58話「愛ある軽蔑」
星宮はもう何処にも行かない。あたしがどこにも行かないでって言ったから。
星宮はどれだけ不幸になっても、結局の所何も変わらない。
頼まれたら断りきれないし、見捨てるフリは出来ても誰かを見捨てたりしないし。
好き嫌いはあるけどだからといって心の底から軽蔑したりはしない。……いや、それはあたしの理想なのかもしれない。実際星宮が自分を犯した男達に対してどう思っているのかは分からない。
あたしは案外そこら辺淡白だった。処女を失った事や男に犯される事、そういう気持ちの悪い出来事に対して激しく後悔することは無かったし、どうでもいいと割り切ることも出来た。
星宮に関わること以外、どうでもいいんだろうなって思った。
あたしは病気だ。だからこれまで、誰かと心から打ち解けあったことは無いんだと思う。
病んでいる訳じゃない。偶然そういう性格だったというだけ。
でも星宮は、そんな頭のおかしいあたしと違って普通の人間だ。普通の、明るくて馬鹿で根拠の無いポジティブ思考が出来るような人間。
……あたしとは対極の人間。星宮は、誰かに認められたいとか愛されたいとか、そんな感情は持っているのかな。
持ってはいるか。でも、そこら辺の感情をあたしに向けることは無いんだろうな。
「わ、間山さん間山さん。間山さんが好きだった漫画が今度アニメ化するんだって!」
「へぇ」
……良かったね。あたしがってか、星宮があたしに進めてきた漫画じゃん。あたしは別に……別に、そこまで好きじゃないしその漫画。話題に上げると星宮が喜ぶから、読んでただけだし。
何度も何度も、面白いとも思えなかったのに繰り返し読んだんだよ。星宮が何の話題を出してきてもすぐに反応出来るように、何度も何度も何度も。
退屈だったよ。
星宮、この漫画の話しなくなったよね。
飽きちゃったんだろうね。飽きっぽいもんね。約束とかすぐ忘れるし。目の前の楽しそうな事に興味が湧くとすぐ前の楽しかった事を忘れちゃうんだもんね。
分からないよ。そういうの。だから明るくなれるんだろうね、目の前の事にすぐ興味を示せるから。
「あ、あれ。反応が薄い……この漫画、好きじゃなかったっけ?」
「……楽しみーぃ」
にへら。下手な笑顔を作る。
窓に映った自分の笑顔を見る。
あたし、こんな風に笑ってたっけ?
星宮が人を刺してしまったから、新しい服を買うので余分にお金を使ってしまった。
もう荷物も要らないでしょ。身軽にした方がいいでしょ。そう言ったけど、星宮は一つのリュックを手放さなかった。
中にどうしても持っておきたいものが入ってるんだって。
でも、服装だけ変えてもリュックが同じだと意味が無い。リュックも新調した。少し値が張った。
……お金が無い。
星宮には変な事をしてほしくない。星宮もあたしにそういう事をさせたくないみたい。だから車は使えない、電車も使えない。歩いて目的地へと向かう。
何キロ歩いたんだろう。小学生の頃にも何度か遠足とかした事あったっけ。それとは比べ物にならないくらい歩いたよなぁ。
腕の傷が痛む。全身もあちこち切り傷や擦り傷ができていて痛い。体が熱い。怠い。喉が痛い。唇が乾いて切れる。爪の隙間にゴミが詰まる。不快。
「……それ、何が入ってるの?」
空き家の車庫に不法侵入して眠ろうってなった時、あたしはいつも星宮が抱いているリュックの中身を尋ねた。
星宮は少しも迷う様子なくリュックを開けて中身を出した。中に入っていたのはイルカ? のぬいぐるみだった。
「なにそれ」
「水族館デートのくじ引きでもらえるぬいぐるみ。可愛いでしょ」
「そんな物のためにリュックを新調したの?」
「……うん。こんなものの為に」
「なんで?」
間髪入れずにそれに固執する理由を問う。今度は少しだけ迷った後、星宮は数段小さな声であたしの問いかけに答えた。
