52話『海原渚』
渚って名前が嫌いだった。女みたいな響きをしてて、昔から俺は名前の件で馬鹿にされる事が多かったからだ。
どうしてもこの名前が好きになれなくて、母親に「どうしてこんな名前をつけたの」と聞くと、母親は昔好きだったアニメキャラの名字から取っていると答えた。……そんな理由で、男児に女っぽい名前を付けるかよフツー。てか妹につけろよ、産まれてくる順序が逆だろ、とそう思った。
そうだ。もし仮に先に妹が産まれていて、後で俺が産まれていたのなら。こんな事にはならなかったに違いない。
「なーぎーさ! あーそーぼ!」
俺の名前をいじって、女だと言ってくる男連中とは違って唯一間山は俺と仲良くしてくれた。けどそれは親同士が仲が良いからって理由で顔を合わせる機会が多いからなだけで。俺も間山も、別に互いの事をそこまで好いてはいなかったと思う。
「だから、名前で呼ぶなって」
「? 海原って呼ぶと、お母さんとかお父さんとかとごっちゃになっちゃう」
「……嫌いなんだよ、その名前。名字で呼んでくれ」
「えー? やだー、渚は渚じゃん」
「……」
少なくとも俺は間山の事が好きではなかった。何をするにも付きまとってくるし、俺以外の奴とは人見知りを発揮するせいで全然友達が出来ないし、だからって親に仲良くするよう強要されるし。間山は俺の頼み事を全然聞いてはくれないし、自己中だし、馬鹿だし、ノロマだし。正直邪魔者でしか無かった。
小3のある日間山と隠れんぼをするという名目でアイツに数字を数えさせ、そのまま家に帰った日があった。
あの後アイツがどうなったのかは知らない。
遊んだ翌週の月曜日、学校で顔を合わせた間山は俺に今まで言ってこなかったようなことを言った。
「なんでいつもあたしを置いていくの! 酷い!」
「お前が勝手にどっか行くからだろ」
「心配だから一緒に居てやるって言ってくれたじゃん! それなのになんであたしを放っておくの! 嘘つき!」
「……」
そんな事言ったっけ? ……あぁ、言ったな。幼稚園の頃、出会いたての頃に間山が誰とも馴染めずに寂しそうにしてたのが見てられなくてそう声を掛けたんだっけ。懐かしい。
確かにそんな事を言った記憶はあるし、それから間山が少しでも明るくなるようにと色んな所に遊びに連れていったり構ってやったりはしたけど、それでも一向に間山の周りに対する態度が改善されないんだからそりゃ愛想も尽きるってもんだ。
当時はその言葉を知らなかったが今になって思えば、間山は俺に依存していたんだと思う。人間みんなそれぞれの価値観で生きているから、幼い頃から他人に手を差し伸べるなんて事を意識して行う奴なんてそう居ない。だからこそ、唯一手を差し伸べた俺に対し縋るように、寄生するように生きてそのまま育ってしまったんだろう。
「……正直、お前と一緒に居ても楽しくないしむしろ疲れるから、もう付きまとうのやめてくれないか?」
依存なんて精神状態を知らない、ただ自分につきとってくる邪魔者としか捉えていなかった俺は怒り心頭の間山に向けてそう言い放った。多分、間山に対し明確に拒絶の意志を表明したのはそれが初めてだった。
ショックを受け、泣き出しそうになるのを堪え、暗い顔で俯いた後に俺を睨んできた間山の一連の動作は今でも覚えている。間山は間山で、自分が負担になっていたんだとどこかで感じ取っていたのだろう。
そこで泣いてしまえば、また俺が間山に寄り添ってしまう、そう思って彼女は悪意を向けるという形で俺の拒絶を受け入れたんだと思う。
その日から俺と間山は互いに距離を取るようになった。2人とも不器用だから、相手に頼ろう、相手を支えようって考えに至らない為にできる当時の最善の自衛手段は『互いを嫌悪すること』だった。
理屈とか過程とかすっ飛ばして、とりあえず相手の事を嫌っていると自分を信じ込ませる事で俺らは幼馴染としての繋がりを意識しないよう、元に戻らないよう立ち回っていた。
