10 解放
ヴェイとルーヴの攻撃は休むことを知らなかった。互いのフォローが的確すぎて、疲れを感じる暇すらなかった。ゼクトの身体は傷だらけだったが、まだこれくらいでは傷の内に入らないらしい。
『・・・・お前たち、ただの知り合いでは済まない関係の糸が見えるぞ。何者だ・・・・・?』
「なんだろうなあ。何色の糸だ? 赤か?」
「気味の悪いことは言わないでくださいっ」
ルーヴがすかさず怒鳴る。
『私相手にここまで無傷で善戦したのは褒めてやろう。だが、これに耐えられるか』
ゼクトが翼を広げ、とび上がった。空中で停止し、ヴェイとルーヴを見下ろす。ふたりは攻撃に備えて剣を構えた。
ゼクトが口を開ける。そこから灼熱の紅い炎の塊が飛び出した。火球は二人を直撃した。さしものヴェイとルーヴも、声を上げて吹き飛ばされた。ヴェイは寸前で受け身をとったが、ヴェイよりも近くで火球を受けたルーヴは受け身を取る間もなく吹き飛ばされ、地割れの底、漆黒の闇へ落ちた。
「ルーヴ!」
ヴェイが叫び、間一髪でルーヴの手を掴む。ルーヴはまったく反応しない。ヴェイが舌打ちし、呼びかけた。
「おい、目を覚ませ!」
そうしている間にルーヴの手がヴェイの手の中からゆっくりと抜けていく。そして背後には地面に降り立ったゼクトがいる。こうしていればもう一度直撃を受けて二人で奈落の底へ落ちてしまう。
「くそ・・・・っ」
ヴェイが冷汗を滴らせる。その瞬間、ルーヴの手が抜けた。
「・・・・・しまった!」
ヴェイが顔色を失う。しかし、大量の術符がルーヴの下に地面をつくり、彼を受け止めた。ヴェイが顔を上げると、ディークが僅かに笑みを浮かべていた。あれほどいた魔獣は、既に殲滅されていた。
「貴方らしくありませんね、そんなに焦らないでください」
ディークがそう言って、右手をあげた。術符がルーヴを押し上げ、ヴェイは意識を失っているルーヴを抱え起こした。その間、ディークやセレニアがゼクトに攻撃を仕掛けている。
「しっかりしろっ」
呼びかけると、ルーヴは呻きつつ目を開けた。
「・・・・・あ・・・・・・何が・・・・・?」
「・・・・・やれやれ、心臓が止まるかと思った」
ヴェイは安堵した表情で息をついた。ルーヴは立ち上がり、地面に落ちていた自身の双剣を拾い上げた。
「地面を割いてくれて有難う。おかげでお前の攻撃が届かなくてやりたい放題だ」
ディークが皮肉っぽく呟いた。魔術の猛攻を翼で一掃したゼクトがうなる。
『あの魔獣をこれほど短時間で・・・・・』
「俺たちは魔獣狩りクラン『アルシャイン』だ。魔獣の倒し方についてはプロだ。相手が悪かったな」
ヴェイがいくらかいつもの余裕を取り戻して言った。
ディークが傍にいるセレニアに囁いた。
「セレニア、私の力に同調してくれ」
セレニアはディークを見上げ、頷いた。
術符を構えて目を閉じつつ、ディークはユーリッドに指示をする。
「ユーリッド、奴を引きつけろ。これから一撃ぶつける・・・・」
「了解!」
ユーリッドが前に飛び出て、銃を構えた。そして連射する。ことごとく弾かれるが、ユーリッドはあくまでも時間を稼ぐのが役目だ。
セレニアも目を閉じる。術符が白く光った。ディークが術符を構えた。
「獣の王、闇を司る者よ。お前にこれが耐えられるか?」
ディークはそう呟きつつ、術符を投じた。
『聖』
決してディーク一人の魔力では発動できない究極の術。しかし、セレニアの魔力を合わせればそれが発動できるのだ。
巨大な光の矢が現れ、一直線にゼクトへ向かった。即座にディークが大量の術符を宙に投げる。その術符も一枚一枚が小さな矢となり、先に出した矢の後を追った。
まともにゼクトを貫通する。ゼクトが苦しげに咆哮し、よろめいた。その瞬間に、ヴェイとルーヴが跳躍した。
ヴェイの「飛燕」がゼクトの首を貫き、ルーヴの双剣が翼をへし折った。
ゼクトが横転する。
『・・・・これで終わったと思うな・・・・・私は消えぬ・・・・人間ごときの攻撃で死ぬことは、ない・・・・・!』
「往生際が悪いぞ。潔く成仏しやがれ」
ヴェイが吐き捨てる。と、ゼクトがふっと笑った。
『器があれば、私は何度でも再生する。時を要するが―――』
