今日の執事様
「つまりだ…… 俺等が皮肉や嫌味だと思っていたお前の発言は、全てあの女を慮った言葉だったと?」
「当然だ。なぜに俺がラナリアを虐げたりせねばならんのだ。こちらが乞うて迎えた花嫁だぞ? 陽にも風にも当てず、この胸の中にだけ抱きしめておきたいわ」
……それを直接、本人に言ったれや。
うわあ……っと情けない顔で天井を仰ぐ執事様。
「じゃ、社交をさせなかったのは? 夫人を同伴しない奴も珍しいぞ? 夜会なんて、よほどの不仲でない限り、夫妻で出席するものだろ?」
「社交界デビューはしてるし、わざわざ着飾らせたラナリアを他の男に見せる必要はない。ラナリアは、俺のためだけに美しく着飾ったら良いんだ。そのための金子は惜しまん」
……本末転倒ぉぉ。普通は、外に見せるために着飾るんだよ。貴族の虚栄心、舐めんなぁぁ。
財力、権力の誇示。それが貴族らの着飾る理由だ。女性のみではない。男性とて同じ。そこに恋心や情愛が挟まれるのは単なる余録。
「んじゃ、マジで女房宛の招待状とか黙って勝手に処分してたのか。しかも御茶会の主催は許しておいて、その返事は握り潰し、裏で中止と嘯いて邪魔したと?」
「……まあ。……噂雀な御婦人らの催しでは、赤裸々な夫婦の内情が話題にあがったりするとも聞くし。ラナリアの耳が腐っては堪らんからな。汚物に最愛の妻を近づけたくなかったんだよ」
……余所様の御夫人や御令嬢を汚物扱いって、お前……
ん~~~っと生ぬるい笑みで天を仰ぐウォルター。その眼差しは宙を彷徨い、着地地点を見つけられない。
……あの女、全く悪くなかったんじゃん? 社交もまともにやれない出来損ないかと思ってたが、あえてレオンがさせてなかっただけだし? それも邪魔しまくるという徹底ぶりで。
てっきり主であるレオンに嫌われ、政略で仕方なく妻にしているとばかり思っていたウォルターや邸の使用人達にしたら、寝耳に水も良いところだ。
しかもこのレオンの様子を見るに、かなり溺愛している。それこそ、邸から一歩も出したくなく、わざわざウォルターをつけて見張らせるほどに。
……う~わ~ぁ…… どうすんだよ、俺ぇぇ。かなりキッツいこと言ってきたぞ?
事実ではあるものの、その裏側がレオンの企みという生々しさ。まさか夫が妻を家から出さないために、他の人間との交流を邪魔しているなどと誰が思おうか。
そこでふと、ウォルターはラナリアのすすり泣きを思い出す。
家族や友人の便りが途絶え、どれだけ手紙を送っても返事が来ないと、密かに俯いていた後ろ姿を。
つつ~ぅっと冷汗をたらし、ウォルターは彷徨っていた己の視線を幼馴染みの無愛想な顔に着地させた。
「なあ? まさかとは思うが…… あの女の実家からの手紙まで握り潰したりは……」
皆まで聞いていられなかったのか、ふいっとレオンの視線が泳ぐ。
明らかに挙動不審。その落ち着かない挙動が、事の全てを物語っていた。
「お前ぇぇーっ!! やってんなっ?! あの女の送った手紙か、相手の返事に何かしたなっ?!」
「………送ってない。あんなに頻繁に手紙を送るなんて妙だと思って。……一度、開封して中身を確認したら止まらなくなって。……返事も、俺のところで止めている。……ラナリアに里心がついたら……と。怖くて渡せない」
とうとうと語られるレオンの弱音。だが、やってることは強気で傍若無人過ぎる。
「馬鹿たれぇぇーっ! それで、あの女、泣いてたんだぞっ? 返事が来ないって! みんなに忘れられたんじゃないかってっ!!」
「え……?」
不安げに寄せられたレオンの眉根。それを余所にウォルターは思いつく限りの記憶を必死に掘り起こした。
……そうだ、そのあたりからだ。あの女が暗く落ち込みだしたのは。
飲み物くらいしか口にしなくなり、もっと食べさせろとレオンに頼まれていたウォルターは、イライラがピークに達する。
……で、口が滑ったのだ。
『貴女がしっかりしてくださってさえいれば…… ああ、言うだけ無駄ですね。旦那様も諦めておられるようですし。……どこに招待を無視される夫人がいるんですか。御愛想でも普通は来てくれますよ?』
『………そうね。いたらない……いえ、要らない妻よね、私。居なくなった方が旦那様のためね』
『……まあ、そのとおりです。自覚があるなら、とっとと荷物をまとめて消えてくださいよ。そうすれば私の手間も省けるんで』
己の発言を思いだして、ウォルターの顔から血の気が失せた。
……まさか?
