第十一話:陥落する総帥、そして開演へ
忘れていた……。そうだ……今の俺は魔王軍総帥、ヴェイルだ。
絶界宮の廊下を行き交う魔物たちが、俺の放つ冷徹な殺気に怯え、石像のようにひれ伏していく。
そうだ……俺はこの世界を絶望に叩き落とす男だ。かつての甘い絆など、復讐の炎で焼き尽くしてきたはずだ。
俺は勢いよく執務室の扉を開け放った。
「今、戻った」
低く、地響きのような恐ろしい声。
これこそが真の支配者の威厳。だが、返ってきたのは緊張感の欠片もないリリスの声だった。
「総帥〜! 遅すぎます! ノイン様の最終リハーサル、もう始まっちゃってますよ!」
……クッ、流されるな。俺はドスのきいた声で、さらに凄みを利かせてリリスに詰め寄った。
「リリスッ!!!!」
「……っ! はいっ!」
流石の彼女も直立不動になる。俺は見ただけで命を奪われそうな圧を持って、ライブ中止を宣告しようとした。
いいか……よく聞け。ゲリラライブなどというふざけた真似は、今すぐ――。
「ヴェイル……見て。リリスが、僕のために用意してくれたんだ」
俺の言葉を遮るように、ノインがステージの袖から現れた。
そこには、白銀の刺繍が施された軍服風のハーフパンツスーツに、透き通るようなマントを纏った少年の姿があった。
リリスが「高潔な美少年魔王」というコンセプトを詰め込み、数日間一睡もせずに縫い上げた珠玉の衣装だ。
「歌の練習も、一生懸命やったんだ。……明日、みんなびっくりするかな?」
少し長めの前髪の隙間から、ノインがはにかむように微笑む。
……か、かわいい。なんて、なんて可憐なんだ。俺が育てた魔王は、いつの間にこんな「守りたくなる」少年へと成長していたのか。
いや、いかん! 惑わされるな俺!
「ノイン……ゲリラライブの件なんだがな。そもそも魔王としての威厳が……」
俺が言い淀むと、ノインは不安そうに眉を下げ、潤んだ瞳で俺の手をそっと握ってきた。
「ヴェイルも……一緒に来てくれる……よね?」
その瞳の奥にある、純粋で無垢な信頼。
世界を滅ぼすための冷徹な理屈と、この少年の期待を裏切って泣かせたくないという親バカな感情が、俺の脳内で激しいデッドヒートを繰り広げる。そして――。
「……ああ、もちろんだ。俺が一番近くで守ってやる」
……俺は、どこまでも愚かな男だ。
リリスが「交渉成立ですね!」と不敵に笑い、ノインが「よかった!」と俺の胸に飛び込んでくる。
俺は、もはや魔王軍総帥でも伝説の勇者でもなく、ただの「推しを支える敏腕マネージャー」への道を歩み始めていた。
翌日。
王都、中央広場。
ヴィンセント率いる王国軍が「魔王軍襲撃」を想定して死の厳戒態勢を敷く中、俺はサングラスをかけ、スタッフ(警備)の位置で一人、胃液を飲み込みながら開演の時を待っていた。
間もなく、世界で最も平和で、最も破壊的な「美少年魔王ライブ」が幕を開ける。