そんな感じで距離を置いている内に俺らは本当の意味で互いに相手の事を嫌いになっていった。だからこそ俺らは顔を合わせる度に互いを罵倒し、過去を貶し合うようになった。
「あ、海原くん、だっけ? やっほー! 星宮だよ!」
以前より友達の友達、の更に友達という程度の関係性を築いていた星宮憂って奴と、小4で同じクラスになり親交が芽生えるようになった。
最初は他の奴らと同じように俺の名前を馬鹿にしてくるのかと思いきや、星宮は全然違うアプローチで俺に気安く声をかけてきた。
「渚って名前なんだ? お洒落だねー!」
「どこがだよ。女みたいだろ、馬鹿にしてんのか」
「馬鹿にはしてないよー。ボクも憂って名前だし漢字も…………これだよ? なんならボクのが女っぽくない?」
「……確かに女っぽい、のか?」
「男っぽくはなくない?」
「憂と渚、並べてみたら俺の方がだっさい名前だと思うけど」
「そうかな〜? 憂鬱の憂と渚風の渚、オシャレ度では絶対に渚くんの方が勝ってるし、良くない? ボクぼろ負けじゃない?」
「憂鬱って言葉が似合わないくらい声キンキンしてるけどねお前」
「あはは! うるさいってよく言われる〜。こういう性格なもので!」
馬鹿みたいな顔でそう笑って、馬鹿みたいなちょっかいをかけて他の奴から制裁を受けて、かと思えば取っ組み合いで勝利して「ざまあみろー!」とか言っている星宮は、今まで出会ったことの無い人種で強い興味が湧いた。
星宮は鬱陶しいくらい明るくて馬鹿みたいな性格してるけど、間山とは違って俺に付きまとってくるんじゃなく色んな奴と交流を持っていた。
気分屋でマイペース、関わる時は一緒に楽しく馬鹿をして、それくらいの丁度いい距離感で関わりを持っている内に、星宮と一緒に過ごすのが学校に行く1番の目的になっていった。
毎日放課後遊びに行って、ゲームして、はしゃぎ回って。一緒に先生の悪口を言ったり、馬鹿な事をして怒られたり、クラスの男子が上級生とトラブった時は示し合わせてもいないのにほぼ同時にその上級生と対面して殴り合いしたり、とにかく色んな事をした。
星宮とは何をするにしても気が合っていた。大人になっても続けていきたい繋がりだと、心の底からそう思えた。
……でも。星宮は色んな奴と仲が良くても俺は星宮のようにコミュニケーション能力が富んでいた訳ではなかった。星宮は気楽に、数いる友達の内の一人と遊んでいる程度の感覚で俺と付き合っていたが、俺にそんな余裕は無くてその他の蔑ろにする事でなんとか星宮と付き合っていた。
俺は、星宮の中での『大多数いる友達の内の1人』で在り続ける事が嫌になっていた。たった1人の友達、世間が言う所の『親友』ってやつになって、特別視されたいと思うようになった。
「星宮! 今日うち来て!」
「ちょっと待って! 筆箱、入らない〜!」
「なにやってんのよ。置き勉なんかするからでしょ!」
俺が星宮に対して独占欲じみた物を抱き出した頃、間山も星宮と交流を持ち始めた。
あの人見知りの間山が星宮と仲良くしている? 疑問でしかなかった。いつの間に2人に接点が出来たんだ、てか最近集まりが悪いのって間山が星宮を独占してるからかよ。そう思うようになった。
俺にとって1番仲良くしたい友達が、絶対に仲良くなれないと断じた相手に奪われている。そう考えた俺は間山に敵対意識を向けた。
そこから先は、ごちゃつきすぎてたのと罪悪感からあまり正確に覚えてはいない。
独占したいって感情が行き過ぎて思い通りにいかない事で星宮に冷たく当っちまったし、暴力を振るっちまったし、星宮は女になるし、相変わらず俺とは疎遠なまま、裏で俺の事を悪く言ってるって噂が流れるし。