ゼクトが光の粒子に姿を変える。そしてそれはゆっくりと移動を始める。ヴェイがはっとして振り仰いだ。
「アシュレイ!」
それに気づいたシルヴァスがアシュレイを抱き起こし、彼に覆いかぶさった。
光がアシュレイを庇うシルヴァスの背へ突進した。キーファが駆け寄る。その瞬間、何かに光が弾かれた。シルヴァスの背を守るように、透明な壁があったのだ。
振り返ったシルヴァスはほっとしたような笑みを見せつつ、不敵に呟いた。
「・・・・・治癒術しか使えねえって、見くびってたか? 残念だったな、自分と怪我人の身くらい、自分で守れるんだよ!」
しかし慣れないことをしたのだろう。シルヴァスは床に手をついた。シルヴァスが守ってくれたと気づいたアシュレイはそっとシルヴァスに手を伸ばす。
「・・・・あり、がと・・・・・」
キーファがシルヴァスとゼクトの間に割って入り、剣を構えた。ゼクトはしばらくそこに留まっていたが、ふっと笑った。
『―――また会おう・・・・』
そう言って光は消えた。キーファが剣を降ろす。地割れを飛び越えてヴェイとルーヴがアシュレイの傍に駆け寄ってきた。
「アシュレイ!」
ヴェイがアシュレイを抱き締めた。アシュレイの身体に全く力が入っていなかったが、それでもアシュレイは声を絞り出した。
「ヴェイ・・・・・」
「良かった! 本当にお前だな!?」
ヴェイの言葉にアシュレイは頷いた。
「ゼクトは・・・・まだ死んでいない・・・・・休眠して、力を取り戻すつもりです・・・・・・」
ヴェイがアシュレイを見つめた。瞳を開いたアシュレイは苦しげにヴェイを見つめた。
「すみません、ヴェイ・・・・・僕は、自分の心に・・・・・勝てなかった・・・・・だから、あんなこと・・・・・」
「違う。お前は自分で戻ってきた。お前は最後の最後に、ゼクトの支配に勝ったんだよ」
アシュレイはヴェイを見つめ、それからゆっくりと目を閉じた。
「でも、僕の責任です・・・・・今度、僕がまた僕でなくなったら、その時は・・・・・」
声はなかったが、ヴェイにははっきりと「殺してください」と呟いたのが分かった。そのままアシュレイの身体が重くなり、再び意識を失った。
その時、激しく地面が揺れた。セレニアがよろめき、ユーリッドが彼女を支える。天井にひびが入った。
「まずい、崩れます!」
ルーヴが叫ぶ。ヴェイはアシュレイを背負いあげた。
「地上へ戻る! 走れ!」
クランメンバーが駆けだし、元来た道を戻った。
「先に行ってください」
ルーヴがそう言って最後尾を務めた。キーファが疲れ果てているシルヴァスを支える。ユーリッドはセレニアの手を引っ張って駆けだす。
ルーヴが階段を駆け上がった瞬間、階下で轟音が響いた。ルーヴの足元が崩れそうになる。
「またかよっ」
ヴェイが思わず呟く。しかし今度のルーヴは気絶してはいない。間一髪で地面を蹴り、ルーヴは崩れる床から逃れ、メンバーの肝を冷やしてくれた。
なんとか王廟を脱出する。外見は変化がないが、祭壇は崩れてしまった。ルーヴが溜息をつく。
「・・・・・魔獣討伐のためとはいえ、いずれ立て直して慰霊をしなければなりませんね・・・・・・」
そして盛大な溜息をつく。
「おい、溜息をつくくらいならさっさと帝都へ帰るぞ。怪我人が大量にいるんだ」
ヴェイが言い、ルーヴが頷いた。
「分かっています。急ぎましょう」
そうしてアルシャインは、バラクリフ王廟をあとにした。
★☆
帝都の帝城の一室に寝かされたアシュレイは、いまだ目覚める気配がない。
帝都に戻ってきてそろそろ2日が経とうとしている。かなり力を使って疲れ果てていたディークやシルヴァス、セレニアも調子を取り戻したが、アシュレイだけが回復しない。熱もないし苦しんでいる様子もない。ただ眠っているだけだ。ヴェイはずっとそのアシュレイの傍についていた。
ディークやシルヴァスがアシュレイを診たが、どちらも首を捻っていた。
「まあ、疲れたからまだ眠いってことじゃねえか」
「そうですね。人以外の存在に憑依されていたんです。急激な力の変化に身体がついて行かなかったんでしょう」
「じゃあ心配はないのか」
ヴェイの問いに、ディークは頷いた。
「おそらく。後遺症のようなものも・・・・・ないといいのですが」
