8 正体
ルーヴらに遅れること数刻で、ヴェイとディーク、アシュレイは帝都エリンシルへ到着した。帝都は煌びやかで、光や色に溢れていた。貴族中心のこの国の、権力の象徴とも言うべき豪華な都会だ。傭兵を目の敵にする貴族は多く、上流階級に足を踏み入れただけで嫌な顔をされる。ヴェイは全く気にしなかったが。
ヴェイが頭を掻く。
「まったく、何度来てもここは落ち着かないな。人は多いし、うるさいし」
「まあそうですが、これはこれでいいじゃありませんか。賑やかで」
「お前は帝都が好きだったのか?」
「いえ。ですが、たまにはこういう喧騒も懐かしく思うときがあります」
ディークはそう言って微笑んだ。ヴェイは肩をすくめ、背の高い建造物が並ぶ帝都の街並みを見上げた。
「そうだなあ。なんだかんだ言っても、俺たちの故郷だしな」
商業区の入り口の門にキーファが佇んでいた。ヴェイたちを待っていてくれたらしい。キーファはヴェイを見つけるとこちらに歩み寄ってきた。
「アシュレイはどうしたんですか」
「ああ、魔獣に襲われたようでな」
「嘘ですね。首領はアシュレイの次に嘘が下手ですよ」
キーファの言葉にヴェイは肩をすくめた。
「アシュレイも苦しんでいる。・・・・そう言うことだ。大丈夫だ、眠っているだけだから。それより、みんなはどこにいる?」
「ルーヴは城へ向かい、打ち合わせをしています。その間、俺たちも城のなかで待機です」
「分かった。とりあえず城へ行こう」
ヴェイがそう言い、キーファとディークは頷いた。
街を抜けると、巨大な帝城が現れた。入ってすぐのホールだけは一般の市民も自由に入れることになっている。ヴェイは城内部へ続く廊下に立っている騎士に声をかけた。
「クラン『アルシャイン』のヴェイだ。俺の仲間がここで待機していると聞いた。通してくれるか」
「ルーヴ殿から伺っております。どうぞ、こちらへ」
恭しく騎士が頭を下げる。ヴェイはどこに行っても畏怖される「最強剣士」なのである。ヴェイはその態度に辟易している。
案内された部屋でヴェイはアシュレイを寝台に寝かせた。キーファがシルヴァスを呼びに行き、ふうっとヴェイが吐息をついたところへ、ルーヴが現れた。
「大丈夫でしたか?」
「ああ、心配はいらない。そっちの話はまとまったのか」
ルーヴは頷き、持っていた書類に視線を落とした。
「洞窟の造りは・・・・私たちが行ったものとほぼ同じですね。同行した騎士が内部の地図を作製していたので、それをもらってきました」
「で、場所は?」
「北にあるバラクリフ王廟の地下です」
ヴェイは目を丸くした。
「廟? 霊を祀るところだろう。なんだってそんなところに・・・・」
「棲みついて繁殖したようです。以前は神聖な場所でしたが、今は見る影もなく・・・・・古代の王の祟りだ、という者も多いですね」
ルーヴは紙をめくった。
「それと・・・・」
言いかけたルーヴはややあって紙を戻した。
「・・・・いえ、ここでお話しするのはやめた方がいいですね。あとで改めて報告します。明日には発てるでしょうか?」
「おそらく大丈夫だろう」
「分かりました」
ルーヴは僅かに黙った後、おもむろに聞いた。
「ところで、クランの皆さんは、霊とか墓とか平気なんですか」
ヴェイは腕を組んで首を捻った。
「どうだろうなあ。たまにみんなで怪談話とかもしたことがあったが、聞きたがらない奴もいたからな」
「特に、あの年少組ですね。セレニアとユーリッドがひいひい言っているのが目に浮かびますよ」
ディークがくすくすと笑った。セレニアは強がってはいるが、かなりそういうものに弱いのである。ユーリッドも怪談話は大嫌いだ。
「・・・・『出る』って噂ですからね。まあ、気をつけてください」
ルーヴが意味ありげに呟いた。ヴェイは苦笑しつつ頷いた。
「よし。今夜は少しゆっくりさせてもらおう。こんな良い待遇は一生の内で一度あればいいものだからな」
★☆
少なからずアシュレイが正気に返ったと期待していたヴェイとディークだったが、翌朝のアシュレイの様子を見る限り、正気に戻ったところはなかった。むしろ、あの近づきがたい雰囲気が増していた。やはり昨日のアシュレイは、曇天のさなか僅かに見せた太陽の日差しのようなものだったのだろう。すぐにアシュレイの心は暗雲に覆われた。
一行は山間にあるバラクリフ王廟へ到着した。鴉がけたたましく鳴き、不気味に曲った木の枝が王廟に影を落とす。建物自体、構造が凝っていて立派なだけあって、不気味さが増している。
「ちょ・・・・こ、ここ何・・・・・っ!?」
