第二章 〜悪魔〜
今回は、思い切って一話を長くしてみました
第二章 〜悪魔〜
「白雪は、悪魔はいると思うか?」
「悪魔、ですか? もしかして先輩、私の家に伝わる噂のことですか?」
白雪は少しだけ怪訝そうに小首を傾げながら尋ねる。
そんなところだな、と僕は答えておく。まあ、実際そうだし。
『白雪家に歯向かう者は、奴らが飼っている悪魔に殺される』という風説がある。
それが悪魔の仕業なのか、ただの偶然なのか、真偽の程は定かではないが、国を動かせる白雪家に反感を抱いてた者達が不慮の死を遂げているのは事実だ。
しかし白雪は言う。
「悪魔なんていませんよ。確かに家に反感を持った人が死んだりしましたが、でも未だに反感を抱く人がいる以上、悪魔もいないと思います。本当にいるのでしたら、そう言う人たちもあその悪魔にやられて存在しないでしょう?」
それに、と白雪は付け加えて言う。
「『奴ら飼っている悪魔』と言いますけど、私はそんなもの見たことありませんから。見たくもありませんし。そして何より、悪魔は飼うのではなく、契約するものだと思います」
「……それはそうだな」
生返事をしながら、僕は思う。
白雪は知らなくて言い話だ。例えば、その『悪魔』がただの隠喩だと言うことだとか。『悪魔』が悪魔と呼ばれるに値する、悪魔らしい働きをしていることだとか。
白雪は知らなくていい。
知られては、とっても困る話だ。
「でも、本当はいるのかもしれませんね……」
しかし、白雪はどこか遠くを見るようにしてこう言った。
「だから、私は不幸なのかもしれません。……『悪魔』を飼っているから」
「……白雪?」
白雪の表情は翳るばかりだ。
「お父さんは、どうして突然いなくなってしまったんでしょうか? 私にも何も言わず、それこそ消えるように」
そして、白雪は言った。
「まるで、悪魔に消されたみたいに」
白雪の顔は悲しみに染まっていた。そして、微かなどうしようもない思いが滲んでいる。
「……白雪は、お父さんのこと、好きだったのか?」
僕の質問に白雪は、どうでしょう、と小さく笑った。
「私が小さい頃にお母さんは病気で死にましたから、本当の家族と呼べたのも、お父さんだけです。だから、……やっぱり好きだったのかもしれません」
それなら、きっと。
唯一の家族を失った時、それも何の前触れも無く消えてしまったその時、白雪はどう思ったのだろう。僕にはわからない。
「……白雪。まだ死んだと決まった訳じゃないし、探したりしないのか?」
白雪は凛として答えた。
「はい。探しません」
「え? どうしてだ?」
それは、少々予想外の答えだった。てっきり、今も血眼になって探しています、とか言うと思ったのだけど。
そんな僕の思考を読み取ったように、白雪は言った。
「突然消えたのは、きっと、お父さんの望んだ結末だと思うからです。きっと、何か思う事があったんだと思います。私に何も言わなかったのも、きっと何か意味があるんだと思います。だから、探しません」
「……そっか」
それは、寂しくないのか? と訊こうかと思ったが、先輩がいるから寂しくありません、とか言われそうな気がするので止めておいた。自意識過剰な気もするけど。
「……白雪は強いな」
けれど、白雪は俯き小さく呟いた。
「私は……強くなんか……ありませんよ」
それは、僕に取っては、深い意味のある言葉だった。
*
その日は、雲の無い夜だった。夜が明けようという時刻だった。
そんな環境だったから、科学者達はその誘いに乗ってしまったのかもしれない。
「……お前。一体何が目的なんだ?」
科学者達は、仮面の男に尋ねる。