「…………海原くん、が、くれたもの、だから」
……。
「へぇ。……思い出の品か」
「う、うん」
「いいね、そういうの。あたしも何か持ってくればよかったな」
「あ、あはは……ごめん、変だよね」
「なにが?」
「ボク、海原くんを突き落としたのに。憎くて、嫌いで、悔しくて、そんな事をしたのに。まだこんな物を持ってる」
「変じゃないよ」
「えっ?」
星宮が驚いた様子であたしの方を向いた。あたしは彼女から背を向ける。
変だよ? 気持ち悪いよ、当然。当たり前じゃん。
でも、そんな事を言って星宮を傷つけるつもりは無いし。他人を傷つけるのも疲れるし、言わない。あたしが体力ない人間でよかったね、星宮。
そんなやり取りがあってから、星宮は寝る時にそのぬいぐるみを出して抱きしめながら眠るようになった。今まで隠していたのは、あたしに気持ち悪がられると思っていたからだろう。
思ってるけどね、気持ち悪いって。
ある日、星宮は髪留めを解いて眠りにつこうとしていた。
寝る時に髪留めを解くのは当たり前だ。何も変じゃない。けど、今までずっと付けたまま眠っていたからつい、あたしはよく分からない言葉を星宮にぶつけてしまった。
「……結局の所、星宮はさ」
「うん?」
「あたしと海原、どっちの方が大切なの?」
「……え?」
「例えば、どちらか一人の記憶を全部失うとしたら。星宮はどっちを残すの」
「な、何の話」
「答えて」
何の意味もない問いかけだった。だって、海原はもう死んでるし。
「……そうだよ。死んだ人の事なんていつまでも覚えておけるわけないじゃん」
「間山さん」
「もう会えないんだよ? 二度と会えないんだよ。だってその人は死んでるんだもん。もう二度と触れないし、話せないし、何も出来ないんだよ。声も体温も匂いも仕草も全部忘れていく、いずれはそうなるんだよ。なのにさ、なのにいつまで経ってもその人に固執するのって意味分からなくない?」
「やめてよ、間山さ」
「あたしはさ、まだ生きてるよ? 星宮もまだ生きてる、あたし達は"居る"んだよ。忘れっぽい星宮でも会えばまたあたしの事を思い出す。星宮があたしの事を忘れてたせいであの出来事は夢だったのかな、自分に魅力がないのかな、そんなに目立たない存在なのかなって自信を失ってたけどそれでもさ、関係性がリセットされてからもあたし達は仲良くなれたんだよ?」
「ねえ、やめ」
「確かにあたしは嫌な事があると星宮のせいにしてその癖星宮の味方だって大きな口を叩いて困らせてきたけどさ、星宮以外どうでもいいからって沢山の人を巻き込んで結果的に星宮が損するようなこともしてきたけどさ。それでも、それでもさ。あたし、こんなくだらない事に付き合うくらい本当にあなたのことを大切だってアピールしてるのにさ。どうしてあたしじゃなくて、海原なんかを選ぶの。おかしいよ」
「ボクは、間山さんの方が大切だよ」
「嘘だよ。……分からないよ。だって未だに海原との思い出に縋りついてるでしょ? どっちの方が大切なのって聞いてるのにそんなものを抱きしめながらあたしの方が大切って言われても、そんなの信じられないよ。あなたの本心はいつだって分からないんだよ、あたしだけ分からない。みんなあなたと打ち解け合えてたけど、結局、あたしは、一度も、星宮と心から打ち解けたことなんて無かったじゃん!!!」
無音。
あたしの荒い呼吸音以外、何の音もしない。
何が言いたかったんだろう。考える。
色々言いはしたけど、結局の所あたしが言いたかったのって最後の言葉だけな気がする。
あたしと星宮は、一度も打ち解けたことがなかった。心から分かり合える事なんてなかった。
一度もだ。
「……ボクは、どうしたらいいの」
「……」
