今日の旦那様
「なぜ失踪なんて…… おい、ウォルターっ! あれほど見張っておいてくれと言ったじゃないかっ!」
苦悶に顔を歪め、レオンはラナリアにつけておいた幼馴染みな執事を睨みつける。
「知るかよ、まったく。あんな役立たずな女房を娶ったお前の不出来だろうが。見てくれも十人並みだし、痩せっぽちで色気もねぇ。いつも湿気た顔してっしよぉ。いなくなってくれて、お前も清々してんじゃないのか?」
平民なウォルターの素は、これだ。
普段は従僕然としているが、他に誰もいない時はこのように砕けた物言いをする。それをレオンは許してきた。
だが、今は許せない。粗野な口調のことでなく、己の最愛を罵ったことが。
「口を慎めよ、ウォルター。ラナリアに色気など要らん。社交もさせん。他の男の眼に触れさせるなど、以ての外だ。アレは俺の側に居てくれるだけで良いんだ。他に何もしなくて良い」
「……はい?」
ここで初めてウォルターは、幼馴染みの色めいた胸中を知る。
「一目惚れだぁぁーっ? おいおい、初耳だぞ、こらぁぁーっ!!」
「……本人にも言えないのに、お前に話せるわけなかろうが」
しばらく前に国境沿いで起きた動乱。そこに騎士として出征していたレオンは、怪我人らを手当するラナリアに一目惚れした。
『もっと水と包帯をっ! 御父様達から許可は貰ってるわ、近隣の農家を叩き起こしなさいっ!』
血で汚れた騎士や兵士に怯むことなくテキパキと指示を出して、自ら包帯を巻く健気な姿が眩しく焼き付き、忘れられなかった。
『大丈夫ですか? すぐに炊き出しも出来ますから。ありがとうございます、この地を守ってくれて……』
心からの感謝を浮かべたラナリアの笑顔。
……天使か?
放心したまま馬車で王都に運ばれたレオンは、それっきりラナリアと会うことはなかった。
彼女の家は末端も末端。貴族を名乗るのが精一杯な貧乏男爵。当然だが、王都の社交になどやってこない。
かと言って、サルバトーレ家があちらの社交に関わると悪目立ちしてしまうため、伝の伝の伝という遠縁を頼り、何とかレオンは縁談にまで漕ぎ着けた。
しかし貴族の婚姻は書類上のみな政略が多い。
ラナリアともそのような形に収まってしまい、娶った妻の婚家を援助するという状況になる。
……男爵は喜んだが、当のラナリアはどうなのだろう。政略結婚の身売りだと思われているのではないか? なら、馴れ馴れしく手を出したら気分を害されるかもしれない。
……ラナリアを軽んじているように見られるかも? まずはお互いの関係を深めることから始めよう。
ただでさえ無愛想で強面を自覚するレオンだ。ありとあらゆる不安が天元突破し、どれだけ心配しても、し足りない。
……大切にしよう。なるべく脅かさないよう静かに暮らさせて、この家に馴染んでもらおう。顔を合わせるのも最小限で。……俺は無骨者だしな。少しずつ慣れてもらえたら良い。
そう己を言い聞かせ、レオンはつとめて紳士的に妻と接した。それこそ余所余所しいくらいに。
とつとつ語る旦那様。その説明を耳にして呆れ返ったウォルターは、ぽかんっと口をあけて絶句するほかなかった。
「はあぁ……? お前、それって…… 全く通じてねぇからっ! むしろ周りは誤解しまくってんぞっ? 俺を含めて…… あちゃぁ~、やっべぇ。俺も言い過ぎてたかも……」
己のついた悪態を思い出して、思わず頭を抱えるウォルター。
「どういうことだ?」
疑問顔なレオンに、言いづらそうな顔で歯茎を浮かせ、ウォルターは淡々と説明した。
「ば……っかか、お前ぇぇーっ! ラナリアに招待状が来ないのではないっ! 来ている招待状を俺が処分しているだけだっ!!」
「そんなん聞かなきゃ分かんねえよっ! 招待状を出しても無視されてるみたいだし、あの女が社交界でも嫌われてるんだとこっちは思うじゃないかっ!!」
「無視などされておらんっ! 全て参加で返事が来ておったわっ!! それに体調不良と断りの手紙を秘書に代筆させ、俺が処理していただけだっ!!」
「……ちょっと待てや、こら。ってことは何か? お前が全ての元凶か?」
「……? 元凶?」
本気で分からない顔のレオンにズカズカ詰め寄り、ウォルターは腹の底から吠えた。
「あの女が苦労してた原因は、全部お前のせいだって言ってんだよぉぉーっ!!」
耳元でがなりたてられて放心したレオンの胸倉を掴み、ウォルターは立て続けに怒鳴る。
「嫌嫌食うなとか、みすぼらしい格好をするなとか、白い肌しか取り柄がないんだから庭に出るなとかっ!! 全部、お前が言ったことだっ! それを鵜呑みにした俺も間抜けだけどさぁっ!」