夜の闇に紛れるような、真っ黒の仮面で口元から上を隠す男。うっすらと笑みを浮かべているように見えた。
「目的? そんなもの、未来の生活の向上、科学技術の躍進以外に何がある?」
科学者達は訝しみ、顔を見合わせる。そして、仮面の男に尋ねる。
「……………だが、悪魔の技術だぞ?」
仮面の男は小さく笑い、断言する。
「心配するな。全ての責任は、私が持とう。あなた達の考えは解っているつもりだ」
「……………本当、だろうな?」
男はふっと笑い、手を差し出す。
「勿論だ。信じる者を救おう。——いや、信じぬ者も救おう」
科学者達は男に手を差し出した。
そして男は、科学者達に島を与えた。
その数刻後、とある小さなビル。
男の元に、一人のスーツ姿の女が現れた。女は目を伏せ、男の顔を見ずに尋ねる。
「……計画は順調、と言ったところですか?」
男は手で一丁の銃を弄びながら言う。
「ああ。彼らの協力なくしては、新しい国家は作れない。……少々、別のところを感づかれたかもしれないが、恐らく核心は突かれていないだろう。君に危害が及ぶ事は無いはずだ」
それは銀で作られた銃弾が込められた銃。
「…………そうですか」
女は相変わらず目を伏せているが、男は何かに気付いたようだ。
銃をデスクの上に置き、表情の解らない仮面の顔を傾ける。
「心配か?」
「いえ。私はあなたを信頼していますから」
女はすぐに素っ気なく答える。その答えに、一切の迷いはない。
男は満足そうに頷く。
「だろうな。現状では、自らの信愛する主を裏切るような状態だからな。信頼を寄せられないような男にはついて来ないだろう」
「ですから、この計画は悟られてはならないのです」
男は、そうかと頷き、そして女に言った。
「あとは奴の動き次第だ。『悪魔』を殺す方法は、既に我が手の内にある。それで全ては終わり、始まるだろう」
再び男は銃を取り、それを掲げる。
「シルバーブレッド、なんて洒落込むつもりはないがな……」
「?」
女は首を傾げ、そして男に訊いた。
「シルバーブレット……ではないのですか? ブレッドでは、パンですよ」
*
とある屋敷の一部屋で、男と人影は話していた。
「今回の任務、我らがお嬢様の命だ。受けてくれるな?」
「……お嬢様が望まれることなら」
「よろしい。お嬢様のために、その力を振るえ」
「はい」
「今回は、島一つを消してほしい」
「……島一つという事は、島に住む住人を全て、という事ですか?」
「正確には住人ではない。元々は無人島なんだよ。そこに今、テロリストが潜伏している。彼らを狩って欲しいのだ」
「……それで?」
「今回は、島の物を一切傷つける事無くやってほしい。君ならば簡単だろう?」
「……島のモノ、機械や施設を傷つけずに、と?」
「…………、そういうことだ。明日の夜、飛行場に来てくれ。島まで送ろう」
「……わかりました」
影が消え、男は言う。
「ちっ、これだから冴えてる奴は。ただ言われたことだけ忠実にやるから良いものを」
そして男は笑みを浮かべて言った。
「それも、今回までだ」
そして、その男の呟きをその人影は聞いていた。
《国舞島》と呼ばれる島だった。
数年前まで無人島であったため、今でも島の大半は豊かな自然に囲まれている。島に平地は殆ど無く、標高三百メートル程の山を中心としている。
そんな島の中で唯一の人工物である建物に、男達はいた。
四方が森に面した二階建ての建物で、何かの施設のように見える。場所は島、もとい山の中腹よりやや高めにある。男達は何かが来るのが解かっているかのように、銃器で武装し見張りをしていた。
