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 今日の奥方様 2


『ん…… お腹空いた……?』


 繭の中で眠っていたラナリアは、ふと眼を覚まして辺りを見渡す。

 そこは大きなクッションに埋め尽くされた部屋。真ん丸な半球状の空間は天井らしき中央に小窓があり、そこから外が窺えた。

 

 ……ここは? ……そうだわ、私…… とっとと消えてくれと言われて。……消えたくて…… テラスを乗り越えようとして。


 不可思議な繭を見つけたのだ。


 ……それに触れた途端、この寝床のようなクッションに放り出され、泣き疲れたまま眠ってしまったのね。


 恐る恐る身体を起こしたラナリアは、簡素だが過不足なく物の揃った空間を見渡す。

 部屋の広さは直径5メートルほど。その半分をクッションが占め、残りのスペースに小さなテーブルセットと縦長なチェスト。

 横に仕切られたカーテンの向こうは、見たこともない器具が備えられていた。

 小さな札が取り付けられており、そこにはシャワーとトイレの使用方法が書いてある。


「しゃわー? といれ……は御不浄みたいね」


 邸の御不浄でも見かける便座。そして、脚を曲げなければ入れないような深めの箱。それが小さな空間に並んで置かれている。


「ひょっとしてしゃわーってお風呂? ここに湯を溜めて使うの?」


 物珍しげにそこら中を調べ、ラナリアは、ふとテーブルの上に置かれた数枚の走り書きを見つけた。


「これは……?」


 カサッと取り上げた紙に書かれる妙な文字。少し斜めった元気な文字に、ラナリアは小さく笑う。

 見たこともない文字のはずだが、なぜか彼女には読めた。……というか、内容が浮かんだ。


《これを読んでる、あなたへ。


 ここはマイホーム。ホームっていうスキルを持つ者だけが来られる場所だよ。

 ホームとは、そのスキルを持つ者が絶望したり、逃げ出したくなった時にだけ発現するスキルだ。

 逃げ場所。隠れ家。安心出来る自分だけのスペース。それがホーム。

 あなたがここに居るということは、きっと辛い現実に耐え切れず逃げ出したくなったのだろう。そうでないと発現しないスキルだから、私の世界でも謎なスキルだと言われていた。

 きっと過去に発現した者らが沈黙したのだろうね。私も誰にも話さないつもりだ。ここを発現させるために、ホームのスキルを持つ者を絶望させようと、酷い虐待をしたりとか実験する馬鹿が現れかねないから。

 なので、あなたにも頼む。ここのことを誰にも話さないでくれ。後のスキル保持者のために。

 その代わりと言っては何だが、残してある物を譲ろう。その価値や使い方は付属の紙に説明を残しておく。


 今は辛いかもしれない。泣きたくなったり、死にたくなったりしたら、ホームに逃げ込め。頑張りすぎないで、だらだら息を抜くが良い。


 君の未来に光射しそむることを切に願う。~穰~》


 ……ジョウ…… ここに住んでいた人かしら?


 ラナリアは縦長なチェストを漁ってみた。手紙のとおり色々残されている。見慣れた物から未知の物まで、とても沢山。


 ……カトラリーや食器。タオルやハンカチ、ひざ掛けやケープ。実用品が多いわね。ここで暮らせるってことだわ。……でも。


 きょろっと視線を巡らせた部屋の中には、キッチンがなかった。


 ……食事は、どうしたら?


 十分な休息を得たせいか、ラナリアのお腹が久しぶりに小さく鳴る。体感で一日ほど経っている気がするし、空腹を覚える時間だ。

 そして彼女は、ふとクッション横にある大きな繭に眼を見張る。あれはテラスで見つけた繭と同じもの。

 何気に、そっと触れたラナリアは、気づいたら元のテラスにいた。


「え………?」


 慌ててテラスの繭を撫でると、また、クッションのある部屋に戻される。


 ……あ。あああ、そういうことなのね?


