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役目

「わたしが、森の城に……?」

 ローゼマリーは、卓の向かいに座る老人からたった今告げられた台詞を、呆然と繰り返した。


 老人はローゼマリーの養い親であり、この村の長でもある。年は多分七十近くて、この村の中では一、二を争う高齢だ。いつもは明朗快活、どちらかというとひょうきんな人なのに、ここ数日はどこか沈んだ様子でもあった。

 体調が悪いのかとローゼマリーが訊いてもかぶりを振って笑うばかりであったけれども、やっぱりふとした時に眉根を寄せていたりして、ずっと心配していたのだ。

 そうやって数日を過ごしていた中、夜も更け、村長の顔色を心配しつつもいつものように寝室に引き取ろうとしたローゼマリーは、硬い表情をした彼に呼び止められた。


 そして告げられたのは。


「森の城に住む魔物のもとに赴いて欲しい」

 苦いものを噛み締めながら発したような声での台詞。

 おうむ返しにしたきり絶句したローゼマリーに、村長は言葉を足した。

「この村には守り神がいる――それは、子どもの頃から聞かされてきただろう?」

「はい。でも、ただのおとぎ話だと……」

「いや、本当の話だ。この村は城に住む強大な力を持つ魔物に守られている。だから獣に――魔物にも、襲われずに済んでいるのだ」

「でも、魔物は――魔物が、人を守るなんて」

 ローゼマリーは心許なく呟いた。


 彼女が知る魔物は、獣とそう大差がない。狼や熊よりも強く醜悪で、そして凶暴な存在、それが魔物というものだ。ローゼマリーは直接目にしたことはないが、狩りで遠出していて遭遇した者から聞いた話では、人を襲いこそすれ、守ることがあるとは、とても思えない。

 せっかく仕留めた獲物を横合いから掻っ攫われたとか、襲われて這う這うの体で逃げてきたとか、聞かされたのはそんな話ばかりだ。


 困惑の眼差しを向けるしかないローゼマリーに、村長は目を伏せながら続ける。

「本当の、話だ。およそ三百年前、我々の祖はこの地に根を下ろした。だが、非力なヒトの身で獣や――ましてや魔物に抗う術はなく、やむなく、あの城に住む魔物に助力を仰いだのだ」

 老人はそこでグッと奥歯を噛み締めた。

 そして、続ける。喉の奥から声を絞り出すように。


「一人の娘を贄として差し出す代わりに」


「贄……」

「ああ。三十年に一度、だ。三百年前から、三十年に一人、娘を差し出している。そうやって、この村はここまで事なきを得てきたのだ」

 村長は小さな咳払いをした。

「城に行ったからと言って、その場ですぐさま食い殺されるわけではない。ただ、魔物に血を供する者となるのだ……三十年の間」

「三十年したら、おしまいなのですか?」

 つまり、三十年の務めを果たせば戻ってこられるのか。

 そういう意味で問うたローゼマリーから、村長は目を逸らす。

「……三十年したら、次の贄が送られる」

 彼は、そうとだけ答えた。


(じゃあ、戻ってくることはない、ということなの?)

 ローゼマリーは視線を落として胸の中でそう呟いた。村長の前で、その考えを声には出せなかったから。


 三十年。

 二十歳かそこらで贄となるなら、三十年後にはまだ五十になるかならないかというところのはず。

 にも拘らず戻ってくることはできないというのなら、三十年の間に城の中で命を落とすことになるということなのだろうか。


「ローズ」

 苦しげな声で名を呼ばれ、そして返事を促され、ローゼマリーはブルリと身を震わせた。

 ――怖い。

 嫌だ。

 行きたくない。

 もちろん、パッと頭に浮かんだのはそんな答えだ。それ以外に、どんな答えがあるというのだろう。

(でも)

 それが、自分の役割ならば。


 ローゼマリーは膝の上に置いた両手を固く握り締めた。束の間瞑目してから睫毛を上げ、今は彼女のことを食い入るように見つめている老人を見つめ返した。

(わたしは行くべき……行かなければ)