それを高度五百メートルの位置から眺め、人影は呟いた。
「あれが今回の目標か……」
小さな飛行機が、その島の上空を飛んでいた。黒の機体には何も描かれておらず、それが『悪魔』とも呼ばれる組織の所有する機体だとは世間には知られていない。
そして、その機体の操縦士は人影の問いに答える。
「はい。《国舞島》と呼ばれる、現在、公式記録上では無人島となっている島です」
そして操縦士は、決り文句のようにそれを言った。
「我らがお嬢様のため、その願いを叶え、この国に永遠たる幸福を」
そして、飛行機のハッチが開き——、
飛行機は爆発した。
正確に言うなら、撃墜された。
島の中央部、施設のような建物から、眩い光の筋が放たれ、その光は飛行機を直撃し、翼を貫通し融解、爆発させた。
島の施設内ではこんな会話がされていた。
「レーザー砲、着弾確認。レーダーには何も映りません。撃墜しました」
「やったか!?」
色めき立つ同士を前に、リーダー格の男はこう言った。
「……いや。そんな簡単には行かないだろう。…………奴らが、来た」
また、『悪魔』と呼ばれる組織の本部では、こんな会話がされていた。
「機体の撃墜確認。操縦士、狗の生存確認はとれません」
「……そうか。やはり、こうなったか。まあ、そこまで行ければ上出来だ」
「どうしますか?」
通信役の男は、いつも狗に命令を出す男に尋ねた。
「……、予定通り明朝に島に着くように船を出しておけ」
「はい」
「…………これくらいで奴が死ぬのなら、我々も苦労しない」
そして、島の上空ではこんな会話がされていた。
「……レーザー砲、か。始めて見た」
「おいおい、こいつ折角助けたのに気絶してるぜ? まあ、レーザー砲が直撃したら、普通ならこうなるか……。死のイメージってやつ?」
「しかし、テロリスト、ねえ。どこかの秘密結社か? オーバーテクノロジーもいい所だよ」
「それはお前だろ? 悪魔のような力を持った、『悪魔』と呼ばれる組織の人間。おっ、森の中にも何人かいるみたいだな。随分とまた、厳重に守ってますこと。それほど大事なものがあるんだろうな」
人影は二つ、声は二つあった。どちらも大人とは思えない声だった。
二つの人影は共に重力に従って落下している。しかし、どうにも一人は気絶しているようで、その人影はピクリとも動いていなかった。その一人はスーツ姿で、操縦士だった。
もう一人は、全身を包み込むような漆黒のマントを着ているように見える、青年を黒で染めたような、人影だった。人影は操縦士を右手で掴み、左手の腕時計で時刻を確認。長針は午前零時を回ったところだった。
「時間はたっぷりある。シェイド、お前の力は僕の力だろ?」
「そうだな。契約者のお前に俺は力を与えた。……ただ、それだけだ」
人影と操縦士は重力に従って落下していく。そして、地面に激突する寸前でそれは止まった。
人影から、翼が生え、羽ばたいていた。
それは——悪魔の翼だった。
先ほどまではためいていたマントが、翼に変わっていた。闇のような黒さを持つ翼で羽ばたきながら地面に静かに着地し、人影は呟く。
「白雪姫の幸せを『悪魔』は願おう」
*
「あなたは神を信じますか?」
実に馬鹿げた質問だと、僕は思った。
ソイツは僕に向かって、確かにそう言ったのだ。
僕は答える。
「信じなければ救ってくれないような神様を、僕は信じてはいないな。信じているのは、僕が幸せを願った人が幸せになれる、ということだけだ」
ソイツは言った。僕が心のなかで思った事まで、見透かしたように。
「……実に、最高な答えじゃないか。自分を犠牲にしてまで幸せにしたい、なんて」
