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当惑

 今度の贄は、妙な娘だ。


 自室に戻り、座り慣れた椅子に身を委ねたヴォルフの脳裏には、先ほどの贄の娘との束の間の遣り取りが漂っていた。いや、今々ぶり返してきたわけではない。広間を出て、廊下を歩き、ここに着くまでの間ずっと、彼の頭の中に引っかかっていたのだ。

 いつもは、贄と顔を合わせた後にこんなふうに尾を引くことはない。

 血を摂取した後は贄の世話は人形に任せ、次に吸血するときまで完全に彼の意識から消え失せる。

 それなのに、今日はなかなか頭が切り替わらない。


 いったい、何故なのか。


 心の平穏をかき乱された理由を求めてヴォルフは自問し、答えを見つける。


(――名など問われたからだ)


 そして、礼を言われたから。


(何なのだ、あの娘は)

 ふと気付いてヴォルフは親指で口元を拭い、そこに付いた紅い一滴を見つめた。と、また、あの娘のことが頭の中に蘇る。

 娘は床に倒れ込みながらも真っ直ぐに彼を見つめ、名を訊ね、礼を言い――笑いかけてきた。

 そう、あの娘は、笑ったのだ。

 あれも、不可解だった。


「何故、笑う」

 何故、笑うことができてしまえるのか。

 ヴォルフには、理解できなかった。


 村の守護の代償として血を与える。

 かつて、ヒトと彼と、互いに同意の上にその約定を交わしたはずだったが、自ら進んで身を捧げてきたのは最初の娘だけだった。

 二人目、三人目、その後も……今の贄の前の娘も、皆、怯え、ヴォルフを一目見るなり身を縮ませた。中には吸血されることに耐えかねて自ら命を絶った者もいる。

 野の獣であれば他者の餌になるということは当然の理だが、ヒトはそれに慣れていない。捕食されるということに極端な恐れを抱くのはそのせいなのだろう。

 だから、喰らうものであるヴォルフを見れば、怯え泣き叫び遠ざかろうとするのが、普通なのだ。


 にも拘らず、あの娘は、笑った。ヴォルフに向けて。


 従容と自らの道を受け入れた一人目とは、違う。あの娘は、自身のことを『餌』と認識していた。ヴォルフのことを拒みはしなかったが、今回の贄のように表情を動かすこともなかった。

 笑うことはおろか、泣くこともせず。

 毎日村がある方を眺め、ただ、淡々と役目を全うし、死んでいっただけだ。


 今日の娘のように、ヴォルフを見ることはなかった。


 苛々する。

 いや、違う。苛立ちとは、違うか。

 ただ胸がざわつき、妙に落ち着かない。

 ヴォルフは眉根を寄せ、中空に向けてひと声投げる。


「来い」


 ややして扉が開き、人形が姿を見せた。

「お呼びでしょうか」

 贄の娘の世話をさせるためにこの人形を作ってから、ヴォルフが彼自身の用で呼びつけたことはなかった。だが、これはそんなことに疑問を呈する代物ではない。人形は何も言わず、その漆黒の瞳に疑問の色を浮かべることすらなく、彼の次の言葉を待っていた。

「あれは、どんな様子だ?」

「あれ、とは?」

 まるで見当がつかないという風情で、人形が問い返してくる。


 当然だろう。

 作られて以来、ヴォルフがこんなことを訊ねたことなどないのだから。いや、そもそも彼自身、どうしてあの娘のことを問おうと思ったのか――どうしてそんな気を起こしたのか、解からないのだ。


「――贄だ」

「ローゼマリーは部屋に運びました」

 ムッツリと問うたヴォルフに対する、淡々とした声での、いらえ。

 聞くまでもない返事の中の一部分に、ヴォルフは眉をひそめる。

「『ローゼマリー』?」

「あの贄の『名前』です」

 あの娘は名乗ったのか。

 こちらの名前を知りたがった贄は初めてだし、名を告げてきた贄も、初めてだ。

 そのことをどう受け止めたら良いものか判らず眉間に皺を刻んだヴォルフに、人形が続ける。


「私は『カミラ』だそうです」

「お前が、……?」

「はい。私は『カミラ』だと。私を呼ぶときに必要だと言われました」

「そうか」

 やはり、あの娘は変わっている。人形に名前を付けようなどと。


「ローゼマリー」

 ヴォルフはその名を口の中で呟いた。


「妙な、娘だ」

 ふと目を落とすと、まだ指に残るあの娘の血が視界に入った。

 乾いたそれを舌先で舐め取る。


 甘い。


 今までの贄の血と、何も変わらないはずだ。

 ただ、力を得るために摂取するだけの、ヒトの体液に過ぎないはず。


 そのはずだというのに、舌に残る彼女の味は不可思議な甘さを感じさせた。


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