「そ……っ、そんなことは言っていないっ!」
慌てて弁明するレオン。
その詳しい言いわけを聞いたウォルターは、絶望で目の前が真っ暗になった。
『……日焼けするだろう。雪のように透き通った肌ぐらいしか映えるところがないのだから気をつけろ』
これはラナリアの色素が薄く、日焼けすると真っ赤になってしまうので、肌の出る服を着ずに家で大人しくしていて欲しいという意味だったらしい。
「分かりにくいわ、ぼけぇえーっ!!」
切れ味の良いウォルターの突っ込み。
『……口に合わないなら残せ。ただでさえ食が細いのだから、嫌な顔で口にするな。おい、何か妻の食べられそうなモノを用意しろ』
『……骨と皮だけな妻を持つ夫の身になれ。まるで俺が食べさせてないみたいじゃないか』
これもまた、食の細くなってしまったラナリアを心配しての言葉だった。少しでも食べて欲しくて、何か気に入るモノを作らせようとしただけ。
こちらがこんなに心配しているのだ。もっと食べて太ってほしい。そんな気持ちだったとか。
言葉選びが下手にも程があると、ウォルターは酷い目眩を覚える。レオンが騎士団所属で罵詈雑言が飛び交う男所帯しか知らない弊害だ。
ウィットの利いた皮肉な言い回しは、気心の知れた相手同士にしか伝わらない。そんなことも分からずに、レオンは彼女と親しくしているつもりで接してきたのである。
その勘違いの最たるものが、こちら。
『服飾費がやけに低い。季節のドレスも作ってやれない夫だと笑われそうだ。それが目的で作らないのか?』
『散財しろとまでは言わないが、必要かそうでないかは俺が判断する。このままだと吝嗇家と後ろ指を指されそうだ。商人を呼ぶから、俺が恥ずかしくない程度には揃えろ』
気兼ねなく買い物をしろと言いたいのだろうが、伝わらない。これでは絶対に伝わらない。
「……彼女は辺境貴族だから。その、下手にかしこまるより、騎士団流の言葉遣いの方が良いかと」
……あ~。まあ、ねぇ?
この世界は安定した平穏な世界だ。
脅威らしい脅威もなく、どこの国も友好的に暮らしていた。ときおり、国境沿いの小競り合いが発生する程度か、あとは《歪》と呼ばれる突発的な異空間から現れるモンスターを討伐するくらい。
その《歪》も大規模なモノは滅多になく、大抵、一メートルか二メートル。地面から天井を一直線に裂く《歪》が出現するのは室内のみで、見つけるのも容易い。
中から凶暴なモンスターが現れる《歪》だが、その出現時間も決まっていた。小さいものほど早く消え、大きなものでも精々二時間か三時間。
騎士団が駆けつければ、すぐに対応出来る。なので、大した脅威と思われていなかった。
それとは別で、国境辺りを領地とする辺境貴族達。これは貴族とは名ばかりな義勇兵らの領地だ。
元々、辺境伯領地の外で暮らしていた貧民達。
税を納められぬ彼等を国は民と認めず、国境に追いやっていた歴史がある。
そこに現れたのが、今の辺境貴族らの祖先たる義勇軍。各領地の心ある者達だった。
国境端に追いやられ虐げられ続けてきた貧民らに心を痛め、彼らは義勇兵を募って隣国の攻撃から救おうと試みる。そして貧民の力も借り、何とか隣国の撃退に成功した。
小競り合いの果で、いつも兵士らに踏み荒らされていた貧民達や村々。それをまとめて隣国の攻撃を退けた功績を称え、当時の国王が彼等を貴族と認めたのである。
義勇軍の殆どは貴族家の三男坊や四男坊だ。まさか国境端を領地として爵位を与えられるなどとは思わず、彼らは喜んでそれを受け入れる。
これで貧民達を守れる大義名分が出来たと。
以来、ずっと国境を守る辺境貴族達。
しかし、王都貴族と辺境貴族では、富豪と庶民ほどの隔たりがあった。王都やその周辺を治める貴族達が戦うことはなく、それ専任の騎士団が討伐や守護に当たっている。だから王都貴族は荒事を殊の外忌み嫌う。
戦うことを専門とした貴族。それが辺境貴族だ。これを王都貴族らは酷く蔑んでいた。
そんな辺境貴族から花嫁を迎えたレオンも、えらく好奇の的だったものだが。
戦う貴族と王国騎士団の巡り合わせ。ゆえにレオンは、男所帯な騎士団と同じつもりでラナリアに接していたらしい。
「……案外、不器用な奴だったんだな、お前」
「……自覚はある。だからなるべく必要なこと以外は話さないよう気をつけてた」
それが、さらなる誤解を生む。
続くレオンの弁明の酷さに、思わず床へ懐きたくなるウォルターだった。