ユーリッドが悲鳴じみた声を上げてのけぞった。セレニアもさあっと顔色を失った。ヴェイがニヤニヤしながら白々しく言った。
「あ、そうだ、言い忘れていたなあ。ここは古代の王の霊を祀る王廟だ。魔物の巣になっている。それは王の祟りで・・・・・」
後半は物々しく雰囲気たっぷりにヴェイが言うため、セレニアが悲鳴を上げる。ユーリッドが思わずシルヴァスにしがみつく。ユーリッドは小柄で、頑張ってしがみついてもシルヴァスの腰までしかない。長身のシルヴァスは咄嗟に誰に抱きつかれたのか分からず、「馬鹿っ、誰だっ、よせ!」と半ばパニックに陥っている。キーファが呆れたように首を振る。
「好きですね、首領・・・・・・」
「しゅっ、趣味悪いわっ! この軽薄首領が・・・・・っ!」
セレニアが泣き叫ぶ。ルーヴが溜息をついた。
「どうするんですか、怖がらせて。これで中に入って戦力にならなかったら・・・・・」
「大丈夫さ。戦ってた方が気がまぎれる。そうだろ? 祟りなんてものが本当に存在するなら、俺が引き受けてやる」
メンバーは全員蒼白になっていたが、それでも頼もしくひきつった笑みを浮かべて頷いた。と、その中で独りアシュレイは冷めたように腕を組んだ。
「・・・・・くだらない」
そう言ってアシュレイはさっさと王廟の中へ足を踏み入れた。ヴェイが肩をすくめ、「行くぞ」と合図する。セレニアは最後まで嫌がっていた。こんな時、アシュレイならば「大丈夫だよ」と優しく微笑んで、彼女と一緒に最後尾を歩くはずだった。
王廟の中はひんやりしていた。リぺラージ大瀑布の洞窟と同じ雰囲気である。あちこちに不気味な仮面や骨董品が置かれており、ユーリッドはシルヴァスにしがみつきながらあたりを見回していた。上空をはばたく黒い影。
「こ、蝙蝠が飛んでるよ・・・・・」
「あれのどこが蝙蝠だ、思いっきり魔獣じゃねえか。さてはお前、本物の蝙蝠を見たことがないな? だから区別がつかねえんだろ」
「あれが魔獣・・・・・? じゃあ、なんで襲ってこないの?」
「多分、こいつのおかげだろ」
シルヴァスは持っていたランプを掲げて見せた。
「こんな暗い所に住んでる奴は光に弱いんだよ」
「そ、そうなんだ・・・・・うわっ、あっちにもいる・・・・」
「お前なあ・・・・怖いんならきょろきょろすんな。俺だって足が震えそうなんだからよ・・・・・・」
シルヴァスが柄にもなくそう呟いた。
ルーヴは地図を頼りに内部へ進んだ。そして王廟の本殿に入ると、二階まで吹き抜けの高い天井の部屋に出た。そこに祭壇がある。ヴェイが天井を見上げ、それから視線を祭壇に下ろす。
「ここに祀られている古代の王ってのは誰のことだ?」
ルーヴも祭壇を見つめながら答えた。
「・・・・建国王アーレイです。かつてこの帝国は列強に隷属する小国家だった・・・・・アーレイは民をまとめ上げ、列強に抗ってこの国を立ちあげた。当時は王制国家でしたが、次々に小国を併合して帝国になったのです」
「ほう、初めて聞いたな。俺はてっきりギルバースかと思った」
ギルバースとはこのファル・アレイ帝国の初代皇帝の名である。彼は賢王として知られ、当時貧困のさなかにあった国を救った英雄である。文武に優れ、列強を覆してきた。その印象が強いため、「始祖はギルバースだ」と思いこむ人物が殆どである。
「過去の人物ほど忘れていくものです。ギルバースはアーレイの弟の家系の直系子孫です。アーレイがこの地を国として治めた最初の王とするならば、ギルバースは王国だったこの国を帝国に変え、列強国にした英雄。しかしギルバースは今から200年ほど前の人物ですが、アーレイは1000年以上前の人物ですからね・・・・影が薄くなるのは仕方ない。だからこの王廟もこんなに廃れたのでしょう」
「成程な」
「けど、全ての始まりはアーレイにあった。知っていますか、ファルとは偉大という意味で、アレイは名からとっているんです。それでファル・アレイ帝国・・・・『偉大なアーレイの国』。私はギルバースよりもアーレイを尊敬していますよ」
「お前は本当に古代史が好きなんだな」
ヴェイが感心したように呟いた。ルーヴは目を閉じ、それからあたりを見回した。
「このあたりに、地下へ降りる隠し道があるはずですが・・・・・」
アシュレイが迷うことなく進み出て、祭壇の裏側へ回った。そして祭壇をゆっくりと押す。祭壇が重い音を立てて動き、そこに地下へ続く階段があった。
アシュレイは無言で階段を下りていく。リぺラージ大瀑布では「ついて来てください」「こっちです」と言っていたが、今回はそれすら言わない。ひとりで戦っているのだ。ヴェイやルーヴなど空気のようなものだ。
