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闇森の獣は光に焦がれる~暁の花と孤独な狼~  作者: トウリン


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暴走

 ローゼマリーが見守る中で、レオンハルトはよろめきながら両手で顔を覆った。

 明らかに、様子がおかしい。


「レオンハルトさ――」

 立ち上がり彼に近寄ろうとしたローゼマリーを、背後から抱きすくめる形でヴォルフが止める。


「アレに寄るな」

「え、でも」

 肩越しにヴォルフを見上げたローゼマリーだったが、直後轟いた咆哮にビクリと身をすくませた。


「何――?」

 無意識にヴォルフの胸に背を押し付けるようにして、レオンハルトを凝視する。そして、息を呑んだ。


 レオンハルトはまだ、そこにいた。

 だが、果たしてそれは、本当に彼なのだろうか。


 ローゼマリーは呆然と目をみはる。

 元々、大きな人だった。

 その大きな身体が、更に膨れ上がっている。その内側からの圧に耐えかねて、けっして薄手とは言えないにも拘らず、レオンハルトが身にまとっていた衣服はぼろきれと化していた。代わりに彼の身を覆っているのは、月明りの下で金色に輝く、毛皮だ。


 そして。


 そして、鋭い鉤爪が生えた大きな手で隠しきれていないその顔は。


「オオ、カミ……?」

 ローゼマリーが信じがたい思いで呟くと、レオンハルトは低い唸り声をこぼした。彼女の呟きに応えたようにも、あるいは、その言葉に対する苦悩の呻きのようにも聞こえる、唸り声だった。

 その一瞬のちに彼は身を翻し、森の暗がりの中へと走り去っていってしまう。獣のように、四つ脚で。

「ヴォルフさま、レオンハルトさんは、――」

 ローゼマリーはどう言葉にしたらいいのか判らなくて、口をつぐむ。

 戸惑う彼女を解放して、ヴォルフはレオンハルトが消えた方へと目を向けながら答えた。


「アレはヴェアヴォルフとヴァンピールとの混ざりだ」

 ヴォルフが口にしたのはそれだけだ。それだけで全て説明は終わったと言わんばかりに微かにすがめた目でローゼマリーを見ている。

「ヴェアヴォルフ――ヒト、オオカミ」

 ローゼマリーはヴォルフのその言葉を口の中で繰り返した。以前にも、聞いたことがある。けれど、ようやく今その意味を理解した。彼はまさに、ヒトでありオオカミでもある存在なのだ。


「レオンハルトさんは、その、大丈夫なのですか?」

 夜の空気を震わせたあの吼え声も、飛ぶように去って行ったあの姿も、いつもの飄々としたレオンハルトとはかけ離れていた。まるで、そう、まるで、まったく別の何かになってしまったかのように。

 ローゼマリーはレオンハルトがこのまま二度と戻ってこないような気がして、彼が消えていった森を見つめながらヴォルフに問いかけた。

 ヴォルフは眉間にしわを寄せ、ローゼマリーの全身を検めようとする眼差しのまま答える。


「ヴェアヴォルフは満月の光を浴びると狂う」

「狂うって――」

 淡々と告げられたその言葉に、ローゼマリーは絶句した。ヴォルフは彼女に手を伸ばし、頬にかかる巻き毛を持ち上げる。そうして、微かに眉をひそめた。

「痣がある」

 ヴォルフが親指でそっと触れた場所が、微かな痛みを訴えた。が、たいしたものではない。

「わたしは平気です。それより、狂うって、どういうことなんですか? 放っておいていいんですか?」

「気が済むまで欲求を発散させれば戻ってくる。他に痛むところは?」

 レオンハルトのことは明らかにおざなりだ。しかし、ローゼマリーにとっては多少の打ち身などよりも遥かに金色の狼と化した男の方が問題だった。

「なんともないです。欲求って何なんですか?」

 何となく、嫌な予感がする。ヴォルフの手を押さえてローゼマリーが食い下がると、彼はようやく彼女と目を合わせてくれた。


「狩りだ」


 端的な一言に、ローゼマリーは目をしばたたかせる。

「え?」

「アレは狼だから」

 ヴォルフは至極当然という風情でそう言ったけれども、ローゼマリーにとって『狩り』というその言葉には不穏な響きしか感じられない。

 野の獣は、自分よりも弱い存在を襲うものだ。レオンハルトにとって彼よりも弱いものというのは――多分、この森に住まう生き物全て、だ。

 そして、この森に住んでいるものは。

 ローゼマリーが唇を噛んだ時、また、森の奥から太い遠吠えが聞こえてきた。村はヴォルフの力で守られていたとはいえ、森の中で生きてきたのだから、彼女だって今まで様々な獣の声を耳にしてきた。けれど、遥か彼方から届くその声は、それらからは感じたことがない強烈な威圧感を持っていて、思わず肩がビクリとはねる。