「……ごめん、ごめんね。ボクは……これだけは手離したくない」
「いいよ。手放さなくていい。でも、あたしの事も手放さないで」
「……」
「こんな事を言ったら、星宮の心が余計に遠くに行ってしまうことなんて分かってる。星宮があたしの事を好きじゃなかった事だって知ってる。でも、もう後戻り出来なくなっちゃった。こんな事を言ってしまったらもう……あたし、本当に星宮から離れられなくなっちゃった。だからお願い、お願いします。ずっと一緒に居てください」
星宮に背を向けたまま、涙が出て喉が鳴る。星宮がどんな顔してるのかは分からない。
「……誰かと一緒じゃないと生きていけないなんて、ボクには理解出来ないよ。だから物に縋ってるんだし。間山さんって、本当に幸せな人生を歩んできたんだね」
冷たい言葉、感情のない声。でも星宮はあたしの背中に体を合わせて優しく抱きしめてくれた。
「ボクは嘘つきだよ。だから、ボクが言う言葉なんて信じない方がいい。そう前置きをしておくね」
「……ん」
「…………ボクは、間山さんの事を好きでも嫌いでもない。大切でもなんでもない。ただ、本当に困った時に助けてくれたから、今は間山さんに依存してる。離れたくても離れられないよ。だから……」
そこから先の言葉は紡がれなかった。頭が良くない癖に、嘘だって前置きして気持ちを伝えようとするから言い方が思いつかなかったのだろう。
それでも良かった。言葉は嘘でも、態度であたしに寄り添ってくれたから。
「理想のマイホームってあるじゃん? あたしね、豪華な家より少し寂れたアパートとかで好きな人と二人で暮らしてみたいんだ! 治安はそこまで良い訳じゃなくて、ベランダを見下ろせば酔っ払いが歩いてたりガラの悪い大学生が溜まってたりする感じの! 変だよね。でも、ずーっと田舎のそこそこ大きな家に住んでたから逆にそういうの憧れるんだよね!」
星宮はわざとらしい微笑んだ顔でウンウンとあたしの言葉に頷いてくれる。
「爛れた生活って言うのかな。大学の講義にも出ずに夕方まで寝て、相変わらず料理は下手っぴだから近くのコンビニでテキトーな食べ物を買って、バイトから帰ってきた彼氏を出迎えて二人でご飯食べて。下らない世間話をして、たまに夜の街を一緒に散歩したりして。で、深夜になったら愛し合うの。二人で動物みたいに盛りあって、疲れたら休憩してお酒とか飲んで、彼氏はベランダでタバコ吸ってて。その背中をボーッと眺めながら何やってるんだろうなぁって自分に呆れたりして」
星宮が曖昧な愛想笑いして乾いた笑いを零す。
「だらしない貧乏学生のくせにペットなんか飼い始めて。星宮は犬派? 猫派? ハムスターはやめといた方がいいよ、夜中もカラカラカラカラしてうるさいから。インコも嫌だな、うるさそう。ベッドでゴロゴロネットサーフィンしてたら星宮が猫ちゃん連れてきてあたしの上に落っことすの。で、あたしは何をするんだーって、面倒くさそうにしながらも覆いかぶさってきた星宮にドキドキして目を瞑ってキスを催促するんだ」
星宮が薄い目をして笑う。馬鹿にされてるのは分かる、それでも話を聞いてくれるだけでよかった。
「それでね」
「うるさいなぁ」
笑顔のまま星宮はあたしを黙らせてきた。見下した目をして口の中に指を入れられる。
「本当に可愛いね、間山さんは」
どういう感情でそんな事を言っているのかは分からない。けど、そんな投げやりな態度でも星宮があたしを見てくれるだけでドキドキする。
指を舐めたら星宮に歯を撫でられた。
指が引き抜かれると、あたしの唾液が伸びて地面に落ちた。星宮の着ているパーカーの紐を掴んで、キュって絞って、こちらに引き寄せて、星宮の唇に自分の唇を当てる。
まだあたしは星宮に好きって伝えていない。
「最近、嫌な夢を見るの」
「どんな?」
