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その笑顔は

 ヴォルフの問いかけに、ローゼマリーは戸惑う。


「え、と……?」


 笑うのは嬉しいから。

 その答えではいけないのだろうか。


 迷うローゼマリーに、ヴォルフが言葉を増やして繰り返す。

「お前は、どうしてそんなに笑ってばかりなのだ?」

 彼には心底それが不思議でならないという口調だった。

「それは、だって、笑いたくなることがたくさんあるから……世界が素敵だからです」

「だが、この城に連れてこられてからも――囚われてからも、お前は良く笑う」

 言外に、彼女がこの状況に身を置いていることを憐れんでいる、あるいは、そうさせている自分を責めているようにも感じられた。

 そんな必要はないのにと思いながら、ローゼマリーは夜の庭を見渡す。


 月明かりの下でしか咲かない花が微かな風に揺れている。

 見上げた空には月と星。


 確かに、陽の光に照らされたときの色鮮やかさはないけれど。


「前は陽が沈んだらすぐに家の中に入ってしまって、昼の世界しか知らなかったけれど、夜もとてもきれいなんですね。ここに来なければ知らずにいるところでした」

 そう告げると、ヴォルフはピクリと目元を歪ませた。

「我は闇しか知らん」

 それをどうとも思っていないような口調だった。知らないことなどどうでもいい、何も感じないことも、どうでもいい――そんな無感動な声が、チクリとローゼマリーの胸を刺す。


「じゃあ、わたしが昼の世界を教えます」

 衝動的にそう言ってしまったローゼマリーに返ってきたのは、訝しげな眼差しだ。

「何?」

「色々なことを――たくさん素敵なものがあるってことを知れば、もっともっと、この世界のことが好きになると思うんです」

 力説するローゼマリーの声が、ヴォルフの耳には届いているのかどうなのか。彼はやはり心の動きの見えない眼差しのままだ。


 しばらく前に発ってしまったけれど、この城に滞在している間にレオンハルトからずいぶんとヴォルフの話を聞かせてもらった。

 そこから、嫌というほど伝わってきた。彼は、本当にこの城の中に閉じこもりきりなのだということが。

 レオンハルトもローゼマリーとは時間の感覚が違うからあまり重みが伝わってこなかったけれども、きっと、何百年もの間のことなのだ。

 この暗い城の中に居て、何を見て、何を聴くことができるというのだろう。それで、いったい何を感じることができるというのか。


 でも、裏を返せば、何かを見せて何かを聴かせれば、何かを感じることができるのかもしれない。


 レオンハルトの話を聞くにつれ、ローゼマリーはそう思った。

 ヴォルフが何も感じないのは、何も知らないから。何かを知ればもっと心が動くはず。

 これはまったく根拠なく考えたことではない。

 理由の一つは、本、だった。

 ヴォルフはレオンハルトが持ってきた本に、興味を示した。そして、今も示している。読書が、彼が自らの意思で取る、唯一の行動だといってもいい。

 本に興味を見せたなら、その中に広がる世界に興味を見せたということではないだろうか。

 だったら、その目を文字の中だけでなく、現実の世界にも向けてみて欲しい。

 そうすれば、世界は良いものだと思えるようにならないだろうか。


(ううん、わたしは、そう思って欲しいんだ)

 ローゼマリーは胸の内でかぶりを振った。

 世界は良いものだと思って、もっと幸せになって欲しい――ヴォルフに。


「せっかくこの世界に生きているんですから、この世界のことをもっと好きになって欲しいです。だから、ヴォルフさまが良いと思うことを、したいと思うことを、わたしがここに居る間、三十年かけて探して行こうと思うんです」

 そう言って笑いかけると、どうしてか、ヴォルフは苦しげに顔を歪ませた。

「ヴォルフさま?」

 首をかしげて見上げたローゼマリーから、彼は無理やり引き剥がすようにして視線を逸らす。

「どこか苦しいんですか?」

 もしかして、月の光も浴びてはいけないものなのだろうか。

 その可能性に思い至ったローゼマリーは、思わずヴォルフに飛びついた。


 が。


 あえなくその手は振り払われてしまう。


「あの……」

 自分の言葉が彼の気に障ってしまったのかもしれない。あまりに差し出がましいことを、言い過ぎたのかも。

 そんなローゼマリーの不安を読み取ったように、ヴォルフは一度奥歯を噛み締め、その隙間から押し出すようにして苦々しい声で言う。

「我は、お前が笑うと――」

 そこで、言葉が切れた。

 ほとんど動くことのない彼の表情が、動いている。

 眉間に皺を寄せて、唇を引き結び。


(そんなに、嫌なこと?)

 ローゼマリーは胸の前で両手を握り合わせた。

「わたしが笑うと、何ですか? 不快ですか? 腹が立つ?」

 だったら、二度と彼の前では笑うまい。ヴォルフに自分の笑顔が疎まれているのは、とても悲しいことだけれども。


 そう心に誓いかけたローゼマリーの思考を、強い口調が遮る。

「違う」

 ヴォルフは、その一言を発した自分自身に驚いているようだった。束の間両手を握り締めてから、続ける。

「我は、お前が笑うのを見ると、お前の血が欲しくなる」

 そうなることが受け入れ難いと言わんばかりの風情での台詞に、ローゼマリーの方が拍子抜けする。

「別に、いいのに」

 そもそも、ローゼマリーがここに居る一番の理由は、それのはずだというのに。

 思わずポツリとこぼれてしまった。こぼしてから、言い直す。

「どうぞ、飲んでください」

 そうして笑ったローゼマリーに、ヴォルフは一瞬息を詰め、次いで、その手を彼女に向けて伸ばしてきた。


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