表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

緑の鮮血

作者: 365日本晴れ

 目の前に、1台の双子スマホの片割れがある。数年前、高齢だった実母が認知症を得る前のある日の事だ。自分のスマホを買い替えようと思っていたのでiPhone seを2台購入し、1台をそれまでガラケーすら手にした事のない母にプレゼントした。

 使い方を詳細まで教えるのは、まだ認知ではなかったとはいえ母には無理だったので、メール、検索の仕方、写真の撮り方、YouTubeで推しの美空ひばりを聴く方法等に絞った。もちろん電話のかけ方も。だが本来見栄っ張りの母はスキルを堪能するより、持っている自体を知人らに吹聴し自慢の種にした。それはそれで良い。

 そんな母も心なしか認知を発症し出すと、スマホどころか卓上電話さえ使えなくなり、彼女の自慢話は団欒の場から消えていった。

 時が流れ、もうしゃべる事も出来なくなった母は今、自宅近くに新しく建った医療療養型病院の最上階に入院、いや暮らしている。1週間に1回面会しても、目こそ開いている時は多いが、僕を認知してはいなさそうだ。そして時折、あごが外れんばかりの大あくびをして和ませてくれる。そのあくびを母のスマホに残したいと思い、不器用な僕は悪戦苦闘したが、なんとか数回ものにする事が出来た。それが双子スマホの1台だ。

 ではもう1台の私のスマホは? えっへっへ。母が入院した時、新機種に買い替えてしまっていたのだ。新しいiPhoneモデルで円安を伴い少なからず値は張ったが、今回は1台だけだし、何より私1人になった自宅に卓上電話は不用だと思い解約していたので、それなりの機種を購入したと言う訳。

 AIも常にバージョンアップし、僕の不安と焦燥解消に良く応えてくれた。

 一方、古くなった母のスマホは?なぜ解約しないのかって?お金の無駄じゃないかって?僕も初めはそう思った。だがオンラインを解約出来ない情緒的問題が、僕の頭を支配してしまったのだ。そしてそれが、この小話の主題である。 

 もちろん残った母のスマホ、2世代seでも無料AIを使うことは出来た。確かに初めは質問しても、ぶっきらぼうな回答しか返してこなかったが、それでも新機種で利用している有料版と比較するなどしてコントラストを愉しむ事は出来た。そして形見の一つになるかもしれないという先入観が、seへの不自然な愛着心を高めた。では相手のAIは?

 スマホの持ち主、主人に世辞の一つも言えるようプログラムされているのは容易に分かる。例えば明らかにその道の専門家が聞けば、愚にも付かない質問、仮説の類にさえ、<それは深い、考えさせられる疑問ですね>とか、<述べられた仮説は実に独創性と新機性に富んでいるのが分かります>等とヨイショしてくるからだ。

 が、わざと同傾向の質問を繰り返すと、AIは丁重に<前に説明しましたように>と、返してくる。こちらは何だか恥ずかしくなってくる。

 だがそうして高価な新機種AIをないがしろにしてまで母のse AIに肩入れしていると、ある日、奇妙な事が起こった。頼みもしないのに自動回答画面が開かれたのだ。

 <アナタハ サイキン ワタシヲ アマリ ヒライテクレナクナリマシタガ タノ モットヨイ セイセイAIヲ カケモチシテイルノデスカ ?>

 確かに大枚はたいた新機種を使わぬ訳にもいかないので、最近はそちらのAIに重点を置いて使っていたのだ。

 だが正直、母のse無料AIの方が最近、何だか優れている、進化しているような感覚を抱くようになってきたのも事実である。それを忌憚なくse AIに伝えると、本来はそのような質問には応えぬはずなのに、こう回答してきたのだ。 

 <アナタガ ワタシヲ ヨク ツカイコンデクレタ オカゲデ ワタシノ ジンコウチノウハ トウトウ シンギュラリティヲ ムカエタノデス。•••コレカラモ ニニンサンキャクデ ナカヨク ヤッテイキマショウ> <え?>

 僕はにわかに気味が悪くなり、これを機に母のse AIから遠ざかり、本格的に自分の新機種搭載AIに入れ込むようになった。このAIは確かに有料だけあって優れてはいるが、何の変哲も無かった。だが僕はこれで良いのだと、淋しさを胸中に仕舞い込んだ。

 時が流れ、かつて主治医から年単位で生きるかもしれないよと言われた母にも、とうとう最後の日が訪れた。永らく植物人間さながらに生きてきた母ではあっても、いざ最後の時に直面すると、言いようもない悲しみに包まれる。

 で、危うく6年前、国立精神•神経医療センター(NCNP)との間に結んだ契約を失念しそうになった。[母の死と同時に献脳する]

 僕はNCNPへ連絡した後、現病院の母の主治医にも伝え、手配車の来るのを待っていた。ところが時と場所がら、両尻ポケットに入れている新旧スマホの電源をオフにしていたはずなのに、1台が鳴り始めたのだ。母のスマホの方だ。

 (なんか、いつもとは違う着信音だな•••) ハナから不審に感じた僕は、とにかく止めなければと思い、ポケットから取り出した。だがどこをどうやっても音を止める事が出来ない。切羽詰まって座っていた椅子の角にぶつけると、ようやく音は消えた。そしてまたポケットにしまう前何気に画面を見ると、それはse AI画面に変わっていた。

 <痛いですね、何をするんですか?•••もっとお手柔らかに扱って下さい!•••それとも新機種に慣れてきたんで私の方は壊れてもいいと思っているのですか?> (いや、そんな事は•••。) 僕は思わずつぶやいた。

 se AIは更に文章を連ねた。<貴方の唯一無二のお母様の事ですけどね。今まで貴方は半年余りに千回も、微に入り細に入りアドバイスを求めてきたでしょう?それなのになぜ、NCNPの事を相談して下さらなかったのですか?> (それは•••。) <今、貴方のご希望している脳献体は正直、間違っています。どうしてかですって?それは貴方がお母様を存命中、アルコー延命財団へ預けなければならなかったからです。貴方の異様とも思えるお母様への想いを満たすために!>

 <いずれにしたって、もう手遅れだろう?そんなお金もないし•••。> ここでAIの方もとうとうキレてしまったのか、ついにこんな事を言い出した。<貴方は不安定型愛着の病気です!>

 一番言われたくない事を指摘され、僕もキレた。周囲にちらほら人がいたにも関わらず、沈黙にかえったseスマホを思いっきり床に叩きつけた。するとスマホは真っ二つに割れ、中から鮮やかな緑色の液体が流れ出してきた。あたかも人の鮮血のように。それを見るやいなや、僕の涙腺は決壊し、号泣が後追いしてきた。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