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闇森の獣は光に焦がれる~暁の花と孤独な狼~  作者: トウリン


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居場所

「ここ最近、お二人の間には齟齬が生じているように見受けられます。それを話し合いで解消することをお勧めします」

 カミラはそう告げ、ヴォルフを見る。

「ご自分で動けないのならば、私がお連れしますが?」

 今にも手を伸ばし抱え上げそうなカミラの前で、ヴォルフはムッツリと唇を引き結んだまま立ち上がった。そうしてローゼマリーの腰に腕を回したかと思うと、こともなげに横抱きに抱え上げる。

「えっと、ヴォルフ、さま?」

 狼狽するローゼマリーに応えることなく、彼は歩き出した。目が回りそうなほど速いのに、滑るような歩みだ。見上げた顔はもうきれいに癒えていて、磁器のような肌には爛れはおろかわずかな赤みすら残っていない。

(ちゃんと、治ったんだ)

 ローゼマリーはそのことにホッとする。

 ホッとして、気が抜けて、今の状況を再度認識したのは彼女の部屋の寝台の上にそっと下ろされた時だった。あまりに丁寧な所作だったから、ローゼマリーはそうされたことに気付くのに一拍遅れを取ったほどだった。


 自分を下ろせばヴォルフはまた行ってしまう。


 ローゼマリーは彼を引き留めようと起き上がりかけた。が、その動きを阻止するように、ヴォルフが彼女の頭の両脇に手を突く。ローゼマリーは仰向けのまま、覆い被さるようにして微塵も揺らがない視線を注いでくる彼を見上げた。

「あ、の」

 おずおずと声をかけると、彼女の視界の隅に入っているヴォルフの両手が固く握り締められたのが判った。

(怒ってる……?)

 ローゼマリーは胸の内で呟いた。

 ヴォルフのそのわずかな動きと、全身が発しているチリチリとした何かで彼の憤りが伝わっては来たものの、疑問を声には出せない。

 実際に彼に問いかけたら、もっと怒らせてしまいそうだったから。


 どうしよう、と唇を噛んだローゼマリーに、ヴォルフが微かに目元を歪ませた。そして、軋む声で囁く。

「お前は、逃げた」

「え?」

「お前は、我から逃げた」

 光る眼差しとは裏腹に、その口調は怒るでもなく責めるでもなく、ただ、事実を述べただけ、というように聞こえるものだった。あるいは、事実を確認しているだけ、というように。

 激しい感情の発露がないその声は、ローゼマリーに底が見えない暗く深い沼を彷彿させる。さざ波一つ立たない水面下で、様々なものが渦巻いているように思われたのだ。

 彼女はコクリと喉を鳴らして唾を呑み込み、答える。

「わたしは……わたしは、逃げたわけじゃ――」

 その瞬間、ザワリと部屋の空気が揺らめいたような気がした。


「だが、この城から出て行こうとした」


 ローゼマリーの弁明を遮るようにして落とされた、呟き。


「我から、去ろうとしていた」


 途方に暮れた、迷子の、呟き。


 怒りを露わにしてくれたら、ローゼマリーも怒りを返せる。けれど、こんなふうに言われたら、強い言葉で反論などできるわけがなかった。

「わたしは、ヴォルフさまから逃げたかったわけじゃ、ないです」

「では何故城を出ようとした」

「それは、わたしはここに必要じゃないから……」

 彼女の答えにヴォルフがムッと眉間にしわを寄せた。何を言っているんだといわんばかりに。

「ヴォルフさまが、そうおっしゃったじゃないですか。わたしは要らないって」

「言っていない」

 端的な否定の一言に、ローゼマリーの声が高くなる。

「でも、わたしの血を飲んでくださらないじゃないですか。わたしでは嫌なのでしょう? だったら、わたしはここにいられません」


 ローゼマリーのここでの役割は、ヴォルフに血を与えること、それだけだ。

 その役割を拒まれたのなら、彼女自身を拒まれたにも等しい。


(そう、でしょう?)

