たとえ束の間のことだとしても
城の庭、東の一画、南側の菜園や西側に作った温室の薬草園とは別にローゼマリーが趣味で手を入れている花壇がある。かつての城の庭には、ヒトの――贄の娘の食生活を維持するためのものしか植えられていなかった。食用にならない草花は、勝手に芽吹き、勝手に育ったものだ。
実用一点張りであった庭に観賞用の花が植えられるようになったのは、ローゼマリーが屋敷の中に花を飾るようになってからのことだった。彼女のその行動でレオンハルトが各地から種を持ってきてくれるようになり、今では、どの時期でも色が欠けることのない花畑となっている。
そんな花壇の前にしゃがみ込み、ローゼマリーは眉をしかめていた。
いつものように城内に飾るための花を摘みに来たのだけれど、爽やかな風に揺れる色とりどりの秋の花を楽しむうち、少々微妙な気持ちになってきたのだ。
その理由はもちろん目の前の花々ではなく、ヴォルフだ。
ローゼマリーは薄紅色の花を突いた。揺れては戻る可憐な花に、小さなため息をこぼす。
ヴォルフは毎晩ローゼマリーと一緒に庭を散策してくれる。
昼も、ローゼマリーが食事をするときには前に座って彼女の話に耳を傾けてくれる。
眠るときには触れて抱き締めてくれるし、きっちり十日に一度は彼女の血を飲む。
自室に閉じこもりきりだったひと月前とは打って変わって、一日の大半をローゼマリーと共に過ごしてくれるようになったのだが。
もちろん、ローゼマリーは嬉しい。
(でも、ヴォルフさまは?)
夜の散歩ではヴォルフを見上げれば必ず目が合うから、彼が風景を楽しんでいる様子はない。
食事だって、カミラが作ってくれる料理はとても美味しいけれど、ヴォルフはただ席についているだけで、何も口にしないのだ。
吸血行為も、間隔も飲んでいるときの時間もあまりに規則正し過ぎて、彼が義務感からそうしているのだということがひしひしと伝わってくる。
ローゼマリーはヴォルフを喜ばせたいと思って行動しているけれど、彼の方もまた、ローゼマリーに快適に過ごさせるためにそうしているのではないだろうか。
ヴォルフが一緒に過ごしてくれてローゼマリーは嬉しいけれど、実は、嬉しいのはローゼマリーだけなのではないだろうかという疑問も湧いてくる。
「ヴォルフさまは、本当はどうしたいんだろう」
思わず声に出して呟いたときだった。
「そりゃ、あんたを喰っちまいたいとか思ってるんじゃね?」
「キャッ!?」
自分以外は誰もいないと思っていたところに不意に響いたその声に、ローゼマリーは文字通り跳び上がる。
パッと振り返ると、輝く金髪の陰から愉快そうに揺れる深紅の瞳が見返してきた。
「すまん、驚かせたか」
「レオンハルトさん」
目をしばたたかせて名を呼ぶと、彼は二ッと笑った。そしてしげしげとローゼマリーを眺めて言う。
「元気そうだな」
「――レオンハルトさんも、相変わらずですね」
ローゼマリーは今の彼の様子だけでなく、色々な含みを持たせてそう答えた。少しばかりの嫌味も込めて。
ヴォルフが陽の光に焼かれた日、彼の腕の中で意識を飛ばすように眠りに就いたローゼマリーが目覚めた時には、もうレオンハルトの姿は消えていた。あんなに大変なことがあったにも拘らず、だ。
彼はいつもそうだ。ふらりと現れ、ふらりと消える。そしてまた、前触れなく訪れる。
「アイツも元気なんだろ? もう焼身自殺とかしてないよな?」
かなりの重大事件に茶化すような言い方をされて、ローゼマリーはレオンハルトを睨みつけた。
「笑い事じゃないです。あの時は本当に怖かったんですから」
彼女のその台詞を、レオンハルトはまたからかい混じりで笑い飛ばすのだろうと思っていた。
だが、ローゼマリーの予想に反してヴォルフはふと真面目な顔になる。
「確かにな、アレは俺も予想外だった。ったく、城から一歩も出たことがないやつが初めて外の空気を吸ったかと思ったら、よりにもよって真昼間とはな。ホント、雲が厚くて助かったぜ」
そう言って、レオンハルトは大仰にため息をついてみせた。どうやら彼なりにヴォルフのことを案じてはいたらしい。
ローゼマリーは若干留飲を下げつつ、彼のその台詞の中の一節に気を引かれる。
「ヴォルフさまって、本当に一度も外に出たことがないんですか?」
「ああ。ま、俺が知る限り、だがな」
頷く彼にローゼマリーは眉根を寄せた。
「どうしてなんでしょう。そんなに外に出るのが嫌いなんでしょうか」
