森の中の城
秋が深まりつつある森の中、ローゼマリーはふと木の実を拾う手を止めて顔を上げた。その拍子に頬にかかった赤みがかった金色の巻毛を、無意識に払う。
森の木々は紅や黄に染まり、その鮮やかさが彼女の目を楽しませてくれる。その上に広がる空は透き通るような青で、ローゼマリーの目はそれと同じ色をしていると皆からは言われていた。
今の時期だけしか見られない色の対比はこの上なく美しくて、ローゼマリーの頬には自然と笑みが浮かんでしまう。けれど、こんもりと茂る梢の先から覗く黒い影に、その笑顔が揺らいだ。
森の中の闇の城。
村の子どもたちは皆物心がついた頃から、あの城には決して近寄るなと言い含められている。城には恐ろしい魔物がいて、近づいたら取って食われてしまうのだからと。もっとも、城は村からずいぶん離れた場所にあるから、そうしようと思わない限り、子どもの足で迷い込んでしまうことはない。きっと大人たちは、城が見えるほど村から離れたらいけないよという意味を持たせていたのだろう。
流石にもうそんな話を信じる年ではないけれど、幼心に刻み込まれた『怖い話』は根深くて、こうやって城が視界に紛れ込むと少しばかりゾクリとする。
――ローゼマリーが住む村は、この、果ての見えない深い森の中にある。
住人は百かそこら程度の小さな集落で、小さな畑で採れる作物と、今彼女がしているように森の中の植物を採取したり動物を狩ったりすることで、日々の暮らしを営んでいた。
森の中には恐ろしい獣や魔物がいるはずだけれども、村が襲われることはない。守り神がいるからなのだと寝物語で聞かされていたが、多分、子どもたちを安心させるためのおとぎ話なのだろう。
村には『オトナだけが知っていること』というのがたくさんあって、そういったことは、二十歳になって村の集会に参加できるようになったら教えてもらえることになっている。ローゼマリーは十七だから、まだあと少し、間があった。
(『オトナ』になったら、もっと色んなことができるようになるはず)
ローゼマリーは籠の中に集めた木の実を見下ろす。ずいぶんと溜まったけれど、これではまだまだ足りなかった。
子ども扱いの彼女に任されるのはこのくらいのことなのだから、もっともっと、もっと頑張らなければいけない。
ローゼマリーは籠の取っ手を握り締める。
(頑張らないと、わたしは……)
胸の中の呟きは、大きな獣に追われるようなひっ迫感を伴っていた。
と、その時。
「ローズ!」
身にまとわりつき始めた焦燥という名の霧を追い払うように名前を呼ばれて、彼女はハッと我に返る。
「何ボーッとしてるんだよ!」
声を上げたのは幼馴染の少年テオだ。ローゼマリーの三つ下で、この春に十四歳になったばかり。
ローゼマリーが世話になっている村長の隣の家に住んでいて、歩き始めた頃から彼女にくっついて回っている。こげ茶色の髪に青い目で、彼の目を見るたびに、その色こそ晴れ渡った青空のようだとローゼマリーは思う。
最近急に背が伸びて、声からももう子どもっぽさはだいぶ取れてきたけれど、ヒョロリとしていて大人の男たちの中にはまだ入れない。三つも年下だというのに何故かローゼマリーには子ども扱いをされたくないらしくて、何かと偉そうにしてくる。
ローゼマリーにとっては弟のような存在だ。
「ごめんごめん、葉っぱがきれいだったから」
彼女のその言葉に、テオはこれ見よがしにため息をついた。
「仕方がないな、ローズは。何を見ても聞いても、『すごぉい』『きれぇい』なんだから」
「でも、ほんとにキレイでしょ? ここのところ急に寒くなったから、葉の色もすごく鮮やか。不思議じゃない? ちょっと前まではあんなに深い緑だったのに、今はこんな色になるなんて」
「色が変わったって食えるようになるわけじゃないだろ」
「そうだけど、でも、心は幸せでいっぱいになるでしょ?」
そう言って、ローゼマリーは笑いかけた。
テオはこの一年で急に背が伸びて、少し前から彼女を追い抜いてしまった。毎日のように背比べをして、ほんの少しローゼマリーより高くなったと知った時、拳を握って喜んでいたのが微笑ましい。とは言え目線は彼女とまだそんなに変わらないから、「そうじゃない?」と首をかしげて青い瞳を覗き込むと、ムッとしたのか、テオは少しばかり頬を赤くした。
「ローズはお気楽でいいよな。オレは腹いっぱい食ってさっさとデカくなりてぇよ」
そう言って、彼は不満そうにまだ薄い自分の身体を見下ろした。
そんなふくれっ面は小さな頃と変わらなくて、ローゼマリーはついつい手を伸ばしてテオの頭をくしゃくしゃと撫でてしまう。
「ちょ、何すんだよ!」
「あ、ごめんごめん。可愛かったから」
「それ、ほめ言葉だと思ってんの?」
「あ……えっと、うん、そのつもり」
えへへと笑いながらローゼマリーが頷けば、テオはいっそう口をひね曲げた。
そんなテオに、ああ、もう男の子なのだなぁとしみじみと実感しつつ、そっぽを向いた彼の顔を追って覗き込む。
「大丈夫、テオのお父さんって大きい人でしょ? テオだって、きっとあっという間に大きくなるよ」
テオの母親はどちらかというと小柄で華奢な方なので、そちらに似てしまうとここ止まりなのだろうけれど、そこは見ないことにしてローゼマリーは彼を励ました。
と、まだまだ素直なもので、途端にテオは得意げな顔になる。
「だろ? そうなったら、オレがローズを養ってやるからな」
「テオが? わたしを?」
「ああ。だって村長、もう爺さんじゃん。老い先短いってやつだろ」
「そんなこと言って……」
呆れ顔でため息をついたローゼマリーの前で、テオは悪びれた様子など微塵もなくニッカリと笑う。
「ホントのことじゃん。でも、爺さんが死んじゃったら、ローゼマリーは独りになっちゃうだろ? だからさ、そしたら、オレが一緒にいてやるよ。あと三年もしてみろよ。親父なんて目じゃない稼ぎ頭になってやるからよ」
「テオが一緒に? ずっと?」
目を丸くしたローゼマリーに向かって、テオは深々と頷く。
「ああ!」
「ふふ……ありがと、うれしい」
大人ぶって見せながらも、やっぱりどこか子どもっぽさが残るテオに、ローゼマリーは微笑みながらそう答えた。
「オレは本気だぞ? 期待してろよ?」
「うん。すっごく、期待してる」
半分本気、半分励ましのローゼマリーの台詞はテオの顔をいっそう輝かせる。
今はこんなことを言っていても、きっとその頃には好きな女の子ができていて、ローゼマリーのことなどそっちのけになるのだろうなぁと思いつつ、屈託ない彼の笑顔に、ついつい釣られて彼女も顔をほころばせた。