あと、女になったからって男であった過去は消えないって思ってた矢先にアイツの口から『男と性行為をしている』という旨の発言を聞いた時、言い様の知れぬ気持ち悪さを感じて俺はアイツを強く拒絶してしまった。
アイツは知る由もないが、その話を聞いた後で俺は激しく後悔をした。確かにそういう行為をしているのは気持ち悪い事この上ないが、それはそれとして星宮が1番気の合う友達だった過去に変わりはない。
アイツと過ごした時間が形成した感情を、自分自身で唾棄した事が何よりも許せなくて、いっその事小学校以前の事など忘れて1つの事に打ち込もうとした。現実逃避する選択肢を取ったのだ。
現実逃避は思いの外上手くいった。どうやら、どんな問題も時間が経てば解決するってのはあながち間違いでもなかったらしい。
中学に入り部活に打ち込んでいると、元より脳の容量に余裕が無かった俺はすぐに過去の事を気にしなくなった。
他にやる事がないから星宮に執着し暴走していた、ただそれだけの事だったんだと気付くと途端に全てが馬鹿らしく思えた。
「じゃ、ボクはそろそろ行くね! またね、海原くん!」
「おう、またな」
胸の蟠りが目立たなくなった頃、俺は星宮と再会した。アイツはどこの誰とも知らない男との子を宿し、身重の状態になっていた。
小学生の頃のままだったなら、俺は多分アイツに心無い言葉を吐きかけていたと思う。気持ち悪い、そう思って内心軽蔑していたのは事実だし。
でも、それを言って俺の胸が晴れるわけではないしただ星宮が傷付くだけで誰も得しない。し、俺自身過去アイツをいじめていたという罪悪感はあるわけで、そんな精神状態でアイツの妊娠を揶揄う事なんて出来るはずもなく、何を抱くべきか悩んだ末に俺が抱いたアイツへの感情は『心配』と『憐れみ』だった。
アイツが過去の面影を残したまま、それでも女性的な性格になりつつあったのも接し方を変えようとした一因だと思う。
アイツは変わった、ならそれに合わせて俺も変わるべきだ。そう考えた俺は、もうアイツに固執しないように注意しながらもアイツが助けや支えを求めるならそれに応じようと思うようになった。
もう二度と、俺が原因でアイツを悲しませるような事は起こしたくないと思った。なのに、俺はまた間違えてしまった。
野球部に誘った事。もっと言えば、あんな事があったのにまた仲良くしようだなんて思った事がそもそもの間違いだったのかもしれない。
ジージー煩い虫の鳴く声。水車が周り木材が軋む音。遠くで聴こえる車の稼働音。そんな音に包まれた狭い木小屋の中で、俺は星宮と性行為を行った。
制服についたじっとりとした汗の感触と、下半身にのしかかる星宮の重みと水気を帯びた肉の感覚。……中に入っている感覚。
何度も何度も中で出して、その度に星宮は緩慢とした動きで腰をグリグリと厳かに蠢かせた。快楽よりも、恐怖と罪の意識で胸が潰れそうになった。
「……2人目の子供の名前ね。凪、って言うんだって」
「……」
「父さんは海原くんの名前を知らないから偶然なんだよ? すごいよね。……すごく、気持ち悪いよね。渚くん」
「やめてくれ。頼むから、もう許してくれ」
「……許すってなに」
「俺が、全部悪かったから……だからもう、こんな事」
「やめない」
「星宮……!」
「絶対にやめない。海原くん、ボクの事親友だって言ってくれたよね。なのに何もしてくれなかった。おかしいよ、そんなの。どうして助けてくれなかったの?」
「それは……」
「…………なんでボクじゃ駄目なんだよ。なんでボクを、放っておいたんだよ。嘘つき」
星宮の言葉を聞き、コイツの姿に間山が重なる。
……そうか。星宮も、間山も、俺が無責任な事を言っておきながら途中で投げ出してしまったから、壊れてしまったのか。2人とも、心の拠り所がほしかったんだな。
ずっと一緒にいるとか、何があっても守るとか、味方でいるとか、関係性は変わらないとか。そんなの出来るはずもないのに、なんでそんな事を口走ってしまうんだろう。