ディークの悪い予想は当たらなかった。アシュレイはその翌日に目を覚ましたのだ。
「目が覚めたな」
ヴェイは薄く瞳を開けたアシュレイに微笑みかけた。外は朝であり、暖かい日差しが窓から差し込んでいた。
「あ・・・・」
「なんか食うか?」
「え・・・・あ、いえ、平気です・・・・・」
てっきり責められるかと思っていた。なぜあんなことをしたのか、追及されると思っていた。それなのにヴェイは何も言わなかった。それに驚きを隠せなかった。
「平気じゃないだろ。3日間何も食っていなかったんだから。ちょっと待ってろ」
ヴェイはそう言って立ち上がり、部屋を出て言った。しばらくして戻ってきたヴェイはシチューの皿を持っていた。
「ほら。帝都の料理人のシチューなんて滅多に食べれないぞ」
「・・・・・有難う御座います」
アシュレイは身体を起こした。まだ身体のあちこちが痛かったが、ヴェイが支えてくれていた。
無言でシチューを口に運ぶアシュレイを見て、ヴェイは肩をすくめた。
「暗いな、どうした?」
「・・・・どんな顔をしてみんなに会えばいいのか、分からなくて」
「誰もお前を責めないよ。お前はゼクトに操られていた。アシュレイの意思じゃないってことは、最初からみんな信じていた」
「でも・・・・それでも僕はみんなを裏切った。僕に魔獣を憎む気持ちがなければ、あんなことにはならなかった」
ヴェイは表情の晴れないアシュレイを見やり、腕を組んだ。
「・・・・じゃあ、俺に話してみろ。北の森に行ってから、王廟の地下まで、お前がゼクトと何を語り、何をしたのか」
アシュレイは沈黙した。
「今は誰もいない。それとも、俺には話せないか?」
「いえ・・・・何を話せばいいのか」
アシュレイはそう呟き、あまり口をつけていないシチューの皿を卓の上に置いた。
「ゆっくりでいいんだよ」
「はい・・・・北の森で魔獣を討伐し終えた後・・・・・僕に呼び掛ける声がして。行くつもりはなかったのに、何かが僕を促していて・・・・言われるがままに祠の封印を解いてしまった。それが最初です」
アシュレイは独り言のように語った。
「最初は身体が重くて、思うように戦えなかった・・・・そうしたらゼクトが言うんです。僕がクランに入ったのは恩返しである前に、魔獣への憎しみからだっただろう、と・・・・それで思い出しました。両親を殺された時の、あの憎しみを・・・・・確かにそうだったんです。僕は最初、ヴェイが魔獣を狩っていると聞いて好都合だと考えた。仇が討てるんだと・・・・・でも、それはもう違った。いまは・・・・本当に魔獣による被害を減らしたくて戦っているんです。僕のように、悲しむ人が出ないように」
アシュレイはぐっと毛布を握りしめた。
「僕は・・・・・そこから自分を失い始めた。常にゼクトが僕を嗾けるんです・・・・・魔獣を倒せ、あれは親の仇だ、と。あの時はゼクトが僕の理解者なんだと・・・・・そう思いこんでしまった。それも含めて僕は、次第にゼクトに逆らえなくなった・・・・・」
「・・・・・祠を壊すのも、ゼクトに指示されたからか?」
「はい・・・・魔獣が弱体化し、お前は新たな力を得ることができる、と・・・・・」
ヴェイは微笑み、アシュレイの頭に手を置いた。
「確かに一時はゼクトに負けたかもしれない。だが、最後にアシュレイは自分の意思でゼクトに抗っていた。それも事実だろう?」
「・・・・・おかしいなって思ったんです。ゼクトが明らかに変わっていたから・・・・・でも結局、気づくのは遅かった・・・・」
「そんなことはない。お前はちゃんと帰ってきた。俺はそれだけでいいよ」
ヴェイは片手でアシュレイを抱きよせた。少年の頃、ヴェイがよくそうやって励ましてくれた。アシュレイの瞳から涙が零れ落ちた。
ヴェイは思う。リラの街跡でアシュレイがヴェイに「助けて」と言った。それはもしかして「殺してくれ」だったのかもしれない、と。ならば、死を望んでいたアシュレイを生かした責任は自分にある。
守ってやろう。改めて、ヴェイはそう思った。
「・・・・ひとつだけ約束しろ。死にたいだなんて言うな。もう二度と、言うんじゃないぞ。お前がお前でなくなったら、ぶん殴って正気に戻させてやるからな」
