シンピテキなもの 2
ドアを開けると、背中が見えた。縛られていない後ろの毛は何だか思ったよりも軽そうでサラサラとしていて、いつもよりその丸まった背中が子供らしくて新鮮だった。
「何」
僕が声をかけても背中はピクリとも動かない。
「してんの」
ただずっとノンボリと動かなかった。首がほとんど見えなくて、うつむいているのが分かる。
本だと思った。伊呂波は本が大好きなのだ。
故に、よく読む。
「本!」
叫んだと思ったら、伊呂波はパタリと本を閉じたらしくパタンとした音が聞こえる。どうやらハードカバーのご様子。クルリと振り向くと、もう一度「本!」と吐き捨てて僕の顔をジッと見つめる。
「本だよ」
「分かってるよ」
3回目だ。
「そんで、何してんの?」
「・・・・・・」
「本」
「・・・」
「読んでるの?」
「・・・んー・・・」
目をキョロキョロさせて、意味もなく歩き出した。
「あー・・・うん。あれだ、今はお昼休みだから」
「へーそうなんだ。お昼は食べたの?」
「じゃがりこ食った」
そう言ってからまた同じ場所に座りなおし、本に取り掛かるのかまた頭が見えなくなりだした。
「お昼、足りた?」
「あー・・・うん」
「ホントに?」
「いや・・・うん。まだ残ってるから大丈夫」
「あっそ」
肩にかけた学生カバンの中のコンビニおにぎりとヤキトリの存在を感じながら、僕は靴を玄関に脱ぎさっさと歩いて伊呂波の近くのソファーに腰掛けた。伊呂波の横顔が見える。真剣な目をした伊呂波はとてつもなく美人だ。存在は感じているんだろうけど本にはかなわないといった感じで、伊呂波は本に熱中していた。僕はカバンをソファーにおろすと、チャックを開けて今日のお昼ご飯を取り出す。
ビニール袋に包まれたその存在を目の端と耳で捕らえたらしい伊呂波がヒュンとこちらを向いた。凝視している。ヤキトリなんかはビニール袋からはみ出しているので丸見えだ。それを口をポカンと開けて、ジッと見つめていた。閉じようとした口はまただらしなく下がったりして、アウアウさせている。
「ヤキトリ、買ってきたよ」
そう言うと、その目は瞬時に僕の顔を見つめる。途端、ほわんとなって伊呂波の表情はだらしなく崩れた。
「いいの?」
「いらないってんならいい」
「いや、いる」
グイと手を突き出したかと思うと、ヤキトリをビニール袋から奪い取る。そしてニコニコ笑いながら、幸せそうにヤキトリを見つめた。僕はそんな伊呂波をジッと見つめる。何しろこれは元々伊呂波への礼もあってのオゴリなのだが、伊呂波はそんなこと全く気付いていないようなだった。ただ突然舞い込んできた幸せにニヘニヘ笑いながら、ヤキトリの串を大事そうにつまみあげてタレのついたヤキトリのカワに食らいつく。ヤキトリのカワは伊呂波のお気に入りなのだ。あの柔らかいのがたまらないとか何とか。
僕はビニール袋からおにぎり一個を取り出し、包装を破いてパリパリとした海苔とともにおにぎりを口の中に入れてモシャモシャと咀嚼した。相変わらずの味で、美味しいもんだ。
「学校行ってきたのか」
口の中のヤキトリをもぐもぐさせながら、伊呂波が聞く。
「行ってきたよ」
「こんな早いのか」
「いや、今日は」
短縮授業だったんだ、と言いかけた口が動きをふいに動きを止める。
「・・・」
不自然に黙ってしまった。
言うべきか、言わざるべきか。
この件に関して伊呂波は全くと言っていいほど無関係で、しかしだからと言って話すのを止めようとかそんな合理的考えに基づいて決定する件でもないように思える。僕にとって話したいか話したくないかでそれは左右されるべき問題で、僕にはまだそれが分からずにいた。
「?」
ヤキトリを串から口でくわえて外そうとしている伊呂波はそんな僕を不思議そうに見つめていた。
・・・この人は。
恋を、経験したことがあるのだろうか・・・?
「・・・」
何だ、コイツはとばかりに不思議そうな表情のまま伊呂波は僕から視線を外す。見つめて返事を待っていても僕が何も喋らないからだろう。視線はじれったそうな目つきで閉じられたまま放置された本を見つめている。本当は読みたいのだろうが、しかしヤキトリを持ったまま読むなんてそんな本が汚れそうなこと、伊呂波に出来るわけがない。この人はこと本に関しては、異常なまでの神経質さを発揮させる。
・・・まぁ、いいや。
「・・・短縮授業だったんだけどね」
「ふぅん。よかったね」
「本当はもっと早く来れると思ったんだけど、ちょっと・・・・」
「何かあったのか」
「・・・まぁね」
ソファーに置いていたカバンを下に下ろすと、ソファーに寝転がる。片足をソファーの上に立たせて、もう片方はソファーの下のフワフワのカーペットへ。目の前には、白い天井が見える。
「まぁ・・・びっくりしましたよ」
伊呂波の視線がこちらに向けられているのは、見ていなくとも分かる。
あの女の子は、今どうしてるだろうか。
・・・泣いてなきゃ、いいんだけど。
「告白されてさ」
・・・それは。
あったかくて、楽しくなる、と僕が信じているもの。
「わぁ!!」
大きな声が弾ける。首を曲げると、そこには興奮してキラキラした目の伊呂波がいた。
「わぁお!!!」
僕は笑った。無理やり笑った。
十七歳なのだ。信じてもいいと思うのだ。
僕はまだ信じている。