 この繭は出入り口なのか。スキル保持者が触れることで、中と外に移動出来るのだ。


 つまり、食事は外で手に入れられるということ。


 目玉が溶けるほど眠ったラナリアは、やや元気を取り戻し、子爵邸をこそこそ歩き回った。

 そして厨房の扉をそっと開け、中に誰も居ないことを確認してから食料を漁る。

 元々彼女は貧乏男爵家の娘だ。質素倹約はお手の物。多少の料理や掃除も出来るし、貧しい食生活でも構わない。


 ……焼き締めた黒パンと。日持ちするスモークチーズ。あ、干し肉も軽く炙って持っていこう。果物や葡萄酒と……ナイフと水樽。……けっこう重くなっちゃったな。

 

 貴族の御令嬢らしからぬ逞しさ。


 故郷の実家では小麦袋のリレーにも参加していた名ばかりの令嬢だ。これくらいの荷物、へでもない。


 ……これで五日は保つわね。しばらく子爵邸の人間には会いたくないわ。


 大きなズタ袋を肩にかけて、ヨタヨタ歩く奥方様。


 それを遠目に発見した庭師が、血相を変えて追いかけてくる。


「奥方様っ! お帰りになられたのですねっ?! あああ、誰か旦那様に知らせろっ!!」


 その声を聞きつけたのか、あちらこちらから使用人達が顔を出した。


「奥方様っ?」


「どこにいらしたのですかっ?! 皆で心配していたのですよ!!」


 突然のざわめきに、やや驚いたラナリアだったが、心配していただのとの戯言を耳して、すう……っと腹の奥が冷えていく。


 ……心配? 嘘ばっかり。どうせ清々していたのでしょう? 私が居ない方が面倒が減るものね。


 はあ……っと大仰に溜め息をつき、彼女は足早に自分の部屋を目指して駆け出した。


「奥方様っ? どちらへっ?」


 慌てて追いすがる庭師や侍女達。


 みるみる間を詰められて焦りつつも、ラナリアは私室のテラスに逃げ込むことに成功する。


「奥方様っ!!」


 大きく開いたテラスのガラスドア。しかし、ラナリアが入ったはずのその部屋に彼女の姿はなく、まさかと思いつつもテラスの手すりに飛びついた人々は、その下に彼女の無惨な姿がないことに胸を撫で下ろした。


 ……でも。だとすると奥方様は、どこへ?


 ラナリアが子爵邸に居たのは間違いない。多くの者が目撃したのだ。しばし考え込み、侍女は、はっと顔を上げる。


「荷物…… そうよ、奥方様は何か荷物を背負っておられたわ」


 それを聞いて他の者も、同じ様に、はっとした顔をする。


「何か無くなってる物がないか調べてちょうだいっ!!」


 こくこく頷き、ラナリアを追ってきた者達が四方へと駆け出していった。


「奥方様………」


 侍女は所在なげな顔で、開け放たれたテラスの外に物憂げな視線を馳せる。その扉の裏に、ラナリアが隠れているとも知らずに。


 


 結果、調べてみたところ、厨房の食料やナイフなどが消えていることが判明し、子爵家の者達を絶句させた。


 ………これは、いったい?


 複雑そうな顔を見合わせて、使用人達はレオンにどう説明したものかと悩んだ。

 これの示すことは、ラナリアは子爵邸のどこかに居て、こっそり息をひそめ、隠れているということ。


 困惑する人々を余所に、巣に戻った彼女は久しぶりに味のする食事を楽しんでいる。




「あ~…… 美味しい。……旦那様やウォルターに睨まれてちゃ、食べた気もしなかったのよね。……うん。私は元気。……ご飯、美味しい」


 よく眠り、よく動き、元々働き者だった彼女の身体が徐々に眼を覚ましだした。


 ……私のスキル、《巣》って、部屋や家という意味だったのかしら? そうよね。動物にとって、巣は家だわ。じゃあ、ほーむってのも、きっと家のことね。


 ラナリアにとって、サルバトーレ子爵家は家でなかった。看守に監視される冷たい牢獄のようなモノだった。贅沢に着飾らされただけの虜囚。


「もう、戻りたくない…… ここに居たい……」


 ぐすぐす嗚咽を漏らしながら、食事を続ける彼女。


 報告を聞いて駆けつけたレオンが、邸中を叫んで回り、一晩中最愛の妻を探したのは余談だ。


 自業自得の見本市。


 今夜も、レオンは眠れない。


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