ヴェイが歩き出し、メンバーもそれに続く。ルーヴは独り祭壇の前に佇んだ。彼の目には、はっきりと「人ならざる気配」を映していた。
「・・・・・始祖アーレイ。廟の奥に立ちいることを許してください」
そう呟いてから、彼も階段を下った。
地下に降り、ユーリッドやセレニアが恐怖を忘れて茫然とした。地下には川があった―――濁っていない、底まで見える澄んだ水だ。しかも、どういう理由か水が蒼く光っている。そのおかげで仄かに明るく、ランプがなくても歩くことができる―――とても静かで、神聖な空気が漂っていた。それまで床だったところはいつの間にか岩に代わり、足場は安定していない。
「これはすごい・・・・・いったい、何100年前の名残なんだ・・・・・」
ディークが呟いた。
魔獣の気配はない。アシュレイはさっさと先に進んでいった。ヴェイは肩をすくめつつ、思い出したようにルーヴに問いかけた。
「そういえばルーヴ、お前昨日俺に言いかけたことがあっただろう。あれはなんだ?」
ルーヴは顎に手を当て、声を僅かにひそめた。
「・・・・・私の方でゼクトという存在について調べたんです。古い書物に、ゼクトについて少し載っていました」
「それで?」
「ゼクトは確かに獣の王と呼ばれた存在です。魔獣を自由に操る力があります。そしてゼクトは何人もの人を虐殺していた―――人間は、存在してはならぬ生物だと言って。そして霊力の強かったアーレイ王が、ゼクトを北の森に封印したのです」
「北の森・・・・・アシュレイが変わったのは、北の森で任務にあたったあの時からだったな」
ディークが眉をひそめた。
「なら・・・・こう考えられますね。ここに魔獣の巣窟があるのは王の祟りではなく、ゼクトによる王への復讐なのかも・・・・・」
「そうです。そしてもう一つ―――ゼクトの目的は人の滅亡だとしたら。そのために封印を解く人間が必要だった。そしてゼクトはアシュレイに憑依し、彼を操って魔獣を倒している―――魔獣を倒し、人を滅ぼすのはあくまでもアシュレイです。だから、彼に力を与えさせるためには魔獣を倒させるのが手っ取り早かった―――魔獣は尽きることがありませんからね」
「ゼクトにとって無尽蔵に湧き出る駒である魔獣は、便利な使い捨ての道具か―――アシュレイが魔獣を憎んでいたから、尚更のことだな」
ヴェイも呟いた。ルーヴが頷く。
「ゼクトは恨みで生きています。同じように魔獣への恨みを持つアシュレイを傀儡にし、その憎しみに拍車をかけさせる・・・・・と、ゼクトとアシュレイの精神状態は極めて近いものとなるでしょう。そうなると、容易く人を操ることができる」
説明したその瞬間、ルーヴの脳裏で声が響いた。
―――聡いな。その通りだ。
ルーヴが硬直する。足をとめたルーヴを訝しげにヴェイとディークが振り向く。ルーヴは額に手を当て、その場に膝をついた。
「ルーヴ!?」
ヴェイが駆け寄ってくる。声が直接頭の中に響いている。それが不快で、ルーヴは激しいめまいを覚えた。
―――私を一発で見抜くお前といい、私を短時間で引きずり出したあの男といい・・・・・ここには優秀な者が揃っているのだな。しかし、遠ざかっていれば私に伝わらないと考えるのは愚かだな。
(獣の王・・・・・なぜアシュレイを操っている? お前の力があれば、人間を使わずとも魔獣を使役することで簡単に人を滅ぼせるはずだ・・・・・だから)
―――だからアシュレイを返せ、か? 残念だったな。この者の意思ではもうどうにもなるまい。私に深く触れすぎたことで、己を見失っている。
(そうではないはずだ。お前は・・・・まだ力を取り戻していない。実体を保つことができない。そういうことじゃないのか・・・・?)
―――なんだと?
(お前は力を失って封印された。アシュレイが封印を解いたことで自由は得たが、実体を持っているには力が足りない。その力が、大瀑布とこの先にある祠に封じられているのではないか?)
―――だとしたら?
(お前は力を取り戻した後・・・・・アシュレイをどうするつもりだ?)
ゼクトは答えなかった。気配が遠のき、頭が軽くなった。顔を上げると、ヴェイが傍にしゃがんでいた。
「大丈夫か」
「はい・・・・・ゼクトの声を聞きました・・・・・」
ディークが目を見張る。
「私の仮説は、どうやら正しいようですね・・・・・」
ルーヴはそう言い、立ち上がった。
「もう平気です。すみません」
ヴェイも立ち上がり、頷いた。
「アシュレイがさっさと行ってしまった。追いかけよう」
ルーヴも頷き、アシュレイが進んだ道を見つめた。
必ずアシュレイからゼクトを引きはがす。ルーヴはそう決意した。