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闇森の獣は光に焦がれる~暁の花と孤独な狼~  作者: トウリン


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変化がもたらしたもの

 部屋に着くと鎧戸は全て閉ざされ、代わりに蝋燭が灯されていた。

 ヴォルフは部屋の中に進み、中央に置かれた寝台にそっとローゼマリーを横たえる。彼女の頬にかかった巻き毛を指先でよけ、身を起こそうとした――が、ツンと胸元が引かれる感覚に視線を落とした。見れば、ローゼマリーの小さな手が、しっかりと彼のローブを握り締めている。


 これは、どうしたものだろう。


 慎重にやれば、ローゼマリーを起こさずにその手を剥がすことはできるだろう。

 だが、どうしてなのか、そうしたいと思わない。


 迷ったのはわずかな間で、ヴォルフはローゼマリーの手はそのままに、彼女の隣に横たわる。そうして、警戒心の欠片もなく弛緩しきったその身体を腕の中に引き寄せた。と、何を感じたのか、ローゼマリーが彼の胸元に頭をすり寄せてくる。

 ヴォルフはローゼマリーの頭と腰に手を回して自分の懐深くに囲い込み、巻き毛に頬を埋めてみた。そうすると、彼女の口を貪っていた時と同じ、あるいはそれ以上の充足感を覚える。


 放し、難い。


 ローゼマリーに触れれば触れるほど手放すことが難しくなるのは、何故なのか。

 そもそも、どうして彼女のことはこんなふうに求めてしまうのだろう。

 誰かと共に在ることなど望んだことも――頭をよぎったことすらなかったというのに。


 ヴォルフは、気付いたときにはこの城に独りきりでいた。ヒトで言えば、物心がついた頃から、というところか。

 残っている初期の記憶の中のヴォルフはまだとても幼い姿をしているから、ここに居着いてから千年ほどにはなるのかもしれない。

 ほとんど何も覚えていないが、一つだけ、ヴォルフの脳裏に深く刻み込まれているものがある。

 それは、声だ。女性の声。


『絶対に、ここから出てはいけない』


 そう言い含める、女性の声。


 世界中を動き回っているレオンハルト曰くヴァンピールは非常に数が少ないらしいから、母親か、それに近い者だったのではないかとヴォルフは思っているが、定かではない。

 彼女は、ヴォルフがここに留まらなければならない理由は言わなかった。単に陽を浴びたら死んでしまうからなのか、それ以外の理由があったのか。

 その声の主がどうなったのかも、もはや覚えていない。

 理由も期限も判らないまま、幼い自分は、ただその言いつけに従った。

 当初はそう言われたからだっただろうが、いつしか、惰性になった。


 ヴァンピールは、植物に似ているともいえる。

 ローゼマリーは血がヴォルフにとっての食事だと思っているようだが、そうではない。吸血は力を増強させるためのものであって、ヴァンピールの生存に必須のものではないのだ。実際、贄の慣習ができるまで、ヴォルフは吸血を必要としたことがなかった。

 植物が太陽と水さえあれば生き続けていられるように、ヴァンピールは周囲に生物が居さえすれば生存し続けるのだ。触れることすら必要とせず、周りの生物の生気を奪い、生きる。陽の光にさえ当たらなければ、恐らく、永遠に。


 昼も夜も季節もなくただただ無為に、身じろぎもせずに暗闇の中にいるうちに、それがヴォルフにとっての『日常』になっていた。

 そこにわずかな変化がもたらしたのは、レオンハルトだった。ある日突然ずかずかと無遠慮に城に立ち入ってきたあの男は、図々しさと紙一重の開けっ広げさで、城という敷地にだけではなく、ヴォルフの日々にまで足を踏み入れてきたのだ。

 レオンハルトは時折ふらりとやって来ては、あちらに行った、こちらに行った、あれを見た、これを見たとぶちまけては去って行く。ヴォルフが反応しようとなかろうと。

 そしてまた、彼は『本』というものをこの城に持ってきた。


 レオンハルトが持ってくる本は、ヴォルフの日常に多少の変化はもたらした。だが、それも、惰性で流れる時間を潰すためのものに過ぎなかった。

 無ければ無いで、構わない。

 レオンハルトがここを訪れなくなれば、また元に戻るだけだ。

 いつまで続くか判らない、無為の日々に。

 何も感じず、何も求めない、そんな日々に。


(だが……)


 ヴォルフはローゼマリーを包む腕に力を籠める。

 彼女の存在を感じるたびに込み上げる、胸苦しさ。苦しいのに、不快ではない。

 触れるべきではないと思うのに、ふと気づくとローゼマリーの気配を追い、声に耳を澄まし、姿を探してしまう。

 どうして、この娘のことはこんなにも欲してしまうのか。


 ローゼマリーはヒトだ。

 ヒトの生は、百年も続かない。


(百年、どころか)

 恐らく、その半分ほど――ヴォルフにとっては、まさに瞬きほどの時間。

 それだけ過ぎれば、ローゼマリーは失われるのだ。


 そう考えたとき、ヴォルフは、スッと身体の中から何かが抜け落ちたような感覚に見舞われた。腕の中の温もりに縋り付くように、ローゼマリーを抱き締める。


 と、その力が呼び水になったのか。


「ん……ヴォルフ、さま?」


 小さな声で、名を呼ばれた。

 少し舌足らずな、甘い声。


 刹那、ギュゥとヴォルフの胸が締め付けられた。

 ローゼマリーの呼びかけには応えず、ヴォルフは彼女を包み込む。緩めた力で、壊れやすい卵を抱くように。


 ヴォルフは、今まで何かを欲したことがない。

 欲しいとも、失いたくないとも、思うようなものに出あったことがない。


 だからヴォルフは、欲したものが失われたときにどうなるのか、想像することすらできなかった。

 ローゼマリーがこの腕の中から消えることなど、頭に思い浮かべることすら、できなかったのだ。


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