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 奇妙な暮らし 2


「…………………」


「………………やあ?」


 


 食糧が乏しくなってきたラナリアは、補充しようと、繭から出て自分の部屋に入る。そして、そこで優雅に御茶をする旦那様の姿に、ピキリと固まった。


 ……何が起きて? どうして、ここに旦那様が?


 呆然と顔を強張らせる最愛が愛おしい。久方ぶりに間近で見たラナリアを直視し出来ず、レオンは眼を逸らせながら呟いた。


「その…… 良ければ座ってくれ。君の部屋なのだし? 少し話をしないか?」


 ……今さら何の? またお小言を言われるのかしら? とうしたって、わたくしは出来損ないの妻なのよね。


 冷たい雰囲気のラナリアと甘い熱を醸すレオン。二人の間に横たわるそれが、温度差によって不穏にビシバシ弾けている。

 そんな室内の状況を、部屋の外から固唾を呑んで見守るウォルター達。


 ……頼むぜ、レオン。奥方様を説得するんだ。怯むな、逃げるな、ありったけの愛を伝えろ!!


 ラナリアの部屋にレオンを常駐させ、出てくるのを今か今かと待ちわびていた人々。

 その最たる者なはずのレオンは、彼女を前にしただけで胸が一杯になり、上手く言葉を紡げなかった。


 ……ああ、可愛い。その毅然とした姿。あの時見た、勇姿そのものだ。……あれ? ってことは俺を敵認定してる? おかしいな。


 別におかしかない。今の状況を作り上げた元凶のレオンは、間違いなく彼女の敵である。しかも、彼女の私的なスペースに我が物顔で居座っているのだ。子爵家が彼のモノであろうと、妻を尊重するならあり得べからぬ不調法だった。

 そんな当たり前に気づきもしない熱病患者は、険しい雰囲気のラナリアに過去の憧憬を重ねる。




『早くこちらへっ! そこの方っ、手が空いているなら、汚れたタオルを洗ってきてくださると助かるわっ!!』


 自ら戦場に赴き、後方支援で走り回っていたラナリア。衛生兵の手の回らぬ患者に寄り添い、手際よく応急処置していく彼女に、レオンは見惚れた。


 ……なんという女性か。新兵だって狼狽える戦場にありて、これほど機敏に動き回れるとは。

 

 その時のレオンは知らなかった。彼女がこの領地を治める男爵の娘だとは。どこからか救援にきた近隣の街や村の娘だと思っていたのだ。

 ラナリアにとってここは自分の庭のようなもの。射貫くかの如く注がれるレオンの熱視線に気づきもせず、彼女は蕩けた笑みで彼を陥落した。


『大丈夫ですか? すぐに炊き出しも出来ますから。ありがとうございます、この地を守ってくれて……』


 心の底から溢れるラナリアの感謝。


 その温かな気持ちに触れ、レオンは恋の病に沼った。


 そして質素なドレスを身にまとって駆け回っていた彼女が、実は末端とはいえ貴族であったことを後になって知ったレオン。

 この好機を逃してなるかと、彼は傷病の身体を推して精力的に働き、なんとか男爵家に縁談を持ちかける。


 貧乏な男爵家に援助を約束してくれたレオン。それに甚く感謝し、ラナリアは以前と変わらない笑顔を向けてくれた。


『不束者でありますが、妻として努力いたします。幾久しく夫婦でありましょうね』


 結婚式で満面の笑みに彩られた花嫁姿のラナリア。


 それが眩しすぎて、いつも以上に表情筋を固めつつもレオンは感無量。胸一杯に広がる至福を押し隠し、深く頷いた。


 ……ああ、ずっとだ。ずっと君の側にいる。俺の側にいて欲しい。


 幸せだったはずな遠い記憶。


 それが、どこで間違えたのか。ウォルターにあれだけダメ出しされても、恋で盲目なレオンは、未だに正しく理解していなかった。




「……その。あの繭はなんだ? 君が出入りしていると聞いたが…… どうやって?」


 剣呑な面持ちと固い声。


 それを耳にしたレナリアはもちろん、部屋の外で耳を欹てていたウォルター達まで狼狽えた。


 ……そうじゃねぇぇーっ!! まずは労れっ! 身体は大丈夫なのかとか、心配したぞとか、ああああ、この軍人野郎がぁぁーっ!!


 生粋な軍属のレオンは融通が利かない。口も回らないし、女性の機微にも疎い。そんな彼が小洒落た言い回しなど思いつくわけもなく、話題を探したあげく疑問を問うことに着地したらしい。

 部屋の外でウォルター達がわちゃわちゃしてるとも知らず、ラナリアはいつも通りなレオンに眼を細めた。


 ……あそこのことを外部に知られるわけにはいかないわ。ジョウの残した手紙どおり、《巣》のスキル持ちを虐待する輩が現れかねないし……


 自分の謎なスキルの発動条件を知ったラナリアは、貝のように口を引き結ぶ。

 その悲愴な顔を見て、内心慌てながらもレオンは話を続けた。


「別に責めるつもりはない。……君が楽なら、あそこで暮らすが良い」


「え……?」


 思わぬ言葉を耳にし、するりとラナリアの顔から緊張が抜け落ちる。


「俺は君を束縛する気はない。好きなことをして、君が楽しく過ごせるなら、それで良い。……まあ、食事くらいは共にしたいと思うが。君が嫌なら、ここに運ばせるし? 閉じ籠もるのは構わないけど、せめてまともな食事くらいはしてくれ」


 ……どの口が言うかぁぁぁーっ!!


