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 今日の奥方様


「もう良いわ、片付けてちょうだい」


「……ほとんど召し上がっておられないではないですか。せめて、もう少し……」


 あからさまに嫌な顔の侍従に睨まれ、ラナリアは心の中でだけ溜め息をつく。

 この男性はウォルター。夫であるレオン・サルバトーレ子爵の腹心だ。夫のいない時は、四六時中見張るようにラナリアに張り付いている。


「食欲がないのよ。……動いてもいないしね。今日は出かけてみようかしら」


「どこへ出かけると仰るのですか。社交辞令なお茶会にすら招待されもしないのに」


 ラナリアの小鳩なハートをドスっと穿つ、ウォルターの容赦無い言葉。


 そう。ラナリアは誰にも関心を持たれず、夫人の仕事であるはずな社交にすら参加できていない。招待されたこともなく、ならば自分で主催してみようかと恐る恐る招待状をしたためてみたものの、誰一人、招待に返事をしてくれなかったのだ。


 ……なぜかしら。ここは王都で、故郷の田舎とは違うと思うけれど、私は嫌われているの? ここに嫁いでからというもの、誰とも交流らしい交流をしたことがないわ。


 まだ年若いという理由から夫はラナリアを社交に伴わない。夜会や御茶会、騎士団の催しにも一切ノータッチだ。

 そして邸に閉じこもりっぱなしなラナリアの楽しみといえば、庭の散策くらい。しかし、それにも夫は良い顔をしなかった。


『……日焼けするだろう。雪のように透き通った肌ぐらいしか映えるところがないのだから気をつけろ』


『はい……』


 他にも、夫と交わす言葉はお小言ばかり。


『……口に合わないなら残せ。ただでさえ食が細いのだから、嫌な顔で口にするな。おい、何か妻の食べられそうなモノを用意しろ』


 子爵の恫喝に怯えた給仕達が、恨みがましい眼をラナリアに向ける。


『わ、わたくしはこれで十分です』


『……骨と皮だけな妻を持つ夫の身になれ。まるで俺が食べさせてないみたいじゃないか』


 万事が万事この調子。金髪碧眼なレオンは、巨大な体躯を持つ騎士だ。しかもかなりの強面で、短く刈り込んだ髪も手伝い、子供が見たら泣くであろう姿形をしている。

 実際、他の騎士と並んでも、頭一つ以上大きさに違いがあった。筋肉隆々な身体は言わずもがな。

 そんな人外に片足突っ込んだような旦那様を前にして、ラナリアは怯えることもなく余所事を考えている。


 ……そんなに細いかしら? そういえば食欲が湧かなくて、疲れやすくなったかもしれないわ。


 ふう……と漏れた小さな嘆息。


 たしかにラナリアは痩せていた。だがそれは、故郷を馬で駆け回っていたせいもある。脂肪が少なくて筋肉が多いのだ。だから見た目は細いが、重量はけっこうあったりする。


 ……色の白さは七難隠すというもの。髪は茶色だし、瞳も凡庸な緑だわ。旦那様の仰る通り少しでも見目よく磨くべきよね。


 辛辣な言葉にめげもせず、レオンに言われるがままラナリアは素直に努力する。


 しかし、それでも夫の小言は減らない。


 また、ある日には……




『服飾費がやけに低い。季節のドレスも作ってやれない夫だと笑われそうだ。それが目的で作らないのか?』


『そんなことは…… ただ、必要がないので……』


 着ていく場所もないのにドレスや宝飾品は不要だとラナリアは思う。なので普段使い用の服のみ作っていた。夫はソレが気に入らないらしい。


『散財しろとまでは言わないが、必要かそうでないかは俺が判断する。このままだと吝嗇家と後ろ指を指されかねん。商人を呼ぶから、俺が恥ずかしくない程度には揃えろ』


 厳しい顔で大仰な溜息をつき、毎回、毎回重ねられていくお小言。良かれと思い無駄金を使わず、あえて買い物を控えていたのが完全に裏目になった。


 ……社交も出来ない、子爵家も回せない、お荷物でしかない妻でも、それなりの待遇を与える旦那様。

 そんな夫に、毎日毎日小言ばかり言わせてしまう自分がリナリアは情けなかった。


 完全にお飾りな妻。なのに、着飾って座っていれば良いという寛大な夫。彼女はレオンのことを、そう思っている。

 初夜からこちら夫婦関係もなく、これではいけないと執務の手伝いとかを申し出てみても、二言目には年若いから幼いからとレオンは彼女に何もやらせてくれない。家令もリナリアに何もさせてくれない。


