ゲシュタールの泥濘
東の戦地、ゲシュタール平原。
この広大な平原には兵を隠す場所もなく、ただ正面から互いの力をぶつけ合うのみだ。
吹き荒れる鉄の臭いと、降り続く雨。
ガルガンチュア公爵の目の前に広がるのは、これまで彼が「掃き溜めの塵」と見なしていた魔族たちの、圧倒的な軍勢だった。
(……ありえん。魔族は絶滅したはずではなかったのか!?)
泥にまみれたガルガンチュアは、震える手で剣を握り直す。
彼が相手にしているのは、ただの野良の魔物ではない。ヴェイルが徹底的に鍛え上げ、復讐という名の「軍律」を叩き込まれた、統率のとれた死の軍団だ。
「公爵閣下! 第三防衛線が突破されました! 後方の補給路も断たれ……我々は孤立しました!」
伝令の声が、絶望を告げる。
かつてアステリオに「ケーキを切り分けろ」と命じたその傲慢な指は、今は恐怖に激しく震え、泥を掴んでいた。
ヴェイルは今ごろ、執務室を追い出されて中庭で黄昏れているかもしれない。だが、彼がこの五年間で磨き上げた「牙」は、着実にかつての敵の喉元を切り裂こうとしていた――。
それから数刻。
公爵を守る最後の一人が、音もなく倒れた。
ガルガンチュアが死を覚悟したその時、目の前に立つ魔物が、突如として静かに地に伏した。
現れたのは、ヴィンセントと彼が率いる精鋭五千騎。
怒涛のごとき援軍の突撃を受け、さしもの魔王軍も一時敗走を開始する。
「ガルガンチュア公爵……ご無事ですか」
馬を寄せたヴィンセントが手を差し伸べる。だが、公爵はその手を乱暴に払いのけた。
「余計なことを……! 今から魔物どもを八つ裂きにしてやろうというところだったのだ!」
命を救われてなお、剥き出しにする傲慢。ヴィンセントは表情を変えず、静かに頷いた。
「……大変失礼いたしました。もちろん、これは私が勝手に邪魔をしたこと。この度の功績はすべて、ガルガンチュア公爵にございます」
「……ふん、わかればよいのだ。わかればな!」
公爵の虚勢を背に、ヴィンセントは冷徹に号令を下す。
「全軍、魔物どもを追撃せよ!」
雨に打たれながら、ヴィンセントはただ独り、灰色の空を見上げた。
この不自然な魔族の軍勢。そして、一向に姿を見せない「かつての友」。
その視線の先にあるものは、希望か、それとも――。