 少なくとも、ローゼマリーはそう理解している。

 だから、どれほどローゼマリーがここにいたいと思おうが、役目を果たせないごく潰しではいることを許されないはず。特に、血を飲むということの効果を目の当たりにした今では、より一層、ヴォルフに血を与えられない自分の不甲斐なさがつらかった。


 ヴォルフは束の間黙り込んでから、いかにも気が進まなそうな声と顔で言う。

「お前の血を我が飲むなら、お前はここに残るのか」

 心底から渋々と、という風情で。


 それほど、この血が嫌なのか。


 ローゼマリーは泣きたい気持ちになったけれど、ふと疑問も湧く。

 ローゼマリーを疎んじているならば、何故、ヴォルフは彼女を追いかけてきたのか。昼のさ中に、灰となる危険を冒してまで。それに、今の彼の言い様では、ローゼマリーがここに残ることを望んでいるように聞こえるではないか。

 何かが食い違っているような気がする。


「……わたしは、親に捨てられました」

 ポツリとこぼすと、話の流れが読み取れなかったのか、ヴォルフが微かに眉根を寄せた。

 ローゼマリー自身も、その先をどう続けたいのかよく解らないままに呟いた言葉だった。ヴォルフは何も言わないが、その眼差しが続きを求めている。

 ローゼマリーは、胸の内の思いを伝えるための言葉を探す。


「わたしは、わたしを作った人たちから、要らないと言われたんです」

 彼女がしゃべることもできないうちに、どんな人間になるかも判らないうちから。

 ローゼマリーという人間に、わずかな期待すらかけてもらえなかったのだ。

 もう十年以上も付き合ってきた事実でも、こうやって声に出して認識すると、小さな棘のようにチクリと胸を刺す。

「あの人たちにも理由があったっていうのは、解かっています。そうする必要があったんだっていうことも。でも、わたしにとっては、わたしは捨てられた、その事実が一番大きくて、それが全てなんです」

 そう言ってローゼマリーが微笑むと、ヴォルフは彼女を見つめ、そしてそっと彼女の目尻に親指で触れた。まるで、そこが濡れていたとでもいうように。


 ローゼマリーは一つ二つ瞬きをして、小さく吐息をこぼす。

「わたしは親に捨てられ、村に拾われました。村の人たちはみんな優しくて、みんな、わたしをとても可愛がってくれました」


 彼らの愛情は、確かに受け取った。

 贄の存在を知っているのは村長だけのはずだから、他の村人たちは損得抜きで捨て子のローゼマリーを慈しんでくれたのだ。


 それは、まごうことなき真実。


 だけれど。


「けれど、誰も、わたしを欲しがりはしなかった……わたしを求めてくれる人はいなかったんです」

 一日の仕事を終えて家へ――村長の、家へと向かうとき、通り過ぎる家々の灯りやそこから聞こえる笑い声に、胸が締め付けられた。


 夫は妻を求め、妻は夫を求め、親は子を求め、子は親を求める。

 それが、家という小さな空間の中でグルグルと巡る想いなのだ。

 その中に組み込まれたいと、ローゼマリーは何度願ったことだろう。

 そして、何度願おうとも、けっして叶うことはなかった望みだ。


「わたしはあなたの贄になるのだと教えられた時、ああ、これでわたしも誰かに必要とされるんだって、思ったんです。村の人たちの役にも立てるし、何より、あなたはわたしを必要としてくれるんだって……わたしを欲しがってくれるんだって、そう思いました。贄としてでも、わたしを欲しいと言ってくれるんだって」

 そう言って、ローゼマリーは小さく嗤う。

「でも、そうじゃないんですね。あなたは贄としてのわたしも要らないんですよね」

 役割があってさえも、欲しがってはもらえない。

 期待していた分だけ、落胆は大きかったのだ。

 ローゼマリーはヒタと見つめてくるヴォルフから逃れるように視線を横に流した。


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