テオ
ローゼマリーが村から消えてしまってから、三月が過ぎた。
三月、だ。少し前には、初雪も舞った。
もう少ししたら、子どもは独りで森に入れなくなる。
テオは梢の隙間から覗く曇天を見上げてため息をこぼす。
三月前、朝起きたら、暗い顔をした両親が卓についていた。
テオの父親は狩人の役を担っていて、朝が早い。朝食は一緒に摂れないことの方が多かった。けれどその日は、テオが起きるのがいつもよりも遅いくらいだったのに、まだ家の中にいたのだ。
「あれ、父さん。なんでいるの?」
まだ寝ぼけ眼の目をしばたたかせながら言ったテオに、父は硬い顔で椅子に座るように促し、そしておもむろに切り出した。
「ローゼマリーがいなくなった」
「どういうことだよ!?」
椅子を蹴って立ち上がったテオを真っ直ぐに見つめて告げられたそれからの父の一言一句を、彼はまだ全て鮮明に覚えている。
「昨晩外に出たきり戻らなかったらしい」
「外にって、そもそもあいつがそんな時間にどっか行くはずがないだろ! 絶対、何かあったんだ!」
日が暮れてからローゼマリーが出掛けるなどあり得ない。あったとしても、すぐ隣に住むテオに作ったお菓子でも持ってきてくれるくらいだ。父は、彼女がどこかに行く姿を見た者はいないという。つまり、外に誰もいない時間だったということだ。だったらなおさら、そんな夜更けに行方が判らなくなるほどの遠出なんて、絶対にしない。
確かに彼女は大らかで、屈託がなくて、楽天的で、無頓着だ。それに度が過ぎたお人好しで、もしも村の中の誰かが病気で看病が必要だとかになったら、飛び出して行ってしまうかもしれない。
けれど、それなら村の中でのことだったはずだし、行方知らずにはならないはずだ。
納得がいかないと食って掛かったテオに、しかし、両親は頑なに口を閉ざすばかりだった。
彼らに苛立ちを覚えつつすぐさま隣の村長の家に駆けこんだが、結果は同じだった。
何も判らないのだ、と。
それから三日ほどは捜索隊が出た。
けれど、それでおしまいだった。
たった、三日。
いくらなんでも短すぎる。
しかし、捜索の打ち切りを決めたのは、ローゼマリーの養い親でもある村長だった。
そこでもまたテオは大声で抗議したけれども、余裕があるとは言えない村の生活の中で、ローゼマリー一人を探すためだけにいつまでも人数を割いてはいられないと、言われてしまった。
村の長が決めたことを覆してまで身寄りのないローゼマリーのために更に時間を費やしてくれる者は、いなかった。
それから、三月。
テオは、食糧採取で森の中に入るたびに木の実や薬草などそっちのけでローゼマリーの姿を捜した。
三月も経ってしまったのだから、見つかるはずがない。
そう思っても、どうしても捜さずにはいられなかった。
「ったく、何したんだよ。何してんだよ」
どこにいるんだよ。
テオは、いない相手に向かってもう何度そう呟いたか判らない。
時々、彼女の欠片でもいいから見つかったら、諦めもつくのにと思ってしまうこともある。
そのたび、その諦念を振り払った。
ローゼマリーは、生まれた時から傍にいてくれた人だった。
村の生活は、飢えることはないものの、余裕は、ない。特に大人は。
だから、歩き出したテオの世話は、もっぱら隣家のローゼマリーが担うことになった。母親よりも、近くにいたと言ってもいい。
自身もまだ子どもだったのに、ローゼマリーはこれでもかというほどテオのことを可愛がってくれた。
可愛がり、頑張った時には褒めてくれ、いけないことをしたときには叱り、新しいことに挑戦するときには励ましてくれた。
ずっと守って慈しんでくれていた人に対する感情は、テオがローゼマリーの背を追い越したころから、少しずつ変わり始めていた。