人は皆、自分一人で勝手に努力して好きに生きて死んでいく生き物なのに、なんで他人の俺が求められてもいない手を差し伸べてしまったんだろう。傲慢にも程があるよな。そりゃ、異物が混ざったら調子が狂うのも当たり前か。
「……星宮は、」
「? なに」
「どうしてほしかったんだ。俺に」
「……そんな事今更聞いてなんになるの?」
「なんにもならない。けど気になるんだ。お前は俺のせいといった。なら、俺はどうすれば、お前がそんなんにならずに済ん」
「知らねえよ」
俺の言葉を遮り星宮が口を開く。彼女が立ち上がると、スカートで隠された股から白濁した液が零れ落ちた。
落ちていた下着を拾い上げた星宮はそれをそのまま着用し、服装を整えて鞄を持つ。彼女はとっくに俺から興味を失くし、そのまま何も言葉を交わさないまま彼女は小屋を出て行った。
小屋に取り残された俺の頭には、質問を投げた時の星宮の酷く辛そうな顔がこびりつきしばらく動くことが出来なかった。
「渚ー。傘持ったー? 午後から雨だからねー?」
「持った持ったー」
「あ、お兄ちゃん! 待って!」
「?」
学校に行く前、玄関で靴を履いている時に妹が駆け寄ってきて俺に何かを手渡してきた。小さなぬいぐるみのストラップ、だろうか?
「なんだこれ」
「昨日ガチャで出たの! お姉ちゃんこれ欲しがってたからあげて! それと、お姉ちゃんからフクロウさんのストラップ受け取って持って帰ってきてね!」
「なーるほど。了解」
冷泉とアイテムトレードの約束をしていたのか。なるほどなるほど、それなら学校帰りに直接受け渡ししろよとも思うが、まあ小学校と中学校で場所が離れてるからなぁ。手間ではあるか。
妹から交換物を受け取り、傘を持って学校に向かう。
今日から数日台風で強風大雨が続くらしい。明日以降暴風警報で休みになったりしないかな、と淡い期待を持ちつつ曇天の空の下を歩く。
星宮と体を重ねた日以降、またアイツは学校に来なくなった。星宮の悪い噂は当の本人が休んで3日もしないうちに話題は受験やら夏期講習の方に移っていって今じゃあまり耳にしなくなった。
誰も星宮の事を話さない。休んでいる間何をしているのか、各々がそれを当て嵌める解釈があるから取り沙汰する理由がないのだろう。
……正直、アイツの存在を意識しなくても住むようになった学校はかなり過ごしやすい。部活を辞めた分勉強に取り組み、空いた時間があれば彼女である冷泉と一緒に他愛のない話をしたり勉強を教え合ったりする。
なんてことは無い平凡な日々、だからこそ良かった。
「海原くん」
放課後。冷泉と待ち合わせている図書室に向かう最中誰かに声を掛けられる。振り向くとそこには、今日は登校していなかった筈の制服姿の星宮がいた。
「星宮? 今日は休みじゃなかったのかよ」
「うん。子育てで忙しいし、高校受験する気ももう無くなったし。本当は休むつもりだったけど、伝えたい事があって来たんだ」
「伝えたいこと?」
「うむ」
星宮が以前のような、少し尊大なおふざけ態度の返事をする。その様子を見て安心する、彼女の態度を見るに俺が予想していた話の流れにはならなそうだ。
「なんだよ、伝えたいことって」
「うむ。実はボク、この度引っ越しをする事になりまして。それに伴い転校するという話になったので挨拶をしに来た所存であります」
「引っ越し?」
「引っ越し。理由は分かると思うけど、まあボクかなりの事やらかしちゃってるからさ。居づらいじゃん? ここ。なので、新天地の都会で心機一転シングルマザーライフを満喫しようかなと」
「お、おぉう……まあ納得出来る理由ではあるか」
「うーむ。言ってはみたものの、シングルマザーを自称するのちょっとグロいな。流石にこの単語メスみ強すぎたか」