 それが、この村への最大の恩返しになる。

 この年まで彼女を育ててくれた、この村への。


 ――ローゼマリーは、森の中で拾われた子だ。

 十七年前、森の中に捨てられていた彼女を、狩りに出ていた者が見つけて村に連れ帰ってくれたのだという。その狩人がテオの父親で、ローゼマリーが彼ら一家をとりわけ慕っているのはそういういきさつがあったからでもある。テオの両親も、まるで本当の娘のように慈しんでくれていた。

 この村を囲む森は、とても濃い。丸三日歩いても果てが見えないほどに。

 そんな森の奥深くまで、いったい誰がやってきたのか。

 どうして、わざわざこんなところまで捨てに来たのか。

 鳥か何かに攫われて、この森の上で落っことされたのだと笑う大人もいるけれど、もちろん、そんなおとぎ話か何かのようなことはあり得ない。そんな夢物語で笑い飛ばしてくれるのは、彼らの優しさなのだろう。

 その優しさに包まれていたから、ローゼマリーは誰が自分を捨てたのかも、どうして捨てたのかも、どうでもいいことのように思えた。

 はっきりしているのは、こんな誰にも見つからないような、最悪、一日ももたずに獣に食われてしまうような場所に捨てに来るとは、よほど『要らない子』だったに違いないということくらいだ。

 苦笑混じりにそんなことを思ってしまうけれど、卑屈にならずにいられるのは村の人たちが溢れんばかりの愛情で包み込んでくれて来たからに違いない。

 確かに、ローゼマリーは血がつながった二親を持ってはいない。

 けれど、村の大人全員が彼女の親だといっても過言ではないほど、可愛がってくれた。彼らの愛があったから、親の愛を求めずにいられた。

 だから、その愛情に報いるために、はやく彼らの役に立てるようになりたいと願ってきた。

 彼らのために、もっともっとできることがあればいいのにと、ローゼマリーは、ずっと、そう切望していた。

 これは、その望みを叶える唯一にして最大の、機会だ。


「わたし……」

 発した声は嗄れていて、喉に引っかかる。ローゼマリーは小さく咳払いをしてから、もう一度口を開いた。

「わたし、行きます」

 頼んできたのは村長の方だというのに、ローゼマリーの返事を聞いた瞬間、彼の顔がクシャリと歪んだ。

「ローズ」

 皺だらけの顔の中の目を潤ませた村長に、ローゼマリーは彼の頬が濡れてしまうのに先んじて笑いかける。

「それでまた、みんなが安心して暮らせるようになるんでしょう? だったらわたし、うれしいです。あ、いつ出発するんですか?」

 まるでいつもの木の実取りにでも行くかのような口調で尋ねたローゼマリーから、村長がツイと眼を逸らした。

「……明日だ」

「え」

 明日。

 ローゼマリーはあまりに急な展開に愕然とする。

 それでは、皆にお別れを言って回るだけで精いっぱいだ。


「そ、か。えと、さよならだよって言ったら、テオは泣いちゃうかも」

 軽い調子に聞こえるように祈りつつ、三年前まで泣き虫で、週の半分は泣きべそをかいていた少年を思い出してローゼマリーは言った。どうにか微笑みと言えるだろうものを口元に浮かべながら。が、そこに低い声が忍び寄る。

「別れは、言えない」

「え?」

 パッと顔を上げて見た村長の顔は、まるで身体のどこかに痛みを覚えているかのように歪んでいた。

「誰にも告げずに、お前はここを発たなければならない」

「でも――」

「城の魔物に贄を与えていることを知っているのは、代々の村長と贄となる娘の親だけだ。お前は森に行き、迷って帰れなくなった――そういうことになる。城に住むものがヒトの血をすする魔物だと知れば、村の者は心穏やかではいられなくなるからな」

「そんな」

 せめて、テオにだけでも。

 彼にだけは、自分がどこに行くのかを――ちゃんと無事でいるのだということを、伝えておきたかった。

 ローゼマリーは眼で請うたが、しかし、村長は何も応えてはくれず、硬い顔のままかぶりを振った。


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