56話「足並みがズレていく」
「……っ。星宮?」
朝。目を覚まして身を起こす。
隣に居たはずの星宮が居ない。
「星宮……? どこに行って……」
滑り台から顔だけ出して周囲を見渡す。公園には人はおらず、トイレにでも行ったのかと思い段差を降りて少し歩いたら何かを踏んだ。見ると、それは星宮のスマホだった。
「……星宮っ!」
スマホが落ちていたのは公園と道路とを隔てた柵の近く。こんな広い公園なのに偶然アイツのスマホを見つけられるなんて、等と呑気な事を考えるもすぐに『何故そこにスマホが落ちていたのか』という方向に思考が傾き焦りが生じる。
落としたスマホを拾うほど余裕がなかった? とすると、何かから逃げるのに必死だったという思考に結びつく。
もし警察に見つかって補導されるのを嫌い逃げたのであれば一緒に寝ていたあたしも声を掛けられるはずだ。そうなってないって事は……多分、誰かに声をかけられたんじゃなくて遠目に誰かを見て逃げたって事になる。
パトロールしていた警察を見かけて逃げたのか? 今の星宮の精神状態なら全然有り得る。でもどうしよう、星宮がどこに向かって逃げていくのかは全く想像がつかない。
「考える暇はない、探さないとっ!」
行き先は分からないにしても行動を起こさないと何も始まらない。あたしは星宮のスマホを拾い、ポケットに入れてとりあえず交番の方まで走る。身元不明の中学生なんて見かけたら真っ先に警察は保護しようとするはずだ。そこに居ないのならば……次は駅か、それか人の多くない路地裏辺りだろうか。
「はぁっ、はぁ……っ!」
交番にそれらしき様子はなく、次の候補として駅に様子を見に来ると明らかに異様な光景が広がっていた。
制服を着た、警察なのか鉄道会社の人なのか分からない集団が慌ただしく駅の中を動き回っていて、複数名が電車の走るレールの方を見ていた。
まさか、飛び降り自殺でもした!? そう思い込み駅から出て車道の柵からレールの様子を身を乗り出して伺うも人が飛び降りたような形跡はなかった。でも、駅の中にいた人達と同じ制服を着た大人が何人もレールの脇の地面に降りているのが見えた。大声で「おーい!」などと叫んでる声が聞こえる。
「逃げるにしてもっ、そこ選ぶの……っ!?」
確証は無いけど、多分星宮だ。星宮は遠目に見た警察の姿を見て一目散に公園から逃げ出し、この柵に辿り着いてそのまま柵の向こう側へ逃げてしまったのだろう。
昨日揶揄していたことが本当に起きてしまった。映画みたいな逃避行になっちゃった。ど、どうしよう……追いかける? それは流石に馬鹿げてるでしょ。
常識的に考えてそれはやっちゃいけないというセーブがあたしの足にブレーキをかける。けど……けど、手がかりもない街の中をただ闇雲に探すより、怪しいと思った所を探した方がきっと星宮の元に早く辿り着ける。
もしこれがあたしの思い込みで特に何も起きてなかったら、もし星宮じゃない別の頭のおかしい人がここを飛び出して行ったんだとしたら。それは大幅なタイムロスになるしその間星宮は不安と孤独に苛まれることになる。
分からない。分からない。こういう時、どんな行動を起こしたらいいのか分からない。何が最善でどうすれば星宮の元に辿り着けるのか、そんなのいくら考えたって思いつくはずもない。
「なんでこう上手くいかないのよ……!」
誰に向けたでもない愚痴を漏らしながら周りの目が見えない地点で柵を乗り越え、姿勢を低くしたままレールとレールの間の区画に入り走る。
まじで馬鹿げてる。本当に馬鹿じゃないか、あたしは何をやっているのか。
「ここだと人に見つかるか……」
ある程度まで進んだところでレールの横に逸れて草花が生い茂った道のない方向へ進路を変える。
「! 足跡!」
行くあてもなく植物をかき分けて歩いていたら地面がぬかるみ始め、そのまま歩いていたら人の足跡が見えた。足跡の大きさ的に多分男の人じゃない、足を合わせたらあたしとほぼ同じくらいだし!
