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闇森の獣は光に焦がれる~暁の花と孤独な狼~  作者: トウリン


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『愛おしい』という気持ち

 ローゼマリーが語る言葉が、ヴォルフには解からない。

 まるで、誰かに求められなければ彼女に価値がないかのようではないか。孤独に生きてきたヴォルフには、己の価値基準を他者に委ねるなど、まったく理解できなかった。


 ヴォルフから目を逸らしたまま、ローゼマリーがまた囁く。

「わたしは、どうあっても、誰かのものにはなれないんです。……誰にも、欲しがってはもらえないんです」

 そう言ったローゼマリーの声には、諦めと悲しみが入り混じっていた。

 そんな声で、そんなことをローゼマリーが口にすることが、ヴォルフには耐えられない。

「違う」

 軋むような声での一言に、ローゼマリーは濡れた睫毛を上げた。

「え?」

 ヴォルフは両手でローゼマリーの頬を包み込む。

 彼を見上げてくる瞳が潤んでいることが、ヴォルフには耐えられない。


「我はお前が欲しい」

「でも……」

 口ごもったローゼマリーの心の声に応じるように、彼女を見据えたままヴォルフは告げる。

「贄は要らぬ」

 そうして鼻先が触れ合いそうなほどに頭を下げて、ローゼマリーの目を覗き込む。

「贄は、要らぬ。だが、お前は欲しい」

 彼は親指でローゼマリーの頬をなぞった。柔らかく温かな肌を。

「お前の役割など知らぬ。お前に価値など要らぬ。お前が言う義務やここに居る理由とやらも、関係ない。我は、お前が我の傍にいれば、それでいい」

 その言葉と共に、ヴォルフはポカンと見上げるローゼマリーの唇にそっと唇を重ねる。それは、いつものように衝動に駆られた、彼の為のものではなく、彼女を想っての口づけだった。


 ローゼマリーが震える声で自分は必要とされていないのだと言った時、ヴォルフの胸は鋼のタガで締め付けられるような痛みに襲われた。

 それは陽の光が肌を焼く痛みよりも彼を苦しめる。彼女にそんなことを言わせない為ならば、この身が焼き尽くされても構わないと思えるほどに。

 そして今、ヴォルフを見上げてくるローゼマリーの瞳の奥にある翳は、彼女に似つかわしくないものだった。


 ローゼマリーは、笑っていなければならない。

 彼女はヴォルフにとって見ることが叶わない光そのもので、それが曇ってはいけないのだ。

 だからヴォルフは、ローゼマリーに口づけた。

 自分の言葉を否定され、目を見開いて彼を見つめてきたローゼマリーに。

 彼自身の痛みを消したくて、彼女の中の翳を消したくて、何度も口づけを繰り返した。

 重ねたローゼマリーの唇は柔らかくヴォルフを受け止める。微かに開かれたふっくらとしたそれをついばみ、含み、やんわりと吸う。そうすると彼女の全身にはさざ波のような震えが走るのだ。

 幾度も幾度も繰り返しているうちに――ローゼマリーの存在を間近で感じているうちに、いつものようにヴォルフの胸の中が熱を帯びていく。

 きっと、昼を生きる生物にとっての太陽は、こんなふうに心地良い温かさを与えてくれるものなのだろう。ヴォルフにとってはその身を滅ぼすものにしかならなくて、けっして知り得ぬその温もりを、ローゼマリーが与えてくれるのだ。


 ヴォルフはローゼマリーの唇を離れ、目蓋に移る。眦を舌先で辿ると微かに塩の味がした。

 今は閉じられた目蓋の下の瞳の色は、これもまた、ヴォルフがどうやっても見ることのできない、晴れた日の空の色を映したものなのだ。書物でしか知り得なかったその色を、ローゼマリーはその身をもって教えてくれた。

 陽の温もりや空の色だけでなく、ヴォルフが文字の羅列として覚えてきたものに、ローゼマリーはかたちを持たせてくれる。

 色。

 美しいということ。

 温もり。

 心地良いということ。

 微笑み。

 名前を呼ばれるということ。

 そして多分、『愛おしい』という感情。

 傷付けたくない、大事にしたい、触れていたい――抱き締めていたいというのは、きっと、愛おしいという想いなのだと思う。彼自身の欲求よりも何よりも、彼女に笑っていて欲しいと願うのは。

 ローゼマリーを前にすると身体の奥から込み上げてくるこの感情は、書物の中でいくら微に入り細を穿って描写されていてもまったく理解できなかった『愛おしい』というものであるに違いないと、今、ヴォルフは確信していた。


 襟をはだけ、トクトクと忙しなく脈打つ場所を見ていると、自ずとそこに吸い寄せられた。ヴォルフは彼女を包み込むようにして抱き締め、口づける。

 温度と動き、肌の味。

 それは、ローゼマリーの命を感じさせるものだ。

 ヴォルフは、彼女が生きてここに居る――その感覚を味わった。


 ローゼマリーを傷つけたくない。

 ――だが、身体を傷つけぬことで心が傷つくというのなら、どうしたら良いというのか。


「ヴォルフ、さま」

 乞うように耳元で名を囁かれ、ヴォルフはきつく目を閉じる。

 ローゼマリーが望むことを叶えてやりたい。


 けれど、それは。


 ヴォルフはローゼマリーを抱きすくめた腕に力を籠める。そうして、ゆっくりと彼女の首筋に牙を埋め込んでいく。

「は、ぅ」

 ローゼマリーが息を呑み、びくりと身体を震わせる。

 それが痛みによるものでないことは、判っている。だが、それでも、ヴォルフはこの身で彼女を傷付けているのだ。

 その事実が、痛みをもたらす。


 けれど、ローゼマリーが望むのならば、それに応えよう。

 ヴォルフが彼女に牙を突き立てなければここにいられないというならば、そうしよう。


 彼が牙を引き抜くと、甘い蜜が溢れ出してきた。口内を満たすその味に、ヴォルフは酔う。久方ぶりに味わうから、尚更だった。

 一口飲めば、次の一口が欲しくなる。

 その一口が喉の奥に消えてしまえば、また、次が。

 欲望は、際限がない。

 とにかく、欲しかった。

 欲しくて欲しくて、たまらなかった。

 頭の奥で本当に欲しいものはそれではないだろうと囁く声がしたが、それは吸血欲求に押しやられ、呑み込まれていってしまう。その、別の『求めてやまない何か』の代わりに、血を欲してしまう。


(これ以上は、駄目だ)


 何度目かに思った時、ようやくヴォルフの中で理性が勝利を収める。

 傷を癒し、完全にローゼマリーの血の匂いと味が消え失せてからも、ヴォルフは彼女の肩口に顔をうずめて力のない身体を抱き締めていた。温もりを、手放したくなかった。


 どれほど時間が過ぎた頃か、ヴォルフはようよう頭をもたげる。腕の中のローゼマリーを見下ろすと、彼女は意識を失っていた。

 ヴォルフは汗ばむ額に絡んだ曙光のような赤毛をそっと指でよける。そのまま滑らかな頬を手のひらで包み込んでも、彼女は目を覚まさなかった。


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