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特別な存在

 レオンハルトはローゼマリーの髪から手を放し、やれやれという風情で身を起こした。

「また邪魔が入った」

 愚痴る口調でレオンハルトは言ったけれども、唇を両側に引くようにして笑ったその顔はずる賢い猫に似ていて、ローゼマリーにはこうなることを彼が見越していたように見えてならなかった。

 レオンハルトはローゼマリーに向けて器用に片目を閉じて見せてから振り返り、先ほどのヴォルフと同じように戸口に佇む者を見る。


「よう、木偶人形」

「カミラさん」


 二人がそれぞれの呼称で呼びかけたのは、ほぼ同時のことだった。そしてそれを耳にしたレオンハルトが怪訝そうな眼差しをローゼマリーに向ける。

「カミラ? 誰だ?」

 眉をひそめたレオンハルトは、そう言った後、目を丸くした。

「もしかして、あの人形のことか? あいつに名前なんて付けたのか!」

 部屋に響き渡る彼の声に、今度はローゼマリーが首をかしげる番だ。

「人形?」

 今の流れからしたら、それはカミラのことなのだろうとは思う。けれど、いくら無表情この上ないとしても、『人形』だなんて呼び方はあんまりだ。


 ローゼマリーは見張りよろしく戸口に立ったまま彼女たちを凝視しているカミラを見た。

 確かにカミラは淡々としているし喜怒哀楽も乏しい。でも、ローゼマリーには親切にしてくれている。


 なのに。

(人形、だなんて)


「カミラさんは優しいですよ。わたしのことをとても気遣ってくれます」

 ムッと唇を尖らせてそう言うと、レオンハルトは肩をすくめた。

「そりゃそうだろう。アレはヴォルフがあんたたちの世話をさせるために作った人形だよ。あんたたちの面倒を見るのが生まれた理由、存在意義だ。役目を果たすのは当然さ。しかし、それにしても、アレに名前、ねぇ」

「一緒に暮らしてるんですから、名前は大事じゃないですか」

「そうだけどな」

 面白がる色を浮かべたレオンハルトの紅い瞳が、まじまじとローゼマリーを見つめる。そして、ハタと気づいたように。


「まさかと思うけどよ、あいつがあんたの名前を知ってるとか……」

 まさかね、と繰り返した彼に、ローゼマリーは何をそんなに驚くことがあるのだろうと思いながらコクリと頷いた。

 ヴォルフには、以前に一度、名前を呼ばれたことがある。

 一度だけ、だけれども。


「ヴォルフさまなら、ご存じです」

 またローゼマリーが頷くと、レオンハルトはあんぐりと口を開けた。ヒトのものよりもだいぶ長い犬歯が丸見えだ。

 ローゼマリーは、ヴォルフの牙も同じように鋭く長いのだろうかと頭の片隅で思う。

 ふいに、この首筋に、それが埋められた感触が蘇った。


 食われるのは恐ろしい。

 恐ろしいことの筈なのに、何故、自分はヴォルフに対して恐れも嫌悪も抱かないのだろう。


 無意識のうちにヴォルフの牙が突き立てられる場所に手を置いたローゼマリーだったが、続いた声に、我に返る。

「知ってるってことぁ、あいつがあんたの名前を訊いてきたってのか? あいつの方から?」

「あ、いえ、多分、カミラさんから聞かれたのだと思います」

 ただ、普段のカミラの様子を見ていると、訊かれてもいないのに自発的に教えるということはなさそうだけど。

 もしかしたら、爪の先くらいの関心はヴォルフに持ってもらえたということなのだろうか。

 そんな微かな期待めいたものを覚えつつかぶりを振ったローゼマリーに向けられたレオンハルトの眼は、翼が生えた兎とか、喋って踊る花とか、そんな世にも珍しい生物でも発見したかのような代物だった。


「つくづく、規格外だな、あんた」

 感心しきりにそう言われても、名前を知っている、知られているというだけのこと。人と付き合う中で一番の基本、至極当然のことだ。

 確かにヴォルフに名前を知ってもらえていたということがわかった時は、少しばかり、いや、結構、嬉しかった。けれど、流石にレオンハルトは持ち上げすぎだ。

 レオンハルトの驚きどころがまったく理解できず、ローゼマリーは眉根を寄せる。

 だが、その時、スッとレオンハルトの顔から輝きが褪せた。彼は視線を落とし、低い声で呟く。

「まあ、どれだけ『特別』になろうが、ヒトは俺らを置いていっちまうんだけどな」

 そっと彼を窺うと、強い光を放つ紅い瞳は半ば隠され、微かに歪んだ口元は笑みに近くて少し違う。

 豪放磊落な男が見せた寂しげな眼差しに、ローゼマリーは胸を衝かれた。


(この人にも、『特別』だった人がいたのかな)

 そして、その『特別』な人との別れを悼む気持ちがあるのだろうか。

 もしも『魔物』にも、何かを、誰かを、大事に想う気持ちがあるのならば。


(この人たちとわたしと、何が違うの?)


 物思いにふけるローゼマリーは、自分に向けられた視線に気付くのが少し遅れる。どうやら彼が何か問いかけてきていたらしい。

「あ、すみません。もう一度お願いします」

「あんた、もうあいつに食われたんだろ? 怖いとは思わないのか? おぞましいとは?」

 先ほどまでの考えを読まれたような気がして、ローゼマリーは一瞬返事に詰まった。

「最初は、ちょっと驚きましたけど」

 血を飲まれたと言っても、命を奪うどころか、貧血にすらならないくらいの量だった。

 それに、二度目の時にローゼマリーを抱き上げた彼の腕はとても優しくて。

 あの時のヴォルフは、何となく、申し訳なさそうにすら見えた。あるいは、自らの行為を恥じていたようにも。

 確かに首に噛み付かれるという行為そのものにはまだ慣れないけれども、やはり、ヴォルフのことは怖いとは思えない。


 むしろ、彼という人は――


「優しいくらいじゃないかなって」

「優しい、か」

 ローゼマリーの言葉を繰り返し、レオンハルトは寝台の脇に活けてある花を見る。

「……廊下にもあったな」

「キレイでしょう?」

 突然の話題転換に戸惑いつつ、ローゼマリーは答えた。レオンハルトは考え込むような眼差しで花を見つめたまま、言う。


「ヴォルフにとっちゃ、キレイがどうのよりも、珍しいって方が勝つんだろうな」

「珍しいって、でも、ただの花ですよ? このお城の庭に咲いていた」

 眉根を寄せたローゼマリーに、レオンハルトは肩をすくめる。

「言っただろ? ヴォルフは――ヴァンピールは陽の下には出られないってさ」

 花を見たのは初めてだって言われても驚かねぇよとレオンハルトは笑ったけれど、ローゼマリーにはそんな日々など想像もできなかった。


「ヴォルフは、何にも関心を持って来なかったんだ。ただ存在しているってだけの、ものだった――少なくとも、俺が出会ってからのあいつは」

「でも、レオンハルトさんはヴォルフさまのお友達でしょう?」

 それは、取りも直さずヴォルフはレオンハルトに関心を持っているということになるはずだ。

 しかし、レオンハルトはローゼマリーの取り成しにかぶりを振る。


「そんなたいしたもんじゃないよ、俺は。俺と会ってからも、あいつは何も変わっていない」

 そう言って、彼はローゼマリーを見て微笑んだ。

「だが、あんたがいれば、何かが変わるのかもしれないな」


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