奇跡じゃん、本当にいるとは思わないじゃん。じゃあ後はこの足跡を追って進んでいくだけだ。
「わっ!? きゃあっ!!!?」
足跡に沿って移動を初めて体感二時間くらい経った頃、足元だけを凝視して歩いていたら植物で隠されていた段差に躓く。その一歩先には崖があって、掴まるものもないのであたしはそのまま崖の下へと滑落してしまった。
やばい、死んだっ!? 目を思い切り瞑って顔とお腹を庇うように手足を折りたたんで滑り落ちていたら小さな川に着水した。
「あぐぅっ!?」
砂利の上に落ちて左腕を強打する。胸も打ったから息が詰まる。
……これ、折れてないよね? 骨折した事ないから分からないけど、左腕の二の腕がズキズキして痛い。指で押すと強く痛む、最悪すぎる。なんなのよこれ! もうっ!!!!
「最悪、最悪!!!」
イラついて大声を出す。なんであたしがこんな目に……はぁ! やめやめ、こんな事考えるより星宮だ。
足跡がこっちの方向に続いてたって事は、あたしの先を歩いていた人も落っこちてきたはず。……あれかな? 少し離れた所の砂利が少し荒れていて茶色い地面が見えている。でもそこで足跡は途切れていて、皮を進んで行った形跡もない。
「これで違ったらまじで最悪だけど……」
傾斜を登ってガードレールに手を付く。アスファルトで舗装された道路を見ると、足跡かは分からないが一方向に向けて伸びている濡れた跡がある。
その跡は道路を挟んだ向こう側の、またしても植物が生い茂った方へ続いていた。逃げ方どうなってるの、大人の人ならこんなところまで追いかけてこようとしないでしょ。普通に公道を歩きなさいよ、馬鹿なんじゃないの?
……いや、公道と言ってもここを歩いていくのは危ないか。多分県と県を結ぶ車通りの多い車道だもんね。大きめのトラックが来たら轢かれちゃいそうだし、選ぶルートとして妥当なのかな……?
「はあ……これで星宮じゃなかったら本当に。本当に……っ!!」
不満を垂れながら濡れた跡を目印に道路を渡ってまた道なき道を進む。
道は無いけど、こっちは木が結構生えていて自ずと進む方向を指し示してくれる。時々身をねじ込まないと進めない所もあるが……水が乾く前にあたしがあそこに到達してたってことは追ってる相手とあたしとの間にあまり距離はないって事だもんね? じゃあ引き返してるわけもないしそのまま身をねじ込む。
「痛いっ!?」
無理に体をねじ込んだせいで頬を切ってしまった。くそ、星宮ぐらいの背なら安全に通れるかもしれないけどあたしにはちょっと狭すぎるっての!
「うぁっ!?」
木の根っこか何かに足を取られて転んでしまう。右手のひらを擦りむいてしまった。もう全身傷だらけだ、泣けてくる。
「はぁ……もぅ……星宮ぁーっ! いい加減逃げないでよ! あたしだよーっ!!」
もう立ち上がる元気もなくなって泣きそうな声で星宮の名前を叫ぶ。……返事はない。
「星宮ぁー!!! ぐすっ…………もうっ、ああぁもうっ!!!」
何度呼んでも意味は無いし、こんな所でボーっとしてる時間とか無意味だし。足が痛いし蒸し暑くて汗が張り付いて気持ち悪いけど、ここまで来た意味が無くなるのはムカつくから無理やりにでも立ち上がってまた足を動かす。
誰も居そうにない森? の中を歩いていたらポツポツと雨が降ってきた。踏んだり蹴ったりだ、まあ元から台風が近付いてるって情報は知ってたからいつかはこうなりそうだと思っていたけどさ。
雨が本格的に降り出して、それが思いの外激しくて霧で前が見えなくなる。小雨程度なら無視して進み続けようって思ってたけど、流石にこの大雨の中を歩き続けたら風邪をひきそうだ。
雨宿りをしたい所だけど、雨宿り出来そうな所は今の所見えない。
「はぁ……はぁ……」
雨が痛い。冷たい。寒い。全身が震えて、どこに行っても出口はなくて。誰一人いなくて。
「星宮……ほしみやぁ……」
いつまでも星宮に会えなくて涙が出てきた。星宮の名前を口にしながら、泣きながら歩く。
こんな所まで来たけど、本当に意味はあるのだろうか? もしあのスマホが星宮の物じゃなかったとしたら、星宮は普通にトイレにいるだけであたしが早とちりしてるだけだったら。そんな事を考えると余計に悲しくなって、歩けなくなってその場にしゃがみこんでしまう。
