと出会う直前のころのお前は、すごく疲れていたようだったってな。確かにあのころは依頼が多くて、戦ってばかりだった・・・・・配慮が足りなくて、すまないと思ってる」

「そんなこと・・・・」

「俺にはよく分からんが、ディークは言ってた。お前がゼクトに支配されたのはその憎しみが原因だろうが、精神的な疲労も相まって付け込まれやすくなっていたんだと」


 アシュレイは目を伏せる。魔獣狩りに飽きていた、などと不謹慎なことを言うつもりはない。それでも、繰り返される同じ生活に、嫌気がさしてなかったわけではないのだ。いつ襲撃されるかという不安、魔獣と命の駆け引きをする緊張。怪我をして動けない仲間を見る恐怖。アシュレイにとっては気の抜けない日々が酷くストレスになっていた。


 それをアシュレイがヴェイに申し出なかったこと。これが最大の原因だったとヴェイは痛感している。言ったら迷惑になる、とアシュレイが考えた時点で、ヴェイという存在はアシュレイが身体のすべてを預けられるにはなれなかったのだ。


 俺がお前を迷惑に思うはずないだろう? ヴェイはそう、内心で問いかけた。


「だからな、アシュレイ。ここらで少し肩の力を抜け。当分砦から動く予定はないから、息抜きしてくれ」

「息抜き・・・・・ですか。これと言って思いつかないんですが・・・・・」

「そんなことないだろ。自分の趣味まで忘れちまったのか? お前は外で本を読むのが好きだったし、年少組に勉強も教えていた。夏場は良く昼寝もしていただろ。・・・・要するに、剣に触れずに過ごせって意味だよ」


 ヴェイにそう言われ、アシュレイは頷いた。


「はい。有難う御座います」

「よし。それじゃあ、食料の買い出しに行かせるよ。帰ってくるまで部屋でのんびりしてろ」


 ヴェイが立ち去ったのを見送り、アシュレイは自室に戻った。こちらの部屋もシルヴァスと同室だが、無論テントより明らかに広く、ゆとりがある。同室と言えどもふたりの私的な空間は確保されていた。入って右側のベッド周辺がシルヴァス、左側のベッド周辺がアシュレイだ。やはり性格は出るようで、アシュレイの場所はすっきり片付けられているが、帰ってきて早々シルヴァスの近辺は散らかされている。


 当のシルヴァスは、大して働いていないのに疲れたのかベッドの上に大の字になって爆睡している。シルヴァスも旅の間は怪我人の治療で大忙しだったのだ、気が抜けたとしてもおかしくはない。アシュレイはシルヴァスに夏掛けの薄い毛布を掛けてやり、自分のベッドに腰かけた。


「息抜き、か・・・・・」


 アシュレイは声に出して呟く。元々お人よしな性格なので、他人のために何かしていないと落ち着かない。暇な時間は、かなりもてあますタイプだ。


 そのまま後ろに倒れ、ベッドに仰向けになる。額に手の甲を当て、目を閉じる。


『いつか僕も、父さんみたいな画家になりたい』


 幼いころの自分の言葉が蘇った。高名な画家だった父の絵を見るのがアシュレイは大好きだった。いつしかそれを真似ているうちに、父は本格的に技術を教え込んでくれた。


 その矢先に、父は魔獣によって殺されたのだ。


 繊細な色と筆遣いであらゆる風景を描いていた父の背中。急に、恋しくなった。


 アシュレイは起き上がると、窓際に立てかけてあったキャンパスを取り出した。画材を広げ、画布の前に椅子を持って行ってそこに座る。


 ―――何を描こう。


 アシュレイは束の間そう考えたが、思いつくままに筆を動かし始めた。


 夕方近くなって、キーファがアシュレイの部屋をノックした。しかし返事はなく、首をひねったキーファは扉を押し開けた。


 夕日が差し込む室内で、窓の傍にアシュレイが座っていた。シルヴァスはベッドで熟睡している。アシュレイの傍に歩み寄っても、アシュレイはまったくキーファに気付かなかった。気配の察知に長けたアシュレイには考えられないことだ。


 キーファが後ろから覗き込むと、それはあのリペラージ大瀑布の絵だった。荘厳な大滝が滝壺に流れ込むさまを、迫力いっぱいに描いていた。青い絵の具と言えども、その濃さによって何10色にも分かれていた。アシュレイは薄い青の絵の具で、濛々とあがる水しぶきに着色しているところだった。