「星宮がどこかに行っちゃう夢を見る」
「あはは。現実味のない夢だね」
「……そんな事を言いながらどこかへ行っちゃうの。寝て起きたら何処にも居なくて」
「でもボクはここに居るよ」
「これも夢?」
「ここは現実」
「って言って、どこかに行っちゃうの」
「怖いねぇ」
少し、星宮の背が高くなった気がする。それともあたしが姿勢悪いからそう見えるだけなのかな。
瞼が重い。体が熱い。傷跡が痛んでずっと寒気がする。
星宮の顔が見えない。視界が狭いからなのかもしれない。視線を上げると太陽の眩しさでやっぱり星宮の顔が見えない。影になっていて表情が分からない。
「最近、嫌な夢を見るの」
「どんな?」
「家に帰れない夢。あたし達は行くあてもなく、知らない土地を歩いてる」
「現実味のない夢だね」
「……そうかな」
「そうだよ。少なくともボクらには行くあてがあるもん」
「……そう、かな」
「そうだよ」
「……なら、あたし達はどこに向かってるの?」
「……何処だっけ」
「やっぱり夢なんじゃん」
「んーん。ここは現実だよ」
「……」
「現実だよ。間山さん」
小学生達の声が遠くから聞こえる。おかしいな、星宮以外の人の顔は見えるのに。星宮の顔はやっぱり見えない。
なんか、悪魔みたい。人間に素顔を見せず唆す悪魔、そんな風に見える。
気持ち悪くて吐いた。熱が上がってるみたいで全身が燃えるように熱い。
久しぶりに漫画喫茶に入った。なんでかは分からない。いつの間にかあたし達は個室の中に通されていた。
「あれ……」
いつの間にかあたしは眠っていたみたい。いや、今の夢の中なのかな。分からない。
下半身が湿っている。寒い。漏らしたらしい。アンモニアの臭いが個室に充満してる。
星宮は何も言わずあたしの全身の傷に貼ったガーゼを取り換えてくれていた。
パンツ、先に脱がせてほしかったかも。
寒い。臭い。苦しい。不快。
ズボンを脱いで、パンツを脱いで、下半身をさらけ出したまま汚れた衣類を持って個室から出る。
ランドリーに向かう途中、何人かの客とすれ違った。みんなあたしの下半身を見て驚いていた。通報されるかもしれない。……夢? なんであたしは平然としているんだろう、おかしいでしょそんなの。
洗濯機が回る音がする。男の人が来た。怠いのに、寒いのに……。
「夢なの」
「なにが?」
「分からないの?」
たこ焼きをハフハフと頬張る星宮の前で項垂れながら口を動かす。気怠い。身を起こす余裕が無い。
「食欲ない? 腕の傷、化膿してるもんね。胸の刺傷は痛まない? 結構深くまで」
「夢なの」
「……?」
「星宮を追いかけてる時にね、転んだ時に変な所に枝かな、石かな、分からないけど。刺さっちゃって。引き抜き方も良くなかったかな。余計な所まで傷つけちゃったみたい」
「……ごめんね」
「夢だからいいの」
「……」
「星宮がね、渚のこと殺しちゃうの。あたしね、渚のことずっと昔好きだったんだ。死んじゃったの。こわい、こわい夢。かなしくて、こわい夢」
「……ごめんなさい」
「なんで謝るの? 夢なんだから謝る必要なんてないでしょ」
しきりに星宮が謝ってくる。変なの、なんで今日はそんなに謝ってくるんだろう? 冷泉とか与能本辺りに変な事でも言われたのかな。あの子らは言わないか、じゃあ誰? 敵が多すぎて分からない。
「ホントさ、なんで星宮っていつもそんなに敵が多いの? 見てて心配になる、というかむしろイライラするんだけど」
「……ごめん」
「なんで謝るの? 夢の話でしょ」
「ごめんなさい」
「そういえば今朝変なのが股から出てきたの。血。生理なのかな、それとも内臓がおかしくなったのかな。……? 夢の中の出来事なのになんで現実に反映されるの。変なの。ね、星宮」
「ごめん、なさい」
???????