このままどこまで進んでも星宮がいなくて、とっくに目的地に着いてるかもしくは警察に捕まってたりしたら。あたしは? あたしにそれを確かめる術はない。あたしはいつまでも星宮の安否が分からないまま、永遠にここを彷徨い続けるのかな。
……死んじゃうじゃん。嫌だ、そんなの。怖いよ。でも、後先考えずに衝動的な行動をしたのはあたし自身なんだもんな。
いつだってそうだな。思いつきで行動して、毎回痛い目を見てきた。
……本当は星宮が海原を殺したって聞いた時、そんなわけないじゃんと小馬鹿にしていた。でも星宮が真剣に話している内に、本当に殺してしまったんだと気付いた時、あたしは星宮を『怖い』と思った。
星宮は嘘つきだ。明るくない癖に明るいフリをする。後ろ向きな癖に前向きな言葉を吐く。言うだけならタダだからっていつも虚勢を張っていて、悩みなんか一つもないし悩んでもすぐ立ち直れるこのフリをしていた。
そんなよく分からない性格をしてるくせに、人なんか殺しちゃうんだもん。怖くならないわけが無い。海原の事を考えるより、目の前の星宮を怖がる方が自然だ。……だからあの子視点、海原の事を気にもかけてないように感じたんだろうな。
怖いって思ったくせに、気持ち悪いって思ったくせに、なんであたしはこんな所まであの子に着いていってしまったんだろう。
好きだから、って言葉だけで説明出来るのかな。よく分からない。『好き』って、そんな便利な言葉でもないよね。好きだからって普通じゃない事をしていたら注意するべきだもんね。
じゃあ、あたしの『好き』ってなに? なんでこんなの星宮に拘るんだろう。
「……星宮」
会いたい。なんでとかどうでもいい。会って……めっちゃムカつくことするから力いっぱい叩きたい。実際に会ったら多分そんな事出来ないけど。
「星宮、どこぉ……」
次第に雨が強くなってきて、雨風以外の音が遮断される。背中を打つ雨の痛みで押し潰されそうになる。
寒さと痛みで震える足を引きずりながら歩く。……あ、なんか崖の側面にちょっとした洞穴がある。丁度いいや、あそこで休憩しよう。
「……」
「……っ! ま、間山さん」
「……? ほし、みや?」
でこぼこした岩肌に寄りかかりながら洞穴に近付いたら名前を呼ばれて、顔を上げるとあたしと同じように全身ずぶ濡れになった星宮が居た。
「……なんで、こんな所にいるのよ」
「ごっ……ごめんなさい」
「傷だらけじゃん」
「間山さんの方こそ」
「あたしの事はどうでもいいの! 星宮が」
「どうでもよくないよ! ボクのせいで……」
「そう思うのなら、勝手にいなくならないでよ」
「……ごめんなさい。後戻りしたら、捕まっちゃう気がしたから」
「…………逃げるにしても、一人だけで行かないで。心配するから」
「ごめ」
「うるさい。ごめんごめん言うのもやめて。……叩くよ」
そう言うと、星宮は申し訳なさそうな表情をした後目を瞑って右の頬をこちらに向けてきた。冗談に決まってるのに。
「これからどうするの」
「これから?」
「……駅員さん達が星宮の事を探してた。あんたがこっちに逃げてくる時に容姿特徴はもう知られてるって事でしょ。歩いて行ける範囲の駅は利用できないよ」
「……」
「どうするの。というかこの森から出られるの? ここ、どこよ」
「……分からない。けど、ここに来る途中にトンネルがあったよ」
「それがなに」
「多分ここって県境とかそういう場所でしょ。歩いていけばパーキングエリアがあるよね」
「……馬鹿な事考えてない?」
「深夜とかになれば、輸送トラックとか止まりにくるよね」
「馬鹿な事考えてた。その荷台に隠れて移動するつもり?」
「……」
「どこに行き着くかも分からないのに? 病気でしょ」
「……でも、歩くよりずっとマシだよ」
「にしても道路の方まで引き返すんでしょ。どんだけ歩いたと思ってるのよ、バカ」
「……じゃあボク一人で行くよ」
「女の子をこんな所に置いてくつもり? 野垂れ死にするんですけど」
「……」