「……………」
じゃあ、とソイツは僕に手を差し出す。
「これは悪魔の契約だ。俺はお前に力を与えよう。——お前が望んだ物を俺は与えよう」
僕は迷う事無く、その手を取った。
ソイツ、黒猫の手は柔らかかったが、しかし頼りになる手だった。
黒猫と手が結ばれた瞬間、辺りが暗闇包まれる。闇に飲まれるように、僕の視界は消失した。
「俺は影の悪魔、名前はシェイド」
どれくらい時間が経ったのか解らない。目の前が真っ暗だが、不思議と自分の体は見える。そして、ソイツは現れた。黒猫ではなく、人型だった。
少年のような背丈で、悪戯小僧のような印象を与えられる顔立ちだった。
悪魔、シェイドは言う。
「俺は影、実体は存在しない。好きな形に体を変える事が出来る。黒猫だろうが人だろうが、あるいは物、例えばマントとか」
シェイドの格好が黒猫、人と変わり、マントとなって僕を包み込んだ。それは二次元の存在のように薄いが、確かにマントだった。
再び人型に戻り、シェイドは言う。
「これは悪魔の契約。俺はお前に力を与える。お前は俺に魂を売り渡す」
青白く光り輝くいかにも人魂のような物を右手に出し、地獄を思わせるような煉獄の炎を左手に出す。
「お前の魂、解かりやすく言うならば、寿命量に応じて俺はお前に望むものを与える」
人魂と炎を消し、シェイドは僕に指を指して言う。
「お前の魂が尽きたとき、それがお前の死ぬ時だ。よく考えろ」
悪魔は僕に光り輝く何かを投げてよこす。
「それは契約の証、そして魂の残量を記す物だ」
それは黒の懐中時計だった。ハンターケース型という、二枚貝のように蓋が取り付けられているタイプだ。表面には『A9 』の刻印。
『A9 』→『悪魔』ということだろうか。もしくは、『永久の間』かもしれない。
どちらにしろ、悪趣味な装飾だ。悪魔なだけに。
「忘れるなよ、相棒? これは悪魔の契約だ。悪魔が、なぜ悪魔と呼ばれるのか、それを知らなければこの契約に意味は無い」
音声がフェイドアウトして行く。……これが噂の精神世界というものだったのか?
気がつけば、いつもの屋上だった。
一見何も変わっていないように見える僕の体。実際、一点を除いて何も変わっていない。
僕の右手に握られた懐中時計が、日光で黒光りする。
全ては動き出す。
僕は懐中時計を開け、中を見る。
数字は零から九まであり、針は全部で三本。だが時刻を表す時計ではない。今現在、『百』と書かれた三本の中で一番長い針が九を、中くらいの『十』と書かれた針も九を、一番短い『一』と書かれた針もまた九を指していた。
九百九十九、それが僕に残された魂の残量。
僕は悪魔の言葉を思い出す。
『悪魔が、なぜ悪魔と呼ばれるのか、それを知らなければこの契約に意味は無い』
僕は言う。
「馬鹿だな。いや、優しいのか? お前がそんな事を言ってしまえば、答え同然じゃないか」
——優しい? はき違えるなよ? 俺は魂をもらい、お前は望む物を得る。ギブアンドテイク、俺達はそういう関係だ。
悪魔の声が脳裏に響く。なるほど。いつでも呼び出せる、という訳か。
良く自分の影を見ると、形が変わっている。僕自身の影から、猫の形の影がでている。だが、そこに猫はいない。かと思えば、影のない猫が現れる。
「なあ、悪魔。僕はお前をこき使うぞ?」
猫は言う。
「いいぜ。ただし、俺は悪魔だ。思い通りに動かせると思うなよ? ——これが『悪魔』の理論だろ?」
『これは悪魔の契約だ。俺はお前に力を与えよう。——お前が望んだ物を俺は与えよう』
悪魔、お前は実に良い奴だ。いや、悪い奴というべきか?
