疑問ばかりの日々
ローゼマリーがこの城に来てから、十日と少しが過ぎた。
廊下に置かれた花瓶に差した色とりどりの花を整えながら、彼女は小さく息をつく。
十日と、少し。
正確には、十日と、四日。
その十四日間で、多少ここの主のことが判ってきた、と思う。
人となりは置いておいて、少なくとも行動面では。
まず、陽の光が苦手だということ。
部屋の鎧戸が全部閉められているのは、不精だからではなくて、陽の光を遮るためらしい。一度開けて回ろうとして、カミラに止められた。好き嫌いの範疇ではなく、どうも、陽の光を浴びると命に係わるようだ。それを聞かされて、重々注意しようとローゼマリーは心に刻み込んだ。
次に、食事や睡眠が要らないらしいということ。
これははっきりと確かめてはいないのだけれども、口数の少ないカミラの言葉の欠片を拾って、そう結論付けた。多分カミラもそうで、食事はローゼマリーのためだけに作られているらしい。当然、食べる時は彼女独りだ。村にいた頃は必ず誰かと一緒だったから、この孤独な食事には未だ慣れることができていない。
そして、最後に。
彼は食事代わりに血が必要だというわけではないということ。
十と四日。
その間、ローゼマリーは『贄』としての役割を果たしていない。
ここに来た日に問答無用で噛み付かれ血を飲まれたけれど、それきりだ。アレは最初の一度きり。というか、血を飲まれるどころか、ヴォルフとは顔を合わせてすらいない。基本、彼は終始自室に引きこもっている。
(これでいいの?)
別に、ローゼマリーも首筋に噛み付かれたいわけではないけれど、ここまで放置されてしまうとそんな疑問もわいてくる。
はっきり言って、ここでの日々は村でのものよりもはるかに快適だった。
部屋は広く家具は質の良いもので布団はフカフカだ。
掃除や洗濯はカミラがパッパとやってしまうし、食事も時間になれば黙っていても目の前に出てくる。服だって、豪奢ではないけれど品も質も良いものが三日ごとに洗われたものに交換される。
そんな贅沢な生活も、一日や二日なら、良かった。
けれど、七日十日と続けば、物心ついた頃からずっと身体を動かしてきたローゼマリーにとっては、快適を通り越してしまう。
役目を果たしてもいないのに、この扱いは分不相応だ。
何かすることがなければ、居ても立っても居られない。
自分の存在意義を見失い、時間を持て余したローゼマリーは、使われてもいない部屋の掃除を始めたのだった。
城はとても広く、多分、森の村の住人全てが余裕で暮らせるだろう。どの部屋も、それこそ三百年間使っていないのではないかと思うほどの埃が積もっている。
使わないのであれば掃除をすることなど意味がないのかもしれないが、それでも、何もすることなく時間が過ぎるのだけを待つよりは、いい。
東の端から順に始めてたっぷり時間をかけてどの部屋も塵一つ残さないほど隅々まできれいにして、一日に一部屋ずつ。
この分ではふた月もすれば全部終わってしまうかもしれない。
(そうしたら、どうしよう)
また、最初から始めようか。
(……使う者もいない部屋だけれども)
不毛な考えにローゼマリーが小さなため息をこぼした時。
「ローゼマリー」
不意に低く響く声に名前を呼ばれて彼女はビクリと肩を揺らす。
パッと振り向くと、廊下の暗がりに全身を黒一色で包んだ人影が佇んでいた。
「ヴォルフさま」
この城にいるのは彼女とカミラとヴォルフだけで、声は中性的なカミラのものではなかった。だから、聞いた瞬間に誰なのかは判っていたけれども、ローゼマリーは唐突に鼓動が早まるのを自覚していた。
ローゼマリーが息を詰めて見守る中で、ヴォルフはためらっているのだろうかと思わせるような間を置いた後、歩み寄ってくる。床は硬く、彼はしっかりとした体重を感じさせる人だというのに、まったく足音は聞こえなかった。
ローゼマリーの前に立ったヴォルフは、チラリと花瓶を一瞥してから微かに目を細めて彼女を見下ろしてくる。
「何をしている?」
問われて、ローゼマリーは目をしばたたかせた。
花瓶に目を走らせたのだから、きっと、それについて問われたのだろう。
花瓶はあっても花は一つも活けられていなかったから、もしかして、花を生けるという行為そのものを知らないのかもしれない。
なにぶん、彼は限りなくヒトに見えるけれどもヒトではないのだから、ローゼマリーの行動一つ一つに疑問を抱いても不思議ではない。
「え、と、お花を……お庭にたくさん咲いていたから……飾ったら素敵だと思って……」
しどろもどろに言いかけて、ローゼマリーは口ごもった。
この城の庭には色とりどりの草花が溢れている。今は秋だけれども、一回りしてみたところ、春、夏、そして冬にさえも、咲く花がありそうだ。庭の手入れなど全くされていないというのに見事なまでに枝葉を伸ばし、瑞々しく花々が咲き誇っているのは、ヴォルフの力が及んでいるからなのかもしれない。
その花を摘んできてこうやって城の中を飾っているわけだが、考えてみたらその許可を取っていなかった。
「あの、摘んでも良かったですか?」
「?」
「えっと、お花です。お庭から勝手に取って来てましたけど、いけなかったですか?」
「……好きにすればいい」
ヴォルフはまったく関心がなさそうな顔と声で頷いた。口調はともかくその言葉の内容に、ローゼマリーはホッと頬を緩ませる。
「ありがとうございます」
一つ軽くなった気持ちでヴォルフを見上げたローゼマリーは、その面にまた奇妙な表情が浮かんでいるのを見つけた。最初の日も幾度か彼が浮かべていた表情だ。
(わたし、そんなに変なこと言ってる?)
笑みを消し困惑するローゼマリーの前で、ヴォルフもまた仮面めいた顔を取り戻す。いや、よくよく見れば、ほんの少しだけ、落胆のようなものが見えたような気もする。
だが、仮にローゼマリーが見たものが正しかったとしても、その理由は不明だ。
(よく解らない人)
胸中でこっそりそう呟いたローゼマリーの前で、ヴォルフが閉じていた口を開く。
「何か足りないものは?」
「え?」
「何か不足しているものはないのか?」
ローゼマリーはキョトンと一度大きく瞬きをし、次いで、深く頷いた。
「はい、大丈夫です」
彼が、気遣ってくれた。
こんなに面倒臭そうでローゼマリーのことになど興味の欠片もなさそうなのに、二度も、繰り返してまで。
「もう、充分していただいています」
ヴォルフは自分のことを気遣ってくれている。単純にそれが嬉しくて、思わず満面の笑みを浮かべて彼を見上げた。
目が合って、何故か、ヴォルフが息を呑む。
――次に起きたことから推考するに、多分、この遣り取りの中の何かがヴォルフを怒らせたのだと思う。
けれど、後から振り返っていくら考えてみても、ローゼマリーには何がいけなかったのか全く見当もつかなかった。