「……雨が止んで服が乾いたら移動しようか」
「……うん」
濡れた服を着ているといつまで経っても体が温まらないから下着姿になり互いの身を寄せ合わせながら雨が止むのを待つ。
もう何時間洞穴の中でこうしているのだろう。体感だと5時間くらい経ったんじゃないだろうか。雨は止む気配がないけど少しだけ寒さは軽減してきた。というか心なしか暖かい。
「星宮って子供体温だねぇ〜。抱き枕にしたい」
「現状抱き枕状態ですけど」
「今後も家に置いときたいな〜。一家に一台抱き枕星宮」
「限定一個しかないので要望には答えられないかな」
「え〜。等身大の星宮ラブドールとか作っちゃダメ?」
「ダメに決まってない??? なんでラブドールなのさ、せめてぬいぐるみにしてよ」
「もう作ったもん」
「怪談かな? てか出発する前にそんなおぞましい呪物目にしてなかったと思うんだけど」
「隠したからね、クローゼットに」
「ガチじゃん。怖いって」
「ちなみに綿の他に星宮の髪の毛とかも入れてある」
「ガチじゃん!? 怖いって!」
ほんのちょっとした冗談のつもりで言ったんだけど星宮が本気で脅え出した。可愛いなぁ、いっそう強く抱きしめちゃお。
「ねぇ間山さん」
「なーに?」
「なんでちょっと嬉しそうなのさ。……あの、下着姿であんまりくっつかれると、ちょっと気まずいというか」
「くっつかないと寒くない?」
「そうだけど、しきりに胸を押し付けてくるじゃんか」
「それは体の形状的に仕方なくない? それを言ったら星宮だってお尻をあたしに押し付けてくる〜」
「押し付けてないよ。……少し大きいだけでしょ。言いがかりはやめてください」
「少しと言う割には結構ボリュ」
「少しだから。ほんのちょっぴりだから。やめてね、ボク太ってないから」
「気にしてるんだねぇ」
随分女の子らしい悩みを持ってるんだね。可愛い。太ってるとは思ってないからそんなに気にしなくてもいいのに〜。
にしても本当に止まないな。もう辺りも暗くなってきて夜に差し掛かってるのに相変わらずのザーザー降りだ。今日中には止みそうにないかなぁ。
「服もまだ湿ってるか。ん〜、二人だから外でこんな姿になってるけどさ、誰かにこれを見られたら相当まずくない?」
「こんな所まで人来ないでしょ。雨が降る前に少し先まで進んだんだけど、ボクが見る分には人が通った跡はどこにも無かったよ」
「なるほどねぇ、完全にあたしらだけの秘密基地なわけだ。今なら星宮に悪戯し放題だ〜」
「やめてね。屋外だよ?」
「余計に滾るね。野外露出プレイか」
「おまわりさーん!」
「お巡りさんから逃げたのはそっちでしょって」
「うぐ……だってあんな場面見つかったらどんな言い訳を考えた所で絶対に補導されるじゃんか」
「にしてもあたしを置いてかないで、よって」
星宮の頭にチョップする。星宮は短く悲鳴をあげたあと頭を押えて「うぐぐぐ……」と唸り声を上げた。
「はぁ……星宮。鳥肌すごいね」
「寒いからね。なんか気持ち悪いから二の腕撫でないでよ」
「はぁ〜…………星宮、お腹空いた」
「今日何も食べてないもんね」
「星ミルク飲みたい」
「なんで定期的に変態赤ちゃんプレイ要求してくるのさ……ほら、間山さん」
「え。飲ませてくれるの? やったー」
「泥をこねてシャーベットアイス作ったから。好きなだけ食べていいよ」
「今度こそ叩くよ?」
「理不尽だ」
軽口を叩き合うと星宮が控えめに笑った。
きっと、逃げ出した後に我に返ってもう二度とこんな馬鹿らしい会話をすることなんて叶わないって思っていたのだろう。一時はどうなることかと思ったけど、笑えるくらいには元気になってくれてよかった。
「今日は移動できそうにないから少し寝るね。歩きすぎて全身クタクタだし」
「こんな格好で寝たら凍死しちゃうよ」
「雪が降ってる訳でもないのに凍死なんてするわけないでしょ」
「でも風邪引いちゃうかも」
「それは今更だし」
「サバイバル動画でよくある葉っぱを傘にするやつでもしてみようかな。風避けになるかもだし」
「ほっそい草しか生えてないのに風避けになるかなぁ」
「……火起こしする?」