もしもそうならば、彼女はヴォルフの意にそわないことを無理強いしていることになる。
肩を落としたローゼマリーの前で、レオンハルトはバリバリと頭を掻いた。
「嫌っていうか、刷り込みってやつっぽいんだけどな」
「刷り込み?」
「ああ。俺も前になんで外に出ないんだってあいつに訊いたことがあるんだけどな、そう言われているとか何とか言ってたんだよ」
「そう言われている?」
「そ。で、誰がそんなこと言ったのか訊いたんだがな、知らんってさ」
「知らないって、忘れちゃったんですか?」
ヴォルフは長命だから、そういうこともあるだろう。
しかし、レオンハルトは肩をすくめる。
「どうだろうな。可能性が高いのは母親辺りなんだろうが。とにかく、その台詞だけがずっと頭の中にあるみたいだぜ。もっとも、元々何かしたいって気があんまりないんだろうけどな」
「なら、わたしがしていることって、ヴォルフさまにとっては迷惑なんでしょうか」
「まあ、やってることそのものにはそんなに興味はないだろうな」
あっさりと言われてしまった。
(やっぱり、いい迷惑なのかな)
だが、悄然としたローゼマリーに、レオンハルトの声が届く。
「やってることには興味がなくてもな、あんたと一緒にいるってことには、かなりあいつ自身の気持ちが入ってると思うぜ?」
パッと顔を上げると、温もりに満ちた眼差しが彼女に向けられていた。
「わたしといることが……?」
「ああ。俺が知る限り、あいつが何かの為に動いたのはこの間のあれが初めてだ。あいつの自主性のなさは草木並みだからよ。まあ、初めてにして最後になり兼ねなかったがな」
笑い事ではないというのに、レオンハルトは片手を振りつつヘラリと笑う。
「とにかくな、あんたはあんたがやりたいようにやればいいさ。あいつには、何をするかよりも誰とするかが大事なんだろうからさ。長い一生のうち、ほんの一瞬でも何かを感じる時期をあいつに作ってやってくれよ」
そんな言葉を残し、彼は去って行った。
ほんの、一瞬。
レオンハルトはそう言った。
――確かにそうなのだろう。
ローゼマリーは咲き誇る花々に目を向ける。
ヴォルフたちにとったら、彼女などあと数日で散ってしまうこの花と大差がないのかもしれない。
(でも、たった数日でも、咲いてくれたら嬉しいし)
小さなため息をこぼして、彼女は立ち上がった。そうして、抱えている花束にもう少し追加してから城内に戻る。
ちゃんとした出入り口もあるけれど、ローゼマリーが庭に出ているときに使っているのは、庭に面した部屋の一つだ。鎧戸を開けていることが多いから、この部屋にだけは入らないように、ヴォルフには頼んである。
だからヴォルフは絶対に入ってこないはずだし、カミラも用がない限り入ってくることがない。
にも拘らず。
「どうしてですか」
室内に足を踏み入れた途端にはっきりと聞こえてきたその声に、ローゼマリーは危うく飛び上がりそうになった。ビクッとした拍子に、両腕いっぱいに抱えていた花を辺りにまき散らしてしまう。それを拾おうと身を屈めながら辺りを見渡したけれども、やはり誰もいなかった。
あれほど鮮明な声が気のせいのはずがない。
(カミラさん、だったよね……?)
確かに、カミラの声だった。が、どうして姿が見えないのか。
ローゼマリーが眉をひそめたその時に、再び声が聞こえてきた。
「どうして、ローゼマリーを眷属にしないのですか?」
すぐさま振り向いたが、やはり何もない。あるのは壁だけだ。壁と――換気口。
そう言えば、この真上、三階に、ヴォルフがいつもいる部屋があった。
(換気口を伝って上の声が聞こえてくるんだ?)
この部屋は通り道としてしか使っていないし、ヴォルフの部屋で物音がすることもないから気がつかなかった。もしかしたらローゼマリーの寝室でも同じようなことが起こり得るのかもしれないけれども、カミラもヴォルフもローゼマリーが話しかけない限りは言葉を発することがないし、動作も静かなのだ。
だから、こんなことがあるとは思ってもみなかった。
このままここにい続ければ、二人の会話を盗み聞きすることになってしまう。
そう思いはしたけれど。
眷属。
(それって、ヴァンピールのこと……?)
だとすれば、ローゼマリーはヴォルフと同じものになれるということなのだろうか。
(そうなら、ヴォルフさまとずっと一緒にいられるようになれるっていうこと?)
ローゼマリーは我知らず胸の前で両手を握り締め、再び声が響いてくるのを、待った。