お前は僕に力を与えてくれた。ただし、それは契約のおまけだ。
力を与えるのが契約ではなく、僕に望んだ物を与えるのが契約なのだ。
悪魔の力を使う分には、魂は消費されない。
『悪魔が、なぜ悪魔と呼ばれるのか、それを知らなければこの契約に意味は無い』
その答えはやはり、何かに対して悪であるから、悪魔なのだろう。
何に対して悪なのか、そしてこの契約の意味は——。
悪魔に対して、悪い契約だろう。
*
銃声が島に木霊していた。
「嘘だろ!?」
サブマシンガンを撃ち終え、男はそう言うしかなかった。
確かに、銃弾はその人影を捕えて、貫通していた。だが、その人影は、何事も無かったようにそこに佇んでいた。人影は、あくまで影であるかのように。
そして、サブマシンガンの弾が切れたと悟った人影は腕を伸ばし、佐々木をその闇に飲み込んだ。
施設内では、こんな会話がされていた。
「駄目です! 佐々木、草野、白鳥がやられました!」
「情報を集めろ! 何かトリックがあるはずだ!」
「奴に銃は効かないみたいです! そして、奴に触れられた場合、助かる見込みは無いと……」
絶望に染まりつつある仲間達を見て、リーダー格の男は言った。
「ポイントGに誘い込め。それで倒せなかった場合は、我々も腹を括ろう」
「しかし、まだアレがあります! いくら何でも、アレで死なないはずは——」
しかしリーダー格の男は最期まで言わせず、こう言った。
「それでは駄目なんだよ。それでは、あの男と同じではないか。……我々の目的を忘れるな」
爆発音が島を埋め尽くさんばかりに鳴り響いていた。
その爆発音に追われるように、人影は島を移動していた。
人影を追うように爆発音を響かせていたのは、地雷だった。大量に埋められた地雷が近くの地雷を誘爆させ、人影を感知しても爆発を起こし、断続的に爆発音が鳴り響く。
常人ならばその爆発の中無傷で移動できはしなかっただろう。爆発によって飛来した木々や石片で傷ついていただろう。だが、その人影はその全てを受けて尚、傷ついていなかった。
受けて、それを貫通させていた。
ホログラムのように、実体など無いように。
それでも、そんな人影も、地雷の爆発を直接受けるのはまずいのかもしらなかった。
地雷に追われるように移動していた人影が、安全を求めて逃げられる場所は一箇所しかなかった。いや、これだけ爆発がおきながら安全な場所があったという方が奇跡的だろう。
そこは、背後に岩壁がそびえ立っている、自然の袋小路だった。
そして、そこは坂の底辺に位置していた。
背後の岩壁に遮られるように、もう逃げ場は無い。
轟、と爆発音が人影の四方八方から聞こえた。
そして、坂を形成していた土砂と岩壁が雪崩落ちて来た。
「土砂崩れか!」
人影は呻き声を上げた。地雷は無意味に爆発したのではなく、相手をこの場所に誘い込み、そして土砂崩れに巻き込むためだった。
相手が機械や人間だったのならば、この作戦も効いただろう。
だが、相手は機械でもなければ人間でもなかった。
『悪魔』だった。
もはやかつての島の原型は崩れていた。その場所は、岩壁が崩れ土砂と混じり合っている。
そして、そこを三人の男が銃器を片手に何かを探すように移動していた。
「いたか?」
「いや、見当たらないぜ。主任、やっぱりアンタの言った通りだったのかな」
「そうかもな……」
そう言って、三人はリーダー格の男が言った言葉を思い返した。
『奴が銃弾を貫通させるのはもはや事実と受け止めよう。だが、奴はその際必ず止まっている。つまり、移動と全てを貫通させる事は同時には行なえないのではないか?』
一人が言った。
「さすがだな。俺達には考えつかねえよ、そんな事。銃撃が効かない時点で俺は諦めるぜ」
もう一人も言う。
「ああ、だからあの人に俺達はついて行こうって決めたんだ。あの人の言うことは正しい」
そして、一人が言った。
「……なるほど。『影還し』——この能力にもそんな弱点があったのか」
最後の一人は、『悪魔』だった。
「だが、僕の能力はそれだけじゃない」