 とても繊細なタッチだ。音らしい音はまったくなく、聞こえるのはシルヴァスの寝息だけである。キーファは口を開いた。


「絵、うまいんだな」

「うわっ!?」


 アシュレイが素っ頓狂な声を上げ、椅子から飛び上がった。そりゃあ、真後ろからいきなりそんなことを言われれば、驚くのも無理はない。


「おっと、すまん。そんなに驚くとは思わなかった」

「い、いえ・・・・! ごめんなさい、気付かなくて・・・・」


 心臓がまだばくばくしているらしく、アシュレイは荒く息をついた。


「良い絵だな。俺はど素人だからちゃんとした感想が言えないんだが・・・・」

「僕だって素人ですよ」

「嘘つけ、素人にこんな絵描けないよ。前から思っていたが、お前は芸術的な才能が豊かだよな」

「そ、そうでしょうか」


 アシュレイが照れたように頭を掻く。


「絵も上手、楽器も得意で字も綺麗。料理の盛り付けなんか芸術以外の何物でもないだろう」

「絵に関しては・・・僕の父が、画家だったので」

「そうだったのか」


 アシュレイは頷き、絵筆を置いた。


「絵の才能は親父さん譲りだな。アシュレイは本当に、剣を握っているよりも筆を持っているほうが似合うよ」


 キーファの言葉にアシュレイは微笑み、ふと思い出したように尋ねた。


「そういえば、何か御用だったのですか?」

「ああ、そうだった。買い出しに行ってた連中が帰ってきたから、知らせにな」

「わかりました。すぐ夕食の準備をしますから」


 アシュレイは微笑み、画材を片付け始めた。無理しなくていいと言っても、アシュレイは仲間のために働くのだ。それが彼の趣味でもあるのだから、キーファは止めないでおこうと思った。


 ああ、アシュレイだ。世話焼きで優しいアシュレイが、やっと戻ってきた。その実感がわき、嬉しくなったのだ。


「・・・・それにしてもよく起きないな、こいつは」


 キーファは呆れ気味に、爆睡しつづけるシルヴァスを見やったのであった。


★☆


 砦の周りは森で、一番近い街まで往復で2時間がかかる。クランには何人か少年がいるが、孤児である者が殆どだ。そんな彼らは学ぶことができない。金はあるし、街へ行けば塾へ通えるのだが、数時間もかけて街へ行って学ぶ気は誰にもなさそうである。そのため大人たちが時々勉強を見てやっていたが、そのなかで群を抜いて教師として優秀だったのがアシュレイだった。


 10歳で両親を失うまで、彼は街の普通の子供として塾へ通っていた。ヴェイと出会ってからまともに学ぶことはできなかったが、それでもディークの書物を読ませてもらったり、直接彼から教えてもらったりして、すぐに才覚を示したのだ。ディークやルーヴも賢いが、彼らは歴史や地理に知識が偏っている。アシュレイはどちらかと言えば数式が得意で、少年たちの苦手をどれほど克服させたことか。


 アシュレイは砦の中庭の木の下にあるデッキで紙面を眺めている。真夏の午後で、ユーリッドは暑くて仕方がなかったが、アシュレイはいつものように涼しげな顔をしている。しかし聞いてみれば「暑いよ」というのだが。