「何を今更。背格好から人格まで女に染まりきってんじゃんお前」
「人格はバリバリ男だが!? 肉体が変わったぐらいで人間そう簡単に変われるか〜!」
「そこは変わっとけよ。自我強すぎるだろ」
「くっそーまだまだボクの性的趣向は女体に向いてるのに! 大人になったらもう1回性転換手術して男に戻ってやる!」
「おっ、まじか。そんなら互いにおっさんになったら一緒に酒飲みながら釣りでもしよーぜ。横井とか長尾とかも呼んでさ」
「そーそー! そういうのやってみたいんだよボク! 女っ気のないムサイ男連中と一緒に酒飲むみたいなの! 憧れるなー!」
キラキラした目で星宮が言う。ムサイ男連中て、昔っから思ってたけどコイツの理想の男像が妙におっさんに寄りすぎてるんだよな。
「それをわざわざ俺に伝えに来たのか? LINEでもよくね?」
「分かってないなー。お別れイベントっていうのは画面越しよりリアルでやった方がエモいじゃんか。拳を合わせて別れを告げて、踵を返して片腕あげる。これが一連の流れじゃんか! ロマンが欠けてるよ海原くん!」
「本当にそれだけの理由で学校来たって言うんなら馬鹿すぎるだろお前。何分かけてネタ見せに来てんだよ」
「うるさいなー。海原くん以外にも挨拶したい人いっぱい居るし! LINE交換してない連中とも挨拶したいから来たんだよ!」
「グループに入ってるだろ大抵」
「うわっ、陽キャの無自覚ノンデリ発言来たね。グループに入ってない人の心を著しく傷付けたよ今。謝りなさい」
「えぇ……ごめんなさい」
「よろしい」
頭をペコッと下げたら星宮が俺の後頭部をポンポンと優しく叩いてきた。なんだこれ。幼児と接する時間が長いせいで母親ムーブが板についてないか? 無理だろ、ここから男になるとか。
「用はそれだけかー? ならもう行くぞ」
「うぇっ!? 別れ際あっさりとしすぎじゃない!? 酷いぞー!」
「また後で通話でもしよーや。今日は人待たせてんだよ」
「あれま。誰待たせてるの? 相手が男子なら行かせないよ? ボク絶世の美少女なので」
「驕り高ぶりすぎだろ。すごいなお前の自己肯定感の高さ。脱帽だわ」
「ふっふっふ。母乳詰め込んでるせいで胸もでかいしかなり容姿ティア帯高いと自負しているよ」
「言うな、そういうの。冷泉だよ、図書室で待たせてんだ」
「あー、冷泉さんか。そういえば付き合ってたんだっけ」
なるほどね、とでも言うように星宮が手をポンッと叩く。
「それじゃ通せんぼは出来ないな。残念」
「やけに素直だな?」
「ボクは素直で明るく割り切りの良い強い子なのでな。多少の事には目を瞑るのだ。後で話そうね! 寝てたら家まで行くから」
「割り切り鬼悪いやんけ。死ぬわけでもなし、別にいつでも連絡できるんだしたまに会って遊ぶくらい出来るだろ」
「毎日呼びつけてやろうかな。引越し先東京だけどね」
「割り切りどこが良い!? てか東京!? くっそ遠いわ! 会えるとしても年1だわそれ!」
「夏と冬どっちに会いたい? やっぱ水着見るなら夏? ……ボクの体でなに企んでんだよ変態! ホモ! グロエロ猿!!!」
「何も言ってないだろ!? 別にどっちでもいいわ!」
久しぶりに会ったからって構えてたってのに、仲良くしてた頃の言動所作で会話してくる星宮に安心しつつも溜め息がこぼれる。はあ、変に恐れてた分損したわ。コイツ、あんな事があった後だってのに何も気にしてないのかよ……。
……やべぇ〜。安心したら急に、その、俺の頭が余計な情報を叩きつけてきた。コイツとヤったんだよな、俺。やばいやばい、ここで反応したら流石に空気ぶち壊しどころの話じゃないぞ。さっさと退散しよう。
「じゃあもう行くわ。すぐに用事が済むってんなら大丈夫だと思うけど、一応変な事されないように気をつけろよー」
「あ、あともう1つ」
「? なんだー?」
「海原くん。ボク、また妊娠したよ」
は?