そして、二人は反応し振り向き様に銃の引き金を引いていた。
それは人影を貫通——せず、当たりもしなかった。
二人が引き金を引いた瞬間には、人影は二人の目の前まで来ていた。それは、おおよそ人間の動きでは無かった。
「『魔憑き』——悪魔の動きにはついて来れないだろ?」
人影の動き全ては、黒い粒子を残留させる。
人影の腕が振るわれたとき、既に二人の体をその腕は貫通し、腕の後を追うように伸びた黒い粒子の軌跡が二人の首を繋いでいた。
その動きは、悪魔の動きだった。
「もはや、ここまでか……」
施設の最下層で、リーダー格の男はモニターを見て唸るように呟いた。
施設の防犯装置、レーザー光線をマントが無効化し、釣り天井が作動した瞬間にはもう釣り天井の下にはいない。
「そもそも、上空五百メートル付近でレーザー砲を喰らっても無事でいたのだ。ある意味当然の結果とも言える、か」
男の前には、人影がいた。
人影は、漆黒のマントで身を包み、照明の下だというのに顔は影のように黒く見えない。
「この……悪魔が」
人間でない者を相手に、勝てるはずはないと言わんばかりに男はそう吐き捨てた。
そして、その手刀が彼の首を突き抜けた。
「……僕は——狗だ。だから、これでいいんだ」
人影は頭に手を添え、唇を噛み締めて言う。
「白雪は正しいんだ。——間違っているの、僕だ」
人影は、その頬を伝う涙を拭った。
*
いつもの屋上、いつもの昼休み。
「知ってますか先輩? 原子や分子レベルから食材を作る技術があるんですよ?」
「へえ、初耳だな。すごい技術じゃないか」
「ただ、その技術を開発した科学者のいる研究所が、テロリストに占拠されてしまったんですよ。このままだったらその技術が悪用される、という話があったんです」
「……それで?」
「テロリストの鎮圧を私は許可しました。最悪、科学者やその技術が失われてもいいとも言いました。原子や分子レベルでの物質の構成ということは、逆に分子や原子レベルにまで簡単に分解する技術もあるという事です。それが悪用されると言う事は、凶悪事件が増えてしまいます。だから私は未来の生活の向上より、現在の国民の安全を優先してそう決断しました」
「……そっか」
「私は、酷い女ですよね。……人の命を数で数えるんですから」
どこか憂いを含んだ顔を見せる白雪に、僕は即答する。
「そんなことはないよ」
「……そうですか?」
白雪は笑ったが、その笑顔に覇気はない。
だから、僕は、そういう顔を見たくないんだ。
「白雪は優しいさ」
「え?」
「白雪は優しい。誰かが死ねば悲しめるし、傷つく痛みを知っているからな」
そう、白雪は優しすぎる。触れてはいけないような優しさ。残酷なくらいに優しい。
白雪はふっと僕から顔を背ける。肩を震わせている。
やばい、あまり慰めにならなかったかな。
白雪は僕の顔を見ず俯き、肩を震わせながらぽつりと呟いた。
「先輩は、優しいですね」
僕は俯きながら言う。
「…………そんなことは、ない」
優しくなんか無い。僕は、優しくなんか無い。例え優しかったとしても、それは優しい顔の仮面を被った、悪魔のような偽善者だろう。
「…………僕が誰かに優しいのは、誰かに優しくないからだよ」
「はい?」
僕の呟きは白雪には聞こえず、白雪が不思議そうに僕の顔を見る。
「先輩、なんて言ったんですか?」
「……教えない」
「教えてくださいよ!」
そう言って、俯いていた僕の顔を下から覗き込む白雪。子猫のような無邪気な瞳。そして、
「なんて言ったんですか? せんぱーい、教えてください」
ぐはっ。
なんだろう、台詞自体に大した脅威は感じないのに、このシチュエーションはやばい。というか、台詞が台詞なだけにしつこく聞かれると困る。
「せんぱい?」
小首を傾げ、僕の目を覗き込む白雪。小動物のような印象。
やばいやばいやばい! 本当に何かが崩壊屈折支離滅裂してしまいそうな、世界がどうにかなってしまいそうな、僕の心が折れてお終いそうな! めでたしめでたしみたいな!