アシュレイは無言で頷いた。ヴェイはふっと息をついた。
「・・・・辛かったな。何もしてやれなくて、ごめんな」
★☆
さらにその翌日、アシュレイが目を覚ますと、室内のソファに座ったヴェイが居眠りをしていた。
「・・・・・ヴェイ・・・・・」
アシュレイは、ヴェイがいつもの黒い眼帯をつけていないのに気づいた。するとアシュレイが起きたのに気づいたヴェイが目を開け、大きく伸びをして身体を起こした。
「よお、アシュレイ。もう起きていたのか」
ヴェイの右目は黒いが、左目は白い。メンバーがひそかに「首領の趣味なのかな」と言っていた眼帯だが、そうではないことをアシュレイは明確に知っていた。
「あの、眼帯・・・・・」
「ん? ああ、そういえばそうだったな。まあどうせ見えていないんだから無くても同じだが。別に趣味じゃないから替えも持っていない」
「・・・・・僕を庇って失明したんですよね」
アシュレイが俯く。ヴェイは立ち上がると笑った。
「またそうやって自分のせいにして。そんな昔のこと・・・・・」
アシュレイは困ったように微笑んだ。
「・・・・色々思い出すんです。ゼクトに、過去の記憶を掻きだされたからかな・・・・・」
アシュレイが呟いた。ヴェイは首を振った。
「その話はもう良い。あんまり気にすると、気分が沈むだろ」
アシュレイが頷き、床に足を降ろした。
「立てるのか」
「はい」
アシュレイが頷く。
ヴェイとともに城内のホールに出ると、大部分のアルシャインメンバーが集まっていた。真っ先にふたりに気づいたのはユーリッドだった。
「アシュレイ!」
ユーリッドが駆け寄ってくる。そしてアシュレイに抱きつく。アシュレイはそんな少年を見降ろした。
「ユーリッド・・・・・」
「良かった! アシュレイ、元に戻った・・・・!」
セレニアも歩み寄ってくる。片手を腰にあて、表情は穏やかにアシュレイを見やった。
「やっとあんたに会えたわね」
「・・・・セレニア、ユーリッド、ごめん。僕は・・・・・」
「ううん、いいんだよ。僕は信じてたから。アシュレイならきっと戻ってきてくれるって」
ユーリッドが笑顔でそう言った。アシュレイはようやく笑みを見せた。そして少年を抱き締める。
「ごめんね。有難う・・・・・・」
ヴェイはルーヴの元へ近寄った。
「ルーヴ、話はどうなった?」
「・・・・・白紙に戻りました。ゼクトは休眠し、その休眠場所も分からなくなった。魔獣の凶暴性も少し収まったようです。一件落着・・・・・とは私は思っていませんが、もうどうしようもありませんね」
「ということは、また何か起こるまでは放っておいていいってことか」
ルーヴは頷いた。
「やりようがありませんからね・・・・・まあ、そういうことです。今回の討伐要請はここまでです。報奨金は出ますからご心配なく。通常の生活に戻れますよ」
ヴェイが頷く。それを見て、ルーヴが腕を組む。
「・・・・嬉しくないですか?」
「しっくりこない終わり方だと思ってな。まあお役御免ならいいんだが。ところでお前は?」
ルーヴは肩をすくめた。
「お忘れみたいですが、私は帝国騎士です。貴方達に同行していたのはあくまで監視でしたから、役目も終わりました。騎士団に戻りますよ」
「ああ、そういえばそうだったな。すっかり馴染んでいたから違和感がなかった」
「まったく・・・・・・」
ルーヴは苦笑し、ヴェイを見やった。
「・・・・引き続いてこちらでも調べます。何か動きがあれば連絡しますよ。その時にはまた共闘することになるかもしれません」
「そうだな。じゃあ、それまで元気で」
「貴方も」
ルーヴは頷き、それからアシュレイの前へ立った。初対面の時よりもルーヴの視線は柔らかかった。アシュレイはすっと頭を下げた。
「・・・・迷惑をおかけして、すみませんでした」
「・・・・いや。私こそ、手痛い目にあわせてしまった。・・・・今のアシュレイから禍々しい力は感じない。本来の君は・・・・・それほど清らかだったんだな。【深淵の泉】の名の通りだ」
ルーヴはそう言うと、片手を差し出した。
「次に会う時を楽しみにしている。その時は・・・・・共に戦うことを願うよ」
「・・・・有難う御座います」
アシュレイは笑顔を見せると、ルーヴの手を握った。