足が止まる。俺が止めようとするより先に、勝手に足がこの場を離れることを嫌い停止する。
振り向くと、星宮が俺になにか細長いものを差し向けていた。
「なんだよ、それ」
「妊娠検査薬」
「そうじゃなくてっ! 妊娠って……」
「中に出したのは海原くんだけだから、これは確定で海原くんの子供だね。やったね海原くん、ボクらの赤ちゃんだよ!」
「な、なにがっ。なにがやったねなんだよ!? お前なに喜んでっ」
「喜んでるように見えるんだ?」
仄暗い声で星宮が言う。彼女は自分の腹をさすりながら、薄ら笑いを浮かべた顔を俺に向ける。
「嫌だなぁ。赤ちゃん産むの、死ぬほど痛いんだもん。でもこの子が産まれてきたら晴れてボクの復讐が果たされるから、頑張って産まないとなぁ」
「ふく、しゅう……」
「うん。君の家族に言う。それで、君の家族を壊す」
「まだそんな事、言ってるのかよ!?」
「まだ? ……まだ? まだって言えるほどなにか解決したっけな? 時間は問題を解決させないよ? 時間が経過してる間に別の誰かが尻拭いをしてるから解決してるように見えるだけで、何もしてないのに問題が解決するなんて事はないんだよ? ボク、まだ海原くんに何も復讐果たせてないよねぇ?」
ひひひ、と不気味な声を上げながら星宮がゆらゆらとこちらに近付いてくる。そのまま俺のすぐ前まで来ると、星宮は俺の胸板に額を当てたまま言葉を続けた。
「てかさ。子供作ったら責任取らなきゃダメだよね。結婚しようよ、海原くん」
「けっ……!!!? な、は!? 何言ってんの!? お前、正気か!?」
「どうだろ。分かんない。……ちょっと子供産みすぎたからさ。ボクと父さんだけじゃしんどいじゃん? ボクなんかと結婚してくれる人なんているわけないし、この際海原くんでもいいから、さ。結婚しよ?」
「おおぉっ、俺なんかよりお前を好きな奴とか何人か居るだろ!? そういう奴らに声を掛けろよ!」
「父親が分からない子供が3人もいるとか、地雷もいい所だよ。うちの家庭事情を知ったら、百年の恋も冷めるんじゃないかな」
「3人って……その子も、産む気なのか!?」
「当たり前だろ」
「なんでっ、なんでだよっ! それは……!」
それは、やばい。なんというか、駄目だ。絶対に駄目だ! それだけ、は……。
「……自分が孕ませたって時だけ動揺するんだね。調子良い奴、それをなんでこれまでに向けてくれなかったんだよ。それが全部だろ、ボクがお前を憎む理由は」
「お、お、おれは……父親、なんかじゃ」
「無理だよ。それは無理。事実として海原くんの精子で妊娠したんだもん。責任取ろうよ、ぱぱ。ボクじゃ不満?」
「ふ、不満とかそういう問題じゃなくて!!」
「海原憂か〜。しっくりくるね。海原唯、海原凪……あはっ。渚くんがいるのに凪がいるのおもしろー。それ言ったらボクと唯も似たようなもんか。なんか、手抜いて名付けたみたいになっちゃうね〜」
「ちょっと待てって!!!」
星宮の肩を掴み引き剥がす。彼女は俯いたまま俺の腕を払う。
「わ、分かった! 俺も高校行くのやめる! 中卒で働いて稼ぐからおっ……お、堕ろしてくれ! 子育てでお金が困ったら資金援助もする! だからどうかっ」