「出来るの? 湿った木を擦って火が出るとは思えないんだけど」
「ああ言えばこう言うなぁ」
「どう考えてもやれる事なんて何も無いんだから、諦めて星宮体温の温もりを頼りに寝させて頂きます。はい星宮、あたしに覆いかぶさって」
「ボクが寒いじゃん」
「じゃあ抱き合って寝るか」
「……恥ずかしいなあ。抱き合うのは」
「今更でしょって」
洞穴の奥の壁に身を押し付けて、星宮にこっちに来るよう指先を動かす。彼女は少し迷った後、照れながらあたしの方に体を向けてそっと体を押し付けてきた。星宮の背中に腕を回し、ギューっと体を押し付ける。
「だいぶ力強くないですか」
「わーい。星宮と抱き合ってる!」
「あはは……」
「……あれ? 気持ち悪いなぁとか言われるものかと思ってたんだけど意外と好感触?」
「ドキドキはするけど、気持ち悪いとは思わないよ」
「! ほう、あたしと抱き合うとドキドキするんだ?」
「女の子と抱き合うのは男としてドキドキしますよ」
「そこはあたしだからって言いなさいよ。乙女心くすぐりなさいよ、ヘタレめ」
「んー……でも多分、この先他の人と抱き合う事なんて無さそうだから。ある意味では間山さんだからって言い方も出来なくはない、かな」
「……大分甘めに見て及第点」
「何の採点なのさ」
星宮の問いには答えずに目を瞑る。……お腹空いた、なにか口にしたい。流石に母乳を飲ませてって言うのは冗談だけど、このまま明日も明後日も雨が降り続けたら我慢出来ずに飲ませてもらうことになりそう。
……いや、もしそうなったら星宮の体から栄養を奪うことになるから良くないのかな。あたしのせいで星宮が衰弱死しちゃったら元も子もないか。
一日眠って目を覚ますと、あれほどザーザーに降っていた雨が上がっていた。時間帯的には外は明るいから荷台乗り込み作戦は結構出来ないけど、トンネルからパーキングエリアまでどれくらいの距離があるのか分からないからあたしは星宮を起こし服を着て移動を始める。
「服生乾き、くさーい!」
「臭いねぇ。行った先にコインランドリーがあればいいけど」
「財布は持ってきたの?」
「大丈夫」
「よかった。……でも、コインランドリーがあっても替えの服なくない?」
「…………ま、まあ。それも、深夜にさ」
「裸で外の、人が来るかもしれない所で待つって? 本当に露出狂になっちゃわない?」
「近くにトイレとかあるでしょ。ダッシュで逃げて時間を見計らってダッシュで回収とか」
「……背に腹はかえられぬか」
「武士だねぇ」
「てか服もそうだけどお風呂入りたい。全身ドロドロのベタベタだし」
「そうだねぇ……」
話しながら来た道を逆戻りして、数時間かけてようやく道路に着いた。車道を歩くのは危ないからガードレールの外側に反って歩き、途中で崖になってる所から仕方なしに車道を早歩きで進み、長い長いトンネルを越える。
「トンネルを出ても山々。軽く絶望だね」
オレンジ色の照明に照らされながら、いつまで経っても出口の見えなかったトンネルをやっとの思いで越えたというのに出た先には相変わらずの景色が広がっていた。
山肌に沿って耕された畑らしきものと、ガードレールで隔たれた崖の向こうに見える白んだ山々。途中にいくつか民家らしいものは見えるけど、コインランドリーやパーキングエリアの類はどこを見渡して目に映らない。
「まあ、一山越える程度には歩かないと文明にはありつけないか。結構歩いたと思ったんだけど、女子中学生の歩行スピードなんてたかが知れてるもんね」
「……」
「星宮? ……大丈夫?」
トンネルを出た辺りから星宮が何も言わなくなった。見ると、彼女はガードレールに手を着いたまま俯いて遅い足取りであたしの後をついて歩いていた。
「……疲れちゃった? 休憩する?」
「…………ごめんなさい」
「なにがよ、あたし別に何もされてないんだけど?」
「ボクの、せいで……こんな事にっ」
「あーまた鬱モード入ってる!? 気にしないでって! あたしは大丈夫だから!」
「大丈夫じゃないよ。その腕、すっごい腫れてるし」
「これは……あたしがドジやっただけだから。全然痛くもないし!」