 そこにきて、他の夫人から御茶会などの招待もされず、こちらが招待しても無視される今の状況。それが彼女の精神を追い詰めていった。


 さらには便りの途切れた実家や友人。


 いくら手紙をしたためても返事は来ず、片便り。


 夫の当たりが強いため、この邸の者達もラナリアを邪険にする。


『貴女がしっかりしてくださってさえいれば…… ああ、言うだけ無駄ですね。旦那様も諦めておられるようですし。……どこに招待を無視される夫人がいるんですか。御愛想でも普通は来てくれますよ?』


『………そうね。いたらない……いえ、要らない妻よね、私。居なくなった方が旦那様のためよね』


『……まあ、そのとおりですね。自覚があるなら、とっとと荷物をまとめて消えてくださいよ。そうすれば私の手間も省けるんで』


 夫と幼馴染で腹心のウォルターは特に手厳しい。そして、その言葉にラナリアが反論出来ないのも確かだ。

 家を守り、社交で夫を支えるのは妻の役目。それを果たせぬなら、ただの役立たずでしかない。

 実際、陰ではそのように悪態をつく使用人もいた。


『あんな出来損ないな妻をもらうなんて。旦那様が気の毒だよ』


『好き嫌いも多いしな。こっちが必死に作ってるってのに、ほとんど食べやしねぇ。それで叱られるのは俺たちだ。やってらんねぇよ、まったく』


 ……そうね…… ごめんなさい。


 扉越しに聞こえた料理人達の声。


 日がな一日座っているだけなのだ。お腹も空かないし精神的疲労から食欲も湧かない。


 ……故郷では野山を走り回っていたのだもの。貧乏貴族は暇なしで。……働くのが好きだったわ。楽しかった。


 きっと他でも色々言われているのだろう。本人の眼の前では言わないだけで。ラナリアの眼の前で堂々宣うのはウォルターくらいである。


 ……私、なんで、ここにいるのかしら。……もう、消えてしまいたい。


 しかし、夫とラナリアは政略結婚だ。彼女が嫁ぐことで、サルバトーレ家は実家の男爵家に援助を約束してくれた。

 泣きながら喜んでいた両親を失望させたくはない。


 ……何もやらない穀潰しのくせに、実家の支援や服飾で湯水のごとく旦那様にお金を使わせて。まるで寄生虫みたいね、わたくし。


 心ない人々の誹謗中傷で頭が一杯になり、八方塞がりな今が彼女を陰鬱な気持ちに沈めていく。


 そんな日々が長く続けば、人の心は蝕まれ、悪い方にと傾いでしまうものだ。


 アレコレ重なり、自暴自棄になったラナリアが思い余ってテラスから身を躍らせようとした時。


 それは現れた。




「え………?」


 《マイホーム》と小さな看板のついた、虫の繭のようなモノ。

 

 ……まいほーむって? なに?


 どうしてか分からないが、突然現れた一メートル四方の繭がやけに温かく感じられ、ラナリアはソレに恐れも抱かず触れる。


 その途端、彼女の姿は煙のように消え失せた。


 サルバトーレ子爵夫人、突然の失踪。


 この報を受けた彼女の夫たるレオン・サルバトーレは、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がる。




「……探せ。探せぇぇーっ!!」


 執務室から飛び出した彼の雄叫びが轟くなか、ラナリアは夢を見た。


 温かく幸せだった頃の夢を。


 その眦に伝う一筋の涙。それを今のレオンは知らない。

 

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