支えになってくれていた彼女の支えになりたいと。
守ってくれていた彼女を、守りたいと。
慈しんでくれていた彼女に、それ以上の慈しみを返したいと。
彼女に笑っていて欲しい。
彼女に幸せであって欲しい――幸せにしたい。
この感情が何なのか、テオは知らない。
ただ、ローゼマリーのことが大事だった。
――それなのに。
「何で、一人で行っちまったんだよ」
ローゼマリーのうかつさと自分の力の無さに憤りが込み上げて、テオは近くの樹の幹を思い切り殴りつけた。そして、重い溜息をこぼす。
晩秋もしくは初冬の日は短くて、じきに森の中は暗くなる。そうなったら、今度はテオが遭難者になってしまうだろう。そうなったら、ローゼマリーのことを探す者は誰もいなくなってしまう。彼女のことを考える者も。
「帰るか」
呟き、テオは籠を背負い込む。
今日も木の実以外の成果が得られず、テオは肩を落としながら帰路に就いた。
暗くなる前に帰り付こうと思っていたが、少しばかり遅かったらしい。
村の入り口をくぐる頃には、辺りはとっぷりと闇に沈んでいた。
しまったなと思いつつ、テオは家路を急ぐ。
そうして家の扉に手をかけた時、中から悲鳴じみた母の声が漏れてきた。
「こんなに暗くなっても帰ってこないなんて!」
しまった、とテオは内心で呻いた。
母は、ローゼマリーがいなくなってから精神的に不安定になっているのだ。この村で行方知れずになる者が出たということも大きい要因なのだろうが、それが実の娘のように可愛がっていたローゼマリーだったから、尚のこと、衝撃を受けてしまったのだろう。
扉に手を置いたまま頭の中で謝る台詞を考えていたテオだったが、次に耳に飛び込んできた母の言葉に眉をひそめる。
「きっと、あの子を追いかけてあそこに行ってしまったんだわ!」
「やめなさい!」
悲嘆に満ちた、母の声。
そしてそれを遮ったのは、父の声。
(え……?)
あの子を、追いかけて。
母は確かにそう言った。
この『あの子』はきっとローゼマリーのことだろう。
ローゼマリーを追いかけて、『あそこ』に。
つまり、母はローゼマリーがどこにいるのか、知っているということになる。そして、今母と相対している、父も。
「父さんも母さんも、ローズがどこにいるのか知ってるのか!?」
扉を開け放つと同時にそう糾問したテオに、両親がハッと振り返る。愕然とした顔で。
「テオ! お前、今のを――」
「ああ、聞いた! どういうことなんだ!? 二人とも、何か知ってるのか!? 何を知って――何をオレに隠してるんだよ!?」
まくしたて詰め寄る息子に、二人は息を呑む。
「答えろよ!」
テオは一歩どころか髪一筋分たりとも引く気はなかった。
何が何でも答えを引き出す構えの彼の前で、父と母が視線を交わす。
そうして、どうやら、テオをごまかすことはできないと悟ったようだ。
「取り敢えず、座れ」
深いため息とともに、父が促した。
テオが椅子に座り、両親もそれに続く。
父も母もなかなか口を開かない。
だが、どれほど沈黙が重かろうが、テオに諦めるという選択肢はなかった。
ややして。
「……お前に、どこまで話すべきなのか――どこまで話してもいいものなのか、判らないが」
ようやく口を開いた父が、ためらいがちに語り出す。
隠されていた、二つの、真実を。
そのどちらの方がよりテオを愕然とさせたのか、彼自身にも甲乙を付けることができなかった。
どちらも、信じ難いく受け入れ難いことだった。
両親としては、テオを諦めさせるために話したつもりだったのだろう。だが、全てを聞き終えた時、彼の中に新たな決意が生まれる。
胸に刻んだその決意を――望みを必ず成し遂げてみせると、テオは声に出さずに誓った。