何をずっと謝っているんだろう? 流石に様子が変だ。重い体を起こして正面の星宮を見る。
「あれ? 何その格好、制服は?」
「え……?」
「てか給食にたこ焼きって珍しいよね。一個貰ってもいい?」
「う、うん」
「でもこれからどうしようね? 所々地図を見て移動してはいるけど一向に目的地までつけることないし。本当に来た道合ってるのかな? 先生に聞いてみる?」
「え、え? ……間山さん?」
「あとさ、真面目な話おじいちゃん家に着いたとしてその後はどうするの? 星宮、渚以外の人も刺しちゃったじゃん。あたしらの顔だって割れてるし、普通に考えたら指名手配とかされてるんじゃないの? 匿ってもらえる? そんな信用できる人なの、星宮のおじいちゃんは。パパがあんな屑なのに? 絶対売られると思うんだけど」
ずっと考えていた事を口にすると星宮は閉口して手を止めた。
「馬鹿だよねー。なんて言うかさ、垣田を糾弾した時とかもそう。自分が損を被ったからってわざわざアイツを追い詰めるようなことを言って結局報復されてるしさ。なんだろう、言い方が良くないよね。星宮ってさ、自分で自分の事を馬鹿馬鹿言うけど変なタイミングで賢ぶるでしょ。それ、やめた方がいいよ? そういう言動所作のせいで今まで痛い目見てきたんだから。星宮を中心に世界が回ってる訳じゃないんだよ? 他人の事を振り回して不幸にして、そのくせ自分が一番不幸みたいな顔するの本当に気持ち悪いからやめな?」
「……ごめんなさい」
「やめてよ、そんな風に思ってもないのに謝るの。謝られた側はどんな気持ちになると思う? 星宮が悪いのに星宮が先に謝ったらこっちの立つ瀬がないじゃん。卑怯だろ」
あたしがそう言うと星宮が無言で頭を下げてきた。だから、そういうのもやめて欲しいっての。
周りの人が見てる、冷泉なんてすごく悲しそうな顔してるし。あたしが悪いって思われてるじゃん。うわ、海原がこっちに来た。めんどくさっ! 無視しよ無視。
「話は変わるんだけどさ。最近あたし、夢見が悪いんだよね」
「……っ」
「なんかさ? 星宮が二人も人を殺しちゃうの。そこまではまあどうでもいいんだけど、そのせいであたしまで星宮に付き合わされて、一緒に逃避行することになってさ。ドラマみたいで素敵だなーって最初は思っていたんだけど、途中で星宮はどっかに行くしあたしは変な怪我を負ってどんどん体調が悪くなるんだ。はた迷惑な話だと思わない?」
「……」
「ま、夢の話なんだからそれで星宮を責めても仕方ないんだけどさ。でも一つ言いたいことがあるんだ」
たこ焼きに刺さっている爪楊枝を持ち、それを星宮の手の甲に刺した。
爪楊枝は人差し指と中指の付け根の、骨の隙間に刺さってプツッと丸い血が出た。
「人を殺すのは良くなかったんじゃない? それさえ無ければこんな目に遭わずに済んだんだしさ」
「……そうだね」
「あれ? 待って。なんで血が出てるの? 夢の話なのに、夢の中なのに血って出るものなの? でも星宮、痛がってない」
「……」
「じゃあ夢? ……? あれ、どこまでが夢? 今って現実?」
「…………んーん。今も夢の中だよ」
「だよね。それはそう。だってあたしが星宮を傷つけるはずないもん」
爪楊枝を引き抜いてそのままたこ焼きを食べる。熱い。あ、やばっ。
……吐いちゃった。たこ焼きも食べれないのか、なんなんだろこれ。風邪かな。
「……間山さん、まだお腹すいてる?」
「ん? んー、あんまり」
「そっか。じゃあそろそろ行こう。……このままここに居たら、怒られちゃうよ」
