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闇森の獣は光に焦がれる~暁の花と孤独な狼~  作者: トウリン


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怯えているのは誰なのか

 ヴォルフの黒衣がローゼマリーの視界を塞ぐ。

 レオンハルトの隆々とした巨躯とは違う、どちらかというと線が細いように見えるのに、包み込むように抱き締めてくるヴォルフの腕は、しなやかで、強靱だ。


「ヴォルフ、さま?」

 彼のみぞおちに向けるようにして呼び掛けると、ほんの少し、力が緩んだ気がした。

「お食事を、お望みですか?」

 その言葉に、ヴォルフの身体が微かに強張る。


 ああ、やっぱり。


 ローゼマリーは心の中で呟いた。

 ヴォルフの食事、つまりそれは、吸血行為だ。食事の筈なのに、どうしてか、彼はそれを疎んじているように見える。

 ヴォルフがローゼマリーの首に牙を立てるときはいつも唐突で、抗えない衝動に駆られているようだった。

 それほど彼は飢えているに違いなく、それはつまり、ローゼマリーが贄としての役割を充分に果たせていないということなのだ。


 本当のところ、ヴァンピールはどのくらい吸血が必要なのだろう。

 ローゼマリーはヴォルフの腕の中で思案する。


 彼女がここに来てからもう半年は経ったのに、血を飲まれたのは数回だけだ。人や獣の食事とは違うのだろうけれども、少なくとも、そんな回数では足りない筈だ。飢えているから余裕なく行動してしまい、その結果、誇り高いヴォルフは自己嫌悪に陥ってしまうのかもしれない。


 それならば。


 ローゼマリーはヴォルフの胸に手を置いて、ほんの少しだけ押す。決して、彼のことを拒んでいるとは思われてしまわないように、そっと、ゆっくりと。

 わずかに開いた距離の中で顔を上げると、ローゼマリーを見下ろしている深紅の瞳と行きあった。

 血よりも澄んだ、紅玉のようなその色を見るたびに、ローゼマリーは見惚れてしまう。

 初めて会った時にはまさに鉱石のような冷たさしかなかったそこに、いつしか、少し違う色が滲むようになったように思うのは、ローゼマリーの気のせいだろうか。

 その色の意味するものが何なのかは、判らない。

 けれど、今も、その色がちらつくヴォルフの眼差しに、ローゼマリーの胸がキュッと締め付けられる。


 そんなふうになるのは、彼がヴァンピールで、自分が贄だからなのだろうか。

 食うか食われるかの間柄だからなのだろうか。

 ――きっと、そうなのだろう。

 ローゼマリーは、胸の中に湧き上がる正体不明の想いを押し戻し、自分自身に言い聞かせる。

 二人の間にあるのは、その関係だけなのだから。


「あの、良いのですよ?」

 ローゼマリーは笑みを浮かべ、そう告げる。と、ヴォルフの目が微かにすがめられた。

 意図が伝わらなかったのだろうかと、ローゼマリーは言葉を付け足す。

「どうぞ、飲んでください」

 そう言って、頭を傾けた。これでローゼマリーが言わんとしていることは伝わるだろう――そう思ったのだが。


 予想に反して、ローゼマリーは唐突に解放される。ほとんど突き放すように距離を置かれて、彼女はキョトンとヴォルフを見上げてしまう。


「ヴォルフさま?」

 目をしばたたかせたローゼマリーに向けられたヴォルフの眼差しは、怒りを帯びているようでさえあった。少なくとも、ローゼマリーのその言葉を喜んでいるようには見えない。

 飢えて襲うようにして吸血するよりも、ローゼマリーから供されて口にする方が良いと思ったのに。その方が、彼の自尊心は守られるはずだ、と。

 何がいけなかったのだろうかと両手を胸の前で握り合わせたローゼマリーに、ヴォルフが微かに後ずさった。二歩分ほどの距離が開いたところで、彼は食いしばった歯の隙間から絞り出すような声で問うてくる。


「お前は、我が恐ろしくないのか。――おぞましくないのか」

 その言葉に、ローゼマリーはまた目をしばたたかせる。

「おぞ、ましく……?」

 それは、どういう意味だったろうか。

 少なくとも、ローゼマリーが覚えている限りでは、今目の前に立つ、怯えたような眼差しを向けてくる人に当てはまるような意味は持っていなかった気がする。


「ええと、その、すみません。良く解りません」

 首をかしげて更なる説明を待つローゼマリーに、ヴォルフの唇が引き結ばれ、そして、開く。

「言葉通りだ。お前たちヒトにとって、我は化け物だ」

 ヴォルフは断言した。まるで、それがローゼマリーが思っていることであるかのように。

 けれど、それは、ローゼマリーの中にはない考えだ。ローゼマリーは、欠片もそんなことは思っていない。

 反論しようとしてヴォルフを見上げたローゼマリーは、彼の目を見て気づく。

 その言葉は、きっと、これまでの贄の娘に言われてきたことなのだ、と。

 きっとこれまで、贄の娘が替わるたび、ヴォルフは嫌悪の眼差しを向けられ、怨嗟の言葉を投げつけられてきたのだ。

 そう悟った時、ローゼマリーは無性に胸が苦しくなった。考えが、そのまま口からこぼれ出す。


「あなたは化け物ではありません。わたしはそんなふうに思ったことなど、ありません。ヴォルフさまは、あなたがわたしに為されることでわたしがあなたを恐ろしく思うだろうと慮れる方です。そんなふうにわたしの感情を思い遣ってくださる方を、恐ろしいなどとは――化け物だとは思えません」

 ローゼマリーは一歩、前に進む。そして、また一歩。

「あなたは優しい方です」

 先ほどヴォルフが断じた時よりもきっぱりとした声でそう告げて、彼に向けて手を伸ばす。だらりと下がった手にローゼマリーの指先が触れた瞬間、ヴォルフはまるで火に触れたかのようにビクリと跳ねたけれども、彼女の手を振り払うことはしなかった。


 ローゼマリーは、持ち上げたヴォルフの手を自分の頬に押し当てる。

「わたしはあなたのことを恐ろしいなどとは思いません。あなたのことも――あなたが為されることも」


(だから、どうか、わたしに触れることを恐れないで)


 胸の中に留めたその囁きがヴォルフに届いた筈がない。


 けれど。


 彫像のように立ち尽くしていたヴォルフが身じろぎをし、自由なままの方の手を持ち上げる。ためらいがちに伸ばしたそれでローゼマリーの肩を引き寄せ、少し前までそうしていたように、彼女を彼の中に引き入れた。

 再びヴォルフに包み込まれたローゼマリーは、頭の上でこぼされた小さなため息を聴き止める。その吐息は、諦めとも安堵ともつかない、柔らかな響きを帯びていた。



そろそろ、R18版と違うところが出てくると思います。

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