「残酷な事を言うんだね。堕ろせだなんて。人殺しじゃん」
「よ、予期せぬ妊娠なんだから仕方ないだろ!? そんな事言ったってお前、俺達まだ中学生なんだぞ!?」
「ボクは小学校の時に孕んで中一で産んでますけど。なに? 俺達って。煽ってんの?」
「煽ってねえよ! い、いい加減にしろよ星宮!!! これはもう度を越してるだろ! いじめの事なら謝る! 金だって払う! だからもうやめてくれ!!!」
「無理〜。てか予期せぬ妊娠って言うけどあの時海原くん何回出したっけ? 4、5回イってたよね。予期せぬ妊娠なわけなくない? 無理じゃない? その言い訳は」
「は、はぁ!? あれはお前がっ」
「そもそもそんなに回数重ねて出せる事が驚きだけど。男の人って1回出したら満足な人多いのに。あれ、ボクを妊娠させる気満々だったからあそこまで頑張れたんでしょ?」
「んなわけないだろ!?」
「なら我慢しろよ。我慢しなかったお前の自己責任だろ」
「無茶言うなよ!? あんなんどう考えても」
「とにかくボクはこの子を堕ろさない。絶対に産む。産んで海原家をぶっ壊して、路頭に迷った海原くんと結婚して一生縛り付ける。勿論海原くんの事なんて好きじゃないからもう二度とセックスなんかしないし一緒に食卓を囲う事も絶対ないけど、ボクに弱みを握られてるから何も出来ないもんね? 今までの事を考えたら妥当だよね? だから怒っちゃダメだよ、ボクだって本当は殺したいのにそれを必死に我慢してるんだから。海原くんにボクを怒る資格なんて」
「…………っ、う、ぐ、くそーーっ!!!」
両親や妹の顔と、冷泉の事と、星宮自身の事と、色んな事が頭の中でグルグルと混ざり合い、訳が分からなくなった俺は『星宮と俺との子供が出来るのはまずい』という情報のみを握りしめ、淡々と言葉を畳み掛ける星宮の首を両手で掴んだ。
細くて白い、サラサラとした手触りの首は簡単に手折ってしまいそうに見えるのに、アニメや映画のようにはいかず思い通りに動かす事も出来なかった。星宮が肩と顎を寄せる事で俺からの首絞めに耐えている。
首を絞めている俺の両手の小指を星宮に掴まれる。彼女は小指を握ったまま腕を広げるようにして首絞めから解放されると、俺の顎めがけて頭突きをしてきた。
「いっ!?」
「なんでボクに……なんで、なんで! 何が親友だよっ、なにが、なんでっ!! なんでだよぉっ!!!!」
悲痛な叫び声と共に星宮が俺を突き飛ばす。
そのまま、床に着くはずの足や尻はどこにも着地せず、俺の視界が星宮の足元に到達した時初めて自分が階段から落下している事に気付いた。
星宮は嗤っていた。落ち行く俺を見て、『ざまあみろ』と言っているのが口の動きからわかった。
頭から地面に激突し、次に、肩、背中、腰の順番に落ちる。言葉では表現できない複数の鈍い音が体表と体内から響き、何かが擦れるような感触と、ジャリジャリとした感覚が後頭部の膨らみから感じる。
鈍痛はすぐに熱に変わる。ああ、多分、これは死んだな。
……やっべ。冷泉と妹の、なんか、あの……交換のやつ。結局渡せてないし……まじかぁ。これこのまま死んだら、妹が渡してきたやつ、渡せな…………。