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闇森の獣は光に焦がれる~暁の花と孤独な狼~  作者: トウリン


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別れ

 まだ、この身に二本の腕は回されている。けれどもその力はついさっきまでの息が止まらんほどに締め付けてくるものとは全然違って、ローゼマリーを優しく包み込んでくれるものだった。

 腕の片方に背筋を支えられ、ローゼマリーは繊細な手付きで仰向けられる。頬に、ひんやりとした手がそっと添えられた。

 その手の持ち主を、彼女は知っている。

 重い目蓋をどうにか持ち上げると、かすむ視界に漆黒の瞳が入ってきた。

 感情がないように見えるその眼差しに、紛れもなく、ローゼマリーを案じる色が見え隠れする。


「ヴォルフ、さま」

 囁くように名前を呼ぶと、彼のおもてに安堵が浮かんだ。

 自ずと、ローゼマリーの唇が綻びる。彼を安心させるために、そして、彼の気遣いが嬉しくて。

 と、その無言の遣り取りに、信じられないと言わんばかりの声が割って入る。


「何で……」


 状況を思い出してローゼマリーがそちらに目を向けると、テオが愕然とした顔で二人を凝視していた。

「テオ」

 何を言うかも決まらぬまま、彼の名を口にすると、テオがギリリと奥歯を噛み締めた。その眼差しにあるものは、怒りと、嫌悪と――そのどちらでもない、何か。


「何で、なんだ? 何で、そいつに笑いかけるんだよ? そいつが、ここの化け物なんだろ?」

 テオは地を這うような低い声で言い、ローゼマリーと彼女を抱くヴォルフに向けて一歩を踏み出した。いつしかその手に狩猟用の大ぶりの山刀を携えて。

「ローズを返せよ!」

 ヴォルフはチラリとテオを見てから、ローゼマリーをそっと下ろした。彼女の脚がきちんと立つのを確認して、一歩下がる。

 テオはヴォルフの動きに一瞬呆気にとられたようだったが、すぐに気を取り直してローゼマリーに向けて空いている方の手を差し伸べた。


「ローズ、来いよ。オレと一緒に行こう。この森を出て、どこか遠くで暮らそう」

「テオ……」

 ローゼマリーはテオからヴォルフに眼を移す。だが、彼の表情からは、何も読み取れない。考えも、感情も。

「ローズ!」

 動かないローゼマリーに焦れたように、テオが強い口調で彼女を呼ぶ。振り返ると、彼は険しい顔でローゼマリーを見据えていた。その視線から逃れるように、彼女は床に目を落とす。

「わたし……行かないよ」

「ローズ! 何言ってんだよ!?」

「わたし、行かない。ここにいるの」

「何で……ローズがこんなところでそんな化け物の餌になってる必要はないんだよ!」

 悲痛、ともいえる響きで放たれたテオの叫びに、ローゼマリーはパッと顔を上げる。

「化け物じゃない! ヴォルフさまは、化け物なんかじゃないの!」

「ヒトの血を喰らうんだろ!? 化け物じゃないか!」

「ヴォルフさまは、好きでそうしてるんじゃない! 村が……わたしが、そうしろって言うから……」

 そう口走ってから、ローゼマリーはそれがまごうことなき真実であることに気が付いた。いや、とうに判っていたけれど、声に出して叫ぶことで、それが真実だと思い知らされたのだ。

 ここにいるために――ここにいる理由を作るために、自分はヴォルフに吸血を強要していた。彼がそれを望んでいないことには、気付いていたのに。


 ローゼマリーはコクリと唾を呑み込み、テオを見つめる。

「ヴォルフさまは、本当はヒトの――わたしの血なんて飲みたくないの。優しい人なの。だから、村のことを守る義務なんてないのに、欲しくもない贄を受け取って、そうしてくれているの」

 背中にヴォルフの視線を感じながら、ローゼマリーは続ける。

「わたしが出ていきたいと言えば、ヴォルフさまはそうさせてくださる。だから、わたしは、わたしがここにいたいから、いるの」

 あの日、ヴォルフは陽の光の中に飛び出してまで、ローゼマリーを追いかけて来てくれた。それほどに、彼女を求めていてくれる。けれど、本当にローゼマリーが望むならば、きっとここを出ていくことを許してくれるのだろう。

 ローゼマリーは、そう確信していた。

 彼が、自分の望みよりも何よりも、ローゼマリーの望みを優先させるだろうことを。


(ヴォルフさまは、わたしを欲してくれている)

 贄とか血とか、関係なく。

 ヴォルフはちゃんと言葉でそう伝えてくれて、ローゼマリーもちゃんとそれが解っていたつもりだったのに、彼女の血を受け取ることを強いていた。それは、ローゼマリーが自分という人間の存在価値に自信が持てなかったからだ。自分の弱さのせいでヴォルフの言葉を信じきることができず、彼に望まぬ行為を無理強いしていたのだ。


(わたしは、望まれない人間じゃない)

 そんな卑屈な考えは、もう捨て去ろう。

 そう心に決めた瞬間、ローゼマリーは、視界が一気に晴れ渡ったような気がした。その澄んだ目で、テオを見る。

 いつしかテオから憤りは消え失せて、両手はだらりと身体の両脇に下げられていた。

「だけど、ローズは……こんな、ところで……」

 力ない呟きが、彼から漏れた。

 途方に暮れた迷子のようなテオに胸が痛んだけれども、ローゼマリーは顔を上げて真っ直ぐに彼を見つめる。


「わたしはここがいいの。ここに、居場所を見つけたんだよ。だから、わたしのことはもう忘れて。あの村では、わたしは、最初からいない人間だったの。そう決まってたの。多分――わたしの、父と母にも、どうしようもできないことだった。きっと、わたしの何が悪かったわけじゃない。絶対に、父と母が悪かったわけでもない。ただ、そう決まっていただけなの」

 静かな声でそう告げたローゼマリーに、テオの顔がクシャリと歪む。

「でも、ローズは、ローズはオレのねえ――」

「テオ」

 彼の口を封じるように、名を呼んだ。

 テオはグッと唇を引き結び、拳を固く握り締める。そんな彼に歩み寄り、ローゼマリーは頭一つ分高い位置にある頬に両手を伸ばした。


「あなたは、あの村で生きていくの。あの村で大事なひとを見つけて、その人を幸せにして、あなたも幸せになって。わたしの望みはそれだけだよ。テオの幸せが、わたしの幸せなの」

「オレは――」

 テオは口を開きかけ、けれどそうせず、奥歯を食いしばる。その緊張が、頬に触れているローゼマリーの手のひらに伝わってきた。

 彼は食い入るようにローゼマリーを見つめ、そして、幾重もの鎖を振り切ろうとするかのように、身を翻す。大股で一歩、二歩と進み、あとは夜闇の中へと駆け出して行った。

 みるみる闇へと紛れていく背中を見つめるローゼマリーの視界がにじむ。

 ヴォルフのことが、大事だ。彼はもう、ローゼマリーにとってかけがえのない人になっている。

 けれど、テオもまた、大事な存在なのだ。ヴォルフへのものとはまったく違う想いでも。これから彼が進む道が幸せに満ちたものであることを切に願わずにはいられないほどに。


 胸元で両手を握り合わせたローゼマリーに、静かな声がかけられる。

「行かなくて、良いのか」

 振り返ると、廊下の灯りが届かぬ場所に、ヴォルフが佇んでいる。ろうそくの燈火さえも避けているかのような彼に、ローゼマリーは歩み寄った。


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