ダラダラ、ガマの油のごとき汗を滴らせる幼馴染みに、首を傾げるレオン。
ぎぎぎ……っと振り返ったウォルターは悲愴な顔で覚悟を決め、己の仕出かしたかもしれない失態を正直にレオンへ話した。
その日、子爵邸は怒号と絶叫が駆け巡り、ウォルターを筆頭とした関係者を阿鼻叫喚の坩堝に叩き込む。
「それが原因だろうっ!! 待てっ、ウォルターっ!!」
「待って欲しいなら剣を置け、剣をっ!! だいたい、違うからなっ! あれも切っ掛けかもしれんが、お前のつれなさが原因に決まっとろうがっ!! 端から見てても、お前があの女を疎ましがっているようにしか見えなかったぞっ?!」
階段を駆け下りつつ逃げ回るウォルター。それを遠目に眺めていた他の使用人達は、何が起きたのかと戦々恐々。
そんな使用人達の前にレオンが止まった。ぎろりと眼球だけを動かしつつ、肩で息をしながら、彼は周りにも尋ねる。
「俺が…… ラナリアを嫌っている……ように? 見えてたのか?」
コクコクと全力で首肯する哀れな人々。
「……そうか。なんてことだ」
がくっと膝をついて、レオンは崩折れた。
そのあからさまな落胆具合を訝り、何が起きているのかウォルターに説明された邸の使用人達が絶叫する。
「そんな……っ? まさかっ?!」
「だって……っ、ねえ?」
「好いてるようには見えませんでしたよっ?」
斬れ味の良い率直な言葉の数々に打ちのめされ、さらなる自戒の深みに陥るレオン。
そら見ろとばかりな顔で見下ろしてくる幼馴染みが忌々しい。
誤解が晴れ、後は誰もが後悔の海に突入する。何をやっていたのかと。よくよく考えてみれば、八つ当たりじみたことばかりをやっていたと。
彼女自身が悪いわけでもなかったのに、上手くいかない全ての元凶が彼女のように思えていた。
食の細い彼女を心配すべきだったのに……
社交界から孤立した彼女の暮らしを案じるべきだったのに……
何にも興味をもたない彼女に、楽しめそうなことを提案すべきだったのに……
誰もがやるべきことをやらず、ラナリアを勝手に嫌っていた。
彼女がレオンに疎まれてると感じたのなら、それを仲裁するべきだった。擁護し、労るべきだった。励まし、暮らしやすいよう助けてあげるべきだった。
つらつら押し寄せる雪崩のような後悔。
どうして、こんなことに……と。
「……俺が言えた義理じゃないが。帰ってきてくださいよ、奥様」
彼女の部屋のテラスで夜空を見上げるウォルター。
その大きく開かれた硝子扉の陰にある巨大な繭は、はためくカーテンに遮られ彼から見えない。
冷たい夜の帳が無情に辺りを染めていく。
こうしてラナリアのいない子爵家の夜が過ぎていった。