「分かった」
星宮に言われて立ち上がろうとしたら目の前が点滅して倒れ込んでしまった。体が重い。星宮に支えられながら歩く。
「……あ、そっか」
「うん?」
「あたし、妊娠してるのか。だからこんな体調なのかな。星宮、妊娠してる時って」
「…………妊娠してたら生理なんて来ないでしょ」
「それもそうか。あははっ、確かに確かに! あはははっ、何言ってんだろあたし。てかあたし処女だし! あはははははははははっ」
「……間山、さん」
「星宮はあたしのこと好き?」
「…………うん、好きだよ」
「好き?」
「好きだよ」
「好き? 好き? ねえ、好きなの? 好きなのって聞いてるの! 好き好き好き好き好き好き? 大好き? 大好き!? ゔううぅっ!! ううううぅぅぅぅぅっ!!!」
あたしの肩を支えている星宮を突き飛ばして彼女にのしかかり顔を殴り付ける。なんであたし、泣いてるんだろ? この夢、意味がわからない。突拍子がない。変なの。変なの。
「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!!! ゔああぁぁぁっ!!!」
夢なわけなかった。あたしは一度も夢なんか見ていない。全部現実だ。
人の居ない山道で目を覚ました時、今まで仕出かした事に気付いて星宮に縋り付き泣きながら謝った。何度も何度も、喉の痛みとか無視して謝り続けた。
星宮は何も言わず、ただあたしが泣きつくのを受け止めてくれた。
「間山さん、寝てないと。ずっと体調悪いでしょ」
「そんなのどうだっていい! あ、あたしっ、星宮の手、星宮の事、殴っちゃ、あ、あああぁぁぁぁっ!! うわあああぁぁぁぁぁんっ!!!」
「……あの。薬。ごめん、実はまだ残ってた、解熱剤。これ飲んで横になろ? ね?」
「ごめんなさいっ! ごべん、なざっ、うううぅぅぅっ!!!」
「……うるさいって」
星宮はあたしの知らない所で子供を作った。
星宮はいつの間にか海原と仲直りしていた。
星宮と海原はデートしていた。
星宮はどんどん好きな物が変わっていく。
星宮は色んな人と仲が良い。
星宮は一瞬だけ男と付き合ったことがあるらしい。
星宮は海原の事が本当に好きだったらしい。
星宮のファーストキスの相手は伊藤らしい。
星宮は実は長尾と一番付き合いが長いらしい。
星宮は海原達と仲直りした後、横井ととある秘密を共有したらしい。
星宮は一人で逃げ出したあと、あたしの事を思い出して引き返していたらしい。
星宮はまた体を売り始めていたらしい。
星宮はあたしに隠れて解熱剤を飲んでいたらしい。
知らない事だらけだった。あたし、星宮の何を知っているんだろう。
あたしは地面に落ちていた釘で自分の手の甲を刺した。星宮はその行動を特に止めもせず、手の甲に刺さった釘を引き抜いてあたしを優しく抱きしめた。
「……馬鹿じゃないの。そんな事をして、意味なんかあるの」
「……」
漫画喫茶に居た時、検索履歴に『自殺の方法』とか調べてあったのを思い出す。
星宮が傷つけば、あたしも自動的に傷つく。そういう風に思わせて、星宮の優しさに甘えて、断りきれない性格を利用して。星宮に、馬鹿な真似をさせたくないと思ってあたしは自傷行為を働いた。
星宮が自暴自棄になる度に、あたしは自分の手の甲や腹を刺した。腹を刺した時は流石に星宮も動揺して真剣に怒鳴ってくれた。その後、星宮はあたしに縋るようにして泣き始める。
降り止まない雨の日、星宮と身を寄せ合って眠る。このまま、二人とも泥のように溶け合ってずっと一緒になれたらいいなと思った。