 アシュレイ自作の問題をユーリッドが解き、それをアシュレイが採点する。アシュレイは答案をユーリッドに返した。


「・・・うん、大体あっているよ。最初に比べたらだいぶ解けるようになったね」

「アシュレイの教え方が良いんだよ。キーファのなんてさっぱりで、セレニアは論外だし・・・・」

「そんなことはないと思うけど・・・・でも、この1問が間違っていた。はい、解きなおし」

「・・・・・暑いよー」

「頑張れ」


 アシュレイは微笑んで薄い紙の束でユーリッドを煽いでやった。唸りながらユーリッドはペンを持つ。


「アシュレイ、どうして数式が得意なの?」

「どうしてって・・・・・好き、だからかな」

「はあ。僕には一生分からない気持ちだよ・・・・・」


 アシュレイは苦笑した。


「じゃあ、たまには気分を変えて古代史でもやろうか」


 即座にユーリッドは頷いた。数式だらけで頭が真っ白になりかけているのだ。が、アシュレイは首を捻った。


「でも、古代史だったらディークさんの方が詳しいか・・・・・」

「いやっ、アシュレイが良いよ!」


 慌ててユーリッドが首を振る。


「そう? でも僕はそれほど得意じゃないし、やっぱり詳しい人に・・・・」

「僕はアシュレイが良い」


 頑なにユーリッドが首を振る。クランの中で最も接点の無い人物、それがディークなのだ。アシュレイは足を組んだ。


「ディークさんは苦手?」

「なんか・・・・あんまり話したことないし」

「良い人だよ」

「良い人なのは知ってるけど、それとこれとは別って言うか。そりゃアシュレイは最初からディークと一緒にいただろうけど」


 アシュレイは顎を摘まみ、ふと思い立った。その考えに自分で面白くなり、アシュレイは苦笑しつつユーリッドに言った。


「じゃあ、キーファさんにお願いしようか? あの人も詳しいよ」

「嫌だってば! 必ず拳骨がとんでくるもん」

「ほう、そんなに俺は嫌か」


 傍を丁度通りかかったキーファがにっこりと笑った。ユーリッドが真っ青になる。


「き、キーファ!」


 ユーリッドが腰を浮かせて早くも逃げ出そうとしている。キーファがデッキに上がってきた。


「数式の勉強か。なら俺はお前に先輩とうまくやっていくための信条を叩きこんでやろう」


 ユーリッドはアシュレイに救いの視線を送ったが、アシュレイは困ったように肩をすくめた。


 結局ユーリッドは色々とキーファに小言を言われた。いつの間にか勉強のことではなく戦闘でのたち振る舞いにまで話が及び、ユーリッドはうなだれていた。


 小言が終わって内心溜息をついて振り返ると、そこにいたはずのアシュレイがいない。あたりを見回すと、アシュレイは冷えた果汁のジュースを持って戻ってきた。


「終わった?」


 アシュレイはそう言ってジュースを差し出した。


「もしかして、搾ってたの?」


 アシュレイは頷いた。


「長いと思ったからね。はい、キーファさんも」

「悪いな、アシュレイ。通りかかっただけなのに」

「・・・・通りかかっただけなら説教しなくても良いじゃないか」


 ユーリッドがぼそっと呟いた。アシュレイは椅子に座った。


「今日はこれで終わりにしようか。もう集中できないだろう?」

「あ・・・・ごめん」

「気にしなくていいよ。古代史の資料も集めておくから」


 アシュレイはそう言った。


 ユーリッドはそのまま少年たちと遊びに行き、そこにはアシュレイとキーファが残った。アシュレイはぼんやりと遊んでいるユーリッドらを見つめていた。


「・・・・・ああやって遊んでいると、まだほんの少年なのに」


 アシュレイの言いたいことは分かる。まだ15,6歳の少年に武器を取らせていることが辛いのだ。


 アシュレイは先ほどまで数式の説明に使っていた紙を裏返し、ユーリッドたちの姿を描き始めた。黒のペン一色だが、非常に美しい。


 ものの数分で描きあげてしまったアシュレイがふうと息をつく。


「駄目ですね・・・・・一度絵を描くことを思い出してしまったら、常に何か描いていたくなっちゃって。おかげで最近、1日中部屋の画布と向き合ってしまって」

「いつから描いていたんだ?」

「子供の時から父に教わっていて・・・・・ヴェイとディークさんに助けられたあとも、クランを立ち上げるまではずっと描いていました」

「趣味で?」

「いえ。クランを立ち上げる前、魔獣狩りの報酬だけではとてもやっていけなくて。ひそかに絵を描いては売りさばいていました」


 キーファが目を丸くして沈黙した。


「それ以外にも、こまごまとした仕事はいくつもやっていました。当時僕はまだ剣の腕もよくなかったので、魔獣狩りの手伝いができなくて・・・・・少しでもお金になる仕事があれば、と。楽器や料理を学んだのは、その経験です」

「・・・・苦労していたんだな」

「けどいい経験です。独りになった時、生きていけるように見聞は広めておこうと思ったので」

「独り?」

「昔は・・・・僕は独りを恐れていたんです。ヴェイとディークさんに出会っても、僕はずっと独りに怯えていた・・・・・いつか二人がいなくなるんじゃないかと。そのために、生きていく術は自分で身につけました」

「料理や学問は分かるが、画才やらは何に必要なんだ?」


 アシュレイは微笑んだ。


「だから、お金集めですよ。絵は描いて売れるし、楽器も路上で弾いていれば、少なくてもお金になります」


キーファが咳払いし、座りなおした。


「・・・・・世渡りがうまそうだな」

「たぶんそのせいですよ。僕がお人よしになったのは・・・・そうすることが、趣味になってしまったから」


 依頼のとき以外、何があろうと剣を握ったり身体を動かしたりしないアシュレイである。嫌いなわけではないが、剣の鍛錬をするよりも読書をしたり絵を描いていたり、料理をすることのほうが好きなのだ。


「・・・・なんだろう。俺は意外にお前のことを殆ど知らなかったんだな」


 キーファはそう呟いたが、アシュレイはただ微笑んでいるだけだ。それを見て、キーファは違うな、と思った。


 これまで、アシュレイが他人に知らせようとしなかったのだ。自分で、他人が関わることを微笑んで拒んできた。それなのに、いまアシュレイは自分から積極的に他人に関わろうとしている。


 変わったんだな、とキーファは思う。また一枚、壁がなくなったのだろう。


 アシュレイは少しずつ、自分を周りにさらけ出し、頼ろうと思い始めたのだ。ゼクトだけを唯一の理解者と思い込むような愚かなことは、二度としたくなかったから。

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