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城の魔物

 ガランとした城の広間は、冷え冷えとしていた。

 精緻な模様が織り込まれた壁紙や白い柱に浮き上がる彫刻、女性や架空の動物が空を舞うように描かれている天井画――そういったものは、元々はさぞかし美しいものだったに違いない。

 けれど、今ここに立つローゼマリーの目に入ってくる壁紙は所々擦り切れ、彫刻には埃が積もり、天井画は色褪せている。


 本当に、ここに誰かが住んでいるのだろうか。


 そう思わせてしまうほどの荒廃ぶりだ。

 ――あるいは、この荒んだ光景はそのままここの主の心の中を表しているのかもしれない。


 ローゼマリーは周囲を見回し、こっそりとため息をこぼした。

 窓は全て鎧戸で塞がれていて、毛筋ほどの光も射し込んでこない。それでも隅々までじっくりと部屋の中を観察できるのは、惜しみなく灯されている蝋燭のお陰だ。しかもそれらは全て獣脂ではなく蜜蝋でできているものらしくて、室内には仄かに甘い香りが漂っていた。

 今の時刻はまだ昼にもなっておらず、窓を開けさえすれば蝋燭よりも明るい光が入ってくるはずだ。どうやら、ここの主は陽の光が好きではないらしい。

 これからの三十年間をこの中で過ごすのかと思うと、少々気分が沈んでしまうローゼマリーだ。


 それにしても。


(確かに、『明日』だったけど)

 ローゼマリーは胸の中でこぼす。

 村長の言葉は正しく、夜の間は家で過ごした。けれど、彼とローゼマリーが人知れず村を出発したのは、日をまたいですぐのことだった。テオに別れを告げるどころか、会うことすらできずに来てしまったのだ。

 付いてきてくれた村長は、城の入り口で帰されてしまった。この広間まで連れて来てくれたヒト――もしかしたらヒトではないかもしれないが――も、ローゼマリーを案内するとすぐにいなくなってしまったから、今、彼女は一人きりだ。

 広間に来るまでの廊下も静まり返っていて、ここで耳を澄ましていても人どころか生き物がいる気配すら感じられない。

 怖がるべきなのかもしれないけれど、もう一刻以上もここに放置されているから、何だか現実味が薄れてきてしまった。贄になるという現実にくっついていた、恐怖心も。


(テオ、何て言うかな)

 ローゼマリーがいなくなったと聞かされたら。


 時間を持て余すとどうしても思いが向かってしまうのは、幼馴染みの少年のことだった。

 さすがに、もう泣くことはしないだろう。でも、きっと、悲しむ。とても。

 常日頃から、ローゼマリーのことを守ってやるとか支えてやるとか言っていた彼のことだ。もしかしたら、自分が一緒にいれば――一緒にいなかったせいだと、罪悪感を抱かせてしまうかもしれない。

 ローゼマリーには、これからこの身が魔物の餌となるのだということよりも、テオがそんなふうに悲しむだろうことの方がつらかった。彼には、ずっと笑っていて欲しい。間違っても、筋違いの罪悪感や後悔に苛まれて欲しくない。

 けれど、心底から切にそう願っても、どうしても、そんな感情で胸をかきむしっているテオの姿がローゼマリーの脳裏に浮かんでしまう。


「それは、いやだな」

 我知らず、彼女が口の中で呟いたときだった。

 軋む音を響かせて、広間の扉が開く。

 ハッと顔を上げてローゼマリーが振り返ると、そこには一人の男性の姿があった。


 混じりけのない漆黒の髪。


 それが、まず彼女の目を引いた。こんなに深い黒は、見たことがない。

 年は二十代半ばくらいに見えるけれども、三百年前からここにいるわけだから、二十代のはずがないだろう。いや、そもそもヒトではないのだから、人間が決めた年月など何の意味も持たないに違いない。

 どちらかというと細見の身体つきをしていて、背は高い。多分、ローゼマリーが知る村民の誰よりも。隣に立ったら彼女よりも頭二つ分は高そうだった。

 黒髪の間から覗く耳の先は少し尖っていて、そこがヒトとは違っていたけれど、その魔物は、限りなく、ヒトに近い姿をしていた。


 そして。


(すごく、キレイ)

 ローゼマリーは目をしばたたかせる。

 切れ長の目、スッと通った鼻筋、薄めの唇。

 一つ一つが完璧な形をしていて、それらが細面の中に絶妙な均衡を保って配置されている。

 魔物はヒトに限りなく近い姿かたちでいて、ヒトとはかけ離れた美しさを持っていた。


(キレイ、だけど)

 ローゼマリーは、ホッと安堵の息をつき、ほんの少し肩から力を抜く。

(普通のヒトみたい)


 容姿は確かに人間離れをした美しさだけれども、彼女が想像していた恐ろしげな姿とは違っていた。

 言葉もなくローゼマリーが見つめる中で、魔物はゆったりとした動きで足を進めて近づいてくる。

 彼女まであと一歩、というところまで歩み寄り、彼は立ち止まった。


(あ、紅だ)

 見下ろしてくる瞳を見上げ返し、ローゼマリーは目を奪われる。

 冷ややかな眼差しを放つ瞳は、紅玉のような深い深紅。血のような、と言ってもいいのかもしれないけれど、そんな禍々しい言葉は相応しく思えなかった。

 魔物はローゼマリーを見つめたまま微動だにしない。

 いや、果たして、彼女のことを見ているのだろうか。


(もしかして、最初からここにあった彫像だったりして)

 そんな馬鹿なことすら頭に思い浮かんでしまった。

 あまりに動かぬ視線に、ローゼマリーは居心地の悪さを覚えて身じろぎをする。

「あの……?」

 恐る恐る声を発してみても、やはりピクリともしない。

 取り敢えず何か言わなければと、ローゼマリーは言葉を継ぐ。

「あの、いつも村を守ってくださって、ありがとうございます」

 そう言ってぺこりと頭を下げる。それからまた彼を見上げると、そこに浮かんでいる表情が微妙に変わっていた。

 それを言い表すとすれば、一番近いのは『驚き』だろうか。


(でも、何で?)

 内心首を傾げたけれど、何が彼にそんな顔をさせたのかというローゼマリーの困惑が溶けぬうちにそれは掻き消え、また元の無機質な仮面が戻ってきた。

 魔物は無言のまま片手を上げ、ローゼマリーのうなじを包み込む。何だろうと眉根を寄せた彼女に、彼は身を屈めて顔を寄せてきた。

 首筋に、柔らかいけれどもひんやりしたものが触れる。

(何?)

 眉をひそめ、一拍遅れてそれが彼の唇だと気づいたのは、同じ場所に鋭い痛みが走った時だった。


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