わたしはあなたのものだから
ローゼマリーの問いかけを頭の中で噛み砕いているかのように、ヴォルフは眉根を寄せている。
間が開いたのは、彼なりに考えていたからなのだろう。
そうして。
「我に感情はない」
淡々とした口調で返ってきたのは、そんな台詞。
ヴォルフにとって、ローゼマリーは数多の贄の一人に過ぎない。
そんなことは判っていた筈だ。
だが、現実を突きつけるその言葉が、ローゼマリーの胸に深く突き刺さる。
仕方のないことだ。
それが揺るがしようのない事実だもの。
そう、自分自身に言い聞かせようとしたローゼマリーだったが、ふと頭の中に疑問が湧く。
(でも、そうしたいと思うのは、ヴォルフさまの中に何かの感情があるからではないの?)
しばし考え、ローゼマリーは彼に問う。
「なら、ヴォルフさまは、どうしてわたしに触れるのですか? 口づけたいと思うのは、どうしてですか?」
これまでの贄とは、距離を置いていた筈だ。
それこそ、彼女たちの視界にすら入らないように。
ローゼマリーの二度目の問いに、ヴォルフは微かに首を傾げる。彼自身、良く解らない、というように。
「お前といると、吸血衝動が強まる。どれだけ飲んでも飲み足りない気がする。だが、お前に触れていると、実際にお前の血を飲まなくても、満足できた」
「つまり、吸血行為の代わり、ですか?」
ローゼマリーの推測通り、密接に触れ合うことで、血の代わりに生気を与えていた、ということなのだろうか。
ということは、やっぱり、感情を伴うものではないのか。
落胆と諦念の入り混じった思いで、ローゼマリーはヴォルフに告げる。
「血が欲しいなら、いつでも、いくらでも、お飲みになってください」
ヴォルフに血を提供することが、ローゼマリーの存在意義だ。村を出て、この城に入った瞬間から、ローゼマリーという個人はいなくなったも同然だ。飲みたいのなら飲みたいだけ飲めばいい。たとえそれで彼女が死んだとしても、それは単に役目を果たし終えたというだけのことなのだから。
心のない口づけよりも、血を飲まれる方が遥かに良い。
取り繕った笑みを浮かべながら言ったローゼマリーに、しかし、ヴォルフは小さくかぶりを振る。
「我は、お前から血を奪い過ぎている」
束の間、ローゼマリーはまじまじとヴォルフを見つめてしまった。
まるで、ローゼマリーの身体を気遣うかのようなその言葉。
(こんなことをおっしゃるのに、感情がない、だなんて)
いったい、どう受け止めたら良いというのだろう。
ローゼマリーには、ヴォルフの中に温もりを感じ取れる。
彼が言うように、無味乾燥な心だとは思えない。
もしかしたら、ヴォルフは、自分の中にもちゃんと動く気持ちがあるのだということに、気づいていないだけなのかもしれない。
動かぬものは、見過ごされがちだ。
感情や気持ちといったものも、同じなのではないだろうか。
ローゼマリーは、ヴォルフの気持ちを動かしてみたいと思った。
彼が何かを感じ、何かを求めるさまを、見てみたい、と、これまでうっすらと抱いていた思いが色濃くなる。
たとえそれがローゼマリーに向かうものでなくても構わない。
ローゼマリー自身に対して何かを感じることがなくても、彼女が為すことで、楽しいとか、嬉しいとか、感じさせることができたなら。
そして、叶うことなら、ほんの少しでもいいから、ヴォルフの中に自分が存在していた証を、残していきたい。
ローゼマリーはどうやったってヴォルフを置いていく身なのだから、それは彼にとって酷なことなのかもしれない。
感情が動かないままの方が、彼にとっては楽なのかもしれない。
(喜びがなくとも、悲しみもないのだから)
けれど、たとえ、それがヴォルフの傷になったとしても、ローゼマリーは何もないと言う彼の中に何かを残したい。
(ごめんなさい。でも、その代わりに、わたしはあなたにわたしの全てをあげるから)
ローゼマリーは再びヴォルフの頭を抱き締める。
「わたしはあなたのものなのだから、あなたがこの血を欲するのなら、欲しいだけ飲んでください」
腕の中で、ヴォルフの身体がピクリと震えた。
「お前は……」
小さな、呟き。
ローゼマリーは、途切れたそれの続きを待つ。
そして、再び、ためらいがちな声で。
「お前は、我が厭わしくないのか。この、ヒトの血を食らう化け物が」
ローゼマリーは唇を噛み締める。
きっと誰かに――かつての贄の誰かに、言われた言葉。
ヴォルフに対してそんなことを言った者を、ローゼマリーはひっぱたいてやりたかった。そう言われたヴォルフを、その時に、そんなことはないよと抱き締めてあげたかった。
確かにヴォルフはヒトの血を飲む。そうすることで、力を得る、らしい。
けれど、近くにヒトの集まりがあっても、そこを襲ったことはない。昼はともかく夜は自由に動けるのだから、彼がそうしたいと思えば村の住人に抗う術などないというのに。
ヴォルフは何も求めていない。他を圧する力も、何もかも。
(それでも贄を受け入れるのは、きっと、古い契約の為なのね)
ローゼマリーはヴォルフを見つめた。
ヴォルフは、律義で優しい人なのだ。当人にその自覚はないだろうけれど。
律義で優しくて、そして、もしかしたら、寂しい、人。
そんな彼が、もしもこの自分を選んでくれたなら。
ローゼマリーは見つめ返してくるヴォルフに、微笑みかける。
「わたしはあなたのものですから、あなたが望むようにしてください」
そう告げたのは、吸血に対するヴォルフの抵抗を和らげる為だった。
しかし、ローゼマリーのその言葉を耳にした瞬間、ヴォルフの顔が強張る。
「ヴォルフさま……?」
何故そんな表情に、と、眉をひそめて手を伸ばしたローゼマリーだったが、その指先が彼に届くことはなかった。
ローゼマリーから逃れるように身を引いたヴォルフはそのまま立ち上がり、踵を返すと、一度も振り返ることなく部屋を出て行ってしまったから。