どうして僕は、『下から目線おねだりボイス』にこんなにも弱いんだ。こうなっては何も反抗できない。自分の無力を呪いたくなる。
いや、既に呪われているか。
「あ、えっと、その……」
もう何も言わない訳にはいかない。しかしどうしよう、まさかもう一度アレを言うわけにもいかないし。働け、僕の頭脳。
その間にも、白雪の視線が僕の目に突き刺さる。ど、どうしてこうなった。普通、あんな台詞は何事も無かったように聞き流すだろ。
そして、悪魔のような閃きが苦し紛れに浮かび上がり、僕はそれを言った。
「——白雪は可愛い、って言ったんだよ」
「はいっ!?」
白雪が顔を赤くして、目をパチクリする。ついでに口もパクパクさせる。
……………。
本当に可愛い。
「えっ、あのっ、それって、え?」
この機会を逃してなるものか。僕は時計を見て、
「じゃ、そろそろ僕は教室に戻るよ」
と言って白雪に背を向けて手を振り、屋上から颯爽と出て行く。それは逃走だった。自由への逃亡、言い逃げだ。弁解すると……、恥ずかしかったから。
…………、僕は意気地なしです。
そんな僕でも、やらなければならないことがあるが。
「白雪。……これじゃ駄目なんだよ」
*
コンコン、とドアをノックする音が鳴る。
国を動かすお嬢様の住むお屋敷。そのお嬢様のいる部屋のドアを、大臣は静かにノックした。
「はい。どなたですか?」
大臣は名を述べ、用件をドア越しに言った。
「お嬢様、少々問題が発生しました。組織に——裏切り者がいました」
そして大臣は、その裏切り者の写真をドアの隙間から入れた。
それを見て、お嬢様、白雪奈美は息を飲み、静かに言った。
「……詳しく、お願いします」
ぷるるる、と備え付けの電話が鳴る。
仮面の男は静かに電話を取る。彼がいるのは、いつものビルだった。
「もしもし」
『私です』
男はいつもの女の声に、少し口調を和らげて言う。
「君か。……どうした? 例の計画に、何か問題でも?」
『そうではありません。……明日、計画を実行できそうです』
男は口元を歪めたが、醸し出す雰囲気が一瞬だけ変化を見せた。
それは、どこか悲しげで、自嘲的なものだった。
「……そうか。それなら私もすぐ動こう。予定通り動かしてくれれば、『悪魔』狩りは成功するだろう。『悪魔』といっても、人間だからな」
『……あなたはなぜそれを知っているのですか?』
「疑うのか? まあ、仕方がないか。……しかし、これは確かな情報だ」
『……勿論、これまであなたの事を信用してきたのですから、今更疑うような事はしません』
「そうか。それなら、明日は指示通り動いてくれ。それで全ては終わる」
『……本当にお嬢様は、それで……』
「間違いないだろう。いや、これは君のアイディアだろう? 私も今更君のことを疑おうとは思わないよ」
『そうですか。……しかし、本当に『悪魔』を殺せるのですか? 奴は影のように何も受け付けず、消えるように移動し、忍者のように分身し、触れただけで殺します。……本当に悪魔のような人間なのですよ?』
「心配か? だが、私はやらねばならないのだ。今のままでは、駄目なのだよ」
仮面の男は言う。
「私はもう戻れない場所まで来ている。だが、君はまだ戻れる場所いる。だからあえて問おう。
——君が望むものは何だ?」
『…………あなたは、何者なんですか?』
女は男の問いには答えず、逆に問うた。男は静かに答えた。
「悪魔だよ。誰よりも悪い、最低最悪の人間だ」
しかし、女はそれを無視してこう言った。
「……白雪、月夜様ではないのですか?」
「……………………」
しばし沈黙し、一度息を吐いてから男は答える。
「奴は死んだよ。奴はこの国の闇、『悪魔』に殺された。……これは、ある意味奴の遺志を継いだ戦いかもしれないな」
女は再度尋ねた。
「……あなたは、誰なんですか?」
それに男は答える。
「私の名は、信玖人義」
男、信玖人義は言った。
「私は『悪魔』を殺そう。『悪魔』にいかなる理由があろうとも、私はその存在を許さない」
どうでしたでしょうか?
戦闘シーンの表現がうまくできない、と作者は思っておりますが……。