 今のレオンハルトは、獣だ。それも、とても、凶暴な。


 嫌な考えが、ローゼマリーの頭をよぎる。

 この森の中で『生き物』がたくさん集まっている場所は、村だ。抗う術を持たないヒトは、簡単に、命を刈り取れる。

 ローゼマリーは大きくかぶりを振った。

 レオンハルトがそんなことをするとは思えない、いや、思いたくなかった。


「あの、村は大丈夫、ですよね?」

 ためらいがちに確認したローゼマリーに、ヴォルフは軽く頭をかしげる。

「気になるのか」

「心配、です」

 その懸念を、彼はただ否定してくれたらよいだけだった。

 しかし、そんなローゼマリーの期待は裏切られる。


 ヴォルフはローゼマリーを束の間見つめ、そしてフイとその視線を少し離れたところにいるカミラに向けた。

「ローゼマリーを城に連れていけ」

「え、と、ヴォルフさま?」

 両手を握り合わせて彼を見上げたローゼマリーに、ヴォルフは素っ気ない口調で言う。

「城にいろ」

 そして彼は、ローゼマリーの返事を待たずして、地面を蹴った。

 その動きはごく軽いものに見えたのに、ヴォルフがヒラリと宙に舞う――森の梢さえ越えてしまいそうなほどに。一瞬後には、彼の姿は見えなくなっていた。


(村を守りに行ってくれたんだ)

 ヴォルフは何も言わなかったけれども、きっと、そうだ。


 胸元に引き寄せた両手を固く結び合わせたローゼマリーに、背後から静かな声がかかる。

「城に戻りましょう」

「カミラさん」

 呼びかけに振り返ったが、ローゼマリーは後ろ髪を引かれてまた森へと眼を戻す。

「ヴォルフさま、大丈夫ですよね」

 何百年もの間、村を守ってきてくれた人なのだ。とても強いに決まっている。

「レオンハルトさんよりも、ヴォルフさまの方がお強いんですよね?」

 無理に浮かべた微笑みと共に、そう念を押した。

 だが、そんなローゼマリーの期待に満ちた眼差しを、カミラは無言で見つめ返してきた。

「カミラさん?」

 不安を掻き立てるその沈黙に、ローゼマリーは一歩を踏み出す。

「カミラさん、ヴォルフさまは大丈夫なんですよね?」


 だが、問うためではなく、確かめるための言葉に、返されたのは。


「判りません」


「――ッ」

 カミラは、息を呑んだローゼマリーから森へと視線を変える。

「ヴォルフさまは年経たヴァンピールです。あの方に比べれば、レオンハルトは赤子のようなものです」

「だったら……」

「しかし、摂取している血の量が違いすぎます」

「え?」

「ヴァンピールにとって、ヒトの血は力の源です。摂取した量がそのまま力になると言ってもいい。レオンハルトは定期的に相当量のヒトの血を飲んでいますが、ヴォルフさまは村を守るために必要な最低限の量のみです」

「それって、そんなに違うの?」

 沈黙は、肯定だった。

 脳裏によみがえるのは、いつもの倍の大きさにも見えたレオンハルトの金色の身体。月光を弾いた爪は岩をも貫きそうだった。

 その爪に切り裂かれるヴォルフの姿がローゼマリーの頭をよぎる。刹那、サッと彼女の全身から血の気が引いた。


(そんなの、イヤ!)

 一瞬――ほんの一瞬、村を襲うかもしれない惨状さえかすんでしまったほどに。

 ヴォルフが傷つくことが、耐え難かった。


(ヴォルフさまのところに、行かないと)

 矢も楯もたまらず、ローゼマリーは駆け出す――城ではなく、森に向かって。


「ローゼマリー」

 呼びかけに、彼女は肩越しに振り返った。

「ヴォルフさまを追いかけます」

「ヴォルフさまはあなたを城にお連れするように言われました」

 瞬きを一つしたカミラのその黒い瞳に困惑めいたものがよぎったような気がしたのは、ローゼマリーの見間違えだろうか。

 けれど、カミラが困惑しようが当惑しようが、ローゼマリーの決意は揺らがない。

 ヴォルフに彼女の血が必要だというのならば、何としてでも届けなければ。


「わたしは、ヴォルフさまのところに行きます」

 一歩たりとも引かぬ構えでそう答えたローゼマリーを、カミラは感情を映さぬ眼差しで見つめてくる。そして、無言のまま動いた。

「カミラさん!?」

 有無を言わさずそのしなやかな両腕に抱き上げられて、ローゼマリーは反射的にカミラの肩にしがみつく。次いで、猛然と手足を振り回した。

「やだ、下ろして!」

 このまま、城に連れて帰る気だ。

 当然、そうだとしか思えない。

 しかしカミラは、暴れるローゼマリーを抱えているとは思えない穏やかさで告げる。


「あなたの足では時間がかかる」


「え?」

「捕まっていてください」

 その台詞をローゼマリーが咀嚼しきれないうちに、眩暈がするほどの勢いで世界が動き出した。


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