あたしは腫れた腕を指で少しだけ押して平気アピールを見せる。……実はすっごく痛いけど、痛すぎて鳥肌立つけど。
あたしが一生懸命虚勢を張っても星宮は罪悪感から解放されることは無かった。これ以上どうしようもないので星宮の手を引き、引っ張る。
「とりあえず歩けるだけ歩くよ。限界が来たら……ヒッチハイクでもしよう。しぶられても粘ってお金を出せば乗せてはくれるでしょ」
「……そうだね」
言葉では肯定を示してくれたけど、星宮の方からあたしの手を握り返してくれることは無かった。泣き出しそうになるのを黙る事で我慢しているようだ。
こんな場所を歩いていれば流石に誰かしらは声をかけてくれるだろう、そんな淡い期待を持っていたが現実は非情だった。車道を走る車はこちらを観察するように若干速度を落とすものの、そのまま通り過ぎて行ってしまう。そりゃそうか、みんなやる事があって車を走らせてるんだからよく知りもしない子供が歩いていたところで声なんかかけないよね。
「星宮。ここで待ってて」
「……うん」
星宮にガードレールの傍で待つように言って、あたし一人で車道に近付き車が通るのを待つ。少ししたら小さな軽トラがやってきたので、恥ずかしい気持ちを抑えて両腕上げて軽トラに止まってもらった。
「何をやっとるん君は!? 危ないやろ!!!」
「こ、ごめんなさい……あの、お願いがあるんですけどあたし達っ、パーキングエリア……えっと、服の、なんだっけ。あの、クリーニング? えっと、えっと……」
「……? 乗せてけって話ならごめんやけど、座席に荷物を置いとるから無理やぞ」
「!? そっ……そう、ですか。ごめんなさい」
「…………やけど一応、後ろに乗るんならまぁ。バレんように寝そべってもらうことになるけど」
「! 本当ですかっ!?」
「おん。困っとるんやろ、乗せてっちゃるわ。けど人を乗せとるなんてバレたら罰金取られるかんら、絶対頭出すなよ」
「わ、分かりました! 星宮っ!」
「ありがとう、ございます。……っ、ごめ、なざいっ」
星宮はお礼を言った後、泣きそうな声で軽トラの運転手さんに謝罪した。関係ない人まで巻き込んでしまったことに対する罪悪感で耐えきれなくなった涙が目からこぼれ、星宮はその場で涙を拭いながら泣き声をあげた。
「ご、ごめんなさい! すぐに泣き止ますんでっ」
「お、おう。……なんや大変な事になっとるみたいやの。どした、家族にでも置いてかれたんか?」
「そんな所ですっ!」
「か、ぞ……ぅああっ、唯に会いたい、会いたいよぉ……っ」
「落ち着きなよ星宮! 今はそんな事よりっ」
「おー……よぉ分からんけど乗るならはよ乗っとくれ。普通こんな場所で車停める奴なんかおらんでよ、車来たら邪魔になるやろ」
「ですよね、すぐ乗せます! もうっ!」
その場にしゃがみこみそうな勢いで泣いている星宮の脇に手を差し込んで、彼女の胴体を抱えて力いっぱい持ち上げようとする。……あたしの筋力じゃ持ち上げるの難しいな。
見兼ねた運転手さんが車から降りて星宮を抱き上げるのを手伝ってくれた。先に星宮を荷台に乗せ、その後にあたしも乗り込んで運転手さんに言われた通りに荷台の上に寝そべる。
あたし達が横から見えなくなった事を確認した運転手さんが目的を訪ね、車はコインランドリー付きの銭湯に向けて走り出す。その間もずっとあたしの隣で星宮は泣き続けていて、晴れた天気を見上げているのに気持ちはどんどん曇っていく。
……本当にこんなんで、星宮のおじいちゃん家まで辿り着けるのだろうか。きっと次の街についても問題を起こした駅から精々数駅分の距離しか移動してないもんね。
電車は使えない。だから当初の予定通り深夜のパーキングエリアを狙う。お風呂と洗濯を終えたいからこの運転手さんの事は頼れない。となると、別の車に乗せてもらうかまた長時間歩くことになる。
映画とか漫画みたいに、ページを捲ったら次の場面って風に時間がスキップすればいいのに。現実でこんな事するなんて、本当馬鹿げてる。
隣にいる星宮の耳に届かないように、本当に小さな声でそう呟き目を閉じた。車の揺れと星宮の泣き声で意識を埋めながら、あたしは目的地への到着を待った。