 全身を震わせ、叫びだしたい衝動を必死に呑み込むウォルター。


 レオンの病的な独占欲が事の起こりだというのに、厚顔無恥にも程があろうと。

 しかしレオンにしたら当然の思考なので嘘はない。妻を愛でて愛おしむのは夫だけの権利だと、彼は頑なに信じている。

 彼女を愛する家族や友人の存在を抹消したいくらい殺伐とした激情。それが束縛や枷になっているとも知らず、彼は本気でラナリアを幸せに暮らさせたいと思っていた。


 そして当のラナリアはといえば、旦那様の拗れきった愛情を知らないので呆気にとられるだけ。


 ……好きにして良いの? 役立たずな妻なのに? ……やだ、私ったら何か勘違いしていたかも? 旦那様に負担しかかけてない妻なんていなくなった方が良いと思い込んでいたけど。


 あまりにさり気なく引きこもりを許され、彼女は無意識にレオンの正面の椅子に腰掛けた。

 テーブルを挟んで顔を見合わせる二人。


 ……おおっ? これは? 瓢箪から駒かっ?!


 真剣な面持ちで様子を見守るウォルター達の視界で、テーブルの上の茶器を持ち上げたレオンがラナリアに御茶を注ぐ。

 それを素直に受け取り、彼女は口をつけた。


 ……あ。美味し。こうして御茶を飲むのも久しぶりね。


 微かに緩んだ妻の表情。


 それだけでレオンの心臓が爆散しそうなほど高鳴った。どっどっと勢いよく駆け巡る血流が止まらない。


 ……笑った? 今、笑ったよなっ? あああ、良かったっ!! 他に何か…… そうだっ!!


 軽く咳払いして血の気を抜き、レオンは努めて冷静な顔でラナリアを見つめる。


「あれが気に入っているなら、もっと中を充実すべきだな。食事はここで摂るとしても、あんな薄い掛布では寒くないか? 寝間着も温かそうな物を作らせよう。桃色も良いが、君には新緑色の方が似合うと思う」


 ……あ。


 ウォルターを筆頭とした子爵家の者達が、揃って絶望に天を仰いだ。


 良かれと思って口にしたのだろうが、それはラナリアしか知らないはずの繭の中を知っている発言である。

 ぷるぷると顔を真っ赤にしたラナリアを、ただ単に可愛いなあと見つめていたレオン。

 そのレオンの頭から御茶をぶっかけ、彼女は全身を総毛立てて叫んだ。


「なぜにご存知なのですかっ?」


「え……? ああ、繭の天辺に小さな穴があるんだ。気づいていなかったか? そこから確認したぞ?」


「あの小窓? あそこから中が見えるのですねっ?」


 ……覗き見されてたのっ? ええぇーっ!!


 頭に湯気をたてて恥じらう妻が可愛らしい。

 心の中でだけにやにやが止まらないレオンは、彼にしては珍しく無駄な饒舌ぶりを発揮する。本当に無駄な…… 言わなくて良いことまで。


「ああ、何を気にするんだ? 夫婦じゃないか。ちゃんと見てるから安心しなさい。君は俺の側にいてくれたら、それで良い」


 これまた、何の疑問もなく答えるレオンに、ウォルターは殺意を覚える。


 ……お前ぇぇーっ!! 奥方様にしたら安心出来る要素皆無だわぁぁーっ!! 自ら断頭台に首を差し出してどうするぅぅっ!!


 思わず崩折れて床に跪いたウォルターの背を、慰めるようにさする子爵家の人々。


 案の定、怒髪天で繭に引き籠もったラナリアに、繭の外から必死で謝るレオンが居たのも御愛嬌。




「すまなかった! 覗きなどという下世話な目的ではなく、たんに君が心配だっただけで……! 飯ストはやめてくれ、ラナぁぁーっ!!」


 しっかり上から塞がれた穴の目隠しを外したくて、両手をウズウズさせるレオン。それをウォルター達が全力で止める。


「やめとけって! あっちからも見えてんだぞっ?! 小窓があったっていってたじゃんよっ! 盗み見がバレたら、今度こそ愛想尽かされんぞっ?!」


「しかし…… もう二日も食べてないのだ…… ラナぁぁっ!!」


 絶叫する旦那様を余所に、ラナリアは残していた食料でしっかり食い繋いでいた。貧乏貴族を舐めてはいけない。行動は、食べ物が尽きる前にするに決まっている。

 

 ……もうぅぅ、許さないんだからっ! 私の寝顔…… ねっ、寝顔を見てたですってぇ? ……よだれ垂らしたりしてなかったわよね?


 ここしばらくな平穏で、彼女は元の自分を取り戻しつつある。繭の外で平謝りを続けている旦那様だが、鉄壁な繭の中のラナリアはそんな彼に気づかない。


 わちゃわちゃする当事者たちを余所に、なぜか事態は好転を見せていた。

 

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